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サーカスで活躍したホッキョクグマをめぐる連作中編集。するするとほどけるような読み味の文章だけど、読み進めていくとあれなんかおかしいぞと気づく。一人称のなかで、人と獣の曖昧な世界観が語られ、混乱するけど気持ちがよかった。三代目、クヌートの、ベルリンからやってきたのに北極というルーツを押し付けられる閉塞感が、一話から語られている壁の話と同期していくのがうつくしかった。
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異国情緒と憂愁と孤独を感じる、シロクマ三代の自伝。
シロクマがロシアや東ドイツの社会に溶け込んでいるかと思えば他種として違和感を覚え、そのファンタジーとリアルの淡く混じり合った感覚が独特だった。寒く物資不足で労働者万歳、サーカスにバレエに動物園に黒字続きの社会主義の中の人間たちを全体としてファンタジックなシロクマ視点で描くことによって寓話のようなそうでないような。
「クヌート」という名を聞きおぼえがありシロクマとして一般的なのだろうかと思っていたら、解説で、実際のドイツの動物園のシロクマがいて、現実とこの本とリンクするように書かれているとのこと。
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自伝を書く祖母、サーカスで活躍する母、動物園の人気者となる息子、ソ連やドイツを舞台に描いたホッキョクグマの三代にわたる物語。
さまざまな動物が人間に混じって生活する世界で、語り手はクマという設定ではあるけれど、お手軽なファンタジーではない。
クマの視点だからこそ見えてくる本質、たとえば政治や社会に対する批判やホモサピエンスとしての人間の愚かさなどが、素朴でユーモラスな口調で語られる。それらは哲学的で深みのあるまっすぐな言葉で、ときには愉快にときには哀しく響いてくる。
『献灯使』で知った作者の魅力をもっと知りたくて手に取ったのだが、ドイツ在住ということもあるのか独特の感性がおもしろく、さらにほかの作品も読んでみたくなった。
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8/7 読了
優しい文体に誘われふわふわ〜っと読める。
けれど、内容は結構考えさせられることが多かった。
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積読期間が少しあったので表紙のシロクマにも後ろのあらすじにもあまり意識が向いていなくて、最初は猫かなにかの視点かな?と思いながら読み始めた。いやしかしなんだか人間のようなことをしている、会議に出たりとか・・・と、あいまいで雲に包まれたような感じを抱く。ふわふわとよくわからないままに読んでいくのが、なぜかそれほど苦しくない。そのうちにシロクマの話だと分かっても物語の輪郭はおぼろげなままで、でもエピソードひとつひとつはリアルな手触りがあって・・・。初読み作家さんだったがこういう物語も初めてかも。人間世界の歴史の中に、意見を述べるものとしてスッとシロクマが入ってくる、その不思議さがさして不思議でもないように表されているのが、おもしろい。
真ん中の「死の接吻」の章がうっすらと怖く、でも目を離せない引力があって、よかった。
「まず自分の話を文字にしてしまえばいいの。そうすれば魂がからっぽになって、熊の入ってくる場所ができるでしょう。」
「あなた、わたしの中に入ってくるつもりなの?」
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とても面白かった。
まず、タイトルが素敵だ。そして、主人公が北極熊という視点が興味津々だ。さらに、その3世代の物語という構成が見事だ。全編を通して俗世間の物語とは違う、純粋で透明感のある思考と想いとユーモアが感じられて、とても心地好い読書体験だった。
作家であるわたしの「祖母の進化論」、その娘トスカの「死の接吻」、さらにその子クヌートの「北極を想う日」。3章に渡って描かれる北極熊の物語は、単なる熊の擬人化ではなく、忘れてしまっていた私たちの心象風景なのかもしれない。
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冒頭、なんだか官能的な話が始まったと思った。しかし、しばらく読み進めて、なにかが違う……これは人間じゃない!?と気が付いた。裏表紙にも「ホッキョクグマ3代の… 」と書かれている。そうか、ホッキョクグマが主人公のお話か。 と、とりあえず把握したのも束の間、そのホッキョクグマが会議に参加(!)したり、文章を書いたり(!)するのである。人間の世界に「普通に」参加している。この言い方には語弊がある気もする。現実のようで、幻想のようで、空想のようで……でも、この物語のなかではまるごと現実として納得させられる。
