紙の本
古さを感じません
2015/01/28 08:08
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投稿者:かおべえ - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は1986年の日記風エッセイを文庫にしたものです。
1986年というと今から30年前なのに古さを感じません。
「深夜特急」のエピソードの一つに沢木さんが大手企業に勤めながら一日で辞めてしまうことがあります。その辞め方や考えがすごく格好よかったのですが、その顛末が実はそうでないのがわかります。
顛末がわかった方が沢木さんの行動が納得しやすいです。
ただその顛末を「深夜特急に」入れないのは正解だと思います。
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娘が寝る前に読み聞かせる話、紙幅を割きすぎでは? 特に一貫性もない身辺雑記なので、これといった読後感はないが、おすすめ本の何冊かは読んでみようかと。
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氏の作品が生まれていく過程、産みの苦しみ、葛藤が克明に記録されており、一気に読めます。蜜蜂の取材旅行、娘さんに聞かせる創作即興童話「オハナシ」が印象に残りました。いつでも手元に置いて読み返したいと思います。
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1986年当時の著者の日記。『深夜特急』の頃で、著者のその当時の生活が、考えが、何を規範としていたかが、よくわかる。当時、自分が読んだ本なども出てきたりして、でも、やはり見る目が違っていたりして面白い。ルポルタージュについての言及も多く、昨今のイスラム国に対する報道も考えさせられる。また、著者は一晩で2〜3軒ほど、バーをはしごしているが、その影響か、先週ははしごしたりした。今日もこの本の舞台となっている三軒茶屋に飲みにいく。
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沢木さんの日常を垣間見る感じでしたね。作品を生み出すって大変ですね。解説にある十年寝かせた出来事を作品にするということは紀行文学ではなく虚構である。というのが深夜特急の違う一面を感じて再読したくなりました。
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大好きな沢木さんが、深夜特急の単行本を作っていたころに、他人に読まれることを意識して書いていた日記。エッセイじゃなくて日記だから、期待してたほどハードボイルドでかっこいい生活してたわけじゃないってことがわかって、ちょっと残念。だけど、作家の生活がどんなもんか、それは分かって面白かったです。
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見知った場所が舞台なので、親近感わきまくり。もちろん、お店とかはもう違うのでしょうが。
こういう本でしか、この人を知らないし、映画や本を読んでもその感想なんていうのは個々人によるのでしょうが、辛辣だなーと思うところもあり。
今後、歴史の一部になっていく出来事に、その場にいる、ということは貴重であり、そういう風に考えながら生きていくのもありなのかなと。
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1986年の1月~9月、著者の日記のようなスタイルで記述される文章。
『深夜特急』が出来上がる時のこと、そして同時に起こる社会での出来事。ロス疑惑の三浦和義との手紙のやりとりなども記載されており、当時の自分を振り返ってみるのだが、何を考え、何をしていたのか、すでに忘れかけた昔はなかなか甦らないものだ。
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深夜特急を書いた沢木さんのその後のことが知りたくて読んでみた。
だが、読まなければ良かった。
作家とその作品とは別ものであり、作家個人をあまり深くを知らない方が良いのだろう。
これからも沢木作品は読みたいが、エッセーはもう読まないと思う。
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著者紹介には「鮮烈な感性と斬新な文体で…」と有りますが、私にはごく普通の文体に思えます。そのくらい馴染んでしまうのです。
沢木さんの文章は気持ちを昂ぶらせたり感情を強く揺す振られる様な事は無いのですが、ジンワリと深く浸み込んで来ます。結構速読の私が文字を一つ一つ追う様に550ページ強の厚めの文庫本を1週間かけて読みました。
1986年の数カ月を描いた日記です。
沢木さんが交流するたくさんの有名無名の人たちが登場します。そして手がけた作品、特に代表作である『深夜特急』の出版直前や、小説としての処女作である『血の味』の執筆の様子とともに、様々な理由で没になったテーマが登場します。数十枚の子供向けの原稿を書くための一年掛けた養蜂家の取材など、出版にまつわる様々な裏舞台が書かれていて、それだけでも興味深いものがあります。
