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小林信彦氏は生家の消失や自身の経歴について、小説やエッセイで何度も取り上げている。私小説と云うより、昭和の時代史であり、街の変貌史の様相が強い作品群である。
本作は「東京少年」「日本橋バビロン」に並ぶ三部作としている。個人的には「和菓子屋の息子」「日本橋バビロン」が父親の死と生家の家業の廃業を取り上げたセット作品だと思っており、本作はそれに続く空襲で焼失したの日本橋の家から母方の祖父の家に転がり込む数年が中心になっている。
作品の中心となるのは、母方の祖父。感情を排して客観的に淡々とした記述が決して人づきあいが良くなく、煙たがれるが、著者の母やその婿、孫達や周囲に心を配っていた人物をくっきりさせる。
「私が朝、都電で下町から山の手に向かい、夕方、山の手から下町に戻っていたころ、両国という町は辛うじて形を保っていた。」辛うじてという記述に匕首を突き付けられたように感じる。
「そういう父を、私は感傷的な気持ちで眺めることが多くなった。」日本橋バビロンで記したからということか、父親への感情はこれぐらいしか触れられていない。
こうした感情を排した端正な文章が、かえって他人事でないように感じる。誰もが共感する小説ではないかもしれないが、僕にとって特別な作家なのである。
滝本なる人物が何度か登場する。フィクションも交えているのだろうが、著者は好感情を持っていないし、理解し難いと思っている。狂言回しではないが、この奇妙な人物も祖父や時代の記述の材料なのだろう。