紙の本
この本と出合えてよかった
2017/11/01 21:34
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
正直にいうと、わたしはかこさとしさんの絵本が苦手でした。
代表作である「だるまちゃん」シリーズを読んでも、絵もあまりうまくみえないし、だるまとかてんぐとかふるそうだし、第一お名前を漢字で書けば加古里子ってまるで女性みたいだし。だから、たくさんの人がかこさんの絵本を褒めるのもわからなかった。
ところがもう一つの代表作である「からすのパンやさん」を読んで、たくさんのパンやからす一羽一羽描き分けていて、これはすごい、と感心した訳です。
その絵本に載っていた著者略歴で、かこさんが東大工学部という理系の出身というのにも驚き、さらには高校時代の恩師に俳人の中村草田男がいて、里子というペンネームは俳号によくある形だとわかりました。
もっとかこさんのことが知りたいと、見つけたのが2014年に刊行されたこの本だったのです。
この本にはかこさんの子供時代の姿や父親との確執、軍人にあこがれた少年期、そこに挫折し大学生の時に学んだこと、その延長としてセツルメント活動で子どもたちと接して感じたこと、そして絵本という果実が生まれた経緯がすべて書かれています。
かこさとしという絵本作家がわかるだけではありません。
かこさんを通して、子どもを理解することができるのではないでしょうか。その点では、先生を目指す若い人だけでなく、現役の先生にも読んでもらいたいと思います。
たくさんの名言がこの本にはありますが、もっとも素晴らしいのをひとつ書き留めておきましょう。
「生きるということは、本当は、喜びです。生きていくというのは、本当はとても、うんと面白いこと、楽しいことです」。
紙の本
大好きな絵本を書いたかこさんはやはり素敵な人でした
2018/05/31 21:40
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:こゆき - この投稿者のレビュー一覧を見る
どうして絵本作家になったか。東大工学部卒、電気会社に勤めていたサラリーマンが。
思えば謎の経歴の方でしたが(東大工学部で絵本作家って、インパクトあったので幼心にも謎でした)、そして「かこさとし」という名前はどこから来たのか、やさしい語りでその謎があきらかになりました。
やっぱり真面目で勤勉で優しい心の人だったころが分かり、絵本とちっとも違わない、と安堵しました。ほらね。私の好きな絵本を書いた人はやっぱり素敵な人だったでしょう!と安心。
子どもにも読めるように、やさしい語り口で、ひらがな多めですが、昔子供だった大人も「みらいのだるまちゃんたちへ」の「だるまちゃん」に含まれていると思います。子供から、大人まで。優しい気持ちをひきついでいける本です。
大好きな「からすのパンやさん」を書いたかこさとしさん。最近まで精力的に本を刊行され、それはずっと続くものだと思っていました。お亡くなりになったとは信じられません。いつでも本をひらけばあの名調子が読めるのだもの。追悼としてこの本を読み返しました。
投稿元:
レビューを見る
単行本はめったに買わないのだが、図書館に入るのはまだしばらく先だろうし、いまは図書カードが潤沢にあるし、何度か本屋でチラ見したあげく、やはり買って読む。年明けに読んだか『絵本への道―遊びの世界から科学の絵本へ』がよかったので、かこさんが「未来のだるまちゃんへ」何を伝えようとしているのかが読みたかった。
敗戦のときに19歳だったかこさんは、こう書く。
▼19歳というのは、当時の数え年で言ったら20歳ですから、もう大人です。
子どもではありません。当時の大人は、私を含め、開戦にも敗戦にも責任があります。
