民俗学者・柳田国男氏による「火」に焦点を当て日本人の生活史をたどった名著です!
2021/01/09 16:01
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、明治から昭和初期にかけて活躍された民俗学者で、官僚の柳田国男氏の作品です。同氏は、日本民俗学の独自の立場を確立したことで知られ、『遠野物語』、『蝸牛考』、『桃太郎の誕生』、『故郷七十年』などの名著があります。同書は、かつて人々は、どのように火を使い、暗闇を照らしてきたのかということに焦点を当て考察をされた内容になっています。照明・煮炊き・暖房ほか、火にまつわる道具や風習の実例を丹念に集め、日本人の生活史を辿っていきます。暮らしから次々と明かりが消えていく戦時下、「火の文化」の背景にある先人の苦心と知恵を見直した意欲作でもあります。
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このつぎに谷崎潤一郎の陰影礼賛を読みたいのです……
じっくりじっくり読みました。べんきょうになります。
火の番は女の人の重大な役目だったこと、
火の加減が女の人の器量をはかるものさしになっていたこと、
汚れた火と清い火という区別があったこと、
いろりとかまどという二つの火が家にあったこと、
などなどが頭に残っているいくつかのことです。
言葉がやさしく上品です。先祖のお話も読みたいなぁ
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なぜ、便利なもの、必要なものほど、新しい手段ができるとすぐに忘れ去られてしまうのだろう。
過去のこと、しかもそれが自分の生まれる前となると、人に聞くか、本を読むかで、手段は実に少ない。今なら映像に残せたりするのだろうけれど、一定以上の昔になるとそうもいかない。
そして、火にまつわる文化は当然古い。作者が語るように、新しい物が広がり忘れ去られてしまっているような事柄・物事も、限りないほどあるのだろうと思う。
想像力さえあれば”不便さ”はわかるとはいえ、それを解決する”工夫”や”努力”は忘れ去られれば届かない。
街灯から、家の明かり、かまど等々、多くの場所で使われてきた火の歴史からは、生きることの懸命さが感じられるようで。
必要なものほどすぐに忘れ去られてしまうのは、きっと懸命であるが故なのでしょう。
不便さを楽しむというのは、贅沢なことであるのだろうし。
明かりを少し暗めにしたり、月の光を浴びたりしながら、火とそれを囲む人とのいにしえに思いを馳せてみるのも良いのでは。
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若者というより子ども向けに書かれたらしく、宮本常一なみに平易な書物だ。ここでは柳田的文学趣味は開花せず、素朴な民俗学的知が開示されている。
火といえば、レヴィ=ストロースの『神話論理』にあっては、自然そのものから分離しだした文明/文化を象徴する鍵概念である。
柳田の論述は相変わらずどのくらいの時代のことを言っているのかわからないが、主に農村における、「火と扱うための道具」をどんどん掘り起こす。本書は戦時下において書かれたそうだが、当時既に日常生活の火は電気に取って代わられており、火の文化を忘れ去られないために、柳田はここに書き留めたらしい。
確かに火は多くの場面で過去のものとなりはしたが、原発事故が起こりエネルギー問題に直面している現在から見ると、電気は「火の文化」ほど人類の歴史に深く根付いたものではなかったなという感慨を持つ。