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20170401 昭和の時代の雰囲気を懐かしく思い出した。社会は良い方向に変わったのだろうか。エリートという言葉も今では意味合いも違うような気がする。金言も時代と共に意味合いを変えて判断しないとだめなのだろうか。
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司馬遼太郎がサラリーマン時代に書いた人生講話を復活。
サラリーマンを登山に例え、1日8時間をカネのために過ごす。そんな人生ではつまらない。
「明日のことを思い煩うな、明日は明日みずから思い煩わん」今日は今日、明日は明日。名言とはこうした本質を突く。
リンカーン「四十を過ぎた人間は、自分の顔に責任を持たねばならぬ」品性その他全ての精神内容が、その容貌に彫塑のノミを振い出す。
サラリーマンの持つ特性やその悲哀を表現している最たる部分は、「階級性早老」であろう。自然年齢よりも職場年齢で老けてしまうのは、いつの時代も同じだろう。司馬遼太郎が遭遇したあらゆるタイプの人の中でも、ちゃんとした人、立派な人もいる。
今の会社に入ったら、司馬遼太郎という人格はどう変質していったんだろう。荒削りな文章に、ビジネスエリートになるための大切なことがつかめるというのがウリ。
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司馬遼太郎なら60年前の作品でも何でも売れると思ってるんだろうなーセンテンススプリング。実際売れてるらしいね。読後の感想は「サラリーマン処世術」でした、つまんねー
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昭和30年に本名、福田定一の名義で刊行された『名言随筆サラリーマン ユーモア新論語』が底本。サラリーマンに効く、先人の言葉+著者のエッセイという内容なので、特にビジネスエリート向けという感じもしなければ、論語の本でもない。
職業としてのサラリーマンを、江戸時代の武芸者から俸禄をはむ武士に始まるものとした見方、歴史エピソードの知識など、さすがに司馬遼太郎と感心するところも多いが、やはり60年以上前という時代の違いを感じさせられた。
17-67
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昭和30年。まだ記者だった司馬遼太郎さんが書いたサラリーマン向けエッセイが新書になったとのことで、読んでみました。
時代感タップリ。まだ戦後で貧しかった日本。社会保障も十分ではなく、家制度も残っていた。そんな時代のサラリーマンは、日々、黙々と働くだけの存在ではありながら、毎月の給料にありつけ、苦労と引き換えに安定した生活が得られるという立場。司馬さんは、あわてず、くさらず、淡々とそんな立場を享受せよと説く。現代のビジネス環境とは大きく異なるため、そのまま参考にはならない内容もあるが、ナルホドね、というサラリーマン道の示唆は多く、気軽に楽しめる1冊。
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先輩からは知恵を後輩からは感覚を汲むがよい 西 諺
運命は神の考えるものだ。人間は人間らしく働けばそれで結構だ。夏目漱石
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「仲間に対しては仲間たることを拒絶する自由は誰ももたない」(読売新聞朝刊2017.11.14編集手帳)
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昭和30年に書かれたとは思えないほど、現代に通ずるものがあった。
それほどに日本社会は進化していないのか、はたまた"サラリーマン社会"の根本は変わらないのか…
さすが司馬遼太郎と言わざるを得ない流れるような文脈で読みやすく、
かつ様々な先人たちの言葉もリソースとして交えられ、スッと入り込む一冊だった。
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■インドの法句経
古代インドの法救という坊さんが釈迦のコトバを編集したもの
⇒当時のインドの社会制度はそれこそ二十世紀後半の日本とは比べ物にならないほどひどい
(社会制度のカケラもない)
貴族の他は乞食同然、というような世の中だったので死の世界を欣求する仏教が生まれた
■人生観の年輪
たいていの会社の人事課長は「新入社員の情熱は永くて5年」と見ている
それどころか「入社早々なんの情熱も用意していない者が多い」という人も
