紙の本
枠組みを作らない思考へ
2013/01/18 21:07
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くままる - この投稿者のレビュー一覧を見る
武術は本来「枠を設定しないから武である。」という基本的な思考から、身体と意識のあり方を問い直す内容です。甲野善紀氏や古武道に興味のある方は、本物をを求めて一読する価値はある、と思います。
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内田樹さんの対談相手の光岡英稔氏が凄まじい人だということはよくわかった。単に殴ったり蹴ったりすることが強いというだけでなく、山伏や修行僧のような思想面での強さや、どんな状況であれとりあえず生き残るノールールサバイバル強者という印象。
ただし、私の方にその発信を受けとめるだけの強さがないようだ。スゴイ、もっと知りたいと思うより先に、ひぇっと身をすくめてしまう。
とはいえ、幾つかのメッセージは受け取ることができた。
「晴天モデルではなく荒天モデルで準備し行動しよう。」ふむ。
「メソッドに頼ればある程度のところまではいけるが、それより上や想定外には対応できない。」ふ〜む。
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内田氏の著書は浴びるほど読んだが、今回はとりわけ武道にフォーカスした内容で、対談相手は韓氏意拳の光岡氏。光岡氏はストリートファイトで日本の合気道とは性格を異にする面も多いが、根本は相通じているようだ。時間概念の捉え方など、素人には少々ついて行けないような単元もあったが、海外での体験談や過去の武人にまつわるお話、さらには日本が現在直面している危機など幅広い話題を扱っている。終盤のエアガンの子どものエピソードには正直ビックリした。この事態からも、日本の危機的状況が浮き彫りになっている。平和を実現する手段としての、次元の高い「荒天の武道」が今求められているのかもしれない。
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どういうことを話しているのかほとんどわからないというのが正直な感想です。
けど、内田さん自身もよくわからないと時折言っているので、安心してわからないなりに興味を惹かれたところをつまみながら最後まで読めました。
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とても奥が深い対談本。
内田さんの『疲れすぎて眠れぬ夜のために』のなかで既に光岡英稔さんの名前が出ていた。
光岡さんは1972年生まれとお若いのに、この空間からはもはや超越されている。
私は数値や目で見えるものでは説明できないような、
感覚的、時間的な話題に対しては感受性が高いので
光岡さんが仰っているような
「輪廻とは『そうなってるね』と言われたら、『うん、そうだね』と言えるくらいのもの」
というのに腑に落ちて、この本に対して
「うん、そうだね」と言いたい。
印象的な場面をいくつか。
内田さんが「『何となくそう思う』とか・・・どうしてそう判断したのかわからないけれどそう判断したという直感が本来は社会制度の基盤になっていたはず・・・。知識はその土台の上に、『どうしてそう判断したのか』を説明するために展開したもの・・・」とした後で、光岡さんが
「感覚しか一寸先を読むものはないわけです。」と未来の抽象性について語られているところ。
韓氏意挙の稽古について、光岡さん
「自分の在り方をいかに把握するか、・・・現実にそうであるところを『なぜそうなっているのか』と問うてみる。」
「人間は基本的に寂しがり屋で、その寂しさと向きあったときに、他者との関係を求め始め、そこで社会性が出てきます。・・・一方で・・・自分がこの世に生を享け、またこの世から去っていくときは、ひとりだということです。・・・他者との共有は『自分が何者であるか』を知っていくためのもの。・・・唯我独尊であることを学んでいく。そのためのひとり稽古も大事です。対人稽古との双方が必要だと思います。」
「自分をよりよく知っていくことです。」
光岡さんの「おわりに」より
「人間は自分たちでつくった社会という枠組みの中で共同幻想を生きている。だから国土を広げ、利権を得ようとし、・・・それは幻想の中での利権、拡張、発達、進化に過ぎない。・・・私たちが世を去るとき、それらを何ひとつとして持って行けないことが、その幻想性を物語っているだろう。自然から提示される避けて通れない現実はシビアである。」
対談のなかで内田さんが
「うーん、むずかしいなあ。」と仰っているところ。
内田さんの器の大きさを感じ、ますます好印象を受けた。
