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最初の数ページはそんなにひきこまれなかったけど・・どんどん引き込まれる!最後の解説が鳥肌ものでしたっ☆
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落ち着いている主人公は死刑になってしまう。主人公が捕まった第2部から、とっても深い。
2007.10.23
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いわゆる「不条理小説」。ストーリー等は他の方の本棚を読めばだいたいわかると思う。
同じカミュの『シーシュポスの神話』で、「不条理」について解説されているらしいので、そちらも読むこともオススメ。(わたしはまだ…^^;)
ムルソー(主人公)の殺人が、よく報道されるような「動機なき殺人」と同じものと解されてしまうこともあるかと思う。わたしも最初はそう思っていた。しかし、ただ単に「動機なき殺人」を描くだけの作品ならば、古典とはなりえない。この辺の問題については内田樹『ためらいの倫理学』所収の「ためらいの倫理学」を読むことを強く薦める。
わたしは個人的に強く影響されているので★5つ。にせざるをえないですすいません…。
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母親の葬儀で涙を流さない人間は、すべてこの世界で死刑を宣告される可能性がある。
「僕はこのように生きたが、また違うようにも生きることができただろう。」この言葉が俺にはものすご衝撃。
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Yさんの話をきっかけに読んでみた。前半はフランス映画を観ているよう。殺人事件を起こして死刑判決を受けてからは、自省がほとんどなので、文学っぽかった。理由もなく人をあやめる現代人の内面を見ているよう?家族がいない、って刹那的。これをカミュが書いたのは20代後半だった・・・。
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ムルソーはこの世で怒ることを無理矢理に意味づけたりしない。
私は神父側の人間の考えだから、途中でムルソーにいらついてしまった。でも、人間なんてなんでもなくて、人生に意味なんか無くて、ただ自然と欲望とそんなもので生きてるんだって気がしてしまった。
もっかい読み直してみたい。
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以前、野崎歓『『よそもの』きみの友だち』(みすず書房)を紹介させてもらったのですが、本家のこちらを紹介していないのはどうかと思い、改めて載せました。プロットは非常にわかりやすいがその理由がつかめない。いわゆる「不条理」という言葉がよく語られる作品ではありますが、個人的には決してその言葉で片付け切れないところに名作たるゆえんがあると思います。昨今の私たちは「あえて答えのスペースが広い」「わざと答えがでていない」作品を非常に避けてしまいがちではないでしょうか。もどかしいなあ、結果はどうやねん、みたいな。だからこそ、著者のレベルまで読者がのしあがれるかどうか、すごく試されていると思うのですよこれは。絶対最後まで、「要するに」とか「ぶっちゃけこれは」といった言葉で片付けられない、そんな奥の深さを感じた一冊でした。
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短いのですぐ読めるにもかかわらず本棚の肥やしでした。
読む本がなかったので読んでみたところ、それなりに考えさせられます。
主人公は聖書やキリスト教をかたくなに拒絶する割には、あとがきにもあるようにキリストの言葉をつぶやいたりします。
女衒の友達がいるのは、娼婦であるマグダラのマリアを傍らに置くキリストと何が違うのか。
ゲッセマネのキリストがそうであったように、迫り来る自分の死に対して動揺を爆発させた後、安らかに処刑を待つ。憎悪の叫び声を浴びるであろう、その死に様もキリストそのもの。
こんなに淡々とした人間なのに最後まで彼を庇い、愛していた周囲の人たちはまるで使徒のよう。そういえば、愛人の名前はマリィだったね。
…という考え方も面白いかな、とか。
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判決が下りてからの、更なるムルソーの怒濤の憤怒がカタルシス。”未来の底の暗い息吹”はどんなものとも同じ壇上にあるのではない。ムルソーは真理を捉え捉えられておる故、自己と”世界の優しい無関心”に溶けてすべてを終える。「太陽」と「死」の人ムルソーの人間味。究極的にの、原因の無意味さ、望むものの全ての無償さ。
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4月3日購入。6月8日読了。
カミュの処女作でもある不条理小説。主人公ムルソーは友人に付きまとう男を殺してしまう。裁判にかけられたムルソーは法廷で「自分が殺したのは太陽のせいだ」という。
この論理一貫性のなさがこの小説の醍醐味なのだろう。そして母の葬式で泣くこともなく、ましてや翌日に女と喜劇映画を見に行ったムルソーは世間から「異邦人」として見られる。たとえ悲しくなかろうと、「社会的」には肉親の死に泣かない人はやはり異端者扱いされる。例えば「冷血」といったレッテルを貼られる。そういう意味でムルソーは変わり者なのだけれど、感じたこと、見たことを素直に受け入れる態度は偽りのない態度として尊重されるものでもあると感じた。また、そういうムルソーを自分は格好良く感じた。
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色々な本で紹介されているときに使われる「太陽がまぶしかったから」はそれほど重要じゃない気がした。でもこの主人公の気持ちが『不条理』だというものだというのなら、今この本を読んで、なんとなく不条理というものが分かった気がした。どっちつかずで、何事もどうでもいいと思っている。宙に浮いたような感情なのかも。ちょっと理解するには難しかったかな。
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販促コメントに釣られ購入した本。
不条理の認識を極度に追求したカミュの代表作らしいが、私の心には何も響いてこなかった。
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ムルソーが私には分からない。彼は人間として何かが欠如している。丁度、僕のように。人間とは、かくも分かり合えぬ存在か。太陽のせいで犯した殺人、幸福な処刑。何故、何故なんだ?理由を教えてくれ。誰の心が盲いているのか、どっちが死人のような生き方をしているのか、もう何が何だか分からなくなる。君、人生に意義は見出せているか?
「健康なひとは誰でも、多少とも、愛する者の死を期待するものだ」そう、でも何故だろう?
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彼は殺人を犯した。「太陽のせい」で――。
主人公のムルソーは母を亡くし、葬儀を済ませたその日に女友達と関係に至る。夏の海に友人と出かけ、浜辺で特に何の思い入れもない人物を刺し殺した。喪失と恋愛、そして殺人という一連の出来事にあまり感情を動かされることなく、ただ淡々と日々を過ごすムルソー。
不条理に不条理が重ねられ、読む者は自身の築き上げてきた倫理観を揺さぶられる。
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言わずと知れた不条理を扱った名作。かつて僕はかなり熱心に読み込んだようで、再読してみたらあまりに文庫本に線がたくさん引かれていて驚きました。
あくまで常に冷静沈着、感情の起伏と論理的な一貫性がなく、思考が謎に包まれている主人公ムルソーが発する魅力について僕はまだうまく言葉に表せませんが、これからもことあるごとに『異邦人』の世界を振り返ることでしょう。