大人は別れさえ力にする
2024/06/06 16:03
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
2023年11月に73歳で亡くなった作家・伊集院静さんの人気エッセイ
「大人の流儀」の3巻め。
付けられたタイトルが『別れる力』。
初出となる雑誌の連載が2011年12月から2012年の11月で
単行本は2012年の12月に刊行された。
当時、阿川佐和子さんの『聞く力』がベストセラーになるなど
出版界では「〇〇力」とタイトルにつけるのが流行していたせいだと思うが、
伊集院さんはこの巻に収録された「生きることの隣に哀切がある」というエッセイに
こう綴っている。
「人間は別れることで何かを得る生きものなのかもしれない。
別れるということには、人間を独り立ちさせ、生きることのすぐ隣に平然と哀切、
慟哭が居座っていることを知らしめる力が存在しているのかもしれない。」
伊集院静さんといえば、若い頃に妻で女優だった夏目雅子さんを亡くしている。
そして、何よりも幼い静さんに男としての生き方を教えた父も亡くして。
そういう逝ってしまった人々への思いが
このエッセイ集にはたくさん詰まっている。
人は別れることで、その人との思い出を追体験することとなる。
つまり、その人と何度も生きることになる。
もし、別れることに力があるとしたら、
そういう繰り返される時間を体感できるということかもしれない。
大人とは、別れることの哀しみさえ、力とできうるもののことをいうのだろう。
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:テラちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「大人の流儀」シリーズの三作目。弟の海難事故、前妻の白血病。伊集院氏ほど悲惨な”別れ”を経験した作家も少なかろう。それを乗り越えてきただけでなく、書くことができるエネルギーには脱帽せざるを得ない。大人の男と呼ばれているが、むしろ昭和、それも戦前の男が持っていたノスタルジーが、氏の味ではないか。それを踏まえないと、平成の世では、ただの暴君にしか見えないかも。エッセイというより、コラムと呼ぶべき一冊。厳しさが長く続くシリーズの秘訣?
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:taka - この投稿者のレビュー一覧を見る
人生において無駄と思えるものは何一つない。出会い、別れ、喜び、怒り、苦しみを経験し日々成長していきたい。
投稿元:
レビューを見る
飛行機の機内誌のコラムを読んで好きになった。
筆者の書籍は初めて読んだが、帯に「国民的ベストセラー」と書かれていたため購読を躊躇ったのだが、ますます好きになった。ちゃんとした人である。この書籍が「国民的ベストセラー」なら、もうちょっとこの国は大丈夫なはずだが。。。
投稿元:
レビューを見る
大人の男、誠実と丁寧、品格と姿勢、出会いと別れ。確かにその通りと思うところと、すっと入ってこないところと、まあまあかな。
投稿元:
レビューを見る
いつの間にか、このシリーズは国民的ベストセラーになったらしい。
週刊誌の連載ものなので、内容はまあ、予想通りの程度のものだが、
たまにはっとするポイントが。
仕事の根本は、誠実と丁寧。
この二つを両立させるのは、品格と姿勢だ。
城山三郎が車内で姿勢をただし続けていた石田元国鉄総裁を偶然見た奥さんの感想を聞いて、
「そういううちでも外でも姿勢がきちんとした大人が昔は日本にいくらでもいたんでしょうね」
あと、鮨屋に子供は座ってはいけない、は前作からちょくちょく出てくる話であるが、ここはやはり面白い。
投稿元:
レビューを見る
2013初読書。
僕の調子が悪いのか、
著者の文体が合わないのか、
内容が全然入ってこない。
面白くない文書を書くひとは、
結局喋っても面白くないことをいいそうな人が多いような、
この本を読んで著者にお会いして話を伺いたいとは思えなくなった。
「大人の流儀3 別れる力」
と書いてあると、
