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読書と執筆に確信と革命をもたらす、すばらしい本。執筆していて、ずっと芽生えてはいるが掴めないいろいろな感覚がくっきり完成品として示されていて、腑に落ちた。学問とは贈与。世の中に溢れていることは過去の人々と今のわたしと、未来の人たちとの連作、連鎖。
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今回は、文章・文体作成のほん。神戸女学院で実施されていた「アクティブ・ライティング」という授業の講義録。内田さんの本は何冊も読んでいるが、大学の授業なのに、いつもの調子の内田節が随所に表れていてとても面白い。これだけ脱線してもちゃんともともとの授業が成立しているあたり、学びたいものである。「マジョリティが正しい方向にいくという期待は幻想。もしそうだったら、世の中こんなにおかしくなっていない」「なぜ、村上春樹は世界中で読まれ、司馬遼太郎は日本人しか読まないのか。世界性を獲得しているか否かを判断すること」「エクリチュール・階層・自由・文化」「経済価値至上主義の国は、人口減少で滅びる」「メンタルストレスを自分の意思でオフにすることができるか」「檻に入っているせいで、檻に入っていないときにはできないことができる」
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内田老師の、大学教授としての最後の講義録。
最終第14講「『響く言葉』『届く言葉』『身体に触れる言葉』とはどういうものかということをめぐって語ってきた/僕たちがたどりついた暫定的な結論は、言葉にするとすごく簡単なのですが、それは『魂から出る言葉』『生身から生まれる言葉』だということです。」
ご本人のおっしゃる通り、言葉にすると当たり前で、なんならチープですらある。けれど、この本を読み終えたいま、その恐ろしく深い意味に打ちのめされる。
魂から出る言葉が大事だから、お勉強なんか意味がない、ということでは決してない(死ぬほど違う)。
現代日本語の運用能力の話だから、外国語や古典の知見は必要ない、ということでもない(ありがちな間違い)。
言葉は心を表すツールなのであって、言葉は拙くても心が綺麗なら良い、ということでもない(その心は自分の心の拙さに気づけない)。
私たちが、ほんとうに新しいこと、自分だけのメッセージを誰かに伝えたいのなら、まずは母語の「定型を十全に内面化」する必要がある。
なぜなら、誰も言ったことのないこと、つまり今の時点では「何を言っているか分からないこと」を言うためには、「何を言っているかわかる」枠組みを用いるしかないからである。
シビれる。
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外国語の学習というのは、本来、自分の種族には理解できない概念や、存在しない感情、知らない世界の見方を、他の言語集団から学ぶことなんです。
(中略)
自分が生まれてからずっとそこに閉じ込められていた「種族の思想」の檻の壁に亀裂が入って、そこから味わったことのない感触の「風」が吹き込んでくる。そういう生成的な経験なんです。外国語の習得というのは、その「一陣の涼風」を経験するためのものだと僕は思います。
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【著書内容・読みどころ】
本著のテーマ
『文章を書くということは、時に進む方向を見誤るマジョリティの船に同調せずに、マイノリティな視点で直感のセンサーを研ぎ澄ます訓練そのものである』
この書籍で知り得ることを端的に言うと、
真の文章力=読み手にとってわかりやすく、すらすら読める読了感の高い文章力(=クリエイティブ・ライティング:文学性が極めて高い説明力が秀でた作家の作品の考察を交えてとても軽快に、深く語られている文筆者のバイブル)
といったところでしょうか。
印象的フレーズ:
個人的に、第3章のp.56の電子書籍では出逢えない、本そのものが放つオーラとの出逢いやときめきについての回はとても共感できました。
だからわたしは本屋が大好きなのです…。
ふと、手と手が触れ合う偶発的な巡り合わせがたくさん落ちているから。
きっといずれも、目的が先行した買い物であれば、Amazonで充分でしょうね。
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クリエイティブライティング=言語現象の本質であり、高い文学性を併せ持つ説明力
を、身につける上で大切な能力は、以下に挙げられていました。
1.読み手への深い敬意と愛情
(どうしてもこの気持ちを、この人に受け取ってほしい。誤解なく素直に届けたい!伝えたい!そんな愛の告白を懇願する気持ちに近い?)
なんだか、言葉が通じないわんこのサインを汲み取ろうと、身振り手振りで情理を尽くしてあらゆる手立てを工夫するような感覚と重なりました。
志望動機を書くとき、査定者が求めていること(喜ばれそうなこと)を無難にそつなく書けるスキルよりも、「ちょっと求められること想像力の限界ではありますが、どうかわたしのこの熱意、気持ち受け取ってください!」
そんなふうに、書店に並ぶきらりと光るオーラを放つ名作との出逢いのように、読者の知的能力に迎合することなく、ただ、「こんな文章でも、もしよかったら読んでみてくれない?そして理解してほしい」と願う想いの深さに、読み手への敬意は比例するのでしょう。きっとね。
そんな文章を書けているかめっぽう自信はいつもないけれど、読者が主役であり、書き手は黒子である。わしがわしが、という自我を捨てる謙虚さを常に忘れたくない!と改めて。
2.写生する能力
受け取ってくれる、読んでくれる他者が居て、初めて言語という存在に、生命が宿るのだろう。
他者がいるから、言葉を伝えるという必然が生まれて、グーテンベルクの印刷技術が発明されたように、読み手の笑顔があって初めて、言葉に生き生きとしたオーラが生まれるもの。
オーケストラを奏でるように、鮮やかな交響曲を響かせ得る文章力、磨いていきたくなりました!
正直、読み終わって、走り終えたように体力の消耗と痺れた感覚が残るくらい深い気づきがたくさんあった…。
と、同時に、自分自身も読者を軽んじて自己陶酔したような、自分に向かった文章で独りよがりになってしまってないか焦りと悔しさもかなり。
折に触れて、自分の中にいる他者=読者の存在を曖昧にしないで、語りかける文章を書けているか時々読み返したくなりました。
読むのに脳疲労が激しい一冊ではありますが、新たな裾野が開ける読み応えのある本でした。
皆さんはどんな感想を持たれたでしょうか。
他のシリーズも読んでみたいと思います。
最後まで読んでくださりありがとうございました^^
【感想】
神戸女学院大学文学部名誉教授著書の、文体=言語が意味することについて、言語の歴史や成り立ちも織り交ぜて論じられた、文筆を生業にするすべてのひとに一度は読んでほしいと思えた一冊。
これからの時代の、知的活動、文章のリテラシーとは?
ークリシェ=自ら生み出された生成言語ではない、定型言語
言葉には体温があり、熱く胸打つ鼓動のように、魂が宿る。
ひとはこれを言霊と呼びますが、生身のひとの物語が浮かび上がるような、生々しい、生まれたての言語の反対で、出来合いの言葉はこの著書では、クリシェと呼ばれている。
少々難しい専門用語も出てくるので、初心者には難解かもしれません。普段から活字に慣れ親しむ編集長や出版社幹部の皆さんには刺さるでしょうか。
今話題のチャットGPTは、クリシェなのでしょう。
そこに数あるオリジナルの実体験から切り取られる切り口を加えて綴られた文章が、読みたい!を引き出すのかもしれない。
チャットGPTをうまく活用しながら、人間にしか持てない切り口で、これからも文章と向き合いたいと思います。
薦めて下さった書店員の方に改めて感謝です。
(商品情報:https://www.amazon.co.jp/dp/4167905809?th=1&psc=1&linkCode=ll1&tag=honnoakari-22&linkId=b268417ed70ba172ace0fbe661000e59&language=ja_JP&ref_=as_li_ss_tl)