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投稿者:まーとん - この投稿者のレビュー一覧を見る
他の岸見一郎さんの著書を読めば、この本に書かれているアドラー心理学の知識は学べるでしょう。この本の特徴としては、親は子どもの勉強についてどう関わるべきかを、アドラー心理学の視点で多く書かれていることだと思います。
心理学の視点で子どもを観る
2017/11/13 10:15
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投稿者:ミッキー - この投稿者のレビュー一覧を見る
子どもか感じる世界と大人が感じる世界は違うということがわかり、子どもにどういった言葉かけが有効で、逆にどういったことを言ってはいけないのかが分かります。
大人には意図があっても、言葉はストレートに伝わり、
言葉が子どもの成長にそのまま繋がるのだと思いました。
とても参考にんこうになりました。
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
ともに成長することで子供の可能性を信じてあげたい。今の時代に多くの人がアドラー心理学を求めていることも伝わってくる。
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投稿者:ピコ - この投稿者のレビュー一覧を見る
こんなふうに子供を育てたらどんなふうに育つんだろう?殺伐とした今の日本、これで歯止めがきく人間が育つだろうか。肯定、否定、両方しながら読んでほしい。
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【無意識に子どもを「下」に見ていないか?】
「嫌われる勇気」の岸見氏の子育てに関するアドラー心理学の視点からのアドバイス集です。
本書全体を通して流れるテーマは、「子どもを大人の下に見ず、対等な関係として向き合おう」というものです。子どもを褒めたり叱ったりして評価するのではなく、子ども自身の意思や能力を認め、親の都合や感情で介入するのをやめて、子どもの存在を信頼し尊重することが、子の自立・自己肯定を育てるための良いアプローチである、と述べられています。
読んでいて、7つの習慣の著者のインサイド・アウトのアプローチの例えを思い出しました。著者の息子の泣き虫で意気地なしの原因が、著者自身の過干渉(親自身が息子は弱いという意識に捕らわれて過保護になっていた)だと気づき、意識的に親が介入しないようにして見守ることで、子どもの自信がメキメキ回復した、という話です。
また、「勉強しなさい」と叱るより、「学ぶことは面白い!楽しいんだ!」と思えるきっかけをつくることが大切、という点は、小さい子を持つ親としては本当にそうありたいな、と思わされます。前述の褒めない・叱らないことや「課題の分離」を親子感にも適用することなど、理想的にはそうできれば素晴らしいと思う反面、実践には相当に「親の側の鍛錬・根気」が求められるな、と感じました。
なお他のレビュワーの方も書かれていますが、「嫌われる勇気」を読まれた方なら、同書を子育てに適用すると?と自身に問いかけさえすれば、この本の内容とほぼ一致すると思います。アドラーが全く初めての方には、大変新鮮な示唆でしょう。
あと、この本は親の在り方、子どもとの人格的な接し方について考えさせる概念的な本ですので、具体的なノウハウを知りたい方には少し物足りないかもしれません。たとえ褒めなくても支援するためのコミュニケーションは必要なので、その辺りについてもう少し具体的な言及があればより良かったな、という印象でした。自分で考える、ということを促されているのかも知れませんが。
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とても理に適った内容です。叱ってはいけない、ほめてもいけない「勉強しないわが子」親はどうすべき?の答えが書かれています。そう、勉強は子どもの課題なんです。そんな課題の切り分けが必要で、人の課題に土足で踏み込んではならない訳ですね。
そして子どもと言えども、人間に上下関係と言う序列を設けてはいけない旨も書かれています。そんな巷で何気に良いと思われている事に、アドラー心理学に起因しているものが意外に多いのかもしれません。
叱って育てる派、褒めて育てる派、アメとムチを使い分ける派、全てアドラー心理学には反しています。深く知りたい方、納得の行かない方は必読かもしれません。
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- 勉強する事は、将来、他の人に貢献するためのもの。
- 結果ではなく、過程に注目する言葉をかけること。
子育ては会社における部下育成に通じる。様々なテクニックがあり、実践的に使えそう。
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『自力で自分の課題を解決できる!と信じ、
失敗を怖れず、次々と挑戦できる』子ども
こんな子に育ってくれたらどんなに親として嬉しいのでしょう。
でも、どうやってそうしたらいいのかわかりません。
日々の生活に疲れ、勉強したの?これやったの?と指示や叱ることばかり…。
あー、子育てってこんなに大変なんだ。
…と勝手に思ってました。
でも、自分のやっていることは、
そういう子どもに伸ばすどころか、逆の方向に進ませているようです。
叱ることも褒めることもしない。
子どもの課題に土足で踏み込まない関係をつくること
子どもが自分のために成長していくと願うこと
親が子どもの貢献に注目して、親の気持ちを伝えること
子どもが勉強するという言葉を信じて待つこと
できなければまた次頑張ればいいのです。
やがて、自分たちと同じように子どもは親から離れていく。
ありのままの子どもを認めて、上からではなく対等に接することこそ
親が必要なことだとこの本で心の底から実感できました。
ここに書かれていた親としての心の持ち方と
ここ数ヶ月考えていた子どもとの接し方を
使って、より良い関係を築いていけたらいいなと思います。
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前半は読んでいて、なぜ子供を叱ってはならないのか非常に説得力があり名著なのではと思っていたが、後半のゲームの話が出てきたあたりから腑に落ちない内容に、、、 子供は別に、ゲームをしなければもっといい成績が取れたという理由づくりのためにゲームなんてしないでしょう。楽しくて、やりたいからやってるのだと思うが、、、。