著者が実体験から得た見聞みたいなものがこの本を通して得られるものかと思っていたが、
自画自賛に近い自己満足な文書と、
見出しに合わない支離滅裂な短文が気持ちが悪くリズムが悪い。
吐きそう。
ごめんなさい、
正直よくわかりませんでした。
投稿元:
レビューを見る
月日(経験)からでる言葉が良かった。以降は本からの引用です//私たちは経験したことで何をしる。なにかとは、生きることである。別れるということは、人間を独り立ちさせ、生きることのすぐ隣に平然と哀切、慟哭が居直っていることを知らしめる…。人生は結果ではない。ひとかどのことを成して、長くきちんと生きてきて、初めて座ることができる場所が世の中にはある。金を頼りに遊ぶ。仕事の根本は誠実と丁寧…この二つを成立させるのは品格と姿勢。
投稿元:
レビューを見る
大人の男というか、ある程度年をとると怖いものがなくなって好き放題に言っている感じ。それが、やんちゃだから粋にも見えるのだけど。『鮨屋に子供が座るべきではない』とかは、確かに、そんな贅沢をしていいのは自ら汗を流した人のみとも思うので、納得。震災瓦礫のくだりは私も激しく同意。
表題の「別れる」ことへの悲しみは時々垣間見える。たぶん私自身も今後別れが増えていくと思う。喪失感に打ちのめされるかもしれない。そんな時筆者のように、世間に毒づいたり、季節の移ろいを愛でたりして、何とか前に進みたい。
投稿元:
レビューを見る
一時の別れ、永遠の別れ、した方がいい別れ、突然の別れ…
いろんな「別れ」があるけれど、どれも乗り越えたからこその力を自分に与えてくれる。
大切な人が、ある日突然目の前からいなくなってしまったら。
私にはまだ経験のないことだけれど、いつかはやってくること。
そのための心の準備って、しようと思ってもできないんじゃないかな。できたとしても、きっと全然足りないんだろうね。
東日本大震災後に伊集院静が感じたものを通じて綴った本書。
彼の毒舌にも少し笑っちゃったけど、まあそうだよなって思えることもあり。
大人の流儀シリーズ、前から気になっていたから、前巻も見てみようかな。
投稿元:
レビューを見る
何事も経験。人生において無駄なことは何一つ無い。出会い、別れ、喜び、怒り、苦しみを経験し本物の大人になりたい。
投稿元:
レビューを見る
共感できる部分も多くあったが、共感できない部分も…。
東北での震災瓦礫の受け入れのくだりは、本当に強く共感できた。(自分の故郷ですが…行政は受け切れ体制でいたのに、市民が断固拒否したというニュースがあり、本当に恥だと思っていたので)
ただ、学者はバカだとか、野球選手がバカだとかアナウンサーがバカだとか…決めつけないでほしい。決めつけているわけではないのかもしれないけれど…読んでいる私の品格が伊集院さんとは比べ物にならないものなんだろうけど…読んでいていい気分はしなかった。
投稿元:
レビューを見る
震災後の日本のあり方、松井選手の去就等、最近のネタが盛り込まれているが、前2作の方が深みがあった気がする。子供が父親と対峙するのは数回で十分というのは分かる、大人だ。
投稿元:
レビューを見る
2013 (13)
話題になっていたので読んでみた。
伊集院氏の著書は初めてだったけど、
この人の文章は、あまり好きじゃない。
あまりこういうことはしないけど、
次に図書館で予約が入っていたこともあり
途中で読むのをやめました。
最後まで読んでいたら、少し違ったかな。
投稿元:
レビューを見る
伊集院 静著、「別れる力」を読む:
昨今、出版界では、何々「する力」というタイトルの本が、多く出版されているような気がする。「聞く力」とか、等々。従って、大人の流儀その3とは、タイトルをつけなかったのかも知れない。出版編集者の某かの臭いがしない訳ではなさそうである。大人の流儀は、その続編は、あまり、面白そうでなかったので、読んでいない。今回は、伊集院静のことであるから、3度目の結婚から、そろそろ、女と別れる為のノウハウ本だなどと、(失礼千万ではあるが、)期待すると、とんでもないしっぺ返しを喰らってしまいますよ。