「戦前なら入社2年ほどは仕事を覚えるのに夢中で過ごすものだが、
近頃の若い者はただ8時間という労働時間と初任給の対価を見合わせただけの労働量しか提供しない」
■恒産という特権
恒心つまり平常心とは、"熱くも冷たくもない水に浸かっている精神"
ぬるま湯の中では体のどこからも抵抗というものが生まれてこない
ノビてダラりとしたウドンのような人生を送るのみ
■崩れぬ笑い
「笑いとは、全人類の謎を解く合鍵である」 ――カーライル
とある会社で中年の事務経験者を募集した。
200名の中から3名の採用をしたが、「笑顔」が採用の尺度だった
人事課長の話では、
「魅力ある笑顔というのは一朝にして仕上がるものではなく、
その人間のすべてを表現するものとして、人格内容のあらゆる集積が裏打ちされている」
「40歳を過ぎた人間は、自分の顔に責任をもたねばならぬ」 ――リンカーン
「神は汝に一つの顔を与えた、ところが汝はそれを別の顔に造り直した」 ――シェークスピア
"別の顔"が仕立てあがる時期をリンカーンは40歳前後と見た
青少年時代の顔は生まれ出た素材そのままの顔であり、持ち主の責任はどこにもない
老いるに従い、品性その他すべて精神内容が、その容貌にノミを振るいだす
例えば強盗はズバリ強盗の顔をしている
教養・経験・修養・性格……すべての集積が沈殿していく
■議論好きは悪徳
「人生はいつまでも学校の討論会ではない」 ――D・カーネギー
本人は知的体操でもやっているつもりかもしれないが、
勝ったところで相手に劣敗感を与え、好意を失うのがせいぜいの収穫
カーネギーいわく営業部員の論客ほどヤクザなものはいない
"B社の製品とは素材からして違いますよ。便利さも格上。しかも安い。買わないなんてオカシイじゃないですか"
議論のつもりだから傘に掛かって論破していくが、その時の相手の心理からすると
何らかの理由があってその商品を使っていたわけだし、「そんな事言ったってB社は~~」と弁護をしたくなる気分になる。
老練な営業部員は決して競争品をけなさない。
"あれは立派な商品で、お使いになって大抵間違いはありません"
こうくると客は急に無言になる。一瞬にして議論の相手が居なくなったからである
相手の抵抗意識がおさまったところを見澄まして、静かに自社の商品の特徴・評判を議論でなく事実として述べる
議論よりも心理に通ずる者が勝つとカーネギーは語っている
■階級制早老
「先輩からは知恵を、後輩からは感覚を汲むが良い」 ――西 諺
老けるのも時には便利な事があるかもしれないが、営業や企画関係の職種では
感覚まで老けてしまってはハシにも棒にもかからない。
ポスター1つ注文するのにも感覚が古ぼけていてはどうにもならないし、
購買心理の隠微な動きを知るにも老化は営業課員の的に違いない
"キミ、そんなことじゃダメだよ。私の若いころは~~"なんて説教癖を持ち始めたら救いようがない
知恵を振り回すようになれば人間の成長はそこでお仕舞い。
「人生の真の喜びは、目下の者と共に住むことである」 ――サッカレー
■大成する、とは
大成とは、この世界の中で大成する事であって、
この世界から抜け出て重役になったところでそれはサラリーマンとしての栄達だが…
昔の剣術使いが技術を磨くことだけに専念して、大名になろうとかを考えなかったのと同じこと
新聞記者で言えば、部長や局長になろうという気持ちが兆した瞬間から、
その人物は新聞記者を廃業していると見て良い
純粋に言えば、鉛筆と現場と離れた形では新聞記者という職業は考えられないものだ
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司馬遼太郎によるビジネスマン向けの指南書。
といっても実際に書いたのが50年前なので、さすがに古臭い感じ。
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司馬遼太郎 作家デビュー前(昭和30年)の著作。サラリーマンのための金言集。100円ワゴンで帯買い。儒教的処世術の言葉に 歴史小説の面影は感じる
戦後日本の復興のため頑張ろうという内容でなく、サラリーマンは つまらないけど我慢しよう というアプローチ
徳川家康遺訓「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し。急ぐべからず〜おのれを責めて人を責めるな」
「義を先にし 利を後にする者は栄える」
カント「人は義務を果たすために生きるのである」
仕事=義務→仕事の楽しみ=義務を果たすことにより楽しみを見出す
ヴォルテール「思索しないで自分を働かすがよい。これこそ人生を堪えうるものにする唯一の方法だ」
20で希望に燃え→25で疑いをもち→30で迷いになり→35であきらめる→40になると保身に走り→45で慾が出る
