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ロシア文学が好きだった18歳の頃に読んだ1冊。ドストエフスキーよりトルストイが好きな僕としては彼の作品の最高峰だと思う。
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アンナ&ヴロンスキー、カレーニン、リョーヴィン&キチイの3(or 4?)視点から小説が進んでいくのがおもしろい。それぞれ別なんだけど、たまに交差したり…リョーヴィン&キチイの話が結構好き
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ごめんなさい。☆5つを付けたいんです。しかし、僕のほうが中だるみしてしまいました…。
上巻は5日で読んだのに、中巻はまだ半分とちょっと進んだあたりではや2週間ほどかかっています。これはひとえに著者や訳者の原因ではなく、僕自身の読書力不足のせいでしょう。トルストイの長編小説は、読書力のない人や人生経験の不足している人を受け入れてくれない傾向にある、とはよく言われますが、僕がそのドツボに見事にはまってしまったと言えそうです。繰り返し言いますが、これは著者や訳者の責任ではありません。自分を戒めるため、と言えば変になりますが、それをも含めて☆4つ。
とは言え、読めるときは気付かない間に50〜100ページぐらい読んでしまえる技量はさすが世界的文豪。最後まで読んでいないのであまり偉そうな事は言えませんが、例えばリョーヴィンの兄ニコライの来訪と、それに伴うリョーヴィンの死への考察は、感慨深いものがありました。
しかしながら、上巻のレビューでは台詞にあまり難しい思想が組み込まれていることはないと書いたものの、中巻ではややそれが目立ってくるようになります。もちろん、そのような思想があるからこそ、この作品が世界的な深みと広がりを持っていることは疑いありません。単純な、わかりやすい文章を積み重ねただけではいわゆる浅い作品になってしまいます。哲学あってこその名作だと思うのです。しかし、自分でも悔しいのですが、僕は今のところあまりその哲学を汲み取ることはできないようです。
怒涛の展開が予想される下巻に期待しつつ、後半を読んでいこうと思います。
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上巻読んでからかなり時間が空いてしまったので、正直細かいストーリーがつながらない。ドストエフスキーの白痴も下巻ほっといてある関係で、互いのストーリーと登場人物が混ざってよくわからなくなっている。とにかくアンナがヴロンスキーとの不倫を通じ内外共の苦悩をしているって言うこと。下巻で理解がまとまるだろうか。ストーリー自体は複雑ではないはず。
12/5/29
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延々と続く痴話喧嘩、痴情のもつれ。
病気で、またはピストル自殺で死にかけたのに、まったくもってそのあと、ケロッとしてるのがいただけない。
心理描写がとてもいやらしく
みんな、何かしらのさもしい性格をもってるんやけど、とりわけリョービンがかなりうざ気味。
自分も似たような性質があると思われるので、近親憎悪を感じ目も当てられんほど、
とても痛い。
カレーニンとオブロンスキーには頑張ってほしい。
うーん。。。なんかちょっとねぇな感じになってきた。
なんとか、最後までは読み切りたいところ。下巻に期待。
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冷徹な夫・カレーニンの黙認的態度に苦しむアンナは、虚偽と欺瞞に凝り固まった社交界を捨て、一人息子セリョージャへの愛に苛まれながらも、ヴロンスキーとの破滅的な恋に身を投じる。一方、ヴロンスキーがアンナを愛していることを知った失意のキチイは、理想主義的地主貴族リョーヴィンの妻となり、祝福された生活を送る。
リョーヴィンとキチイがめでたく結ばれたことに対しては、非常に感動した。貴族でありながらリョーヴィンが農業に力を入れていることにも、好感が持てる。
アンナとヴロンスキーを取り巻く周囲の状況の変化の中、本当の破滅に向かっていよいよ廻り始めた歯車がどう描かれていくのか、最終巻に賭けたい。
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うーん・・・。
上巻はとてもおもしろかったのですが、中巻を読み終わるとアンナの傍若無人ぶりに少々苛立ちが起こりました。
僕の読み込みが足りないのですかね・・・
下巻に期待!
