紙の本
今の日本と比較すると・・・。
2016/08/28 19:42
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投稿者:mistta - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦後70年。日本はどのようにして戦争へ向かってしまったのか
興味が有った。
本書は、外交面、社会史面、国際情勢面等々、様々な角度から
戦争に向かった背景を分析している。
日米開戦は、ギリギリまで戦争回避しようとしていた事実。
米国側もドイツとの戦争を重視し、両面戦争を嫌い
日本と戦うつもりはなかったこと。
石油禁輸措置は日本を読み違えた。
日本は1920年代むしろ親米だった。
単なる私の浅学かもしれないが意外に感じた。
読み進めていくと、他にも意外な事実を知らされる。
メディアが戦争を煽った背景も興味深い。
最初は満州事変や国連脱退に反対の論調だったマスメディアが、
軍に上手く取り込まれて軍の宣伝媒体と変容していった経緯は、
今の日本でも有りそうな話で怖い。
戦争へと向かった当時の日本を冷静に分析している一冊。
是非読んで頂きたい。
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輿論; いわゆる公的な意見
パブリック オピニオン
意見
世論; 感情的な
ポピュラー センチメンツ
空気
それがあることで得をする人のために
作られたもの
大衆政治状況を"輿論の世論化"
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メディアが権力側に迎合すると国の方向性をも謝らせてしまう。メディアは権力に対して批判的であるべきである理由がよくわかる。
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歴史の授業なんぞをぼんやり聞いていると、どうも当時の国民やメディアは軍部の暴走に逆らえず、戦争に突き進まざるを得なかったのか、前述の2つの主体は被害者だったのかという認識を抱く。が、この本においては当時の日本国の国民やメディアにスポットを当て、複合的な要因で日本が「後に引けなくなった事情」が述べられている。
現代においても安心しちゃおれんぞ、という気になるし、今後の日本の将来諸々を考えるためのタネ本として優れている。どうもきなくさい昨今だからこそ、是非読んでみては。
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日本人が何故戦争へと向かったのかを、メディアと民衆、指導者たちの面から考える一冊。
こちらの方が興味深く読み進められた。
戦争の何故を考えると、当然指導者たちに責任があることは否定しないが、メディアの責任を問うようになったのは最近のことではないかと思う。
メディア自体が自分たちの報道の在り方に問題がありましたと認めることは難しいことだとは思うが、民衆を煽った責任はきちんと自覚して繰り返さないようにはして欲しい。
正直NHKの纏めた本なので、そこを曖昧にしたり言い訳をして過ごすかと思いきや、当時の新聞やラジオの状況などの説明と共に、責任の一端があったことは認めていた。
メディアにも利益は必要であり、当時国益とされている軍部の方針に背く報道をすると、不買運動が起きたり、新聞に必要な紙が滞ったりしたため、軍縮を唱える新聞も軍部の思う報道をせざるを得ない状況もあったりしたということなどがわかった。
すっかり躍らされた民衆から首相官邸には、日米開戦を望む投書が届いたということも知らなかった。
情報を得るにも限りのある当時は、扇動的な文言に躍らされてしまうこともあるかもしれないが、いつでも被害者でいたがる民衆にも責任の一端はあったのだろうとは思う。
現代のようにメディアの選択など出来ない当時の人々に責任があると言うと反発されそうだが、戦争において責任の無い人間は子供だけではないかと思う。
本書で元朝日新聞記者である武野氏が、戦争は、始めさせてはだめだということですと言っている。
当たり前なこのことが本当に大切なことだと思う。
始めてしまうと戦死したひとのためと勝つまで終えられない。
絶対に戦争を始めてはならないのだ。
ドイツの新聞社は戦後一度全て閉じたらしいが、日本の新聞社は継続している。
継続したからこそ見えるものもあったかもしれないが、全員ではなくても政府や軍部は何らかの責任を負っているのに、メディアは退陣した上層部もいるだろうが、それだけで良かったのだろうか。
