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・「特定多数」の参加者間での価値の交換を可能にするようなローカルシステム。
・「特定少数」ではダメ。内輪な関係だけでは、経済、経営は成り立たない。
・特定多数の目安は、3000人~5000人では。
・「不等価」な交換だからこそ、より多くを受け取ったと感じる側が、「健全な負債感」を解消すべく、次なる「贈る」行為への動機を抱く。
・「支援する」姿勢は、相手の「支援する」姿勢も引き出すことで、多くの場合、自身に返ってくる。「情けは人のためならず」
・誰かの仕事を「受ける」ことの訓練。
・支援の話法「話すより聞く」「違いを楽しむ」
・あらゆる仕事の正体は時間。そこに費やされた時間の大きさと、快の感覚は相関性があるのでは。
・本とは、時間を味わうメディア。
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新卒一年目の自分。
これから、資本主義社会のいい面も悪い面も、沢山見ることになると思う。
そんな自分たちに「ちょっと違う、新しい生き方や仕事の仕方もあるんだよ」って教えてくれる大人の存在は、本当に貴重だ。
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この考え方、好きです!
これからの時代、お金や物の売買の価値ってどんどん変わってきている。共感できるものに対して、納得する対価を支払えばいいし、働き方や賃金の考え方も同感。
万人に支持されなくったって全然構わない、価値観や生き方、選択肢など。そういう時代だからこそ、個人の思考、嗜好、どう生きるかとかを大事にすべきなんだーと、改めて感化されました。
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かけるべき時間、手間ひまをちゃんとかけ、いい仕事をすること。その仕事を丁寧に向けてに届け、コール&レスポンスで時間をかけて育てること。受け手にとっての価値を実現できていれば、受け手の中に健全な負債感を生み、直接・関節に贈り手に利益をもたらす。
だから、一生懸命、時間と手間ひまをかける。
※健全な負債感。
本当にいいものを受け取ったとき、感謝の気持ちとともに人の中に自然と芽生える前向きな返礼の感情
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カフェをやりたいひと、はこの価値の交換というところに惹かれるのだろうなあ。一人の人のなかにもいろいろな価値のあり方があってもいいのだろうし。
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『続ゆっくりいそげ』の夜に行ってきたので。
ギブとギブ。自分の時間を生きて働きたい。人のやりとりと、大きくは地域と(もっと大きくは世の中全体の)経済のこと。
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ネットで抜粋を見て、興味深かったので読んでみました。
資本主義を否定するのではなく、基本的に良いものだと思っていて
成長、効率、革新や活性、便利は確実にあるとした上で、
すべてが資本主義で良いわけではない、というのがとても共感を覚えました。
不特定多数の参加者間で価値を交換するのがグローバル経済。
それに対して、同じように市場媒介としながらも
特定多数の参加者の間で価値の交換を可能にするローカルシステムが
特定多数経済というのがなるほどと思いました。
くるみ収穫ツアーの体験が労働力を提供し
お互い様という感覚から成り立ち、くるみの売買と言う価値交換だけでなく
複数の価値が見出されるというのが素晴らしいです。
経済が目的なのか手段なのかというのは本当にそのとおりで、
人が幸福感を持って日々を生きる、そのために経済があるのです。
スーパーの同じ店に1キロ1000円の商品と1キロ3000円の商品が並んでいて
フェアトレードだ、などの理由を聞いて熟慮の末3000円の品を
買う人はいるでしょうが、日常的な買い物の場面では1000円を選ぶ人が多いはずです。
同じ土俵に立ってしまうと、安売りというのを価値にしてしまえば
大企業に勝つのは難しく、無理に値下げをしても潰れてしまうだけです。
それに対処するには特定多数経済で、密度の濃いコミニケーションが必須になってきます。
金銭的な価値に収斂しない価値の保全や育成の実現は理想ですがなかなか難しい問題でもあります。
資本集約が進んでいる中で、いかに値段だけではない価値を伝えられる媒体になるか。
それを実現しやすいのは、不特定多数を相手にする場所ではなく
