紙の本
風の男西行の追っかけ
2005/08/27 00:03
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:s@ひつじ - この投稿者のレビュー一覧を見る
彼女は古今の資料を縦横にひもとき、彼の足跡を自分の足で辿って見るが、最後の最後まで西行の実像は雲をつかむようにとりとめがない。それでよしとしているところが正直で潔い。西行は実際、風のような人だったのだろう。最後まで何かを求めていたような気がする。叶わぬ恋いに苦しみ、定まらない自分の弱い心を嘆き、自由を愛し、美しいものを愛し、桜を愛し、「願わくば花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」と詠んだとおり、釈迦の入滅の日の翌2月16日に亡くなったそうだ。たぶん今頃の季節なのだろう。最後まで風雅な人だったんだね。今風に言うとダンディでロマンチストでボヘミアンでフェミニストで女性にモテモテだったらしい。彼女の好きになりそうなタイプである。
そういえば、彼女の夫の白洲次郎は「風の男」という言葉が表題になっていたような気がする。
紙の本
西行法師さまラブ
2020/07/26 11:33
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Ottoさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
西行法師は、元北面の武士、祖先は「むかで退治」で有名な俵藤太秀郷、奥州藤原氏にもつながる武門のほまれ高い家柄の出身、原因ははっきりしないが、若くして出家し各地を漂白する。その足跡をあっぱれなといっていいのか、数寄者白洲正子さんが辿る。平安末期の混乱と和歌を日常でやり取りする百人一首の世界を見せてくれる。
後白河天皇の生母、待賢門院璋子とのかかわりや堀川局との関係
「ねがわくははなのしたにて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」の歌のとおり1190年2月16日に73歳で亡くなったとされる。
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平将門と同い年の同僚だったのに家族も捨てて出家した西行。その生き方と死にざま。桜といえば西行を思い出す。
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そらになる心は春の霞にて
世にあらじともおもひ立つかな」
『西行』(白洲正子著 新潮文庫)
いきなりの歌から始まり戸惑いを隠せない。
歌の素養もなければ、西行の知識もない。
私の頭こそ「空」なのだ。
その歌に続く解説を読んで初めて分かる。
「出家のための強い決心を表している」歌で
「春霞のような心」がそのまま
「強固な(出家)の覚悟」に移っていくところが西行の特徴と
解説されている。
23歳で出家した西行は50歳の秋
讃岐(香川)白峰の崇徳院の御陵を詣でるために
修行にでる。
その西行の旅のあとを、白洲正子が讃岐を訪れ
歌とともにその時のことを
『西行』の中の「讃岐の旅」として書き綴っている。
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先日放送された白洲次郎のドラマで、中谷美紀演じる白洲正子が、『西行』を執筆するシーンがあった。今まで、白洲正子の作品は読んだことがなかったので、これを機会にと思って手に取った。いわゆる人物評伝だが、文献におさまらず、実際に筆者が旅しているのでリアルな感動がある。紀行文としても楽しめる。
内容的に、西行の歌の解釈が中心になっているので、歌の部分をじっくり自分でも考えてみないと、おもしろくない。時間があるときに、高い酒を味わうように、じっくり楽しみたい。
どこかに旅に出たくなる、魅力的な一冊だ。
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高校のときに同級生に
<如月くん>
ていう名前の男子がいたので、古文の先生がしきりと感心して
「願わくば 花の下にて 春死なん その如月の望月の頃」
の有名な句を引用して、講釈していたのが西行との出会いでした。
15歳ごろの私にとって、西行=世捨て人、坊主、出家=おじいさん
なイメージだったのですが、
30歳過ぎてこの本を読むと、
同年代で、自分の中の衝動に正直で出家せずにはいられなかった若々しい自由人の姿が浮かび上がります。
(はー自分も歳をとったものだ)
専門家ではないながらも、西行の歌や伝承を追いながら、西行の真の姿に迫ろうとする白洲正子の筆が非常に好感を持て、また古文や歴史に強くなくてもまあまあ読みやすい一冊です。(すごく読みやすいわけではない)
