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実にお恥ずかしい。
シャルリエヴド紙をもう既に忘れかけておる末端の日本人
なんですが。
忘れた頃にしか古書は入手出来ひんのです。
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宗教というものは、一部の特権階級がその他の人々をコントロールするために発明されたもの。神話や信仰は知る価値のあるものだけど、それらはについて考える時に権力者の道具であることは常に意識する必要がある。
「私はシャルリだ」運動は、社会的、歴史的な平等から出たものではなかった。あれは「表現の自由」の皮をかぶったイスラムフォビア、イスラム排斥運動だった。
当時、イスラム教徒に対して踏み絵のようなことがフランスで行われていたとは知らなかった。
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ウクライナ問題に関する著者の見解がユニークなものだったので、こちらも読んでみた。
これは2015年1月におきた『シャルリー・エブド』事件にともない起きたデモなどフランスの反応についての分析。
原著の出版は、その数ヶ月後であることから、エッセイとか、インタビューを集めたものかと思って、読み始めたら、一冊を通してなんか堂々した論考となっている。
まさに社会学的、人類学的な論考で、フランスの地域ごとの価値観の分布とデモへの参加率から、どういう人がデモに参加したのかという推計から始まるところが圧倒的。
脱宗教の度合い、平等主義、権威主義の度合い、社会階層、年齢による差など、定量分析を踏まえながら、大胆な仮説を提案。
著者は、『シャルリー・エブド』事件への抗議デモに参加した人は、「言論の自由」という名のもとに、本当は(集団的な無意識レベルでは)、反イスラム的な動機で参加している。この動きは、反ユダヤ、人種主義、全体主義に向かう危険性をもっていると主張。
そして、それはフランスに限ったことではないというか、ヨーロッパ全体で起きていることの一つの断面でしかないとする。
この本がフランスででると、非難があつまったようだが、11月には、ISによる同時多発テロがパリでおき、そしてそれへのフランス人の反応をみるかぎり、著者の主張が残念ながら、裏付けられたとする。
ヨーロッパにおけるポピュリズム的な動きがなかなか理解できずにいたのだが、そこにアプローチするための一つの大きな視点が得られたように思う。
著者は、フランスより、日本のほうが、自分の言っていることを理解してくれる、とお世辞かどうかわからないが言っている。そこはどうかわからないのだが、私は、著者の意見をそのままに受け止めるわけではないが、一つ一つ、なるほどな議論だと思った。
それは別に日本的な価値観が著者と近いというより、問題との距離感が違うだけではないかとも思うが、もともとの文化の宗教との関係がヨーロッパとは違うという視点はなるほどと思った。