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それでもバブルを求めるか
2018/10/05 07:20
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「バブル」と呼ばれた時代をいつからいつまでと明確にいうことは難しいかもしれない。あえていうなら、1980年代後半から1990年代の初めということになろうか。
日本経済新聞の証券部の記者としてまさに「バブル」の渦中にいた著者の永田健二氏のこの著作では「1980-1989」とある。
1980年はまだ「バブル」の「胎動」(これがこの本の最初の章のタイトル)期だろうが、1989年はまさに「バブル」の絶頂期だったことは間違いない。
何故なら、その年の12月の大納会で日経平均は3万8915円の史上最高値をつけたのだから。
実はこの年こそ平成の最初の年であったことは記憶にとどめたい。
平成の時代を振り返る時、まさに絶頂期から始まり、その後「失われた20年」という経済不況、さらには阪神大震災東日本大震災という未曽有の災害を経験したことになる。
「バブル」というのは経済的な側面だけでなく、「平成」の始まりという社会的側面にも言及してみるべき事実のような気がする。
著者の永田氏は「バブル」についてこう総括している。
「何よりも野心と血気に満ちた成り上がり者たちの一発逆転の成功物語であり、彼らの野心を支える金融機関の虚々実々の利益追求と変節の物語」だと。
そして、この本はそういう「成り上がり者たち」と「金融機関」の姿を追った読み応えのあるノンフィクションだ。
けれど、「バブル」は結局は一部の人たちの欲望であったとも思える。
多くの人たちは「バブル」のつけだけを払わされているような気がする。
紙の本
コンパクトにまとまっていてオススメ!
2017/12/30 09:16
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投稿者:rubiko - この投稿者のレビュー一覧を見る
バブル期の金融史を知りたくて、読みました。テーマ毎に色々な話がコンパクトにまとまっていて、理解しやすかったです。
尾上縫の話が特に印象に残っています。もっと詳しく知りたくなり、ネット検索して情報を拾いました。
最初のとっかかりとして、オススメできる本です!
紙の本
「バブルとは一体なんだったのか!」はじめて明かされるバブル正史です!
2017/12/10 10:12
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、日本を狂気に導いた「バブル」を見つめ直し、歴史的に検証した初のバブル正史と言える書です。バブルとは一体何だったのか?日本経済を壊したのは誰だったのか?という素朴な疑問に答えてくれるのが本書です。この試みは、これまでにない初めての試みということができるでしょう。バブルの最深部を取材しつづけた著者による画期的な書と言えます!
紙の本
秀逸な本
2017/08/27 21:40
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投稿者:ホンだ - この投稿者のレビュー一覧を見る
日経新聞の記者でとても有名な永野さんの本です。お父上が経済界の重鎮だけにあり、さすがの文章内容です。次の本も永野さん期待してますよ!また来ます。
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バブルとは何だったのか?
2017/02/01 15:41
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投稿者:燕石 - この投稿者のレビュー一覧を見る
一般的に、日本の「バブル景気」は、1986年12月から1991年2月までの51ヵ月間だったと言われている。著者は経済専門紙記者として、この只中に身を置いた経験を持つ。
それでは、「バブル」とは一体どういう「物語」だったのか?著者はこう定義付ける。「何よりも野心と血気に満ちた成り上がり者たちの一発逆転の成功物語であり、彼らの野心を支える金融機関の虚々実々の利益追求と変節の物語である。そして変えるべき制度を変えないで先送りしておきながら利益や出世に敏感な官僚やサラリーマンたちの、欲と出世がからんだ『いいとこ取り』の物語である。そして最後には、国民ぐるみのユーフォリア(熱狂)である」と。
そして、これらの物語を支えたのが、「全ては『土地は上がり続ける』という『土地神話』」と、強力な大蔵省の監督行政のもと作られた「銀行不倒神話」だった。
「昭和末」とも言うべき時期に就職した私自身は、この時期文字通りのペイペイ社員であり、しかも、入社と同時に地方の工場配属となったため、「いいとこ取り」をした記憶が全くない。それでも、地方都市に黒服が接客する店が出現したり、仕事が終わると、そういった店に会社の先輩に連れられ奢ってもらったり(「お小言付き」だったが)したのは、バブルゆえだったかとも思う。
では、誰が「バブル」を演出したのか?