(まあ、そんな読者はいないと思うが)、数少なくなった絶滅稀少危惧種である無頼派の作家であり、飲む・打つ・買うの遊び人の奥義を究めた人物の、或いは、作詞家の一面も有する、更には、在日の思いも熟知したその生い立ちを有する作家によるこの著作は、なかなか、人生を斜めから見た毒舌風評論で、面白い。もう、こうした「大人の毒舌」自体が、もう既に、世の中から、消え去りつつあるし、それを口にする人物も稀有である。同世代としては、当たり前に、結構、同感するところが多いが、若い人向けにこそ、読まれるべき物であるかも知れない。人生とは、時代を捉える目を持つとは、人生に於ける経験の価値とは、本当の大人の男になる美学とは、品格とは、立ち位置とは、野球、相撲、テニス、ボクシング、サッカー等のスポーツを通じて、男の美学の観点から、世の中の風潮を改めて、考えることになる。更には、男の覚悟とは、誇りを以て生き抜くとは、どういう意味なのか?カネだけで、幸せになれないことがあるという本当の理由、自分の生を真剣に考えることの重要性、遊ぶことの意義と仕事の神髄、遊ぶから、よく仕事も出来ること、そして、大人の人前で採るべき態度とは、目線とは、現代の若者についても、考える。同世代としては、同感するところがおおいにある。遊びを極めた著者だからこそ、別れを余儀なくされた著者だからこそ、そんな様々な体験をしてきた著者だからこそ、我慢さえすれば納まるのであれば、、、、という人生素晴らしき哉と、結べるのかも知れない。もう少し、肝臓も労って貰いたいところである。毒と共に、読後は、それが昇華してなのか、何か、清涼感が漂うのは、どうしてだろうか?
少々、気に懸かる文章を章毎に追いながら、しばし、一緒に、考えてみることにしましょう。
人は、出会った瞬間から、別れることを運命づけられていると、愛する人を失ったとき、悲哀のどん底に落とされた時でも、いつしか、再び、歩み始める目には見えない力、生きる原動力が、備わっていて、それこそが、人間の有する尊厳と美しさでもあると、
別れることは、決して、誰かを不幸にさせるだけではないと、
「別れて始まる人生がある」:海ガメや競走馬の例から、生きる物は、生まれてすぐに別れを経験する。別れこそが、一つの生を、生涯を与えることになると、夏目雅子との死別から、小説家になる人生が、始まったのだろうか、
「生きることの隣に哀切がある」:人間が生きると謂うことは、辛いことや切ないことが向こうからやってくるものである。それらを経験したことで、生きるこ��の意味を知るのであると。それは又、限られた短い時間であることも、又、知ることになると。若い弟の水難事故死の体験から、自分が人生を決めて、そこに向かって、歩んでゆくこと、そして、命を大事にすることを教えて貰ったと、
「飲んで笑って、別れて飲んで」:また、ひとつ酒をやる理由とは、、、、、?
「二度と逢えない、それは真実、残酷でもある」:立川談志の想い出のこと、笑い声が絶えなかった家に静寂だけが拡がっていたことの意味とは、、、、、、?
「ギャンブルの流儀」:競輪、競馬、麻雀、博打打ちの哲学について、
「出逢いが生きた証しなら、」:別れることも、生きた証しであると、犬との別れを受け止めるのも生き物と暮らすことなのであろう。別れが前提で過ごすことが、私達の生であろうと、
「恋に死ぬ男は、馬鹿なのか?」:時間は薬という言葉の意味の考察をしつつ、、、、、。
「あの人は私の中に生きている」:クリスマス・カードと送り主の想い出、
「楽して得られるものなんてない」:哀しいかな、人間というものは辛酸を味わう時に、心の姿が見えてくることがおおいと、それを知らずに、人生を終えるより、少なくとも気づかされてよかったと、それに気が付くと、名誉や、ましてや金などは、大したモノではないと謂うことがわかると説く。あの人を観るとホットすると謂う人ほど、そんなことを経験したひとであると、成る程、苦境苦節こそが、人を成長させ、新価を得ると。人生は、決して、結果ではないのであると、大人の男が、苦境の時に、何をなすべきなのか?正しいことと云うものは半分以上、人の目には見えないものであると、成功体験だけでなく、挫折も、辛酸も、考えようによっては、病気も、回り道も人生には、必要なものであろう。
