紙の本
ヘッセの詩的な小説
2010/07/27 11:56
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:K・I - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヘッセ33歳の作品。
ヘッセの小説を読むのはひさしぶりだ。
今まで『デミアン』や『荒野のおおかみ』を読んだが、それ以来。
『デミアン』を一つの分水嶺とみなすならば、
『春の嵐』は「前期」に位置する作品だ。
クーンは音楽への情熱を小さいころから持っていた。
しかし、ソリの事故で片足に障害を負ってしまう。
音楽にあわせて踊ることや、女性をつきあうこと、
そういうことを若いクーンはあきらめてしまう。
しかし、クーンには音楽があった。
音楽学校の教師の励ましもあり、音楽家へと成長していく。
やがて、オペラ歌手のムオトと出会う。
そして、二人に「奇妙な友情」がはぐくまれる。
ムオトは破滅型の芸術家肌で、女性をときに殴ったりもする。
クーンはゲルトルートという女性と会い、恋に落ちる。
ここから先のストーリーはここには書かないが、
クーンの恋愛がうまくいくわけではない。
ヘッセの小説はどこか詩的だ。
それはヘッセが本質的には小説家というよりも詩人だからだろう。
この作品において、
すばらしくすぐれた技法や、
おどろくような展開があるわけではない。
むしろ、21世紀の今から見れば、
オーソドックスな一人称の文学だ。
だが、するすると先を読んでしまう。
おどろくような展開はなくとも、
クーンは苦悩しあるいは歓喜し、
その精神の「軌跡」は、読んでいて熱をもって感じられる。
ひさびさにヘッセの小説を読んで、
「読んでよかった」と思った。
もっと性的に直接的な描写のある小説や、
もっと会話のおもしろさ、深さでもっていく小説、
というのは他にもあるだろう。
でも20世紀のドイツの詩人が残した小説は、
ふと、触れてみたくなる魅力をもっている。
まるで一編の詩のように。
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ヘッセは車輪の下のが有名だけど、題名にひかれてなんとなくこの作品から読んでしまった。私はすごく好き。
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ヘッセというと「車輪の下」が代表作となっていますが、私が一番最初に読んだヘッセはこれでした。ある作曲家の自伝という形で書かれている小説です。同じ音楽家の物語だけあって、私には身につまされる話も多かったのですが、主人公の恋が成就しないがゆえに、余計にロマンを感じさせるストーリー展開になっています。純文学作品としても読みやすく、ヘッセ入門としてもとっつきやすいので、あまり外国文学になじみのない人にもお薦めです。
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学生の頃は、ヘッセは初期の憂愁漂う作品が好きでした。本当に溜息つくほど美しい悲しく寂しくヘッセらしい青さや甘酸っぱさが漂う作品。もうこれ以上のヘッセはないなぁと思いました。車輪より好きかもしれません。
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む、難しい……学生の頃に読みましたが、読むうちにどんどん気分が重くなってしまいました。まあ、楽しい話じゃないですからね。
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若き日の事故によって足が不自由になってしまったクーンの生活は、奔放な音楽家ムオト、美貌のゲルトルートに出会ったことにより変わっていく。
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初めて読んだときは「うわ難解!表現回りくどっ」と思ったんですがだんだんいい感じになっていくような。青年の葛藤やら浅はかさやらが青春ど真ん中です。最後はえらい切ない。力技でぶっとばすなり攫うなりすりゃいいと思ってたけどそんな問題じゃないんだな。でも狂気の彼が狂ってく様子はもう少し丁寧に共感持てるようだったら味わい違ったかも。
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ここまで描けるとは…!漫画でいうと一こまの中にぎゅっと情報を詰め込む。あの暖炉?の間のシーン 嵐の中で叫ぶとその声は聞こえない。