特定多数と密度の濃いコミニケーションが可能な場所。
それがカフェなどの小売業というのはなるほどと思います。
実際には大手量販店ショッピングモールやコンビニなど
小売業こそ資本集約が進んでいるのが現実で、個人営業のお店などは
営業が厳しいことも多い中で、いかに値段だけではない価値を伝えられる媒体になるか。
「大きなシステム」が形成されるその過程で、「特定の人にとっては大事だけれど、普遍化しにくい」ような価値は取引の対象ではなくなり、その居場所をなくしていく。
資本主義としてはそれが正しいとしても、「大事なものはそれだけではないのではないか」。
多元的な価値が尊重され実現される社会をつくることが本当は大切なのです。
不特定多数相手では無理でも、特定多数の参加者を想定すれば
金銭換算しにくいようなものも含めて「特定の人々にとって大事な価値」を取り扱えるようになります。
例として「純米酒をつくる蔵が守られること」や「日本の森がきちんと手入れされ未来につなげられること」が上げられていましたが
確かに該当する「特定の人々」にとっては
自分の周りでも動物の保護や刀剣などの歴史・美術関連の保護など
金銭同等か、場合によってはそれ以上の価値が見出されています。
そこに価値を見出す以上、一○○のお金を出して
返ってくるお金が七○でも、価値が三〇以上あれば
投資家がお金を出す十分な理由になるのです。
お金を出すことは合理的な選択であり続ける。
お金を出す側が組織ではなく個人なら、
ただ好きだから、なんとなく、という理由でも成り立ちます。
私はミヒャエル・エンデが好きですが、確かに『はてしない物語』は
少なくとも序盤は特定の悪役が出てくるわけではなく、
虚無に奪われた世界に新しい名前をつけることで救います。
世界を想像し、創造すること。
それを一番上手にできるのはこどもたち。
現代社会でシステム化が徹底すると、人は考えなくなる。
営業成績を高めるとポイントがつき、
そのポイントで給料が上がるのだとしたら、営業成績を高めることに邁進すればいい。
「なぜ、営業成績を高めなければいけないのか」とか、「そもそも営業成績ってなんなのか」などと問うことは求められてはいないし、
そんなことをしていたらむしろ「異端児」ー「システムエラー」となる。
システムの目的に沿って、ときに自分の本心を「殺す」ことさえ憚らない人。
気が付けば「自分が何が好きか」「自分が何を美しいと思うか」に答えられなくなっていく。
この「虚無」に抗うのは極めて難しい。
なぜならその戦う相手の正体がはっきりしないからだ。
この辺りも、確かにそのとおりだと思うのです。
床(敷地)を使って「収益を最大化」させようと思えば、
当然最も高い家賃を払ってくれるテナントを入れることになる。
そうした市場原理の下で、個店がチェーン店に比べて
より高い家賃を提示できることはまずない(それが立地条件のいい床であればあるほど)。
もしくはそれをできたとしても、「その家賃を払い続けられるのか」とリスクの話になると、「やはり資本力のある大手の方が安心」ということになる。すると、どこの駅前も同じ店、同じテナント、同じ景観になっていく。
例えば再開発などで出店可能な床(敷地)ができたとする。この物件の貸主が個人だとしたら、その個人の意思やこだわりで「こんなお店を」「こんな使い方を」と貫き通すこともできるかもしれない。
場合によっては採算度外視なんてことさえあるかもしれない。ただ多くの場合(再開発の場合などは特に)、貸主は組織化され、複数の人が関わる状況となっている。すると途端に話は難しくなる。「こんな開発をしよう」というゴールイメージの合意形成が難しいのだ。みなが納得する選択肢として「収益の最大化」がプロジェクトの落としどころとなる。
これも、実際問題としてそうならざるを得ず
ショッピングモールは同じようなチェーン店が入っているばかりになりがちです。
最近では地元のお店を入れるようにしている傾向がありますが
入ったからといってそのお店がやっていけるかはまた別問題です。
出資をきっかけにギプの気持ちにスイッチの入った投資家は、
その後もお金にとどまらないその事業者の応援団になる。
ギブを受け取った事業者も、単なるお金以上のものを受け取っていることを実感し、事業に取り組む上での大きなエネルギー源となる。
また、そのようなお金だからこそ「きっと受け取った以上の額にして返す」という、いい意味での緊張感や使命感に
双方向の関係が一時で終わらず、五~一〇年にわたっての継続的なものとなる。
大変理想的な関係です。
「お金を増やしたい」「資金運用」という「テイクの動機からでは決して選ばれることのない金融商品が
互いが顔の見える関係となることで、事業者の再建が投資家にとっても他人事でなくなり、その実現は金銭的価値を補完するような、一つの価値(うれしいこと)になっていく。
