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投稿者:タヌ様 - この投稿者のレビュー一覧を見る
街づくりの教則本みたいなものと思って購入されると最初でしくじる。第一章はノーベル経済学賞受賞者のルーカスシカゴ大教授によって著者が招聘された米国経済学会でのかなり著名な招待講演である。ここは経済学をやられてないと少しきついのでご注意。ただし後続の章とは独立であり読み進められる。驚くのは著者は大学教育を受けずに執筆活動で身を立てられた方であり、整然たる都市空間はなにも生みださないものであり、猥雑とも言うべき人々の暮らしと知恵が都市の繁栄を生み出すという主張を展開し、整然たる都市計画主義に強烈なカウンターパンチを浴びせ、住民の意思を反映した勝利を演出した方なのである。
今回は経済に関する著作であるが、他の著作では、哲学、政治学の対話型を書かれている。読まれることをお薦めする。博学であり、また自ら考え、組み立てる力を持っておられる方であり、古代ギリシャのポリスで市民が議論しているかのような気になるのである。まさに社会科学は人文の教養を前提とするそういう著作なのだ。
発展する地域 衰退する地域: 地域が自立するための経済学
2015/05/05 09:41
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投稿者:Carmilla - この投稿者のレビュー一覧を見る
「まちづくり」に興味があって読んでみたのだが、何を言いたかったのかわかりにくかったなあ…というのが第一印象。翻訳者の解説を読んでも腑に落ちず、頭の中にすとんと入ったのは、鳥取県知事を務めた片山善博氏の解説だった。この本がいいたかったことは、彼の解説にまとめられているので、本文に目を通す前に読んでおくことをお薦めします。あと、第一章はやたらと小難しい経済学の理論とそれに関連する歴史の記述なので、経済音痴を自認される人はすっ飛ばして第二章から読み始めるなり、第二章から全部目を通したあと、まとめの意味で第一章を読むなりした方が、理解が深まると思います。
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この本のテーマは、発展を遂げる地域と衰退する地域の違いは何なのかという事。国家単位で経済をとらえ国際分業こそが効率的だとする経済を真っ向から否定する。
キーワードは「輸入置換」。ある地域(都市)で従来輸入していた財を自らの力で生産し、自ら消費し輸出もする。そのような力を持つ地域こそが発展するという。財Aの輸入置換が可能になれば、次は財Bの輸入が可能になり・・・というように良好なサイクルに達した地域は発展する。
しかし、補助金や公共事業、工場の誘致、単純な地域間貿易に頼る(これを衰退の取引という)地域は衰退の一途を辿る。筆者のジェイコブスは世界中の様々な地域の盛衰からこれらの法則を導き出す。
日本はどうだろうか?新興国経済への依存は衰退の取引と言えないか?自分たちで作れる農産物を輸入に頼ろうとするのは衰退の兆候ではないか?今でも日本は「輸入置換」をする力を持っているか?
