紙の本
NHKの番組が下地に
2017/06/13 21:06
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投稿者:奥州仙台のイソやん - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルだけで注文しましたが、以前NHKの番組でさかのぼり日本史というのをやっていましたが、その内容を編集したものです。NHKのテキストも手元にあり、必要ない本を買ってしまって後悔しましたが、そこはさすが磯田先生、文庫本としてより読みやすくなっていました。隣国のロシアとの外交史を考えるうえでも必読の書だと思います。
紙の本
斬新な視点からの江戸時代通史
2017/01/14 22:49
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投稿者:K2 - この投稿者のレビュー一覧を見る
いま乗りに乗っている気鋭の歴史学者による通史である。4つのターニングポイントを指摘し、時間を遡りながら江戸時代の特質を解説する。NHK番組を書籍化したシリーズの一冊が文庫化されたもの。平易な文章なので、一気に読めた。論旨も明快。特に印象深かったのは、松平定信の評価だ。時代遅れの反動的政治家と認識していたのだが、民への視線を持った為政者であったことに驚いた。武断から仁政への転換として島原の乱を重視する点は、少し説明不足の感がした。
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【新しい視点で江戸時代を分析する!】この国の素地はなぜ江戸時代に出来上がったのか? 島原の乱、宝永地震、天明の大飢饉、露寇事件の4つの歴史的事件から読み解く。
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徳川の平和「パクス・トクガワ」と呼ばれる260年の平和な時代が何故創られたのかというテーマで、過去4回のシリーズとしてNHK教育TVで放映されたものの文庫化。
当初、軍事政権として発足した徳川幕府は、領民から年貢という「地代」を一方的に取るという考え方で、現代のような行政サービスと引き換えの「税」ではなかった。
このような、考え方に変化を起こした「島原の乱」「天明の大飢饉と浅間山の大噴火」「宝永地震」「ペリー来航の60年も前のロシアが襲撃した露寇事件」で具体的に説明を試みている。
そして江戸幕府はこれらの災害・危機を乗り越えるために知恵を絞り、軍事政権から脱皮していく。
以下、「島原の乱」と「天明の大飢饉」を簡略に説明していきます。
「島原の乱1637年」
家康から三代将軍家光に至る半世紀の間に、全国で130以上の大名が改易されている。また一揆をおこした村は皆殺しにあうなど、徳川による統治はようするに「暴力支配」だった。
こうした幕府のありかたに軌道修正を余儀なくする「島原の乱」が起きる。
一揆勢は23千人(37千人とも?)は女子供に至るまで全員殺戮された。一方鎮圧軍の死者も8千人(12千人とも?)の被害が出ている。この数は全国の武士の1%にも当たる驚くべき数字だ。
この反乱での死者の問題よりもっと大きな問題となったのが、乱のその後であった。これだけの数の領民が一度に亡くなったので、人口が激減して農村は荒廃の一途を辿る。これは幕府にとって大きな教訓となった。つまり領民を殺し過ぎると年貢を納める農民がいなくなり、武士が食えなくなるという、実にシンプルな事実である。
この地方では、移民政策や年貢の減免する措置が取られ、この地方を再興するために、幕府や支配層である武士は、多大な代償を支払わなければならなかった。
幕府でも、徳川綱吉は「武家諸法度」の第一条を従来「文武弓馬の道・・・」とあったのが、「文武忠孝を励し、礼儀を正すべき事」と改めている。
さらに「生類憐みの令」・・・これは非常に誤解されて悪法と言われているが・・・内容には「老人を姥捨て山に捨ててはいけない」「病人や行き倒れの治療を放棄してはいけない」等、社会的弱者を救済する内容になっている。
徳川綱吉の政策は「殺す支配」から「生かす支配」への転換点となった。
「天明の大飢饉1783~1784年」
徳川吉宗は、享保の改革で、幕府財政の引き締めを行い、米の増産のために、新田開発に注力し、また田沼意次は、幕府財政面の米に依存しすぎる経済体制には限界があると悟り、商品経済重視に転じたが、基本的な思想は、共に「財政あって福祉なし」という民に対して何も施さない政治には変化はなく、飢饉~一揆~打ちこわしという連鎖は止められず、浅間山の大噴火や、天明の大飢饉による江戸での打ちこわし事件を契機に、田沼は失脚することになる。
天明の飢饉による死者は全国で百万人に上るとの推計がなされている。
田沼意次の後を引き継いだ松平定信は、まず飢饉対策に取り組み、都市・農村を問わず、凶作や災害に備えての米や金銭を蓄えるという備荒貯蓄政策を推進する。各藩でも幕府に連動して、飢饉への備えとして村々に「備荒倉」を設置したり、赤子養育育英金を支給したり、妊婦を手厚く保護するような政策が取られ始める。
不完全とはいえ、それまでの「軍事政権」から、福祉行政の機能を持った「民生重視の政府」へとシフトしていく。
僅か150ページの薄い文庫本であるが、徳川軍事政権が、武力だけで260年もの平和な時代が続いたのではないと言う事がよく分かります。
そうした結果、江戸文化が発達し現代に繋がり、その恩恵を受けている我々は、この国に生れた僥倖を喜ぶべきだろう。
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時代を遡っていく書き方に引き込まれた。
とても解りやすく違和感なく自然にページが進んだ。
字の大きさもあるかな?