話としては3話収録されており、あらすじのとおり「ホッキョクグマ3代記」ということでとりあえず問題ない。空想の現実が突き刺さる。少なくとも可愛いホッキョクグマが主人公のホンワカ物語ではない。作者の世界の切り取り方がとても素敵で、他の作品も読みたくなった。
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自分はだまされて働かされているだけかもしれない。それでもかまわない。わたしにはわたしなりの経済理論があって、馬に触れられるだけで、全ての赤字が純粋利益に変貌していった。
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親子3代のホッキョクグマがそれぞれ語り手となる3部構成。(人間が語り手となる部分もあり。)
最初はホッキョクグマが語り手であるとわからず、違和感があったが、それをわかって読むと面白い。
ホッキョクグマと人間の視点を行き来しながら、読む本ははじめてだったので楽しかった。
パーティーに出席したり、会議に出席するクマの描写に思わずクスッと笑ってしまうところもあった。
人間のように語るホッキョクグマの視点に、人間が思う「クマらしさ」を感じて心が和んだ。
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とても不思議な物語だった。ホッキョクグマがサーカスで舞台を降りて亡命作家になっていたり、なぜか人間と会話しているのにそれが自然であるかのように描かれている「祖母の退化論」をはじめ、ソ連時代、冷戦を生きるホッキョクグマ3代の物語が綴られる。初めての多和田葉子さんの作品だったけど、気に入りました。
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理屈という網の目で濾すことができない物語。なにせホッキョクグマが亡命するのだから。まさに雲をつかむような話なのに、童話ではない。視点もくるくる変わり、だれが語っているのかわからなくなる。夢想するような、例えようのない読書体験だった。
読む都度、全然違う感想をもちそう。
約300頁という多くない頁数の中に、何巻にも渡るような壮大な世界が凝縮されている印象を受けた。
今回、クマの目を通して私が受けとめたのは、言葉の囚人である人間の姿。
体温や皮膚感覚に飢え、言葉によって思考も想像力も限定される、そんな人間への憐れみを感じた。
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サーカスでメス白熊と曲芸師の女性が砂糖を口に含ませてキスをしているように見せる芸が…本当にあったんかな…すげえな…
それを白熊側が回想する、みたいなの。発想が凄すぎてびびる…。
多和田葉子先生といえばこの幻想感…人と獣…
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北極熊のクヌート、その母トスカ、そして祖母の三世代の物語。作家である祖母の再三の亡命に伴い変化する言語への困難な適応、母トスカと女性調教師ウルズラの夢の中での異種間コミュニケーション、娘クヌートとマティアスの親子同然の信頼関係とクヌートの言語認識過程や自他の理解等々が人間と熊の目を通して語られる。更に、異種の動物間では単一の共通言語での会話が可能な反面、亡命の度に異なる言語の習得が必要な人間界の煩雑さや、自由移動の障害となる、紛争や覇権争いにより構築された国境や体制などの数多の問題が重層化され、自己レベルでの解釈で読み進まずを得られなかった。作者の意図とは関係なく、動物との会話が可能な状況で、人はそれでも助命を乞う動物を殺し、その肉を食べるのだろうかと、ふと思った。
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ファンタジーというか、寓話的な作品。
しんみりと静かで、全体に物哀しい感じ。
最初は、クマは擬人化されてるのか、あるいは普通に動物と人間が会話できる設定のファンタジーなのか、と考えながら読んでいったけど、どちらでもない感じ。そういうのがすっきりしなくてイヤ、という方にはお勧めしない。
途中、空虚ということについて、空っぽで重さのないものと思っていたら、空虚の重さで起きられなくなった、みたいな表現があり、経験しないとできない表現かも、と思った。
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本の世界に入りたくて。
シュールで皮肉的で、
世界のおかしさを言葉にしていて、本当おもしろい。やっぱり変だよ、愚かさ、と同時の、かわいらしさ。救われる