このように考えていくと日本はどうも負のスパイラルのはまっているような気がする。
この本の解説で、鳥取県知事の片山氏がこの本の内容を鳥取県の現状にあてはめて解説している。それが非常にわかりやすい。
曰く、公共事業では、鳥取県には何の産業も育たないし雇用も生まれなかった。道路建設により利益を得たのは鳥取県ではなく、他県の鉄工所でありオーストラリアかどこかの鉱山だというのだ。それから鳥取県では自分たちの力で、自分たちのために財を生産する方向に舵を切った。
例えば、地元の給食で使用する食材は従来は他県から仕入れていたが、地元産のものに切り替える。道路建設のガードレールに地元産の木材を使用する。風力発電で地元のためのエネルギーのわずかな部分でも地元で生産する。これは正に「輸入置換」でなないか。
このような考え方を少しずつ育てていくことが大切だと思う。
僕はかねてから、地方の活力を取り戻し少なくとも必要最小限の財については極力自給すべきだという考えをもっている。(内橋氏の影響が大きい)
国際分業なんていうものはすごく脆いものだと思っているので、この本に書かれていることには賛成できる。
地方の抱えている問題に興味のある人にはぜひオススメしたい一冊。
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地域経済の発展のためには、その経済圏内にある財を用いることが肝要であり、工場誘致や公共事業は、地域経済の発展には逆効果である、というのが本書の主張である。本編において、事例がかなり多く挙げられているか、必ずしも親切な書き方がされていないので、読みにくかった。しかし、主張は一貫している。
本編がよくわからなければ、あとがきにおいて、鳥取の具体的事例が挙げられているので、それを読めばよい。読めば本書の主張が、見えてくるはず。
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やけに日本が成功した事例として載っているなと思ったら1986年に出版された本なんですね。だからといって今となっては情報が古くて参考にならないということではなくて、どちらかというと普遍的な流通の仕組み、地元で生産した製品が地元で消費するだけではなくて他の地域に売ることもできて、経済的なゆとりができれば他の地域や国のものを買うこともできるようになるけれども、地元の商品価値を高めていかなければ、いつの間にか競合はあらわれて、あっというまにその地域の経済は維持できなくなって衰退する、というせつないサイクルのことがかかれています。
日本の製品が素晴らしいと讃えられる時代は終わってしまった。もはや独自の資源もなく輸出する製品も持たないわたしたちは外貨を稼ぐことすらできない。英語が必要だとやっきになり、外資系企業に就職することに憧れ、企業は割高な人件費の日本人は雇いたがらず、仕事は海外にアウトソースされ続けることになるだろう。外国人と一緒に働くほど、日本人であることのメリットってあんまり残っていないと感じられる。
東京のスーパーマーケットで買い物しているとき、食料も製品も東京だけで生産されているものって殆ど無いことに気がつく。安価な外食産業、多くの素敵なレストラン、自炊の充実した家庭など、日本で食べられる料理はきっと世界の中でもバリエーションに富み、クオリティが高いのだろうけれども、国産の食べ物だけで料理をすることはなかなか難しい。
フランスは食料自給率はずっと100%を超えていて(そりゃ料理もうまいし食材も豊かな農業国だし)、そういうところ日本人がもうちょっと意識を持って日本の農業を後押ししするような台所事情になってほしいと思う。食べ物作ってくれるひとに敬意を表することを忘れないようにしたい。
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本書でいう発展や衰退の意味は、経済的にという意味である。本書では経済循環が行われる単位を地域ととらえ、そのメカニズムを説明しているが、これは非常に画期的な見方であると感じた。なぜなら、多くの経済動向に関する著作が、アメリカ、とか、日本といった国家の単位でしか語られておらず、極めてリアリティに欠ける内容に感じられたからだ。考えてみれば、日本という狭い国でさえ地域における経済格差が体感できるほどであるから、国という単位で経済云々を語ること自体乱暴であると気付くべきであった。
本書はソ蓮崩壊前の80年代に書かれたものであるが、その内容については今日でのも十分説得力のあるものだと感じる。
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86年に出された都市の経済学―発展と衰退のダイナミクスの改訂版。
都市はそこにあるものに頼るだけでなく、そこにいる人が主体的にものを生み出し、交流しないと繁栄しないということを世界の都市を事例として説明している。
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都市計画では有名なジェイコブズの新しい方の本。あんまり言葉が響かない。当事者意識がかけているためだろうか。時々おっと思うセンテンスもあるけど、全体的に暗黙の前提を抜け出していない感じがつよい
