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小説の勉強のために読むが、勉強のポイントが分からん。自分に必要な著者かどうかを再検討の必要あり。。人生は短い。俺よ、古典を読んでる暇はあんのかい?
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男女としてやっていけないのはわかっていながらも
なかなか離婚まで踏み切れない夫婦の話。
誰も傷つかない離婚なんて無理だし、
そもそも主人公が女に求めるものが複雑すぎて...。
そんな女の人いないよ。
ストーリーに大きな盛り上がりや展開があるわけでもない、
小説なのに小説らしくない不思議な本。
先日読んだ「陰翳礼讃」のような、谷崎の美学を主張している部分が目立つ。
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新しさと古さのすれ違い。
結婚の価値観、人付き合いの価値観、美しさの価値観まで、自分が当然と思っていることをこうやって誇張すると違和感とか苦悩を生むのね。
「理想」の雛型をひたすら追い求めているような。
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途中から飛ばし読みしてしまった…つまらぬ…私には難しすぎました。
息子と犬が出てくるシーンはほっこりしたけどなぁ!
私は谷崎作品の猫やら犬やらがすきなだけなのかも。
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主人公と、そのオルターエゴとも言える老人の美的感覚があるところでだんだんと交差してくるところが面白い。
人に何かの美的感覚を教え込むところから教育ははじまるのだけれども、小説のタイトル通り蓼喰ふ虫も好きずき、良いか悪いかは受けとる側の時期と機嫌次第のところも大きいのでありまして、はいそうですかという具合にはみんな自分の美的感覚を人に合わせることはできない。
老人の文楽趣味にしたところで玄人ぶって高尚ではあるように見せてはいるけれども、上方びいきではない人にとってはなんてことない退屈な人形芝居である。でもだんだんとその良さが分かってくるのもまた面白いところ。人の好きにはそれぞれ生理や系譜があるのでそう簡単にはいくまいよと谷崎が笑う姿が浮かぶような気がする。
しかし、何でも選べる時代であるからこそ、「好き」と「べき」の折り合いをどう付けて行くのか、という観点から見れば、教訓になる小説であると思った。
もっと派手で倒錯した谷崎っぽい世界観が好きな人は多いと思うので、ぱっとしない作品かもしれないが、個人的には関西に生まれ育った者として耳にしたことのあるフレーズの数々がちりばめられているこの作品、そしてこの作品をとおして伝えようとする「女性観」「美的感覚」が僕は好きです。
女性の権利を云々言う方々からすれば、女性の内面や外面をモノのように扱うことに強く嫌悪感を感じるのだろうけども、それは理想の男性像云々の話にしてもどっこいどっこいでありまして、結局は好きか嫌いかという無理強いできない好みの話になってしまうわけです。
合わなくても、好みが違っても、どこかで繋がらなければならないときもある、それを切ることに未練を感じることもある。こういう捉え方の方が、なんでも割り切る考え方よりも僕は好きですね。
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老人とお久がとてもいい。憧れる。
うまく言葉では言えないが、情景や、風情がとてもいい。
五つ星の満点よりも、星が四つのほうが実はいいといったような味わいがある。
読書会で出た配役案では美佐子は高岡早紀。要は筒井道隆君がいいと思う。お久は意外と難しい。老人はもっと難しい。
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最初から離婚の話。最後まで決着がつかない。こんな終わり方?という終わり方。離婚の理由はいたって現代的。というか、昔も今も大してそれは変わらないのかもしれない。変わったことと言えば、離婚が増えて、そのハードルが下がったということくらいだろうか。夫から女として見てもらえない妻、美佐子さんが別の男に向かっていく。近所の夫妻を想像しながら読んでしまった。(名前が同じというだけ。その夫妻が冷え切った関係というのでも、妻が不倫をしているというのでもない。)重要な役割が与えられた妻の父親、その妾、お久一人だけの京都弁がなぜか懐かしい。はたして、美佐子は父親のことばを受けて、離婚を思いとどまるのか。煮え切らない夫も夫、不倫相手の男も男。何ともすっきりしないお話ではあった。
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肉体関係を持たなくなってしまった夫婦が離婚に踏み切れずにいる話。女は娼婦型と母婦型に分かれる、女は神であるか玩具であるかのいずれかである、などなどの主人公・要の女性観に共感はできないけれど、なるほどこういう考えもあるのかと興味深く読んだ。そんな要が日本の伝統文化に触れながら、最終的に魅力を見出だす女とはこういう人なのか―――というのが暗に示されているラストがとても好みだったけど、その解釈にはちょっと自信がない…。
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谷崎文学に顕著な、倒錯的な愛情や変態的な偏愛が排除された珍しい作品。
谷崎文学の魅力はそれらの他に、90年前の日本も、現代とそんなに変わらないな!と思わせてくれる身近な日常描写があると思う。
例えば浄瑠璃の劇場の客席で化粧を始める娘と初老の父親のやり取りが面白い。
「第一女が身だしなみの法を知らない。お前のその手の中あるのは、そりゃあ何というもんだね」
「これ?これはコンパクトというもんよ」