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【感想】
昭和30年、まだ産経新聞の記者だった頃の司馬遼太郎が書いた本。
やはりこの頃から、文章に関してかなりの鬼才があったんだなーと読んでいて感じた。
テーマは「サラリーマンの処世術」といった具合だが、歴史上の英雄と絡めるあたりがいかにも司馬遼太郎の本。
初めて目にする人物も多々いて、司馬遼太郎の博識の深さが窺い知れる・・・
内容自体はかなり砕けた感じで書かれており、新書というよりコラム風な書き方だったので気楽に読めた。
ただ、砕けながらもしっかりと要点を抑えた内容になっていて、また、60年以上も昔に書かれたと思えないほどに今の世の中にも通用する内容も多かった。
なかなか面白い本でした。
【内容まとめ】
1.サラリーマン大江広元の処世のヒケツ
決して彼は積極的に出世を企てようとは思いもせず、専務や社長になろうとは思わなかった。
また出世のために人の頭を踏んづけ、押しのけ、誅殺することもしなかった。
自分一個の利害ではなく、すべてはお家、鎌倉システムの安定のためという自他共に認めた「大義名分」があった。
要するに、スジが通っていたのである。
2.自分一個の私利私欲のために才能を使わず、走狗をつとめることもせず、役に立つ上に公正であり、誰にも代替えがきかないという地位を確立
3.入ルヲ量ッテ出ルヲ制ス
「収入を内輪に費え。年末にはいつも何がしかの余剰を出すようにせよ。収入よりも支出を少なからしめよ。
そうあるかぎり、一生たいして困ることはない。」
4.己を謙遜しつつ、のらりくらりとかわしてゆくのが明哲保身に不可欠な条件である。
バーナード・ショー「あまり他人に同情を求めると、軽蔑という景品がついてくる。」
エマーソン「愚痴はいかに高尚な内容でも、またいかなる理由があっても、決して役に立たない。」
【引用】
p13
大工には大工の金言がある。その職業技術の血統が、何百年かけて生んだ経験と叡智の珠玉なのだ。
植木職でも、陶工の世界でも同じことが言えよう。
さて、サラリーマンの場合、一体そんなものがあるだろうか?この職業の伝統にはそうしたものはなさそうだ。
p23
鎌倉幕府というものほど、殺気に満ちた権謀の府は史上なかった。
親子兄弟のいえども油断はできない。
頼朝が庶弟義経を殺して以後、次々と草創の功臣を謀殺してゆき、頼朝の没後実権を握った北条氏も頼朝の子孫やその老臣をほとんど殺し尽くし、血に濡れた手で権力の土台を固めていった。
こんな動揺常ない政変の府において、わが事務総長かつ元祖サラリーマンである大江広元氏はまるで幻術師のような変幻さでその地歩を温存し通し、78歳の天寿を全うして、鎌倉人物史上めずらしくも畳の上で大往生を遂げた。
p24
・サラリーマン大江広元の処世のヒケツ
保身に成功した第一の理由は、保身家のくせに遊泳家ではなかったことである。
決して彼は積極的に出世を企てようとは思いもせず、専務や社長になろうとは思わなかった���
また出世のために人の頭を踏んづけ、押しのけ、誅殺することもしなかった。
自分一個の利害ではなく、すべてはお家、鎌倉システムの安定のためという自他共に認めた「大義名分」があった。
要するに、スジが通っていたのである。
そして最大の理由は、その卓絶した行政能力なのだ。
能力がある上に、べらぼうな仕事熱心なのである。
p28
自分一個の私利私欲のために才能を使わず、走狗をつとめることもせず、役に立つ上に公正であり、誰にも代替えがきかないという地位を確立したからに他ならない。
p33
・サラリーマンの英雄は徳川家康
「徳川家康 遺訓」
人の一生は重荷を負ふて遠き道を行くが如し。
急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なく、心に望みおこらば困窮したる時を思ひ出すべし。
堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思へ。
勝つ事ばかりを知って負くる事を知らざれば、害その身に至る。
己を攻めて人を責むるな。
及ばざるは、過ぎたるより優れり。
p56
・入ルヲ量ッテ出ルヲ制ス
サミュエル・ジョンソン
「収入を内輪に費え。年末にはいつも何がしかの余剰を出すようにせよ。収入よりも支出を少なからしめよ。
そうあるかぎり、一生たいして困ることはない。」
ただし度を越して吝嗇になると笑われる。
p60
・恒産アル者ハ恒心アリ
本来は恒産=財産であるが、今この世の中は財産管理に躍起になって、逆に驢馬のようにビクビクしてしまう。
今となっては、サラリーという恒産と、サラリーマンの恒心のほうが一般的なのでは?