戦後も生き続けた「渋沢資本主義」―「日本資本主義の父」と言われる渋沢敬一流の、資本主義の強欲さを日本的に抑制しつつ、海外からの激しい資本と文化の攻勢をさばく、日本独自のエリートシステム―の担い手たちである、大蔵省をはじめとする霞ヶ関官庁や、日本興行銀行を頂点とする銀行が、「土地と株のバブル」を先導したのである。
著者は、これら「バブル」の演出者たちを厳しく断罪する一方で、旧来型の権威に挑戦した「成り上がり者たち」―本格的なM&Aの先駆けであるミネビアの高橋高見、可能性としては孫正義より前に日本の通信事業の顔となり得たかも知れない 江副浩正、その他、EIEの高橋治則、秀和の小林茂、麻布建物グループの渡辺喜太郎、光進グループの小谷光浩等のバブル紳士たち―を、完全には否定していない。
バブル崩壊後「失われた20年」と呼ばれた長い空白期が訪れることになったが、「92年8月はバブル崩壊後の日本が復活する最後のチャンスだった」と、著者は書く。当時の宮沢首相と三重野日銀総裁は、「すべての問題は土地から生じているため、土地に立脚した信用秩序を維持するため」「土地の買い上げ機関をつくり、これに公的資金を投入」し、土地の価格を維持する構想を持っていた。この構想を潰した犯人も、自らの責任追及を恐れた大蔵省であり、都市銀行トップであった。
結局、バブルとは、自己保身のための呆れるほどの無責任さがもたらした「日本迷走」だった。しかし、同じことが今後決して起こらないなどと、誰が断言できるだろうか?
紙の本
素晴らしい批判だが
2016/12/23 16:23
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投稿者:コアラ - この投稿者のレビュー一覧を見る
バブルの発展について鋭く分析し批判した好著。ただし西野智彦氏の一連の作品に較べると見劣りする。製本も岩波のほうがよい。何よりもバブルを煽った日経新聞の記者であった反省がない。冒頭で安倍首相を上から目線で批判しているところも底の浅さを露呈している。本人も含めて誰もアベノミクスが成功するなどと思っていない。しかしここまでこじらせてしまった政治経済はハードランディングしかないのだ。
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外観を掴むにはよいです
2017/01/30 19:51
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投稿者:K - この投稿者のレビュー一覧を見る
深く突っ込んで貰いたいところも多いので外観を掴むにはよいです。
取り上げている内容の深度にバラツキがあり、内容が浅いと思う部分も多くあります。
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投稿者:KKキング - この投稿者のレビュー一覧を見る
みんな(ある意味)大好き、ほとんどトラウマになりつつある日本のバブル時代を総括する。80年代のアゲアゲの狂騒が、断捨離的2010年代に虚しく響く。
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“同じ阿呆なら、踊らな損々” バブル期の恩恵(洗礼?)を受けていない世代として、プラザ合意からこの時代が生み出された流れと、当時の空気感とを立体的に感じ取れた。「儲け話」の恩恵にあぶれた怨嗟が、バブル崩壊前後の狂乱をより加速させた。すでに鬼籍に入った当事者も多い中、墓場まで持って行く様な事実が、これからどの位出てくるだろうか。事実を明らかにする事全てが正義と言えずも、執筆した筆者の使命感と覚悟を感じる。
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バブルが崩壊した時、私は中学生。
社会人時代の大半が、失われた20年に収まっている。
崩壊当時、中学生だったこともあって全く気にすることはなかったし、そもそもその事実を認識していなかったと思う。
社会人になったところで、失われていない20年を知らないので、苦しみを相対化した上で実感として感じることもできない。
歴史の一部として、今後への糧として知っておきたいとして本書を手に取った。
振り返ってみれば、どうしてそこで踏みとどまることができなかったのかという分岐点がいくつも存在する。エリートと呼ばれる人たちも、その場で当事者としての判断を迫られ、踏みとどまることができなかった。
何か新しいことをするのに勢いはある程度大事にしたい。ただ、盲目的に突き進みユーフォリアに飲まれ、冷静な判断が全くできなくなってしまう事態は避けなければならない。
歴史を知ることで、自分のブレーキが錆つかないようにメンテナンスしておく必要がある。
(新しいプロジェクトにアサインされて、急に出張が増え、下の子の世話で悲鳴を上げている時に読んだ本。)
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金融・経済のグローバリゼーションの進展、そしてプラザ合意の中で日本の金融がどのようにバブルのユーフォリアに陥り、失われた20年に突入するのか、その変遷を検証した傑作。「ラストバンカー」、「住友銀行秘史」とあわせて読むと理解も深まる。
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1980年後半から1990年までに発生した日本のバブル。本書は、バブル期の前後を通じて多くの関係者に取材した著者が、主な登場人物と事件についてあらためて自らの見解を交えて振り返ったものである。日経の記者であった著者は、そのときのバブルを国民ぐるみのユーフォリア(熱狂)と呼ぶ。