決断出来なかった指導者たちのことも書かれていた。
度々登場する永田鉄山というひとを、優秀な人物らしいという程度で余り知らないでいたが、この人物の殺害は日本の開戦に大きな影響があったようだ。
戦争のことを少し知ると、他にまた疑問や知りたいことが出てくる。
政府にアメリカとの戦争を望んでいたひとはいないのに戦争へと向かう歯車は止められなかった。
進んでその歯車を押すひともいないが、止めようと懸命になれるひともいなかった。
それぞれが何か言い訳をつけて、ならなければならない誰かになることを避けた。
わかっているのに回避しない、何とも不思議とも思えるけれど、こういうことはいつでも起こり得るのだろう。
本書の最後の一文を転記する。
私たちは、なぜ日本人はあのとき、戦争への道を選んだのかということを考えることをやめてはいけないのだと思いました。
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軍部の暴走が戦争へつながったと思いがちだけれど、その首脳部は日米の国力の違いを正しく捉え、負け戦になることを予想し、ぎりぎりまで戦争回避を考えていたということを知った。人々の中のどこから湧いてきたのかと思われる戦争への熱気、その熱気をとらえてさらに煽るメディア、それら世論をとどめられず、後戻りもできなくなっていくリーダーたち。外交の失敗や軍部の暴走だけが、戦争への道筋を作ったのではないことを、今一度考えなければならない。
現代においては、国と国とではなく、内戦や紛争が争いの中心になっているけれど、それを防いだり、解決するにはどうしたら良いのか考えるために、過去の失敗を学び、考えなければ。
熱狂には気をつけるべし。
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陸軍ばかりのせいではない。マスコミも世論を煽り、その背景もある。開戦の振り返りを敗戦からでなく、日露戦争後から戦争に向かった背景を知ることは、現在を考える上でも重要である。2015.10.10
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このシリーズの白眉と言っていい内容。
私は1931年の朝日新聞の「方針転換」に、現代と同じ病変があると思う。当時、新聞各社がいっせいに満州事変拡大を支持する中で、大手新聞社では朝日だけが慎重論を唱えていたという。その中、リベラルで知られる編集局長緒方竹虎が、陸軍参謀作戦課長と料亭で話し合う。その後「コロっと変わった」という。2人を知る元朝日記者のむのたけじは「いや、あったと思うね。(略)国益が天空に輝いていているわけで、これが戦争遂行なんです」と感想を述べる(29p)。当時全てのメディアは満州事変の謀略を知りながら、それを国益を言い訳にして報道しなかった。それを知らないとされた日本社会は「熱狂」した。それに煽られて、日本は国際連盟を脱退する。
私は、1995年ごろ、リベラルで知られた朝日新聞が消費税の増税支持に回った頃のことを覚えている。編集部のお偉いさんが、いろんな人と対談を始めた。やはり、その時に「日本経済」という名前の「国益」が優先された。その後、日本社会を襲ったのは、雇用崩壊であり、自殺大国であり、そして欧米諸国がなんとか景気を回復する中でひとり日本だけが景気を回復出来ないままになるということだった。そういうときに現れたのがアベノミクスであり、戦争法なのだ。新聞は、それへの対案を出す政治家を報道することもなかった。高い給料を貰っている記者たちには関係のないことだったのかもしれない。最近の「従軍慰安婦誤報パッシング」はその仕上げにほかならない。
軍、メディア、国民というトライアングルによって生み出された当時の世論は、しばしば熱狂を伴った。(35p)
一部の残っていた良心的なメディアも、桐生悠々の「関東防空大演習を嗤う」(1933信濃毎日新聞)の全面謝罪広告記事で「牙を抜かれる」(38p)。これを現代に当てはめれば、東京・神奈川・沖縄各紙・等々の一部地方新聞、及び民放テレビの「一部」番組に現在行われている圧力、並びにこれから起こる何らかの「事件」で現実になるということだろう。
ラジオはその「熱狂」のスピードを速めたと言われる。テレビやネットがある現代、そのスピードはさらに速まると考える方がいいだろう。