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若さ故ともいえる激しい恋心を抱いた主人公が、自己で不具になったことをきっかけにか、多くを望まない、性欲なしに穏やかにみつめる愛を得る。
結局はかなわないんだけど、その過程で出会うひととの応酬がおもしろい。
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切なく、やりきれない。昔はゲルトルードと主人公のことばかり身にしみたが、再読するとムオトの悲しみばかりが胸に迫った。彼を救えるのは、ゲルトルードではなく、主人公だったのに。
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ヘッセの作品を読んでいたのはもう10年以上も前になるので、内容はなんとなくしか憶えていなかったりするのですが、この作品だけはタイトルを見るだけで込み上げてくるものがあります。不具者になった主人公の苦しみが自分と重なるのです。ヘッセの優しい眼差しや文体に救われていたのを思い出します。
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人を愛する時の感情ってこうなるだろうなって共感できる文章です。
うん。文章が好き。
あまり本は読まないのですが、これは何度も読み返します。
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作中に登場する詩に心を動かされてしまった。物語に対しては言うに及ばず。初めて詩に感動した、特別思い入れ深い一作。
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クーン、ムオト、ゲルトルート、彼らの中で主人公であるクーンが正真正銘の芸術家であろう。
だが彼を取り巻く人々の苦悩や戦いは、まさにクーンよりもはるかに劇的なものに思われるのだった。
長く、苦しい嵐の只中でも、クーンには穏やかやさ真理に触れる機会がある。彼はとても賢い。
人を受け入れ、認め、自分の分をわきまえている。
手に及ばないもの、しかし諦めないこと。それも分かっている。
そして、尽きせぬ欲求、あこがれ、死を考えるほどに愛することを知っている。
それでもとても孤独でつつましやかである。
芸術とは一時の情熱や日々の刹那ではない。
積み重ね鍛錬、つらく厳しい作業をこつこつとこなす上にあると彼は云った。
ヘッセの描く嵐は、ともすればわれわれの中ですぐに過ぎ去る嵐のようなものである。
しかし、確実に心に吹いた風を云うのである。
ヘッセという人は過敏であり繊細よりももっと繊細であるように思われる。
誰しもが恋をして、失恋をして、そしてまた立ち上がり忘れ、次の人をみつけるだろう。
ヘッセはそれでも最初の痛みを忘れない作家だ。
春の嵐が生ぬるく寂しいのは、雷の落ちるような嵐ではないからだ。
それでも、生きた苦悩の証であり、充実な日々の証拠を忘れない。
そう思わせてくれる。
ムオトのような魅力的な人物がヘッセ作品にはたびたびお目にかかれる。主人公とは雲泥の差なのに、どちらの人も真理までしっかりと描かれる。
ムオトを襲う悲劇は、クーンがいうように逃げの一種である。
だめだと分かっていながらも、それができずに、どうしようもない獣を飼い、生きる苦しみ。
ムオトと彼の関係がとても好きだった。
ムオトのほうがきっと、彼を必要としていたのは一目瞭然である。
ゲルトルートが、彼の想い人であったと知っていても、彼はゲルトルートを手に入れたのである。
ゲルトルート・・・は、正直好きではない。
苦しみのうちに、また立ち上がって生きている強い彼女は皇后しいとはおもう。けれども。どうしてもいつだって結局正しくみんなに同情される彼女である。
それよりも、不具の男をずっと静かに情熱的に、そばにいても触れることもせず、ただその芸術を崇拝し、自分を相手のために押さえつづけたブリギッテが好きだ。
彼女こそ女神だとおもう。奇しくも最初のお産で亡くなっている。
光とは、どんなに重い雲の中から出て来なければならないのかを。
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少年時代の淡い恋が、暴走した橇と共に過ぎ去ったとき、不具になったクーンは音楽に志した。魂の叫びを綴った彼の歌曲は、オペラの名歌手ムオトの眼にとまり、二人の間に不思議な友情が生まれる。やがて彼らの前に出現した永遠の女性ゲルトルートをムオトに奪われるが、彼は静かに諦観する境地に達する・・・。
あとがきで、訳者が筆者のヘッセと出会ったときの様子が描かれており、個人的には本編よりもこちらの文章の方がが印象が強い。ヘッセの、温かな人柄に触れた訳者の感動が綴られている。