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バブルを解明するとか、分析するのではなく、バブルの中での生きざまを描く。バブルに踊り、翻弄され、多くは失意にまみれることとなる。
ドラマのようだが、30年ほど前現実にあったことである。
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「市場は(長期的には)コントロールできない」。
経済記者として日本がバブルの熱狂にあった80年代後半の経済事件を取材した記者による実録ともいえる本です。
ユーフォリアの狂騒に踊った、または巻き込まれた人たちの群像が活写されています。政治家、官僚、金融機関、大企業、仕手筋、アングラ勢力。。それぞれの思惑がぶつかり合い、日本経済が迷走の度合いを強めていく時代の空気がありありと眼前に浮かんでくるようです。
バブル崩壊により日本の社会システムは相当のダメージを受け、失われた20年と呼ばれる長期停滞をもたらしました。一方、別の見方をすれば急速に経済規模が拡大し国際化した日本経済と日本国内の固有の仕組みとのギャップが、解消していく過程でもあった、とも言えるでしょうか。その程度がうまく抑制できなかった点は反省されてしかるべきでしょうが。
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読後改めて感じるのは、「失われた20年」と言われる日本の低迷を招いたのは、バブル崩壊そのものではなくその処理の先送りだった、ということ。1992年、ときの宮澤首相と三重野日銀総裁の公的資金投入案は各方面の猛反発に合う。世論も「銀行を税金で助けるのか」と叩いた。そして、あのとき投じるはずだった資金とは比べ物にならないほどの国富を我が国は失った(山一證券の破たんは1997年、株価が下がり始めてから7年後)。
2008年、リーマン危機における米国でも同じ世論が沸き起こった。それを乗り越えるための当局の壮絶な戦いは名著「リーマン・ショック・コンフィデンシャル」に詳しい。米国は日本の失敗から学んだ。一気呵成の税金投入により米国経済はいち早く立ち直っている。
危機に際して近視眼に陥らない、そして逐次投入にならない、早め早めの判断。それが1992年のバブル処理のときにはできなかったことだったのだろう。より一般的な教訓として私が意識したいのは、起きてもいないことの予防に理解を得るのは難しい、だからこそ「傷が浅いうちに警告を発する人に耳を傾けるべき」ということ。
ちなみについ先日、業界のさる大先輩との酒席で、本書の話をきっかけに当時の様子を聞いたのだが猛烈に面白かった。バブルもそろそろ本格的に歴史になってきた。生き証人の話がますます貴重になってくるだろう。
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証券記者が、昭和末期から平成に至るバブルを振り返る。
執筆に至ったのは、現政権の株高に対する畏れのなさ、マーケットに対する謙虚さに欠ける政権は危険だとする、記者としての長年の勘と嗅覚がこの本を書かせた。
「安倍政権の株高対策に、なりふり構わぬ右肩上がりの株高・土地高を煽った80年代のバブルの時代の金融機関の行動に似たものを感じる。」
つまり、バブルは今にも繋がる物語であるということを、知らしめんとする力作ではある。
証券記者故か、証券会社寄りでもあり、当時の大蔵省や銀行への批判、回避できたかもしれないバブルを看過した、当時の熱狂を辛辣に描く。バブル崩壊で露呈した日本のマーケットの問題がいまだ燻る現状、あるいは喉元過ぎればではないが、今また、あの頃に似た空気が充満しつつある感もあり、バブルという経済事象は、一時の物ではなく現代までつながっている問題なのだなということが本書からの学びだ。
とはいえ、著者も言う、
「バブルは同じ顔をしてやってこない」
本書の中でも、「バブルとは・・・」「バブル経済とは・・・」と、いくつかの表現が並ぶ。
「バブル経済とは好景気のことではない。特定の資産価値(株式や不動産)が実態からかけ離れて上昇することで、持続的な市場経済の運営が不可能になってしまう現象のことである。」