「忘れ去られるものたち、時代遅れで何が悪い!」:公衆電話、携帯電話のこと、電話を使うときの風情、情緒とたたずまいのこと、時代を捉える目とは? 便利が正しいという見方への疑念、現代人には、やや、耳が痛いところである。
「安けりゃいいワケないだろう」:高速バス事故について、食べ放題を考える、確かに、価格優先の現代の風潮に警鐘を鳴らしているようである。
「人生に無駄な経験などない」:どんな些細な出来事であれ、当事者として接すれば、無駄になることはない。大人の男への訓であると、大人の男は、辛い、酸っぱいトンネルを抜けて出てくれば、風情・形がよくなると、松井秀喜に対して、謂うところの野球だけが人生じゃない、人生を好打できる方が百倍イイと、
「マーケティングという名の巧言令色」:広告会社や市場調査会社の中に宿る巧言令色のこと、実際に、どっぷり、浸かっていた業界だから、よく分かるのであろうか?相撲の八百長の件と自らの義理の兄になる野球選手を通じて、勝負の世界で闘う者の情念・情愛を語る。
スペイン、イタリア、ギリシャ、各国の生き方に触れながら、各金融・経済・政治分野での危機に関して論じる。まるで、クルーグマンに似たコメントには、驚かされてしまう。
「大人の男だけが座れる場所がある」:子供を鮨屋のカウンターに座らせてはいけない理由とは?、グリーン車にふんぞり返る若者や我が物顔の子供への思い、ひとかどの事をなして長くきちんと生きて初めて、座れる場所というものがあることを知ることの大切さ、成金の品格のなさ、そして、鮨屋は、どんな時でも一席は空けておくべきであると云う持論、
若いエコノミストが何故、私達大人の前で分かったような口をきくのかと、
「勝てばいいってモンじゃない」:スポーツ中継のウィンブルドン・テニス、サッカーのヨーロッパ選手権、等の観戦を通じての品性論の展開、
「誇りを捨てずに生ということ」:鯨の太地町とシー・シェパードを引き合いに出しながら、誇りと命を懸けて生きることの大切さを語る
「大人の男の覚悟とは何か」:子規の俳句、六月を 綺麗な風の吹くことよ と、夏目漱石を引き合いに出しながら、たとえ若者であれ、己の生に覚悟を持っていたと、大人の男の覚悟を語る。そして、己と時代とを見る目がないと置かれた立場に気づかないと、更に、若い人に何かを任せられない大人はつまらない大人であると、日本の四季を、風情を感じ、人には人情があること、金だけで幸せになれぬことを若い人に教えなければならないと、
「本物の大人はこう考える」:
「綺麗に遊んでグッドバイ」:金に遊ばれるのではなくて、綺麗に遊び続けるとは、そこから、逆説的に、仕事の神髄とは、誠実と丁寧、そして、品格と姿勢、だからこそ、仕事には、揺るぎない尊厳があると、遊んだ経験があるからこそ、こう言えるのではないか?
仙台で体験した震災と津波の体験から:自分達とは何だったのかという問いかけ、震災孤児に対する大人の使命、メディアの仕事について、問いかける。原発事故の瓦礫拒否に対する恥知らずな行為への憤り、
「グリーン車に乗る馬鹿な若者へ」:世の中には若者が座って然るべき席があることも知らない無知さは、どこから来るのか?、金を払えば何でもOKと考える親が育てた子供は、更に、馬鹿な人間になると、大人の男のいる場所に子供を入れるなと謂う論理とは?、
「大人が人前でとるべき態度とは?」:石田礼助翁と父を引き合いに、目線をちゃんとすること、品格というものを考える。更に、シリアで殉職された山本美香さんの死を、今一度、考察する。
「我慢すればおさまるのなら」:雪にも堪えて、凜として立っていた杉の木が、地震に耐えられず、枯れてしまったこと、家人(篠ひろ子)の実家である見ず知らずの土地である仙台で暮らすことになった自身の宿命と重ね合わせて、、、、。
「道に倒れて泣く人がいる」:行き倒れと、年を越せないということを考察しながら、長期ローンを考える。
「親は子供の云うことを聞かなくて良い」:子供は父親をただ観察して、大人の男というものを理解してゆくもので、それで十分であると、
そして、最期に、素晴らしき哉、人生!と、締められている。