特定多数だからこそできる「顔の見える関係」でのやり取りは
もう少し複雑な価値のキャッチボールが可能になります。
日本にチップが普及しない理由として、
交換を不等価にすることで次なる交換を呼び込み、交換を継続させることで
関係を継続させるという隠れた知恵というのも面白いです。
アメリカやヨーロッパなど、広大な国で
「次、いつ会えるか分からない」状況があるからこそ、一回一回の交換でどちらかが負債を負うことなくきちんと精算していく。
対して日本の場合、限られた国土の中、
同じ顔ぶれの中で長期間にわたって関係を構築していく前提で
むしろ交換をいかに途絶えさせないかという方向での知恵が求められた結果というのは納得でした。
クーポンやメンバーカードは作って「消費者的な人格」を刺激しないこと、
カフェでコンサートを開くことや
本を発行することなど
色々と興味深かったです。
この本を読んだ後、クルミドコーヒーにも行ってみました。
近くなら通いたい、こじんまりとしたのんびりできるカフェでした。
お店にもまた機会を見つけて伺いたいです。
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目の前のお客様を大事にすること。
ファンを創ること、コミュニティを創ること。
自分1人の「私」を顧客と一緒に「私たち」にすること。
顧客構造の再構築のために、私たちが「どうあるべきか」のヒントが詰まった本。
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”西国分寺のクルミドコーヒー店主 影山知明さんの著書。読む前は、サブタイトルの意味が「?」だったけど、本書を読み終え、お店にも遊びに行って、少しずつ腹におちてきた。
本文に出てきたキーワードでいうと…
「価値の周波数」のあう「特定多数」の人と、
「支援し合う」関係を育みながら「私たち」を広げて、
「共に自由に生きる」社会をつくろう!
という提言なんじゃないだろうか。
そして、そのための鍵は「ギブ」すること。
周りの人の「受贈者的な人格」を刺激することで、好循環を生み出すこと。
これは、カフェであれ、本屋であれ、音楽家であれ、コミュニティマネージャーであれ、オフィスワーカーだって、意識すればできるはず。そんなことを考えた。
あらためて、素敵な本を読む機会をいただけたことに感謝!
いまこのタイミングで出逢えたことを素直に嬉しく感じています。
<抜き書き>
・ラテン語で、「festina lente(フェスティナ・レンテ)」。
・一つひとつ丁寧に進めていけば、存外早く目的地に到達できるものだ。(p.1 まえがき)
・ぼくには逆に思える。守り、育てるべきは、ぼくらの暮らしであり幸福感。そして経済は本来、そのためにあるのではないかと。(p.26)
・クルミドコーヒーも物理的なお店があり、そこでお客さんと直接に顔を合わせ、コーヒー単体だけではない空間や接客も含めた価値で届けようとするから、三倍の値段が成り立つのだろう。(p.39)
※「値段だけではない価値」について。東御市産のクルミ(外国産の3倍)をつかう話から。
・きっと“円”はいくつもある。クルミドコーヒーでいえば、飲食店としてのい店に共感してくださる方もいれば、人と人が出会い、その結果人が育つ「場」としてのお店に共感してくださる方もいる。またお店のスタッフに共感してくださる方もいるだろう。そしてそうした「大事と考えるポイント」は、グループを超えては必ずしも共有されてはいない。(p.41)
・そうした前提を共有した上で、やや乱暴な推測をするならば、クルミドコーヒーにおいて、現在何かしらの価値の周波数を共有する「特定多数」は、5000人ほどではないかと感じている。(p.42)
・お店に来てくださる方の「消費者的な人格」を刺激したくないと考えたからだ。(p.47)
※ポイントカードをやめたわけ。
★仲間とふらっと、家族でふらっと、一人でふらっと立ち寄り、そしてなんとはない会話をして帰っていく。でも間違いなく、みんな来たときよりもいい表情になってお店を出ていく。そんなことを続けていたら、きっと西国分寺というまち自体も、今よりもっと気持ちのいいまちに育っていってくれるんじゃないかなと思ったからだ。(p.50)
★もしくはお店に返ってこなかったとしても、その「受け取った」ことによる「健全な負債感」は、その人をして帰り道に路上のゴミをも拾わせるかもしれないし、電車ではおばあさんに席を譲る気持ちにさせるかもしれない。
つまり、「いいものを受け取る��ことは、その人を次の「贈り主」にすることなのだ。(p.55)
※受贈者的な人格を刺激することで、素敵な循環の起点に。Pay it forward!
