投稿元:
レビューを見る
僕にとっては抜群に面白い本でした。
それは本書の言葉を借りて言えば、内田氏の「想定する読者」の中に僕自身が含まれているからでしょう。逆に言えば、「想定された読者」に含まれない人にはそれこそさっぱり面白くない可能性があります。
たとえばテクスト(テキスト、ではなく)とかロランバルトとか村上春樹とか聞いても全く興味の湧かない方はあまり「お呼びでない」かもしれません。
でも何かこの本に「呼ばれている」気がした方にとってはとっても面白い本になる可能性が高いと思います。なぜなら内田氏はたぶん「そういう人」を一番強く意識されていると思うから(そもそも本書は神戸女学院大学での講義を文書化したものです)。
願わくはこの本から人文科学や言語の世界に興味を持つ人が増えて、人文科学も必要なんだと言う意見に同意署名してくれる人が増えたらいいなあと思います。他人事のように言ってはいけないのですが。
投稿元:
レビューを見る
内田先生が神戸女学院で最後に行った講義「クリエイティブ ライティング」の実況中継。内田先生自身があとがきでも書いているが、何かが憑依しているようで、どうも話は予定通りには進んでいない。その方が本人は読み直したときにおもしろいのだそうだが。著者自身は最終章、うまく着地できたとおっしゃるが、私にはどうもしっくりいかないまま終わってしまった。アナグラムとかエクリチュール(エリクチュール?どっちだかすぐわからなくなる。これはアナグラム?ではないですよね。)とか、村上春樹や谷崎潤一郎が世界に翻訳されて、司馬遼太郎や吉本隆明が翻訳されない理由など、読んでいるときはワクワクしていたのだけれど、やっぱりうまく説明できない。何よりも感じ入ったのは、あとがきで書かれていたこと。講義で学生を退屈させない(眠らせない)ためには、「今、目の前で言葉が生成している」と学生たちに実感させること。「仕込んだネタ」のなかに、その場で思いついた「新ネタ」を盛り込んでおくこと。これは私自身、肝に銘じておきたい。
投稿元:
レビューを見る
【ウチダ先生最後の講義完全収録!】内田樹さんが最後の講義で「どうしても伝えたかったこと」がつまった一冊は、「言語と文学」について熱く語りつくした集大成。
投稿元:
レビューを見る
文体と言語について
内田さんの 大学教授最後の講義録。
伝えたいことは
「情理を尽くして語る」ことの大切さ。
読み手に対する敬意を持って、
「これだけは聞いてくれっ」と必死に懇請する言葉が、
「他者に届く言葉」なんだ!
と、情理を尽くして 講義されている。
内田センセイのそんな熱いソウルに触れて、
丸ごと一冊 響きました✨
投稿元:
レビューを見る
これを大学生にむけてどのように講演したのか見てみたい。文章でこれだけ伝わるのだから、現場はもっと熱ぽかったのだろう。
投稿元:
レビューを見る
街場の文体論
内田樹の本を読むようになって2年ほど経ったが、かれこれ12冊目の内田作品である。やはり面白い。
村上春樹の作品にルーツがある話、本が読む話。などなどおなじみの話に加えて今回はアナグラムについての話があった。アナグラムというものは文字の置き換えであり、Elvis/livesというようなものがある。古くはラテン語の詩にあるアナグラムについての話は、人は何かを書くとき自分でも無意識な他の主体が書いているという結論に落ち着く。これから書こうとしている文字が、今書こうとしている文字を呼び出すというある種の矛盾した運動が人間にはあるというのである。
そこから、エクリチュールの話と階級について、身体の同期について、メタ・メッセージについて、またしても既読の内容であった。
しかし、そのときおかれた自分の状況に即して考えていくと、同じ内容の文章も違う視点で読むことができる。内田樹の文章の面白さには何度読んでも驚嘆する。いずれまた読みたくなるだろう。
投稿元:
レビューを見る
本人も言っているが、同じことを何回も繰り返して言っているので、よっぽど内田樹が好きじゃ無いと面白く無いかなと思う。