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全く賛同できないし、これがアドラーが言ってる事であれば相容れない存在だなと思った。
子供を性悪説で捉えすぎるのもよくないけど、筆者のように性善的に子供が存在してるのもどうかなと思う。
「電車の中で静かにしてくれてありがとう」はないでしょう。誰にとってありがとうなの?親でしょよ。すなわち、「私が恥かかなくてよかった、ありがとう」とか「他人に迷惑かけなくってよかった、ありがとう」コレって子供に課することではないでしょう?泣いたら仕方ないし、泣かなかったら褒めるでしょ。
怒らない、褒めない、無視しない、大人と同じに扱う。これで子供との関係が良くなるとは全く思えないし親の意味ないよ。
褒めて、勇気付けて、間違ったら叱るというのは必要なのでは?言い方とかタイミングは考えないといけないけどね。
アドラーって、ホントにこんなこと言ってるの?原書読まないと…
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「嫌われる勇気」からアドラー心理学に興味を持ったので、いろいろと学んだが、この本も基本的に同じ内容。子供との関係性について、野田先生が広められた「課題の分離」はあめりにも有名になってしまった。この本もアドラー心理学の基本的な考え方は書かれているが、実践するとなると、本を読むだけでは難しいです。だから、いろんな団体がセミナーをやってるんですね。
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叱らない、ほめない、という子育てが、子どもが自立するための三条件のひとつ「自分の価値を自分で決められる」ことにつながるという考えが目から鱗だった。
大人になって、周囲の評価を過度に気にしながら生きることほどつらく苦しいことはない。自分を他者と過度に比較したり、周囲にどのように見られているかを気にしすぎると自分らしく生きていけない。常に緊張して生きることになる。一番弱いのは出世をしたいという欲に縛られ、上司や周囲の評価を過度に気にする人間であり、一番強いのは出世を気にせず、言いたいことを言い、やりたいことをやり、自分のポリシーを貫く我が道を行く人である。例えば、上司のちょっとした発言に見下されたと感じ、反発する人がいる。上司に軽視されているから仕事のやる気がわかない、と言う人がいる。その上司はもちろん問題だが、だからといって態度を変えたり、上司の言動に左右される当人も自立していないと言える。それは自分に自信がないからだよ、と言ってしまえばそれまでだけれど、その根っこには幼少期に叱られ褒められて育った背景があるのかもしれない。会社で一定レベルまで登っている人ほど、あるいはエリート意識の高い人ほど、周囲の自分への評価を気にしているように感じる。なんと生きづらいことか。それで幸せなのだろうか、と思う。親は一生懸命しっかりと育てたつもりかもしれないし、表面的には、あるいは社会的には立派に生きている、でも内心は全く幸せではなく生きづらい。我が子をそんな風には育てたくない。
自分はどうか?勉強しなさい、と言われた記憶はあまりないけれど、自らすすんで勉強していた。それは自分なりの目標があったから。親から押し付けられたものでもなく、親と自分の目標は何となく一致していたし、あるいは親が敷いたレールに自分はただ反発もなく異論反論もあまり感じず同意の上、レールに乗っただけなのかもしれないが。学校の成績のことで叱られたり、過度にほめられたりした記憶はないので、私の親の教育はもしかすると叱らない褒めない子育てだったのかもしれない。でもだからといって自立するための3要件が20歳の時点で獲得できていたとはとても思えない。②自分の価値を決められる➂自己中心性からの脱却、は30歳~35歳頃に少しづつ獲得していったように思う。
自分は確実に出世コースから外れたな、と思ったとき、周囲の評価を気にしても仕方がない、と思えたし、28歳~33歳ころまで日記をつけ続けて、それを何度も読み返し内省する中で自己中心性から脱却できていない自分に気づいていったように思う。
自分が35歳を過ぎたころに何となく精神的に自立できたと思えることを、子育てを工夫することで、我が子が20歳のときまでに獲得させることはできるのだろうか?親の育児だけでそこまで持っていけるのだろうか?結局、本人の経験がものをいうのではないだろうか、という疑念はまだ残っている。
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この本にある通りに子どもに対する視線を持ち続けていたいと思う。
おそらく(個人的な偏見かもしれないが)世の母親たちには耳が痛い本だと思う。子育てに一生懸命な父親なら、きっと同じように耳が痛いと思う。
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オーディブルにて。
「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」を読んで理解していれば、基本的に読む必要はないかなと感じた。 子育てにフォーカスしてはいるものの、そこまで特化した内容ではない。
とはいえ、対話形式で進んだ勇気二部作とは異なり、丁寧な言葉で簡潔にまとめられていて、各章でまとめがあるからサクッとアドラーの要点を掴むにはよいと感じた。
実戦はやはり難しいよね。
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まさに今、どうしてうちの娘は勉強しないのだろう…と悩んでいて、手に取った一冊です。
私にとってはとても耳の痛くなる内容ばかり。
部活も学校生活も本当に一生懸命取り組んでいると先生から太鼓判の娘が、どうしてか勉強だけ全然取り組みません。成績も中途半端。いつも口うるさく、このままじゃ大変なことになるよ、などと叱ったり、塾に入れたり、親の私がバタバタもがいていました。しかし、この本を読んで、娘が勉強しない原因は私にあったのかな、と反省しています。
娘が勉強を自分の課題としてとらえられるように、私は勉強の口出しをやめます。そして、自分の価値観を押しつけて褒めたり叱ったりせず、取り組んでいる過程に目を向け、娘に頼られたときには助ける…くらいのどっしり構えた親になりたいと思いました。
今まで色々言い過ぎてしまってごめんよ!