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一つ一つの場面がものすごく示唆に富んでいて、考えさせることばかり。
そして全体として大きな流れとなって物語が進行していく感じは圧巻。
己の感情に素直に従って生きようとするアンナは果たして責められるべきなのだろうか。己の感情より、義務感や面子を重視するカレーニンは賞賛されるべきなのだろうか。
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冒頭リョービンの農業経営に80ページ割いてびっくらこいたが、晩餐会でキチイと再会してお互い探り探りに言葉を交わし、幸せいっぱいに至るまでの経緯がなんとも甘酸っぱくてよかった。また、キチイが結婚を経て新婚生活、義兄ニコライの看病をテキパキとこなす成長した姿はとても読み応えがあった。反対にアンナとブロンスキーはますます悪い展開に…。カレーニンが悪いのかな~。アンナの出産から死の淵に至って平常心を取り戻し、カレーニンは幸福感を見出しすべてを許した。でもアンナは狂乱して一筋縄にいかず…。ああ、先の展開が読めない。
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第5編、ニコライの死からカレーニンの苦悩までたたみかけるような心理描写が続く。 ニコライをそのまま死なせてあげればいいものを一度快復させるいやらしさ。トルストイはきれい事ではすませない。それでも登場人物に対する優しさが感じられる。醒めた優しさ。
リョービンの新婚生活の描写、カレーニンの苦悩、どれも自分自身がいつかどこかで感じたような気持が見つけられる。
この小説、本当にすごい。
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幸せだった人生が一転して不幸せに、悪人だと思われていた人物が急転して善人に。
幸せとか、不幸せとか、善人とか、悪人とか、どれも人生の一辺でしかなく、全体を表したものではない。
立場を表したものではなく、心のありようを示したものであることを認識した。
生きること、愛すこと、許すこと。
たくさんのことをトルストイは著そうとしていて、この本にはそのいくつかが散りばめられている。
すべては、簡単じゃない。
生きることは苦しく、幸せを得るにはどうしたら良いのだろうか。
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この作品は、誰を軸にして読むかでずいぶんと景色が変わってくるはずです。私はオブロンスキーが好きなので、出てこないと退屈で、出てくればちょっとだけわくわくします。「ちょっとだけ」というところが、オブロンスキーのよさです。軽薄な人物かもしれませんが、オブロンスキーがいなければ物語は流れませんし、こんな人物がいなくては、そもそも社会は成り立ちません。タイトルも、『オブロンスキーの優雅な日々』でもよかったのでは。
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びっくり展開。。
勝手な想像で陽気でちょっとふざけた話だと思ってましたので。
イメージとしては、シェイクスピアのような。
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キチィは、独の湯治場で華やかな貴族社会とは違う人の生き方を見る。リョーヴィンは、ある農民の家で自然と共に素朴に生き生きと暮らす人々を見る。そんな二人が再会、婚約、結婚式、新生活へと細やかに綴られて祝福の気持ち満杯。
一方アンナは彼の子を産み瀕死時に妻を哀れみ許した夫に感謝するも完治した途端、軍服をも脱ぎ捨てた彼と共に海外旅行、離婚騒動。でもアンナは一途に母を慕う息子に会いに来るが、貴族社会の△関係は、失笑、侮辱、屈辱、憎悪渦巻く虚偽虚構の世界。いつしか二人の愛は疑惑と憎悪に変わる。
何を言いたいのか、わからなくなってきた。貴族社会のいざこざに少々食傷気味。ぁ〜あ、どうなるの下巻へ
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細々と行き帰りの通勤電車(片道15分)で読み進め、半年かそれ以上かけて読み終わった。
海外文学だし作品として古いからところどころわかりづらい表現があるけど、それでも上巻よりは盛り上がる箇所が多い。
リョービンとキチイ、カレーニンとアンナとヴロンスキー、それぞれの話が目まぐるしく動く。
一番最初に出てきたオブロンスキーの影が薄くなってるけど、そのオブロンスキーの最初の騒動も、これらの話を匂わせる伏線だったのだろうか。
あと個人的に、ニコライ兄のところはすげえ引き込まれた。
生死の狭間って多分こんな感じなんだろう。それに係わる人たちも。
愛、建前、本音、死、社交、どんどんこじれていくこれらの人たちが最期どうなるのか、トルストイの作品は初めてだからそういう意味でも楽しみ。