自分にとっては、バブルは大学生の時にその絶頂を迎え、そして崩壊していったものである。そのときには、ここで書かれたような裏の事情はもちろん表の事情もほとんどわからなかったし、おおよそ興味もなかった。しかし、そのときにこそもっと知っておくべき事柄であったと思う。もちろん、今でも知るべきことであることは変わっていないのかもしれない。「バブルの時代を知ることなしに、現在の日本を理解することはできない」という著者の主張が読み終わった後にはっきりとそうだとわかるだろう。
振り返ると著者が挙げるようにそれぞれのプレイヤーに次のようなミスや瑕疵があった。
・上げるべきところで金利を上げなかった日銀の罪
・機関投資家に株を買うように誘導した大蔵省の罪
・不動産融資にのめり込んだ銀行の罪
・特金・ファンドラをリスクなき財テクのように扱った事業会社の罪
・会社の価値を収益ではなく含み資産で計算した証券会社の罪
そうした中にあって著者は「誰が何にチャレンジしていたのか、そして何に敗れ、何を否定されたのか。バブルの時代という大きなうねりのなかで、敗れて行った人たちや、否定された人たちの行動の中にこそ、変革への正しい道筋が埋もれているのではないか」という。そうした問題意識の中で著者が堀り起こすこととなった人と出来事は多岐にわたる。
三光汽船によるジャパンライン株の買占め、プラザ合意、ブラックマンデー、レーガノミクス、サッチャリズム、NTT株公開、リクルート事件、山一証券破綻、そごう問題、興銀・長銀破綻、阪和興業、秀和事件、特金・ファンドラ、株式損失補填、イトマン事件、イ・アイ・イ事件、公的資金投入など。
バブルを彩った政治家、経営者も数多い。児玉誉士夫(右翼)、高橋高見(ミネベア)、磯田一郎(住友銀行頭取)、成田芳穂(山一証券)、竹下登(大蔵大臣、総理大臣)、渡辺喜太郎(麻布土地グループ)、高橋治則(イ・アイ・イ)、佐藤行雄(第一不動産グループ)、江副浩正(リクルート)、是川銀蔵(伝説の相場師)、加藤暠(誠備グループ)、小谷光浩(光進)、小林茂(秀和)、尾上縫(投資家)、橋本龍太郎(大蔵大臣、総理大臣)、三重野康(日銀総裁)、宮沢喜一(大蔵大臣、総理大臣) 、そして著者の父でもある永野健(日経連会長)。
色々な要因があったが、日本のバブルを特異なものにしたのは土地神話であった。実家の大阪辺りでもマンションを買って大儲けをしている人が身近いるという話を聞いていた。「バブル崩壊後の「失われた20年」と呼ばれる日本経済の長期低迷と、銀行の経営危機の大きな原因が、1986年から89年にかけての土地をめぐる取引にあったことは間違いない。...銀行の節度を越えた土地融資への傾斜だった。最終局面の日本のバブルを、他の外国のバブルと分かつ重要なポイントである」ー 1989年末に史上最高値を付けた株価は90年に入���と急落したが、土地価格はその1年半後まで維持され、その後急落することとなった。
東京23区の地価がアメリカ全体の時価総額を上回る。1株50万円弱と評価したNTT株が119万7000円で売り出され、上場後には318万円を付ける。大手都市銀行の一行あたりの時価総額が、世界最強と言われた米国のシティバンクの時価総額の5倍となる。小金井カントリー倶楽部の一口あたりの会員権が3億円を超える。これでバブルの兆候が見えなかったのは今から思えば不思議だが、バブルとはそういうものなのだ。「バブルは同じ顔をしてやってこない。しかし、われわれは生きている時代に真摯に向き合わなければならない。だからこそ、日本のバブルの歴史を今一度学び直す必要があると思う」
著者は安倍政権に「謙虚さ」が足りないと指摘する。どこかバブルのときと似ているという。そして、最後に問う「安倍総理に、黒田日銀総裁に、かつて公的資金を投入しようとした宮沢喜一と三重野康のような洞察と責任感は果たしてあるのだろうか。自省の心が欠けていると思うのは私だけだろうか」
このことが著者がこの本を世に問うこととなった最大の理由なのかもしれない。
多くの登場人物がここ数年のうちに鬼籍に入った。その今だからこそ書けるものもあるのかもしれない。具体的に没年を明示されているのは次のような方々だ。
2013年 大蔵省 窪田弘
2013年 リクルート 江副浩
2013年 トヨタ 豊田英二
2014年 秀和 小林茂
2015年 裁判官 滝井繁男
そして、この本をちょうど読み終わった2016年12月加藤暠が亡くなったというニュースが入ってきた。
歴史となりつつあり自らも同じ時間を生きていた時代を描いていて、とにかく非常に面白い。お勧め。
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「バブル」の総決算本でそぅか。
バブル期に、
リアルタイムで活動していた日経の記者さんだけに、
1つ1つの事象、特に、その登場人物については、
細部、深部にまで、突っ込んではおりますが…、
全体的には、総論、総評的な印象だったでそぅか…。
「失われた20年」も、今や昔となりつつある中で、
総論なので、個々の事象を分析してる内容ではなく、
作風的に、当時の熱狂の様子が伝わってこない上に、
バブルの中心で行われてたことも、政治的なので、
何となく、現代日本史の教科書を読んでるような…。
特に…、バブルの原因となったコアは、
例えば、サブプライムローンのような、
ファイナンス理論に基づくスキームではないので、
ある一面、リーマンショックのような、
シンプルさ、スマートさは感じられなかったです。
トドのつまり、日本の「バブル」は、
高度なファイナンスの暴走ではなく、
旧態の日本社会の縮図の成れの果て、
のような理解の方が、本質を突いてそぅ…?