・「期待利回りマイナス50%」の金融商品(p.75)
※半分寄付、半分出資の仕組み
★ベンチャー企業の経営者も、ベンチャーキャピタリストの自分も、投資元企業の担当者も、そして実は投資元企業の経営者だって、一人として「個人としてはそのことを必ずしも強烈に望んでいるわけではない」のに、気がつくと誰もが「売上・利益の成長」に向けて働くことになっていくのだ。(p.84)
※いま起きていること、「約束」の数珠つなぎ…。
★「特定多数」の個人が直接にやり取りすること(p.92)
※個人、直接が鍵
・現代のおとなたちが「虚無」に支配されるのか、それとも「ファンタジー」を育めるのか──その命運を握るのもまた、おとなたちの中に眠るこどもたちなのではないかと思う。(p.99)
※新しい名前をつける。主観的な行為。世界を想像し、創造する。
★「ぶんじ」の特徴は、裏面にメッセージを書き込めるようになっていることだ。(略)すでに何回か使われた「ぶんじ」であれば、それが自分にたどり着くまでのやり取りの痕跡を、そこに見ることもできる。(p.119)
※これ、いい!! 感謝の数珠つなぎ!!
・「ぶんじ」が少なくともここまで続いてきたのは、名刺入れの中に「ぶんじ」が2?3枚でも入っていた方が、まったく入っていないよりも日々の暮らしが楽しくなるから。(p.133)
・「あなたはお店をいかして、どんなことを表現してみたいと思う?」(p.142)
※スタッフ採用時に必ず聞く質問。「利用して」ではなく「いかして」なのもポイント!
・「じゃあ、うちのレシピを教えてあげる」
心臓が止まるかと思いました。
(略)
クルミドコーヒーを訪れて、気に入ってくださったのだと。
(略)
たくさんの経験にもとづいた一つひとつのコツやポイント。
励ましの言葉も、ビーフシチューの中に溶け込んでいます。(p.157)
※川上さんのビーフシチュー。卒業とともに、クルミドコーヒーではやらなくなった。「人に仕事をつける」から。つくり手の気配が感じられるようなモノゴトを大切にしたいから。
★「自分の主体性が発揮でき、大変だけどよろこびがあって、経済的にも持続可能(かつ成長可能)」
それを実現するカギが、組織の内部・外部両面にわたって、交換の原則をテイクからギブへと切り替えることにある。(p.162-163)
※これ、CMCでの「問い」になりそう。
★こうして一人だった「私」は、他の「私」と出会い、少しずつ「私たち」になっていく。(p.175)
※ことごち!
・不自由な共生から、自由な孤立へ(p.192)
※そして、「共に自由に生きる」へ。図3:関係性のつくり方 参照。
・自分の余命をも超えるような長いスパンのチャレンジを始めようとしているのだ。(略)
果たして、自分はクルミドコーヒーを、「よろこんでこのお店を引き継ぎたい」と言ってくれるような人が現れるお店に育てられるのか。50年後のお客���んにもよろこんでもらえるような、本質的な価値を提供するお店に育てられるのか。(p.205)
※影山さんの、開店前夜祭でのスピーチから始まった物語。
★ぼくらが提供しているのはコーヒーやケーキといった「コンテンツ」ではない。それは「いい時間を過ごしてもらう」こと。取り扱っているのは「時間」なのだ。(p.221)
※仕事の正体は「時間」。しかも、かけた時間ではなくて、提供する時間。
・「カフェとは、水平と垂直の交わる場所である」。
ここでの「垂直」とは、自分の祖先や子孫(血縁という意味においてだけでなく)をつなが軸であり、土地の風土とつながること、自分の生きる文脈を知ることだ。(p.243)
※生きる文脈!!!