軍人を志した同級生たちは、みんな、死んでしまった、自分はその生き残り…というより「死に残り」でした。死に残りの自分は、これから何の償いもせず、出来ずに、おめおめと生きていくのか。そう思うと、自分が本当にだらしなく、はずかしい大人であり、必要のない人間に思えました。
それでも生きるなら、その先の人生をどうして過ごすのか。だから必死で考えました。(pp.11-12)
何をすれば少しでも償いができるのか、せめて人間らしい意義あることがしたい、「大人ではなく、せめて子どもたちのためにお役に立てないだろうか。せめて自分のような後悔をしない人生を送るよう、伝えておきたい」(p.12)というのが、この本。
「いかにして絵本作家となり、現在まで生きてきたのか、どんなふうにして迷い道を何度も行き来して脱したのか」、かこさんが話したものを構成したのは瀧晴巳さん(*)、鳥島七実さんだとあとがきにある(そうして整理された「本文」と、かこさん自身が書いたのであろう「あとがき」の文体の違いがよくわかる)。
『だるまちゃんとてんぐちゃん』にも出てくる、だるまちゃんの父「だるまどん」。このだるまどんのモデルは、かこさん自身の父上なのだそうだ。非常に子煩悩で、だけど早合点ばかりする父上のことを、かこさんは「不肖の父」と思い出を語っている。
お祭りに出かけて、屋台でじっとおもちゃを見ていると、「これ欲しいのか?」と父上がすぐに聞く。かこさんは(このくらいなら自分でもつくれそうだ)と思ってよく見ていただけなのに、「いいからいいから、遠慮するな」と子どもの返事を聞きもせずに買ってくれたりする。
▼自分のせいでこんなチャチなものを買わせたかと思うと、今さら「要らない」とも言えません。
「どうだ、嬉しいか」 ニコニコと満足げな父をよそに、買うつもりもなかった玩具を握りしめた僕は、泣きたいような、起こりたいような、言うに言われぬ気持ちでした。
幼い子どもでも、父にいらざる出費をさせてしまった後悔とふがいなさはあるのです。父にすれば、わが子かわいさでやったことが、その子を悲しい気持ちにさせているなんて思いもよらなかったはずです。(pp.27-28)
そんな父上だったから、かこさんはその後「欲しいとねだることはもちろん、欲しいと思っていることさえ父に気取られないようにと、心を砕くようになった」(p.31)。遠目に見ておいて、自分でつくれるかどうかをあとから考える。
子どもの気持ちをまるでわかってない��には、「買ってもらうより、自分で工夫してつくる方がずっと楽しい」(p.34)ことが伝わらず、ありがた迷惑を黙っていただくしかなかった。そんな親とのすれ違いが、だるまちゃんとだるまどんとのやりとりにも描かれている。
そんなかこさんは、自身が父親になってどうだったかというと、家庭人としては落第というほかないような気がすると語っている。「お叱りを覚悟で告白するのなら、僕は、絵本作家という子ども相手の仕事をしていながら、自分の娘とはただの一度も遊んでやったことがないのです」(p.210)と。
▼子どもの遊び相手は子どもが一番いいんで、いない時はバッタでも追いかけていればいい。三歳くらいまでは面倒みるけど、それ以降は、自分で遊ぶものだと放っておきました。
もっと言うなら、自分にはやらねばならぬことがあるのだから、たとえ暇があっても、遊ばない…という主義でした、(p.210)
自分の娘は放ったらかしでも、セツルメントの子ども会には足繁く通っていたかこさん。ある日、妻が用事で出かけるというので、幼い長女を子ども会に一緒に連れていったときのエピソードが、娘のほうの気持ちを思うとせつない。
▼日曜日になると、いつもいなくなると思ったら、父はこんなところでよその子どもたちと遊んでいたのかと思っていたのでしょう。