ビジネススクールでも、取り上げないし…。
良著だと思いますが、
これ1冊で、事足りるというものではないですかね。
サルにもわかる副読本?があれば、ベターでそぅか。
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1980年から1989年にかけて、株式のバブルと土地のバブルはなぜ起こったのかを、主要な経済主体(個人・法人)の動向を中心に分析、解説したもの。三光汽船のジャパンライン買収事件、野村・モルガン信託構想、プラザ合意、三菱重工CB事件、NTT株上場フィーバー、特金・ファントラ、リクルート事件、住銀・イトマン事件、山一証券廃業、興銀の末路など。個人名も数多く取り上げられており、是川銀蔵、高橋治則、北茂、小谷光浩、児玉誉士夫、尾上縫、磯田一郎、田淵節也、竹下登、橋本龍太郎、宮沢喜一、それに銀行や証券会社、商社、不動産会社の役員、経団連の重鎮、大蔵省の幹部など。バブルの狂乱で多くの会社が破綻し、その後長く続く景気低迷期に入るわけで、私の先輩くらいの年代の方には、先に挙げた名前を聞くのも嫌という方もあるだろう。銀行や証券会社、役所に日銀等犯人探しをしてもしょうがない。これは「会社」という架空の人格が行ったことではなく、その中で人間が行った判断の結果であり、その可能性を秘めているという意味で、現在の社会への警鐘となる本書は必読と思う。
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1980年から1989年までのバブル経済をマクロで語るというよりかは、当時、日経新聞証券部であった筆者が取材過程の中で遭遇した事案とともにどちらかというとミクロで具体的に見つめなおす本。経済原理ではなく生々しさで迫ってくるのでおもしろく、一気に読めた。
すべては85年のプラザ合意から始める。恒常的な円高に対して筆者の言葉を借りれば「日本のリーダーたちは、円高にも耐えうる日本の経済構造の変革を選ばずに、日銀は低金利政策を、政府は為替政策を、そして民間の企業や銀行は財テク収益拡大の道を選んだ。そして、異常な株価高政策が導入され、土地高も加速した」ことがその構造的要因となってバブルは膨らみ、弾け、そしてその後は”失われた20年”と言われる長いデフレ期間が続くに至る。
それにしても、バブル時代の土地高、株高を背景としたマネーゲームの象徴として”バブルのAIDS”という言葉があるのはこの本を通じて初めて知った。曰く、麻布自動車(A)、イ・アイ・イーインターナショナル(I)、第一不動産(D)、秀和(S)だそうだが、これらに加え、この本には河本敏夫、高橋高見、加藤暠、江副浩正、尾上縫などのバブル時代の象徴的な怪人物たちがもちろん登場してくるが、筆者の視点の面白さは、それらのバブル紳士たちを単純に批判するのではなく、彼、彼女らの思想はその後のグローバルな金融経済(いわゆるカジノ経済)の先駆たる先進性が一部には確実にあったことと、これらの人物に"成り上がりで強欲な人々"というレッテル張りをしてバブルの罪を負わせて、自分たちはその影に隠れて責任逃れを行おうとする、銀行、証券、大蔵省のエリート層への批判の怠らない点にあると思う。
それにしても、東京23区の土地代がアメリカ全土の土地よりも高く、NTT上場時の時価総額は25兆、株購入の申し込みは1000万人を超えたとか、もはやおとぎ話にしか思えないが、すべての原点はやはりプラザ合意でアメリカに頭を下げられていい気になった日本のエリート層の慢心に(あと知恵で振り返れば)原因の確信があったように思う。やはり驕れる平家は久しからず、というところか。そしてその驕りが同時に訪れてもおかしくないドイツは実はちゃんと回避していた(要するにアメリカの意向無視して利上げをちゃとやっていた)というのをこの本を通じてこれまた初めて知って、やはり日本は極東の人の好い田舎者集団だったんだなーと思わざるを得なかった。
日本人、もっともっと経験豊かになっていこう!と思える本でした。