1941年の世論調査で、なおも「日米開戦は避けられる」と六割が答えていたのは、ビックリ、しかし頷ける。そういう多数の声を、一部の「熱狂」がかき消すというのも、現代でも起こりそうだ。実際に多数の声を無視して、一部の熱狂が作った政府が、違憲の法律を、憲法が支配するはずの国会で通してしまったのだから。
指導者たちはどうだったのか。海軍が日米開戦に反対していたのは有名な話だ。しかし、森山優教授は「(あの時に戦争すると思っていた国の首脳は)皆無に等しい」という(156p)。衝撃的な実態である。それでも開戦したのは、なぜか。「解決の先送り」であり、「いざというとき、という曖昧な表現」であり、「船頭多くして船山に登る」であり、「内向きのコンセンサスが最悪の結果をもたらす」である。最後のこれは現代の政府にも言えると言っているが、それは正しい。
2015年11月4日読了
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2016年、14冊目です。
2015年に読んだ「日本人はなぜ戦争へとむかったのか 外交・陸軍編」に続くシリーズ2巻目を読みました。
戦後70年ということで、昨夏書店で平積みされてたものです。
この巻では、メディアが戦争へと突き進むことに果たした役割を検証しています。
同時に決定を下しているようで、決定を先延ばしし続けた政府、軍部の指導者のあり方が描かれています。
戦前、軍部の強行的な手法に、メディアも一方的に規制され従わざる得なかったという認識を、
なんとなく持っていましたが、自分の認識は、自らが事実を知り構築したものではないと改めて気づかされました。
大衆迎合がメディアであるというのは、間違いだったことは分かりました。
私は、メディア関係者ではないので、メディアの責務がなんであるかを考えたことはありませんが、
多くの人に、更には国家に大きな舵を切らせる力はあると思います。
昨今は、マスメディアだけでなく、Net上での情報の方を信用している人も多いと聞きます。
常に、自分の考え方を俯瞰していないと、直ぐにどこかで思考が行き止まりになってしまう危うさは、強く感じています。
おわり
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輿論と世論というの初めて知ったし、特に佐藤卓己の軍部の言論弾圧はなく、自己統制であったマスメディアへの指摘は鋭い。
現代にも繋がるマスメディアへの警鐘であろう。
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☆☆☆2020年9月☆☆☆
いったい誰と戦争をしていたのか。
アメリカという強大な敵を目の前にして、海軍と陸軍の争いは激しさを増し最後まで統一した行動が出来なかった。
一般的には、海軍のほうが善玉(比較的マシ)とみられることが多いが、海軍こそ寧ろ戦争を無限に拡大さえたように書かれている。この視点は興味深い。
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戦争へと向かわせたメディアの構造や民衆のすがた、日米指導者の過ち。
正直、取材対象者の質は疑問。
「日本のプロパガンダは「全て」ナチスを手本にしている」とかいってるけど、メディアの責任を語る場面でよくも「すべて」とか無責任に使うよなぁ、と。そういうところでしょ。
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なぜ日本は太平洋戦争という無謀な戦いに突っ込んでしまったのかを考察したNHKの5本の特集番組を書籍化したもの。本書は第2集で、メディアについてと、当時の日本の指導者にフォーカスしている。
メディアについては、当時の、新聞とラジオという2大メディアが、揃って軍部の行動に異論を唱えなかった、というよりも、進んでそれに協力していたこと。それは、大衆の雰囲気の反映であったことが書かれている。
指導者については、陸軍、海軍、政治家、官僚が、自分たちの組織という狭い範囲の最適解を求め、日本全体の国益を本当には考えていなかったこと、等が示されている。
第1集で書かれていた、国際情勢の読みの甘さや、陸軍が持っていた組織的な欠陥等と相まって、日本は戦争へと突き進んで行った。
実は、「突き進んだ」というのは正確ではない。指導者たちは、戦争をするのかしないのかの意思決定の先送りを続け、時が経てば経つほど、はっきりと戦争をしないという意思決定をすることが難しい状況に陥っていった、という方が正確であろう。
300万人の日本人が太平洋戦争では亡くなられたということである。やり切れない読後感が残る。