投稿元:
レビューを見る
内田樹の最終講義の書き起こし。「届く言葉」「伝わる言葉」とはどのようなものかについて語っている。話したり書いたりする内容よりも、魂や身体感覚に宿った言葉であることが重要とのこと。また、学究の徒であるならば、自身の査定のための言論ではなく、後進のための道しるべとなるような言論をすべき、とも。
投稿元:
レビューを見る
著者が大学での「クリエイティブ・ライティング」という講義を起こした本です。伝わる言葉とそうでない言葉の違い、言語が人間の思考を縛る話、著者も気づかない無意識が文章に出る話などをまとめています。
投稿元:
レビューを見る
私たちが何気なく使っている言葉というのはここまで奥が深いのかと驚嘆した。文章を読んでいるだけで筆者の熱量や伝えたいという気持ちが伝わってくる。
言葉は自分を飾り立てるためにあるのでなく、相手に伝えるためにあるのである。
投稿元:
レビューを見る
言語というものから歴史、思想、社会、人類あらゆるものに手が伸びていく。読書をする、言葉を聞く、語学を勉強する。今思えば、いずれも自分自身を豊かにしてくれたものだった。社会人となり本を読むことが減って「武器とするために」何かを学ぶことが多くなっていたが、そうではなく、自身を豊かにするために、そして人類にその豊かさを贈与できるようになるために、学びたいと思えた。
投稿元:
レビューを見る
やはり彼の語り口は「なんでそんな偉そうなん!?」と思わざるを得ないものの、結構面白い。
読みやすいから3日くらいでスラスラ読み終わる。スッと読めすぎてしまって、逆にお腹にたまってないのではないかと不安になる。結構考えさせられた、気付かされたこともあっただろうに(ほらもうぼんやりしつつある)、もったいない。
そういうときに、講義形式っていいんだろうなとおもった。私が3日で読めてしまった内容を、内田樹は15週かけて話した。そうしたら、一週ごとに少しずつ彼の話が蓄積されていく。今週聞き終わって、1週間ぼんやりと頭のどこかにその話がとどまっていて、また講義の日がやってくる。そういう風にしていると、いつも頭に彼の話がたまっていることになる。
3日で読める内容を15週にもぐ〜んと引き伸ばしてやる意義ってここにあるんだなと、大学の授業ってそういう意味もあるんだなと、大学5年目にして気付かされました。
投稿元:
レビューを見る
2010年から11年にかけておこなわれた、著者の神戸女学院大学での最後の講義「クリエイティブ・ライティング」における14回の授業内容をまとめた本です。
「文体論」というタイトルをもつ本であり、ソシュールやバルトらの言語哲学にかんする言及はあるものの、文章の書き方指南の本ではなく、あくまで著者の考える他者論やエクリチュール論についての講義となっています。文章を書くことにおいてもっとも重要なのは、他者へことばを「届かせたい」という思いだという著者のメッセージが、さまざまにかたちを変えて変奏されており、著者の思索の柔軟性と一貫性がみごとに統合されている内容だと感じました。
投稿元:
レビューを見る
ああ、これこれ、待ってました。とか何とか云って、ミシマ社から出てもう十年近くなるんですが、書棚に転がってました。こたつから出るのが億劫な日々、ひょいと手に取るとやめられない、止まらない。いつから棚に転がっていたのか、ホント、買った本はさっさと読めよな!ああ、読んだのはミシマ社版の単行本です。
えっ?内容はって?ハイ、内容は「内田樹」です。まちがいありません。
投稿元:
レビューを見る
一周目
どうやって伝わる文を書くか、やはりそれは愛を持つことが大前提なのだなと、そんな当たり前のことを再認識させられました。
二周目
文章にまつわる、内田さんの自論がさまざまに繰り広げられる一冊。それは物を書くというところから飛躍して、生きる・死ぬまで。まだまだすべて理解できているわけではないので、もう一周します。