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武術とは何か、武術と社会とのつながり、また今後の武術のあるべき姿について主に対談しています。武術とはいえ、お二方のバックグラウンドが異なるためか、微妙に色が違うのが面白かった。あの内田樹先生が、「わかりません(笑)」となってしまうくらい、お二人は異なるみたいです。私自身は身体をほとんど使わず、脳を使ってばかりだから、実感としてついていけないことが多かった。こんな世界があるんだなー。やっぱり、身体を使わないと決してわからないことってあるんだろうな、と思わされました。
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いかなる状況下でも生きのびるための身体感覚を身につけよう、という本。
ちょっと要求が高すぎると思うが身体のセンスは良くしたいと思った。
(もちろん弱い人もいるのだろうが)ハワイアン強すぎ
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ちょっとわかんないところ多し。でもその道の一流の応用力というか、他ジャンルに対する解釈理解力はすごい。
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光岡師範の語る内容は、ご自身の身体経験から得られたものであろうから、ところどころよく理解できない部分もあったが、「武」というものをどうとらえるのかということについては、何となくイメージできたような気がした。
何より、その追求の姿勢の凄まじさを感じた。これからの韓氏意拳の稽古がますます楽しみになってきた。
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読み助2013年1月11日(金)を参照のこと。http://yomisuke.tea-nifty.com/yomisuke/2013/01/post-2c12.html
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ものすごく奥深い話が続き、中々理解できない。しかし、何度も読むうちに少しずつわかってくるのでは?という期待感が持てる対談集ととった。少し武道はかじったことがあるが、本書にあるような境地はおろか、ろくすっぽな思考もなく、ただ練習?してた気がする(もっとも当時このような書があっても間違っても読みはしなかっただろう)。
今、あらためて武道経験を振り返ってみて、当時の道場の雰囲気を想像しつつ読みすすめた。武道こそ、体験の学と思うので、再開してみようか。
本書はただ、難しい。いろいろ。でも再読するだろう、という書でもある。
2回目:
言語的入力内容はすぐに消える。一方身体的に出力したことは長く残る。という記述がしっくりした。これをベースにしばばらく読んでみて、少し理解が進んだ気がした。観念的な師匠と具体的、方法論的な弟子との対話のように取れる構成も良い。1回目と異なり、急激な感覚的理解が得られた。もういっぺんか。
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光岡英稔さんというのはハワイで韓氏意拳を教えていた武術家だそうです。それがどんなものか全く想像もつかないのですが、中国拳法の一派で人間個人のあり方を探求するもののようです。合気道の師範である内田先生とは一部噛み合わない部分もありながら、なかなか奥深い武道論が展開されています。頭でっかちになってしまったもう少し身体の感覚を大切にした方が良い、というのが共通点ですね。知識というのは常に後智恵になってしまうので武道的にはもう遅れている状態なのです。そこに拘泥するよりもまずは自分の身体から来る警告を感じ取って行動する大切さは分かるような気がします。
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内田先生のお話は、基本的にいつもといっしょです。
そして話の相手によって切り口が変わるので、それが面白くて読んでるわけです。
今回の相手はは、甲野先生をして
「相撲のルールで白鵬が勝てるかどうか―」と言わしめた光岡先生。
あまり詳しく韓氏意拳について知らなかったので、とても面白く読めました。
真理を追究する道は数々あれど、身体的なものを置き去りにして、
脳の新皮質ばかりで考えてると結局遠周りなんだな、と。
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光岡英稔の認識の深さもさることながら、それを少しずれたところから受けて立つ内田樹の立ち位置の見事さ。
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ハワイと武術のイメージがなかったですが、ケンボーなど漢字そのままの音で使われていました。サモアンの喧嘩、相手の本気度と対等のテンションで戦うシーンが印象に残りました。相手の気をそぐ、内包してしまう方法としては、パーティで会ったことあるよね、と刃物を振り回す男に近づく話など。