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紙の本
氏の人間味も伝わってくる
2019/06/02 01:37
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ニック - この投稿者のレビュー一覧を見る
1974年から96年に書かれたエッセイ等に講演録も加え、氏の著作全般への理解を横断的に深めることができる内容。他でも書いた重複するエピソードも多いが、そこに氏の人間味も伝わってくる。
紙の本
誠実な人
2017/06/07 03:01
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:親譲りの無鉄砲 - この投稿者のレビュー一覧を見る
吉村昭は誠実な人である。その人柄が作品に反映されているのを、無意識のうちに感じたのだろう。思い返せば、全部ではないが、彼の小説、特に歴史小説のジャンルに分類されるものは結構読んできた。本書は、その小説づくりの動機、取材過程などの本音を垣間見ることができるエッセイ集である。
彼の歴史小説の特徴は、史実と認定されるものは、小説の中でもゆるがせにしてはいけない、という信念にある。もちろん、後世の人間にとって、歴史資料などに基づいた「事実」は、ぽつぽつと飛び石のように離散的にしか存在しえない。話の流れを確保するには、事実と事実の点と点を結んでいく想像力、構想力、空想力に任せるしかない。だから、既にある資料だけでは満足せず、新たな史実の再発掘を目指して、粘り強い取材を行う。「冬の鷹」の執筆時には、ターヘルアナトミアのオランダ語からの和訳を自ら追体験し、叙述の説得力を高める努力をしてもみた。こうなると並みの歴史家の研究プロセスが霞んでしまうほどの、学術的にみても厳密な作業、といえるだろう。(勿論吉村の作品は小説であり、歴史学の専門論文の体裁ではないが。)
この本とほぼ同時並行に、野家啓一「歴史を哲学する」を意図せず読み進めて、我ながら妙な共時性を味わったが、この本に基づけば、歴史には、物語り(ナラティブ)が必要になる。だから、歴史家の叙述と雖も、歴史的真実がそこにあることはなく、言語化のフィルターを通した主観的な再構成物なのである。すると、吉村のようなストイックともいえる歴史小説の書き方は、歴史家のそれとの境界がかなり希薄ともいえるかもしれない。
その点、司馬遼太郎の歴史小説とはかなり対照的である。司馬は、「坂の上の雲」の何巻目かのあとがきで「小説という表現形式のたのもしさは、マヨネーズをつくるほどの厳密さもないことである」と言っていた。彼の小説は饒舌である。その語りは、やはり司馬の人柄を表している。吉村の文体は、贅肉が少なく簡潔にそぎ落とされている。「事実」に重きを置くと、放逸した想像的叙述が困難になるのであろう。逆に頼もしさ、信頼感も湧いてくる。
蛇足だが、この本で繰り返し出てくる記述に、太平洋戦争時のドゥーリットル隊による最初の東京空襲の直接体験がある。このとき彼は凧揚げをして遊んでいたとのことである。これが、吉村にとっての歴史的原体験、原風景になっていたのだな、と興が湧いた。
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