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桜が散る前に読みたくて。〈桜狂い〉であった西行は〈空気のように自由で、無色透明な人物〉で〈とらえどころがないばかりか、多くの謎に満ちている〉西行の足跡を辿って全国を取材した伝記のような紀行文のようで著者と共に旅した気分になれる。奥州への旅路は芭蕉の「奥の細道」の幻想空間と重なる。芭蕉は西行に憧れて旅をし、西行は能因法師、在原業平の跡を辿る。詞書付きで引用された和歌の数々は花鳥風月を愛でながらもそこに込められた激しい想いが伝わってくる。73歳で没しているのでかなり長生きだ。激動の時代を生き抜いた人生。
待賢門院璋子への激しい恋情をさくらの歌に歌った。身分違いの許されざる恋なれど片思いでなく契りを交わしただけにより忘れ難かったのかもしれない。激動の時代で親しくしていた人々の死もまたいかばかりの哀しみだったことか。保元の乱による同じ数寄の道の崇徳院の配流ときょうし狂死、悪左府頼長の死、源平の争乱と義経の死。
〈桜への讃歌は、ついに散る花に最高の美を見出し、死ぬことに生の極限を見ようとする。〉女院の死を散る花にたとえて心中したいとまで歌う。ひとりの女をここまで愛せるとは。
「春風の花を散らすと見る夢は
さめても胸の騒ぐなりけり」
「青葉さへ見れば心のとまるかな
散りにし花の名残と思へば」
「たぐひなき思ひいではの桜かな
薄紅の花のにほひは」
大河ドラマ「平清盛」を思い出す。あれは面白くていいドラマだった。
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中々難しく、読むのに時間が掛かった。でもやっぱり西行好きだ。そして、白洲正子さんの文章がかっこいい。
西行に益々興味が沸いた。
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白洲正子という広く深い教養を備えた人が観た西行の姿を描いている。歴史の考証を踏まえているけれど、描かれた西行の姿は論文の対象ではなく、乱世を生きた人である。そのスタンスは小林秀雄に近い。西行に興味を持って読んだのだけれど、私にとっては、白洲正子という文才を見いだしたという意味も大きかった。
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なぜか西行には興味がなかったのだが、これを読んで山家集とか読んでみたいなと思った。
三夕の歌などの存在もこれで知った。
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「人間は孤独に徹した時、はじめて物が見えて来る、人を愛することができる」P109
が、白州さんらしいと思った(いや、人となりをよくは知らないけれども)。
今回の西行の歌の発見は、
木のもとに住みける跡を見つるかな
那智の高嶺の花を尋ねて
でした。
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静かな気持ちになる本だ。穏やかな気持ちとは違う。悲しい気持ちになる、とも違う。読む前までは、読みたくて読みたくて仕方なかった。読むときも「ぐいぐい」吸い寄せられるように読んだ。そんな読む迄の気持ちとは反比例するように、静かな気持ちになる。西行法師という人は、もともと武士だったからなのか、それとも生きた時代の要請なのか、なんともエネルギッシュな人だといわざるを得ない。自分をもてあましながら、都を離れて都を恋しがり、自分の生き方とはなにか、を求めた求道者なのだった。また、そのうち、読み直してみたい。
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お金持ちのお嬢様が自分の知識と価値観で書くとこういう本になるのかな。ノンフィクションが高度に発展した現代社会では取材・検証不足は否めないが、これで良かった昭和はある意味豊かな時代だったのかも。ただ、オレにはこの人の文体に馴染めない。
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何年か前の大河ドラマ「平清盛」で、私に一番の印象を残した登場人物が、藤木直人演ずる西行でした。
ドラマで描かれた以上に、自由でふわふわ生きる西行の足跡は非常にきれいだと思いました。
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西行といえば桜。それくらいしか知識のない私でも楽しめた一冊。それはひとえに、白洲正子氏の筆の力だと思う。
この本は西行が数々の歌を詠んだ、その時の時代背景と西行の気持ちを著者なりの読み解き方で綴っていく、「白洲正子の西行」。
歌の意味がすべてわからなくても、彼女の文章とともに、歌を唇に乗せてみればなんとなく伝わるような気がするのは、彼女の文章の力のおかげだと思う。
西行初心者にも楽しめる、情緒豊かな一冊。