何も言わなかったけれど、娘のうかぬ顔には、本来、自分が受け取るべき愛情を受け取ることができていない不遇にたいするせつなさ、やりきれなさが浮かんでいました。(p.211)
結婚するときにもセツルメントの活動を最優先すると伝えていたというかこさんは、「娘をまじえてセツルの子どもたちとみんなで遊ぶことはあっても、娘だけと遊ぶことはするまい、それが昭和20年以来、僕自身をひたすらに支えてきた覚悟でした」(p.212)という。かこさんは、そういうことを娘さんと、あとからでも話したことがあるんかなーと考えてしまった。
唯一の例外が紙芝居で、紙芝居だけは家庭でも時折やったそうだ。「娘が一番リクエストしたのは、やっぱり『どろぼうがっこう』でした。これだけは「もう一回」「もう一回」とせがまれて、我が家のリビングで繰り返し読んだ記憶があるのです」(pp.212-213)と。
その紙芝居が絵本になった『どろぼうがっこう』は、うちにはなかったし、保育園にもなくて、私は子どもの頃に見た記憶がないのが、今となってはひどく残念(タイトルから、親もセンセイたちも買うのを敬遠したのだろうか…と邪推)。
「生きるということは、本当は、喜びです。生きていくというのは、本当はとても、うんと面白いこと、楽しいことです」(p.251)から始まる、本のむすびの部分で、かこさんは、子どもたちに「自分たちの生きていく場所がよりよいものになるように、うんと力をつけて、それをまた次の世代の子どもたちに、よりよいかたちで手渡してほしい」(pp.251-252)とメッセージを送っている。
その言葉は、かこさんの絵本を読んで育った、かつての子どもだった私にも向けられているんやなあと思えた。
(7/17了)
*瀧晴巳さんといえば、上橋菜穂子さんの『物語ること、生きること』とか、サイバラの『この世で���ちばん大事な「カネ」の話』をまとめた人である。ほかの仕事も読んでみたい。
投稿元:
レビューを見る
だるまちゃんでおなじみの加古里子さんが
どのようにして絵本を描くようになったのか
子供だった頃の思い出や戦時中の葛藤、
会社員と絵本作家の二足のわらじ、
絵本を描くにあたって考えていることなどを
とてもわかりやすく書いてある本。
まず加古里子さんというめずらしい名前が
俳句の俳号からきているということがわかって
なるほどーと思った。どうして一見すると
女性名みたいな名前なのかなって思っていたので。
絵本作家さんで長生きされて生涯現役で頑張っている
方がたくさんいるけれど、みなさんの生きていく上での
品性、中身の素晴らしさ、優しいだけでなく
一本筋の通った頑なさ、頑張りなど、本当に
人間としても素晴らしい方が多いなと思う。
子供のために物語を描く、子供の成長に役に立つ
ものを作るという作業は、根気がいるとても
大変なお仕事だけれども、これだけ子供を良くしよう
子供に喜んでもらおうと一生懸命考えて
されていることが子供にもひいては昔子供だった
大人にも十分に伝わるからこそ、長い間
ロングセラーを続ける絵本が出来上がるのだなと思った。
品行方正な子供を誉めるのではなく
小憎らしいいたずら坊主たちに、「生きてる!」と
感動してウキウキしてしまうかこさんが素敵だと思った。
それくらいの気持ちでわが子に接せられたらいいのになー。
失敗してもいい、そこから考えて学んで、自分をかえて
失敗を乗越えていけるのが人間で、みながその一員なんだ。
間違えても腐らず諦めずに、自分でどう考え、
乗越えたのかが大切で、それこそ生きていく値打ちが
あるということ。
そして、大人は子供にあれこれ言わず消えている方がいい。
子供も生きようとしているのだから子供の生きる力を
みくびらずに信じてやってほしい。
大人は子供にあれこれいうのではなく、
大人は、大人の事をしっかりやれ!