望み過ぎず、人生に余計な野望を持たず、ふやける事に安住感をもてるとすれば、それ以上の幸福はない。
p76
・愚痴はお経だ。
バーナード・ショー「あまり他人に同情を求めると、軽蔑という景品がついてくる。」
エマーソン「愚痴はいかに高尚な内容でも、またいかなる理由があっても、決して役に立たない。」
己を謙遜しつつ、のらりくらりとかわしてゆくのが明哲保身に不可欠な条件である。
p94
・議論好きは悪徳
人生はいつまでも学校の討論会ではない。
議論好きというのは、サラリーマン稼業にとって一種の悪徳である。
本人は知的体操でもやってるつもりかもしれないが、勝ったところで相手に劣等感を与え、行為を失うのがせいぜいの収穫というものだ。
p136
「俺は天才が30歳で傑作を生むところを、80歳まで生きて何とか自分をモノにしてみせるつもりなんだ。貧乏なのは閉口するがね。
それも考えようで、サラリーマンが定年になってアブつく頃に、俺たちは何がしか格好がついてくるんだから、食えるのはそれからだと思って意を安んじてるよ」
商人や芸術家は、生活を賭けた緊張感をもって毎日を過ごしているのだ。
怠慢と安易をサラリーマンだけに許された特権と思うならば、やがて社会死によって世間の下水溝に溺死体を浮かべねばなるまい。
p160
・大成とは?
「俺のようになる事だ」
「部長や���長になろうという気持ちが兆した瞬間から、もうその人物は新聞記者を廃業したと見てええ。抜く抜かれる、この勝負の世界だけが、新聞記者の世界じゃと俺は思う」
「昔の剣術使いが、技術を磨く事だけに専念して、大名になろうとか何だとかを考えなかったのと同じ事だよ」
社によって守られている身分や生活権のぬるま湯の中に躰を浸すな。
いつも勝負の精神を忘れずに、社というものは自分の才能を表現するための陣借りの場だと思え。
しかし、彼の持つ職業態度が滑稽に見えるほどに、職業の歴史は急速にサラリーマン化していっていると言える。
p170
・もう一人の新聞記者
「人間、おのれのペースを悟ることが肝心や」
名記者になる奴はなる奴の、出世する奴はする奴のペースというのが元々ある。
俺は俺らしく、実直な腰弁の人生を歩こうと覚悟した。
「ペースを悟ったら、崩さず惑わず一生守りきることが大事でんな」
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司馬遼太郎氏の本といえば、僕の中では歴史小説
しかし、この本は、普通のビジネス書、サラリーマンたるや、何なのかを明快に書いてる本。
サラリーマンとして、戦後の感覚は今でも通じるものであった!
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司馬遼太郎こと、福田定一のサラリーマンエッセイ。
前半は箴言を交えた皮肉含みのユーモアにニヤリ。
後半の市井にそっとさく老サラリーマンの物語りにはぐっとくるはず。ナンバーワンにもオンリーワンにもならなくていい。それも生であろう。
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初の司馬遼太郎作品。
一ビジネス書籍として手に取った。
言い回しが独特でリズムが不規則であった為、なかなか理解出来なかった。今までなら途中で読むのをやめていただろう。茂木健一郎の読書は雑食であれという言葉から何を伝えたいのか意味不明なこの書籍を読み終えた暁には何か得るものがあるのではと読了した。
本作中に出てくる偉人の遺した語録は参考になるものがいくつかあった為メモ。
部分部分ではそういった語録など面白いものもあったが全体を通して気持ちよく読み終える事が出来なかった。
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確かベストセラーになったと記憶しているが、自分には何がいいのか、よくわからない。やや難しい漢字がよく出てくるから、読みにくいと感じるのかな。