また、日記の形式のため沢木さん自身の姿も随分と描かれています。
講演料が高すぎると文章を書くのが莫迦らしくなってしまいそうで受けないとかストイックな面であり、結構に好悪の感情が強く、つまらない映画や人物は、例えそれが国民的英雄であってもバッサリ切り捨てしまったり。最も意外だったのは2歳の我が子との温かなやり取りだったり。
「他者と関わりを持ち。それに決着をつけるために文章にする。実はそこに読者の存在は意識していない。」この作品の中のどこかで、沢木さんが自分のスタイルをそんな風に表現していましたが、なるほどと思いました。
とても面白い本でした。
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娘への接し方は愛らしくて、おそらく心が豊かな人なんだと思いました。
作家の暮らしも地道なんだと思いました。作家というと華やかなイメージがありますが、そうではないと感じました。アイデアが浮かばないときは映画見たり散歩をするのは僕と一緒でした。
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1986年、著者の沢木耕太郎は『深夜特急』の単行本化の作業に
入っていた。この年の9月10日までの日々を、日記風に綴った
エッセイが本書だ。
と書くと「『深夜特急』ができるまで」の裏話っぽいが決して
そうではない。
『深夜特急』に言及している部分はもちろんあるが、30代だった
沢木氏が何を感じ、何を思い、「書く」ことに向き合っていたの
か、調査をしながらも書くに至らなかったこと、作品の中で
削られた部分等々、作家の日常が詰まっている。
特筆すべきは愛娘・リーちゃんに関する記述だ。私は沢木氏に
対して「私生活の見えない作家」と思っていたのだが、本書で
はその謎だった私生活の一部が垣間見られる。
2歳半だったリーちゃんが、本書の中で3歳を迎え、父である
沢木氏を「おとーしゃん」と呼んでいたのが、いつの間にか
「おとーさん」になっている。成長と共に語彙の増えて行く
リーちゃんのことを読んでいると、無意識にニコニコして
しまうのだ。
そして、出て来る本田靖春、竹中労、近藤紘一などの名前。
元々沢木氏のファンでもあるけれど、このお三方の名前が
登場するする場面では俄然関心が湧き上がる。
近藤紘一こそこの年の初めに亡くなっているが、本田靖春と
竹中労についてはまだ存命だったんだなぁと思うと感慨深い。
このエッセイが書かれた当時、沢木氏は世田谷区弦巻に住み、
三軒茶屋に仕事場を持っていた。タイトルの『246』は、その
世田谷区を走る国道246号線のこと。
筆が進まぬ時、沢木氏は仕事場の窓から外の風景を眺める。
この風景の描写がとても美しい。
読み終わるのが惜しいエッセイだったが、思いのほか早く読み
終えてしまった。そうして気付いた。ニュージャーナリズムの
旗手ももう70歳なんだね。
私の中では沢木氏の年齢は40代くらいで止まっているようだ。
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単行本刊行時に読んだので、再読。
もしかしたら、『深夜特急』はかなりいい本になるかもしれない…。のちの名作となる原稿を書きながら、本を読み、映画を観、ときどき酒を飲み、そして国道246号線沿いを歩きつつ思考した日々。疲れを癒すのは、「オハナシ」をせがむ幼い娘と過ごす夜のひととき。産みの苦しみと喜びを交互に味わいながら疾走した一九八六年を、丁寧に切り取った日記エッセイが待望の文庫化。
懐かしい描写があちらこちらに。
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沢木耕太郎の日常は実に地味だ。いや、さまざまな有名人と出会って華やかな日々のようには見えるのだけれど、やっていることは着実にストイックに本を読み、映画を観てそこから学び、そして書くことだ。人に見せる日記として書かれたものだがこちらに媚びたいやらしさは(沢木耕太郎だから当然ではあるにせよ)感じられない。そうしたいやらしさ・破綻がない分つまらないとも言えるが、私は評価したい。数々の作品(フィクション・ノンフィクション問わず)が書かれる萌芽が見えてくる、いわばその「助走」のような時期の日記と受け取るのは誤読か?
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日記風のエッセイと言うのでしょうか、作者の人となりがよく分かる作品です。プライベートに仕事、趣味、評論がない交ぜの分厚い本ですが飽きずに読めます。特に挿絵の付いた本の紹介はとても良い趣向だと思います。紹介されていた本を数冊買いました。
辛口批評、天の邪鬼ぽい評論から、一昔前に流行った、オレちょっとイケてる?系のちょいワル親父を思わせる作者ですが、時折り題材に上がる娘さんの文章からは普通のお父さんが垣間見れ、そのギャップが面白くもあります。それにしても読書の速度が早過ぎじゃないかと変なところが気になりました。