などはっとして、心にとどめておかなくてはいけない
言葉がたくさん出てきた。
読んで良かった。読みやすいからたくさんの人に
読んでもらいたいと思う。
投稿元:
レビューを見る
絵本作家かこさとし氏の自伝です。氏の作品の様にユーモラスでとても馴染みやすく、でもはっとさせられる本でした。
投稿元:
レビューを見る
戦争を体験して、その罪滅ぼしのために子どもに向き合い続けた加古里子さん。難しい言葉も使っているのにまったく読みにくさは感じず、心にスッと入ってくる文章です。子どもは1人1人が自分の鉱脈を持っていて、成長する力を持っている。大人の都合に合わせて鋳型にはめようとしてはだめだー。子どもと本に関わっている仕事をしている身として、心に留めておかなければなと思います。
投稿元:
レビューを見る
絵本作家と一口にいえどいろんな方がいるだろうけど、かこさんの、絵本を書くにいたった背景とか、子どもを尊重かつ包容するようなまなざしなど、その深みや真剣さにならぶ人はなかなかいないだろうと思った。
もともと多才にはちがいないが、行動力がすごい。いろんなことを形にしている。それでいてここまで謙虚。学ぶことの多い本でした。
投稿元:
レビューを見る
【絵本作家かこさとしが未来に向けたメッセージ】『だるまちゃんとてんぐちゃん』『からすのパンやさん』で知られる絵本作家かこさとしさんが未来の子どもたちに語りつぐメッセージ。
投稿元:
レビューを見る
たくさんの感想をもった本。
お父さんのこと。親が良かれと思って、してくれることが子どもからしてみたら、困惑すること。あるよなぁ〜。うちは、かこさんよりもっとひどくて本当に衝動的だったから、自分の興味関心にかすりもしていなかった。要は、お父さんは、子どもと一緒にいる時間が短過ぎて、普段から何をしているか知らないからかな〜
とはいえ、自分も子どもの関心がわかっているかというと…難しい。
かこさんの生き方は、戦後死残った人(かこさんの造語)が強く強く考えて今の日本をつくっていったんだなということがわかる。たしか、同世代の司馬さんも戦後の思いがあって歴史を振りかえったとどこかで書いていた気がするし。
あとは、自分の不満などを時代、環境のせいにしてはならない(かこさん自身へ自分で書いてたもの)というようなことを書いていましたが今を生きる身としては本当に耳が痛い。
投稿元:
レビューを見る
この本で描かれている世相の空気感が、今ととても似ているような気がした。
やるべき事がある筈なのに、それは見なかった事にして、ただ時代の流れに身を任せる...。
誰を師とするのか、それを見極めるのがとても大事だと感じた。
それは、ごく一部の大人であり、自然であり、子ども達。
子どもに尊敬され仲間にしてもらえる大人は、考え方の根本から違うよな~、と考えさせられる本。
投稿元:
レビューを見る
毎日新聞の書評を見て、すぐ買いました。
子どもたちが小さかった時、『だるまちゃん』シリーズの絵本をよく読んでいました。
でも、初めてその本と出会ったのは、私が小学生の時なんです。
友だちの英語教材が、『だるまちゃんとかみなりちゃん』の英訳本だったのです。
ずっと忘れていたのに、絵本を見たら当時のことをまざまざと思いだしました。
子どもたちが小さかった二十数年前、すでに絵がとんでもなく古臭いと言う評論家の方もいましたが、それでも昨年『カラスのパンやさん』や『どろぼうがっこう』の続編が出ました。
それは、子どもと同じ目線で世の中を見、子どもの興味をうまく広げてくれる視野の広い絵本の世界が、子どもたちには感覚としてしっかりとわかっているからなのだと思います。
見た目の華やかさではない、本物の力。
私がよく言っていた「子供だましにだまされるのは、大人の方だ」というのは、子どもの持つまっすぐな本物志向のことなのですが、加古さんも、この本の中で同じようなことを語られています。
子どもに言った「大人にとって都合のよい、良い子になんてならなくていいんだよ。」
学校や児童館の先生に言った「まず、子どもたちをよく見てください。」