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都市計画の講義などでは必ず示される『アメリカ大都市の死と生』の著者ジェイコブズが、都市同士のかかわりやそれによる都市の盛衰に目をむけて視野を広げた一冊(旧訳題『都市の経済学』)。
『アメリカ…』ほど名が知れていないが、それは、塩沢氏の解説でも指摘されているとおり、それまでの都市経済学の根本を覆すような大作であるがゆえに、かえってなかなか後世の研究者による追随や拡張を許さなかったという面があるのだろう。
しかし今日の日本では、「地域(地方)が消滅する」といった文脈から地域再生に目が向けられ、また藻谷氏の『里山資本主義』が売り上げを伸ばす等しており、ジェイコブズによる主張にようやく世間が追いつき、参照しようとしているのかもしれない。(『里山資本主義』はまさにジェイコブスのいう「輸入置換」の重要性を、よりミクロな視点から説いたものであるとも言える。)
20年以上前の著作であるが、きわめて今日的であり、地域ないし国家において行政・経済・都市計画・インフラ整備、あるいは国際協力に携わる者に対し重要な問題提起をする。必読。
個人的には、TVAの失敗のことや、ミャンマー(ビルマ)の鎖国的政策のことにかかわる記述が印象的。
前者は、TVAはえてして土木工学(河川工学)において、日本にとっての見本となったと語られるものだからだ。
また後者は、ミャンマーは現在日本(やその他先進国)から急速に
"技術を含めて学びながら"投資を受け入れており、これが恐らくミャンマー(ヤンゴン)の輸入置換、経済発展を実現するだろうと考えたからだ。
===
本書でのジェイコブズの主張は、おおよそ以下のとおり。
(なお、<>は便宜的に大見出しをつけてみたもの)
<0.導入:都市の経済学へ>
○経済成長を考える際の単位は「都市」であるべき。(「国民総生産」から始めるスミスの議論だとか、「途上"国"」の今後の発展を前提とする議論とかは、間違っている)【1章】
<1.都市と輸入置換と5つの力>
○都市は「輸入置換」により成長する。(つまりイノベーションによる成長する)【2章】
○輸入置換により成長した都市は、その周辺地域に5つの観点で(バランス良く)影響を与えることで、「都市地域」とも呼べるような一帯を育む。それは「(1)市場、(2)仕事、(3)移植工場、(4)技術、(5)資本」の5つの力である。【3章】
○逆に、中核たる輸入置換都市なくして、これらのうちいずれかの力"のみ"を遠隔地に投入しようとしても失敗する。【4-9章】
○よって後進都市の成長のためには、輸入置換・イノベーションが必要だが、それは緩やかで日常的で流動的な交易におけるインプロビゼーション(ちょっとした創意工夫)によってのみ生まれる可能性がある。だから先進都市経済との交易ではなく、後進都市同士の交易を必要とする。【10章】
<2.国単位から、地域単位へ>
○(国毎の)通貨というのは、対外貿易では、行き過ぎた経済格差を(為替変動により)修正する機能を有するが、地域���位での格差を修正しない。それどころか国単位で丸められることにより、例えば首都の都市が強力であれば、その他諸都市はそれに引きずられた調整を受けてしまう。【11章】
○よって、諸都市が停滞してきた際にも国として束ねるべく、諸都市には(1)軍需生産を与えたり、(2)補助金・交付金を与えたり、(3)先進都市による投資をしたり、するのだが、これらは諸都市のインプロビゼーションや輸入置換を妨げる、いわば「衰退の取引」である。【12-13章】
○結局のところ、地域ごとの多様性・自由さ(=ガチガチに縛らない「漂流」的なあり方)こそ、インプロビゼーションそして発展を可能にし得るのだ。【14章】
===
最後に、二編の解説について。
一つ目、片山氏(もと鳥取県知事)のものは、解説というより、自己紹介とコメント、といった形。自分の知事時代の功績を(ジェイコブズの主張に照らして)美化して記述する様子には違和感がある。しかし、公共事業の経済効果に係る見方には、ある程度、なるほどと思った。また地域通貨についての「今後改良されて、地域間格差を埋める手立てとなれば」という指摘には全く同感。
また二つ目、塩沢氏のものは真っ当な解説で勉強になった。本書の背景や意義を、自身の本書への出会いから得た衝撃も織り交ぜながら、分かり易く説明している。「関西経済論」に関する記述だけは、やや冗長に感じたが…。
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名著、定番。地域経済の自立という最近の関心に重なる。
ジェイコブス文章(の訳)はなかなか読みづらい。
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・現在のマクロ経済学は、我々にとって役立つ指針とは言いきれない。
・都市における「輸入置換 import replacement」は、5つの経済的
拡大力を生み出す