「バブルとは、グローバル化による世界システムの一体化のうねりに対して、それぞれの国や地域が固有の文化や制度、人間の価値を維持しようとしたときに生じる矛盾と乖離であり、それが生みだす物語である。」
「バブルとは、何よりも野心と血気に満ちた成り上がり者たちの一発逆転の成功物語であり、彼らの野心を支える金融機関の虚々実々の利益追求と変節の物語である。」
ひとつの“バブル”でさえ、いくつかの側面がある。行きつく先は、
「国民ぐるみのユーフォリア(熱狂)である。」
とは、その時代を過ごしてきた身として実感の籠った共感だ。
「渋沢資本主義」から説きほぐし、著者が記者人生を開始する前後のニクソンショック(1971年)、オイルショック(1973年)を経て、「戦後の復興と高度成長を支えた日本独自の経済システムが、耐用年数を過ぎて、機能しなくなった」バブルは、「日本経済の強さを支えてきた政・官・民の鉄のトライアングルが腐敗する過程」で熟成されていったと、俯瞰する。
前半の史観的解説には唸らされる。が、いざバブルが始まって、そこで跳梁跋扈した「野心と血気に満ちた成り上がり者たち」の物語は、当時は名称、名前を聞き覚えあると思っていた事例の紹介でそれなりに面白かったが、ここの事象の詳細な解説は、バブルの個々の局面であり、記者目線、あるいは証券マン目線では面白い話なのかもしれないが、然程、興味はそそられなかった。
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バブル。僕は丁度高校生から大学生になるくらいだったろうか。プラザ合意の本を読んでレポートを作成した事がある。プラザ合意での円高誘導に起因して金利が下げられ、バブルが生まれて行った。と言う認識はこの本を読んで初めて持った。証券界に身を置く中で先輩に当時の事件を聞くも、当時は違法ではなかった事も多く、それを責め立ててもな、とも思う。今から見るとそんな事してたんだ、ダメでしょ、と思うが、当時の事を今の判断基準で評価して何になる。難しい問題だ。色々知らない事も学べたし、広げて読みたい本も見つかった。良い本。
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・グローバリゼーションとは、国を越えて、ヒト・モノ・カネが動く。
・情報化の時代は、まずカネが動き、モノが続き、ヒトが最後。この時間差が摩擦を生みだし、結果としてバブルを発生させる。
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不動産デベロッパーに勤めています。
コロナが世界経済に影響を与え始めた昨今。
不動産価格はどうなるのか。かつてのバブル崩壊のように大暴落の道を再び辿るのか。改めて今バブルとその崩壊の歴史について学ぼうと思い、手に取りました。
著者の永野さんは日経新聞の証券部の元記者。バブルのリアルを追い続けてきた張本人です。
結論を言うと、バブルの本質は土地本位制の担保融資の過熱と、にぎりと言われる利回り保証を謳った信託投資の営業特金などに代表される銀行経営の歪みといえる。
そこにプラザ合意による円高、それに対しての日銀が過激な金融緩和に舵を切り、それを受けた銀行は不動産投資への融資にはまり込んでいった…。
そうして不動産にマネーが流れ込み、土地価格が暴騰。そして総量規制をきっかけに冷え込み『失われた20年」を迎えることになる。
ここに今のコロナ不況を照らし合わせると、共通点と相違点が見えてくる。
まず共通点としては、国が歴史的低金利ーなど、強力な金融緩和をしている点。不動産にマネーが流入している点があげられる。
一方でかつてのバブルのような銀行経営はなくなっていることがあるため、その点は違いと考える。
結論としては、コロナの影響により物理的な経済状況な悪化によって、不動産市況が一時的な冷え込みを迎える可能性は高いものの、実経済が回復すれば比較的早く落ち着くのではないだろうか。具体的には、一度かなり冷え込んだ後、数年かけて2012年くらいの水準に戻ると予測する。
ただし、実経済が悪化した時に企業が大量に倒産し、結果として連鎖的に銀行が破たんした場合は事態はさらに悪化する可能性が高い。
政府としては、この経済悪化に対しては金融政策より財政政策で対応することが大事になってくると考えた。