同じようなことを加古さんもおっしゃっていて、がむしゃらに子育てをしてきたけど、方向は間違っていなかったと言われたようで、心強く感じました。
敗戦のこと、震災のこと、原発のことなども、一つ一つに加古さんの体験から得た想いが語られて、実に読み応えのある一冊でした。
“昭和二十年というのは、僕にとって、一人の人間の終わりであり、始まりの年なのです。
精一杯考えて、自分で「これ以外にない」と思ったことが、まんまと違ってしまった。
あの時の後悔と慚愧、無知、錯誤の恥ずかしさを、忘れるわけにはいきません。
やみくもに突き進んで、間違えて、血まみれになっていたのだと今でも思っています。
そういう過ちを犯したくせに、何もなかった顔はできない。そんなことでは、また同じことを繰り返す。”
まだまだたくさんの絵本を書いていただきたいと思いました。
投稿元:
レビューを見る
子どもの頃によく読んだ、だるまちゃんなどの絵本で有名なかこさとし氏の自伝。
生きてきた時代や子どもたちとの関わり方がいきいきと伝わってくる。
父親に対する思いは、子どもを持つ人は一読の価値ありかと。
私は、どろぼうがっこう、大好きでした。
投稿元:
レビューを見る
とても読みやすかったです。
かこさんが語ってくたざってるかのような錯覚を覚えつつ。
おこがましいけど、自分のお仕事への向き合い方のなかで大きく頷くとこがありました。
かこさんの絵本を、また読み返したくなります。
投稿元:
レビューを見る
かこさとしの絵本のいくつかに関しては、永遠に残る傑作だと思う。そのかこさとしが自伝(?)を書いたんだから(実際は書いたのではなく、インタビューをライターがまとめたみたい)、制作の裏話がたっぷりあるかと思ったら、さほどでもなく、『どろぼうがっこう』と『だるまちゃん』くらい。
でも、つまらなくはない。武生の豊かな自然に囲まれて遊んだ幼少時代のこと、東京の長屋暮らしで学んださまざまなこと(「あんちゃん」のエピソードは切ない)、軍人になろうとしたがなれなかったこと、セツルメントの活動のこと。
自分の家庭(妻子)についてはほとんど触れておらず、かこさんのような子ども好きでも、この世代の男の人っていうのは、家庭を顧みず自分の仕事やしたいことに励むのが第一だと考えていたというのはちょっと残念な感じがしたが。
それでも早い時期から敗戦を予測し、科学絵本を作るときも、情報をよく吟味して危うい情報は排除するところなど、本当に頭のいい人なんだなと思う。
貧しい家から東大に行きながら、自慢めいた記述もなし。
かこさんの絵は大変魅力的だけれど、ずっと下手だと思ってきた。(堀内誠一や太田大八みたいな、何でもこなせる絵本画家に比べると。)
でも、改めて見ると、下手というより垢ぬけないんだな、と思った。そこが、日本人の心の中にある土着的感性に訴える。(これは褒めているのです。)職業的な絵描きには描けない絵。(土着的ではないが山脇百合子もそう。)
これを読んで、かこさんのことがもっと好きになった。
不思議なペンネームの由来もわかって良かった。
投稿元:
レビューを見る
自分が子どものころに読んだ記憶はない。自分の子どもが小さいころ、読み聞かせをしていて好きになった。最初は「だるまちゃんとてんぐちゃん」だっただろうか。かわいかったなあ、絵本に出てくるだるまちゃんも、うちの子どもたちも。だるまちゃんシリーズを読んだあとは、科学ものにうつった。「かわ」「海」「地球」「宇宙」「人間」何度も何度も読んだ。だからといって、子どもたちが理科好きになったわけではない。でも、何か少しは残っていると思うのだけれど。それよりも、実はみんな一番好きで、一番たくさん読んだのは「とことことこちゃん」だ。おもしろかったなあ。とこちゃんがどこにかくれているか、ちっちゃな目と手で一生懸命探していた。加古里子(かこさとし)さんは私が最も好きな絵本作家の1人です。そのかこさんの自伝ですから、読まないわけにはいきません。どうやら、かこさんも、自分の子どもに対してはあまりいい父親ではなかったようです。私も、あまりいい父親とは言えない。外と違って内では、じっくり待ってあげられないんだなあ…