1)市場 2)仕事 3)技術 4)移植工場 5)資本
・見捨てられた地域の不均衡な力は、遠方の都市の仕事による牽引力。
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(元鳥取県知事 片山善博氏の解説)
・鳥取県が、一生懸命公共事業に取り組んでみても、地域の経済や雇用
に及ぼす効果があまりにも小さかった。
・公共事業に巨費を投じてみても、現時点ではその投資効果は極めて
限定的でしかない。
・鳥取県での不均衡を是正するために取り組んだことの一つが、著者の
いう輸入置換ないし輸入代替である。これを県の政策としては
「県経済の自立」とか「地産地消」などと表現していた。
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”はじめに都市ありき”
”都市”は文明社会の専売特許と考えられているが、そもそも人類が住まうことになった場所は”都市”だった―いや、むしろ、人類がはじめて荒野に旅立ったとき、肩を寄せ合って過ごしたはじめての夜。その場所。それはすでに”都市”であったといえるのではないだろうか。
現代社会の課題を考えるとき、都市―そして都市と都市のつながり―を中心に据える方法論。
街路には多様な世代、職業、ルーツの人々が行きかう。都市と都市、地域と地域へと交易が展開していく。自立と共生の輪が拡大していく。これこそが文明が発展してきた道筋ではないだろうか。
この本を片手に、街へ出よう。
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地方の問題:都市や他国が生んだ高付加価値のものを購入して結局お金を吸い上げられる
公共事業の問題点:土地を買収しても結局高齢者なのでそのまま国債に充てられる。またその後は都市に出た子孫に継承されるため、結局富は都市に流れ込む
地産地消の重要性
多くの財やサービスを域外に頼っている現状 域外との輸出入バランスの不均衡
農業が主要産業の鳥取県でも、給食の食材の多くを県外に求めていた
地域が生み出す富の多くを中東やインドネシア、あるいは国内の他地域から輸入するエネルギー代として域外に流出させ続けるのはいかがなものか
地域通貨:地域間格差を埋める手立ての可能性
中央集権という「生活習慣」によって地方が自ら考える力が低下した。国がなんでも決めるという仕組みを改めて、財政運営、税制などの困難な問題でも地域のことは地域住民が責任を持って決める仕組みに変える事が必要
関税:利益を得るのはそれを吸い上げる首都のみ。地方にはデメリットがあるのみ。
日本人の漂流の美学:歴史的には、確固たる目的や決然たる意志によって行動する時よりも、経験的、実践的なやり方でなりゆきにまかせて行動する時の方がうまくいった。
成功につながる経済発展は、目的志向型よりも修正自在型にならざるを得ない(予測不能な問題が発生するから)
歴史的には、必要は発明の母ではなかった。必要は、都合のよいときには発明を取り入れ、それを改良し、新しい用途を加える。発明のルーツはどこにでもあるものであり、好奇心(特に審美的好奇心)の中に多く見出される。大きな事は小さな事から成長する。新しい小さなことは、実際的効用よりも審美的評価といった理由から大事に育てなければ、周囲の状況に打ち壊されてしまう。
発見は当初の意図とは異なる予期せざる副産物であることが多い。
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再読。
主流の経済学の枠組みから出発したわけでもない、ジャーナリストとして出発した著者の、世界を読み解く鍵を説明してみせる技量に圧倒される。
著者の思想は、一貫して、エリート・デザイナ達による計画的な社会制御よりも、自発的でバイタルで細胞的な活動こそが社会のエッセンスであるという信念に支えられている。かといって、日本的なリベラルというわけでもないのが面白いところ。
「これから100年後に、もし歴史家が、日本の衰退の開始時点を知ろうとすれば、1977年が一つの目安となろう。」(pp322-323 第13章 苦境)税率の上昇が始まり、都市間の活発な活動が後景に退いて、政策としての補助金や国家防衛的目的への支出でドライブをかけようとするベクトルが顕著になり始めた頃であるとの説明だ。これが書かれて30年以上になり、著者が予言したように日本の衰退は進みつつあると多くの人が認めるだろう。
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【由来】
・tk 片山さんの推薦
【期待したもの】
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※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
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【ノート】
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【目次】