・ぼくの中には、これまでご縁をいただいてきた本当に多くの方が生きていて、時々「自分」なんていないんじゃないかと思うことさえあります。そうしたみなさんに、今ぼくは、恥ずかしくない自分であれているでしょうか。一つひとつのご縁に、心から感謝いたします。(p.246)
※ご両親への感謝の言葉、Tさん(Sさん?)へのメッセージも含めて、鳥肌がたった。
<きっかけ>
2015年5月、コミュニティマネージャーの集いで推薦され、amazon で頼んでいたが在庫切れのためなかなか届かず、シビレを切らしてリアル書店で探して買いに行ったら、amazonからも届いた!(笑)
2015年6月1日?30日の期間で、本書を課題図書にしたオンライン読書会を開催中。
https://www.facebook.com/groups/CMCbookclub/”
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受贈者的な人格の話はギバーの話に通じる。
健全な負債感、言い得て妙!
消費者的な人格と受贈者的な人格、頭に留めておきたい。
できるだけ少ないコストで多くを手に入れようとするのか
いいものを受け取ってしまったからお返ししたくなるのか
クルミド債って今ではクラウドファンディングと同義語かな!
今、自分の中で虚無とどう折り合えばいいのか格闘している
世界を想像し、想像する。
現実と上手く付き合っていけないと何かが崩れる。
自分の気持ちなのか、行動の意味なのか、
働く中に余白の時間を持つことの大切さを今再認識している
自分の時間がゼロに近くなると疲弊する
何のために働いているのか?その分の給料は?
考えが負の連鎖に陥ってしまった
でも働くがゼロになってもどうすればいいかわからない自分もいて
自分のやりたいことって?結局何ならいいの?
どうやって稼げばいいのかわからない…
生きてる意味を見失うくらい苦しかった
そんな時に明るく見守って寄り添ってくれる人がいるって本当に心強いと思う
他力本願
自分ひとりでなんでもできると思うな
自分の弱いところは、まわりを頼ってもいいんだよ
自分をいかすこと、まわりにいかしてもらうこと、まわりをいかすこと
西村佳哲 自分をいかして生きる
きちんとした問いが設定されさえすれば、問題の半分は解決したようなもの
哲学カフェ気になる
支援の話法
話すより聞くこと、違いを楽しむこと
自由でありながら素の自分に戻れる場所を提供できるようになりたいね
支援する関係
目的や目標を絶対視しすぎない
いうまでに、こういう自分になるなど意識しすぎると
今という時が常にマイナスとなつてしまう
我ただ足るを知る
常に足りていると自覚し、在るものに感謝、不足を嘆かない。
せめて今をゼロと考える。些細なことでもプラスと考える。
飯田美樹 Cafeから時代は創られる
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この世界は、代えがたい個人と個人がつむぐ「交換」で成り立っている。そして、それは経済の本来的なあるべき姿であるはずだ。
机上の空論ではなく、カフェ経営の実践の中で紡いだ、優しくも、強さのある実験の記録。
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◎以下は「続」の引用
そんな中途半端なものをだすなという声も聞こえてきそうですが、ただ、お客さんたちとの間だったらそういうことができるような気がします、
ここが分かりにくかった、もっとこんなデータもあるよ、こんなアイディアを、、、、そんなフィードバックを受けて、その先にさらにレベルアップした完成版を目指す
お店をやっていると、ぐっと客数が増え、売り上げが伸びる時期がある一方で、やれどやれど数字に表れてこない時期がある。量の成長と質の成長を繰り返しながら、植物もお店も育っていく
事業体や組織の成長は、測ろうとするのではなく、感じること
無理強いしてもあまりいいいことはない、うまくいかない理由がある、タイミングや場所、縁といった意味でもおのずとなるようになる、それくらいの開き直り
机上で考えたコンセプトではなく、地に足の着いたお店になりそうだとわくわくスる気持ち
たしかにそこに作りてや主の存在をかんじとれる店
場の力の正体は縁
いのちのつながりが縁になってゐ場所に残っていく、だから居場所には縁が積もっていく、生き物はみなそうした縁のなかで生きていくもの