勉強になりました。
あと、お話したことがある人が出てきていて衝撃でした(笑)
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3年ぐらい前だったかなぁ、バブル時を振り返る本が相次いで出版されたんですよね。自分もバブル時は学生だったので、世間のことはよく知らなかったから勉強させてもらった本です。
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改めて読んでみる。
最初からだと面白くないかな、と思い第3章 狂乱から読む。
人名が多く、〇〇は〇〇した、〇〇は〇〇していない、というような記述が多いため面白みには欠けるが、ノンフィクションってこんなものかな。不思議と読み疲れしなかった。興味があるせいなのかな。
バブルの発端は何なのかを探ってみたいので、今度は第1章 胎動から読んでみたい。
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漠然としか理解していなかったバブルについて、詳しく学ぶことができた。
最後、作者の家族に触れた話があり、なるほどと思った。
欲望渦巻く、人の醜さも垣間見ることができた。
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実態は曖昧模糊としながらも、その独特の文化だけが後世に語り継がれる、あのバブルについて体系的に書かれた本作。
バブルがなぜ発生したのかについて、多角的に分析されているが、物語は1970年代に起こった三光汽船によるジャパンラインの買収事件から始まる。日本興業銀行が日本のVCとして企業の集約を進める中で、三光汽船はそれに反発してジャパンラインの株を自ら買い占めた。この問題の解決に、興銀は日本の黒幕児玉誉士夫を担ぎ上げる。政府の息のかかった銀行がアングラ社会と関わる第一歩はここから始まった。
バブルは、1970年代にこれまで世界経済を支えてきた米国が、日本やドイツの台頭により貿易赤字が拡大する中で、オイルショック、そしてニクソン・ショックへと繋がった為替の変動相場制への移行が影響している。
変動相場に移行したものの、アメリカの経済は回復せず、レーガン時代にレーガノミクスという金融自由主義が普及し、レーガンとの密接な関係にあった中曽根氏によって日本にも導入された。最終的にはプラザ合意として、強いアメリカを維持する国際協調として、円高が作り出された。また日銀の政策金利も一気に減少し、金融緩和へと突き進む。グローバリデーションの幕開けである。
日本では不動産価格は上がり続けるという不動産神話により、企業が保有する資産の含み益が増え続けた。証券会社はその含み益を加味して株価予想を吊り上げ、銀行は含み益を担保に融資を繰り返し、特金やファントラという利回りを確約した金融商品まで開発され、事業会社は本業そっちのけで財テクに走り、バブル経済に燃料を投下し続ける。
89年から日銀は金融引締に入り、政策金利を上げ、また90年には総量規制も導入した。その結果、まず株価が下落し始めたが、依然として人々は不動産神話にかられ、土地の値段は下がらないと信じていたが、結果的に土地価格も下落の一途を辿った。この影で、住友銀行は小谷問題・イトマン事件を起こし、興銀は尾上縫という料亭の女将に多額の資金を貸し付けていたことが分かり、住友銀行は合併へ、興銀は倒産へと進んでいく。
その後、大蔵省は営業特金(証券会社)は問題であり、ファンドトラスト(信託銀行)は問題ではないといったダブルスタンダードを示し、バブル後始末のために宮沢内閣時に金融機関への公的資金注入が検討されるが、世論の反発が強く、また金融機関サイドも反対し、資金注入は見送られた。その結果、日本経済は長く続くデフレへと突入し、失われた20年に突入してしまう。最終的に住専に対する公的資金注入が行われたが世論の反発は凄まじかった。
上記以外にも、下記は欠かすことができない。
野村モルガン信託構想
三菱重工CB事件
NTT株上場
リクルート事件
AIDS(麻布土地グループ、イ・アイ・イグループ、第一不動産グループ、秀和)
豊田自動織機買い占め肩代わり問題→小糸製作所買い占め問題
凄まじい熱量を持った時代であったことが想像できる。