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2017/12/19読了
2015/1に発生したシャルリ社襲撃事件に端を発した「私はシャルリ」デモに対する筆者の違和感を通じて、現在のフランス、ヨーロッパ、EUに潜む差別意識を分析した本。
・文章が読み辛い
他の方も書いているが、文章が理解し辛い。フランス語だからなのか、訳がイマイチなのか、二重否定の多用や、回りくどい文が多く、意図を読み取るのに苦労する
・フランスの歴史/政治的背景の知識が必要
フランス内の地域毎に歴史/政治的背景を絡めて分析を行なっているので日本人には辛い。例としては極端だが、フランス人に戊辰戦争における薩長土肥と会津の確執について理解した上で現代日本の政治的な分析を理解しろ、というレベル。加えてフランス内のカソリックとプロテスタントの関係性や宗教心も絡むので大変。
・ドイツ=EUは悪であるの前提
筆者の前著のドイツ帝国が-は未読だが筆者がドイツ=EUが嫌いなのはよく分かる。今やメルケルはドイツ国内の政治で苦労する有様なのに(この辺出版時期と読んだ時期のズレがある)。
・多元的分析
フランス内の地域/教育レベル/宗教/風土など多元的分析を行なっているので、シャルリ運動の本質がよく分かる。上記のハードルがきついが。
最近、特に東欧で右翼(ナショナリズムを煽る勢力という意味での)が伸長しているが、EU=汎ヨーロッパに憧れつつも平等主義が抱える差別意識が噴き出していると考えると分析の一部は当たっていると思う。なにより、ファナティックな流れに逆らって上梓した辺り、フランス人の面目躍如と言えるだろう。
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20180111〜0131 2015年1月の「シャルリ・エブド」襲撃事件を受けてフランス各地で行われた「私はシャルリ」デモ。「表現の自由」を掲げたこのデモは、実は自己欺瞞的で無自覚に排外主義であった-- と、著者は断じる。私も、これら一連の事件とデモは、とても違和感を覚えた。この事件の背景にある事象ーー宗教の衰退と格差拡大による西欧の没落について分析している。
以下、私の感想;
訳文がやや硬いせいもあるが、読むのに少し難儀した。この回りくどさはさすがフランス人の文章というべきか。
崩壊しつつあるカトリシズムを「ゾンビ・カトリシズム」と述べているが、ゾンビという単語が先走ってしまい、色物のように感じてしまった。
著者はEU統合に懐疑的で、ドイツが大嫌いだということはすごく感じた。
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フランス国内向けなので、地名とかピンとこない所も多いけど、フランスで起きているライシテを隠れ蓑にしたイスラム排除は、日本の嫌韓嫌中とよく似ている。その理由も、急激な世界との融合により自分たちの失われつつある昔の文化や価値観への郷愁で、高齢化がその一因でもあること、などよく似ている。世界中どこも同じ問題を抱えてるなとつくづく思う。
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実にお恥ずかしい。
シャルリエヴド紙をもう既に忘れかけておる末端の日本人
なんですが。
忘れた頃にしか古書は入手出来ひんのです。
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宗教というものは、一部の特権階級がその他の人々をコントロールするために発明されたもの。神話や信仰は知る価値のあるものだけど、それらはについて考える時に権力者の道具であることは常に意識する必要がある。
「私はシャルリだ」運動は、社会的、歴史的な平等から出たものではなかった。あれは「表現の自由」の皮をかぶったイスラムフォビア、イスラム排斥運動だった。
当時、イスラム教徒に対して踏み絵のようなことがフランスで行われていたとは知らなかった。
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ウクライナ問題に関する著者の見解がユニークなものだったので、こちらも読んでみた。
これは2015年1月におきた『シャルリー・エブド』事件にともない起きたデモなどフランスの反応についての分析。
原著の出版は、その数ヶ月後であることから、エッセイとか、インタビューを集めたものかと思って、読み始めたら、一冊を通してなんか堂々した論考となっている。
まさに社会学的、人類学的な論考で、フランスの地域ごとの価値観の分布とデモへの参加率から、どういう人がデモに参加したのかという推計から始まるところが圧倒的。
脱宗教の度合い、平等主義、権威主義の度合い、社会階層、年齢による差など、定量分析を踏まえながら、大胆な仮説を提案。
著者は、『シャルリー・エブド』事件への抗議デモに参加した人は、「言論の自由」という名のもとに、本当は(集団的な無意識レベルでは)、反イスラム的な動機で参加している。この動きは、反ユダヤ、人種主義、全体主義に向かう危険性をもっていると主張。
そして、それはフランスに限ったことではないというか、ヨーロッパ全体で起きていることの一つの断面でしかないとする。
この本がフランスででると、非難があつまったようだが、11月には、ISによる同時多発テロがパリでおき、そしてそれへのフランス人の反応をみるかぎり、著者の主張が残念ながら、裏付けられたとする。
ヨーロッパにおけるポピュリズム的な動きがなかなか理解できずにいたのだが、そこにアプローチするための一つの大きな視点が得られたように思う。
著者は、フランスより、日本のほうが、自分の言っていることを理解してくれる、とお世辞かどうかわからないが言っている。そこはどうかわからないのだが、私は、著者の意見をそのままに受け止めるわけではないが、一つ一つ、なるほどな議論だと思った。
それは別に日本的な価値観が著者と近いというより、問題との距離感が違うだけではないかとも思うが、もともとの文化の宗教との関係がヨーロッパとは違うという視点はなるほどと思った。