縁ーいきもののいのちといのちが出会ってつながる役目をするきっかけのこと、目に見えないけれど、縁がたくさん積もっている場所ほど、いのちがつながりやすい、そうした場所ほど安心して生きていくことができる
縁が紡がれていくことを通じて、やがて場そのものに命が宿るようになる
楽しく遊びの要素があること。
遊びのかたちにおいてだけ、わたしは生産的になれる。人生の生真面目さをわたしの仕事に取り込まねばならないと思ったら、先へ進む意欲がなくなる
お客さんとの関りにおいても、楽しさであり、遊びがあるといいなと常々思っている。お店の帰り際、お客さんがぽろっと言って下さる感想として、おいしかったとか、いい時間だったとか、もうれしいが、楽しかったといってもらえたとしたら、もっとうれしい。それはそれだけ、お客さんたちの間で、発見があり、笑いがあり、創造的な時間が流れたということなのだろう、そしてお店をそういう場にできる可能性があるとしたら、これもやっぱり、お店のスタッフとお客さんという立場を超えたかかわりを実現できたということ
◎以下引用
ぼくらのコーヒーは650円、目の前100メートルのところにあるコーヒー店は200円。さらに駅に近い。こうして記号化してしまうと不思議な感じだが、なぜ人はわざわざ3倍のお金を払ってまでよりアクセスの悪いお店に足を運ぶのか。ただこうした値段を受け入れてもらえるおかげで実現できていることがある。
不特定多数の、顔の見えない参加者を想定した市場では、複雑な価値の交感は成立しにくい。
顔の見える関係であれば、世の中一般に認められていなくても、私がそこに価値を認めれば、交換が成り立つ
普遍的に良いといわれるようなことではなかったとしても、そこに価値を認めてくれる私がそれなりにいた
言葉にはなりにくいしましてや金銭換算などできないかもしれないが、何かしらの価値の交感はされている
特定多数での複雑な価値のキャッチボールを成り立たせるには、身体性を伴う密度の高いコミュニケーションが必要
ああ、いいものを受け取っちゃったなと思えば、また店に来てくれるか、紹介してくれるかもしれない
お客さんの消費者的人格を刺激してしまう状況だと、同じだけ払うなら、出来るだけ多く、という風になる
受贈与者的人格⇔受け取ることに負債感を覚える
1500円のコンサートでいい時間を過ごした後、底に金額以上の価値を感じてゐれば、余韻や、負債感となり、次回の参加や口コミへとつながる
交換を等価にしてしまってはだめ。不等価なこうかんだからこそ、その負債感を解消すべく、贈与する
世のやり取りの多くが、利用し合う関係となっている
彼らの目的を果たすためにお店を利用するのではなく、僕らのお店が実現しようとしていることを、支援してくれるものだった
お客さんがいい時間を過ごせるように支援すること
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喫茶店をどのような想いで開かれているのか、takeではなくgiveでお客様と対等な関係を築かれている影山さん。
資本主義経済のなかでも大切にしていきたいことが盛り込まれており、決して規模の大小ではなく、そこにどんな人が集うのか?という部分でクルミドコーヒーに行ってみたくなる。共感の輪をどう広げるのか?という部分は実際に参考になるでしょう。
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クルミドコーヒーのカフェ経営にみる、ポスト資本主義社会における人・モノが持続的に循環する仕組みの作り方。資本主義を否定するのではなく、資本主義の中で実践されるからこそ、ここには現在の「理想と現実」がしっかり描かれている。
・資本主義社会の中で、”不特定多数”をターゲットにするのではなく、独自の”特定多数”の経済圏の循環を目指す
・お金の等価交換を繰り返す資本主義の原理原則とは異なる、”不等価交換”な関係により持続化する仕組みを創り出す
そんな矛盾を孕む経営学へのヒントや学びが本書には多くちらばめられている。これぞまさに人生のバイブル。
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不特定多数ではなく特定多数との中でやりとりをする。
贈り物をするように届けることを意識すれば結果的に自分に返ってくる。
手間暇をかけて届けることができれば、消費的な関係性ではなく受贈的な関係性になれる。