「近頃それが流行るのはいいが、人中でも何でも構わずそれを開けて見ては顔を直すんだから、ちっとも奥ゆかしさというものがない」
電車内での化粧直しは、90年間進歩が見られない女性像の一つなのかもしれない。
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上方の旦那衆は芸事の素養がありました。浄瑠璃や地歌、高尚だと能、謡曲を習っています。文楽を中心に上方文化がふんだんに語られますが、文化的な継承をしていないと、ハードルが高く、読者を選びます。主人公は富裕層で、神戸のドイツ人の店で買ったレバーソーセージを毎朝、食するなど“ハイカラ”な生活ぶりです。心が通わなくなった夫婦の別れるまでの姿を描いていますが、移住先の関西がすっかり肌に合った様子がわかる作品でもあります。
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まるで骨董のように淫靡な艶を愛でる、そんな趣味を若い妾との生活全般に求める義父。それを古臭いと思いながらも次第に惹かれていく主人公。その間に妻(義父の娘)との離婚話が進んでいく。いつものことながら、何重にも倒錯した人間関係を設定しながら、それを読者にすらすらと理解させ納得させてしまう筆力はすごい。この物語の主なテーマは、義父の趣味だと思います。
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主人公の要と美佐子は仮面夫婦。妻に恋人があることを夫が容認している。それどころか、元はといえば要が美佐子を女として愛せなくなったことが原因であるため、むしろ妻にそういう存在があると知って要は安堵したほどだ。それでももう二人の間には小学生の息子もいるし、美佐子は要があれといえばあれとわかる世界に唯一の女でもあり、これが夫婦でなくて何であろうという一組の男女なのだ。この二人が、お互い理性では離婚しようと思ってそういう話し合いをしているのだが、二人そろって決断が苦手な人間で、できることなら自分は棄てられるほうでありたいと思っているので、まったく煮え切らずにずるずると仮面夫婦(正確には、何事かを察知している息子も含めた、仮面家族)を続けている。
執筆当時は、これだけでけっこうアバンギャルドだったのでしょうか(とはいっても谷崎作品全体からみれば変態度低いのだと思いますが)。
今だとなんとなく、22時からのドラマにありそうな、ゴロウちゃんと尾野真千子とかがやってそうな、そんな感じ。
さて、この家族がどうなることか…
という話かと思いきや。
美佐子の父、つまり要から見ると義父である老人は、生まれ育ちは(要・美佐子同様)東京でありながら、老いてから関西に住みすっかり関西好きになってしまったという、谷崎自身の投影のような人。京女であるお久という若い妾を囲っていて、芸事や料理や立ち居振舞いなどあれこれ自分好みに仕込んでいる。この老人が作中、文楽とか、家の作りとか、暮らしぶりとか、なんやかんやと哲学を語るのだが、内容は陰翳礼賛と重なる。
要は、どこかこの老人の生き方に惹かれている自分に気づいていて、口では面倒だ、仕方ないなどといいながら、老人とお久の淡路巡礼の旅に付いていく始末。
だんだん、要と老人の話になっていきます。
老人が持論を唱えたり要が色々考えたりしているのが続いてだれてきたころに、少しはっとさせる秘密が出てきたりして、いい感じに起・承・転ときたところで、こう来るとは……
やられたぜ。
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妻が外に愛人を持つことを夫が容認する仮面夫婦。「別れよう」と心に決めながらも、決断できない様子、ゆらゆらする心情は、理屈っぽい読者(と従弟)を苛立たせるが、そう簡単に割り切れぬのが人間というものなのだろう。
結末は描かれない。主人公が妻の老父の妾(いかにも日本的な美しさを湛えた女性)に心惹かれる様子がなんとなく書かれ、あっけなく幕切れが訪れる。別れたのか、それとも別れなかったのか、そこは大して重要ではないのかも。ハイカラなもの、日本的なもの、その両方が多く描かれる中で、終局は日本的なものに原点回帰したことが根底にあるテーマなのかも知れない。注釈の多さが読み進める上で苦労にもなったが、当時の文化芸能の片鱗が見えておもしろかった。
娼婦型と母婦型。娼婦型の女は男を引きつける「女性らしい」肉体を持ち、母婦型の女は控えめな「女性らしい」精神を持つ、ということなのかなと思った。どちらも「女性らしい」なら、女性はその逆説の中で生きなければならないということなのかも知れない。そしてそれは、現在も変わらず女性につきまとう逆説なのかも。
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これはコメディだと思って読んでよかったのかしら…?
最初の場面から、二人の優柔不断コントが面白い。そしてなんとなく自分に重ねてしまい、恥じ入るような気分になる。
高夏と美佐子の会話が、粋でカラッとしててよかった。高夏ぐらい決断力があって人の懐にするりと入れる社交性の持ち主なら、この夫婦関係も違ったのかもしれない。
そういえばアソさんの人となりにはあまり触れてなかったけどどんな人なんだろう。
なんか、出てくる人みんな悪い人じゃないのに、それぞれに腹の中に何かしら抱えてて、それを表に出せず(出さず?)にのらりくらりと享楽的な日々を過ごしてる感じだなー。
最終的に二人は別れて、要はお久とそういうことになるんだろうか?どっちにしても誰も幸せになれそうにないけど…
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何も起こらない。
ある状態のまま、ずっと、このまま、で、続いちゃうんだ。
はぁ、でもそれが読ませちゃう。
刻々と、切々と、丁寧に、これでもかと、こだわりまくりの男たち。
多分、このままダラダラと、この状態を続けていく、ブルジョアな人々。