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現在の私達は江戸幕府を倒した明治政府の流れの体制下にあるとは思いますが、最近では江戸時代の良い面を紹介する本もあるように思います。少なくとも私の眼には留まるようになりました、その一つが磯田氏によって書かれたこの本になります。
この本は、NHK教育テレビにて4回シリーズで放送された内容のものとのことですが、そのシリーズを見逃した私にとっては有難いものです。江戸時代において当初は軍事政権に近いような形から、自然災害(地震、飢饉)やそれによる人口低迷=経済低迷により、政府の方針がどのように変わってきたのか、それが現代の私たちの考え方、日本の特徴(落とした財布が戻ってくる、自動販売機が盗まれない)に繋がっているのかが解説されています。
江戸時代は身分制度もあり現代人から見ると窮屈な時代のようにばかり思っていましたが、そうでもなさそうですね。また、この本で5代将軍の発令した悪法として有名な「生類憐みの令」について、その狙いが解説されていたのは良かったです。あれで世の中の意識が良いほうに変わったようですね。
以下は気になったポイントです。
・1804年にレザノフ(ロシア)に手渡した「教諭書」の内容は、我が国は中国・朝鮮・琉球・オランダと往来しているが、その他の国とは通信・通商しないのが国是である、というものであった(p24)
・当時のロシア(エカチェリーナ2世)は、軍隊ではなく商人の活動が領土を広げていった、戦争ではなく商業活動が国を大きくしていた。アリューシャン列島でとれる、乾魚・塩魚・鯨油・獣油を打って、日本から織物・米麦・銅鉄器を仕入れて商業をしようとした(p25)
・1806年(文化3年)レザノフの指令を受けたロシア軍艦ユノナ号が樺太南部の施設を襲撃した、これは露寇と言われている、ロシアは襲撃の首謀者を独断行動としてサハリンで投獄している(p30、39)
・ロシアとの対峙という前提があったので、日本の近代化、ペリーによる開国がある(p43)
・都市への人口集中により、米以外の商品の生産・流通・消費が増えたため、コメの経済活動における比重が小さくなった(p50)
・吉宗の政策は、1)新田開発、2)年貢方法の変更による増徴、検見法(毎年の収穫高から年貢量を決定)から定免法(年貢額を一定期間固定)へ変更(p52)
・田沼意次は、家重の小姓(旗本600石)から、老中へと昇進して、5万7000石の大名へと異例の出世をした(p54)
・幕府公認の株仲間となることで、特定商品の仕入れ・販売の独占権を保障するかわりに、冥加金を上納させた(p55)
・現代と異なり、税をとる代わりに対価として行政サービスを施すという考えを幕府は持っていなかった、年貢とは「地代」であり、家賃のようなもの(p58)
・浅間山の大噴火(1783天明3)は、天候不順による凶作が頻発し、関東では6月になっても冬物を着て過ごすほど寒かった、江戸の三大飢饉(享保・天明・天保)の中で天明飢饉が一番ひどい(p60、65)
・天明の飢饉により、幕府は、民に対して何の手当ても施さないと、飢饉ー一揆ー打ちこわしという連鎖が止められず、社会が安定しないことを悟った(p70)
・江戸時代後半では、行政を現場で支えていたのは、代官と村の庄屋の努力であった。郡奉行や代官には武士から、学問のあるそれなりの人物をつけることになっており、能力の高いエリートが多かった(p77)
・宝永4年(1707)の地震・津波は、東日本大震災までは日本史上最大級のものであった(p84、94,97)
・農書の普及とともに農村に浸透していったのが、読み書き能力で、人々は寺子屋に通った、そして科学的な農法・農具改良・二毛作を行って自分の取り分を増やそうとした、これは宝永以後にみられる(p106、108)
・徳川が滅びたのは、西洋から新兵器が入ってきて、石高=軍勢数=戦力、でなくなったから。譜代大名には、たいした石高を与えず、権力と戦力の分離をはかった(p118)
・島原の乱は、女子供さえ含む地域住民の大半が参加した一揆であり、百姓一揆とは明らかに異なる、一揆勢はすべて討ち取られたが、幕府側の痛手も大きかった、討伐軍の1割程度、全武士数が150万人であったが、その1%が死傷した(p130、135)
・生類憐みの令の具体的な条文は、「犬ばかりに限らず、惣て生類人びと慈悲の心を本といたし、憐み候儀肝要事」(p148)
・江戸時代になると、人が殺されれば捜査が始まるようになった、これが中世との違いである。(p146)
2017年3月19日作成
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歴史を学ぶことは、現代を学ぶことでもあるなと再認識した。私たちが過去から学ぶべきことはまだまだある。特に、この閉塞感に満ちた平成においては。磯田先生はいつもそのことを、分かりやすく楽しく教えてくれる。
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なぜ260年間平和だったのか?内乱・災害・外圧によって体制・政治変化が起こり対応してきたからとの事。歴史読み物としては面白いが、江戸時代を現代日本に結びつけるには無理がある。
天明飢饉では100万人死亡には驚くが、太平洋戦争は350万人死亡している。明治維新で徳川は否定されたし、敗戦で明治維新(体制)も否定された。だから「なぜ日本がここちよいのか?」の答えは江戸時代ではなく戦後昭和にある。が、戦後ピークは1990年前後という説が有力でその後(平成)は下り坂。
今後の課題は少子高齢化。これはある日突然ではなく、長い時間かけてゆっくりやってくる。選挙制度により内乱(体制変化)も起きない。だから問題の先送りで何の対応もできずに50年程度かけて徐々に衰退していくのだろう。この事が後世でどう評価されるのだろうか?
東日本クラスの災害(宝永地震の死者数も同じ2万人らしいが)では何も変わらないし、その何倍もの災害が起きるのか?またはとんでもない外圧がやってくるのか?
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2017/3/29
NHKで放送された徳川率いる江戸時代の平和についての考察が書かれた本で、著者は武士の家計簿なども著している磯田道史さん。内容もぎゅっと詰まっていて短いのですごく読みやすい。江戸時代の260年余りの時代が維持された背景にあったものは何だったのかを江戸時代の転換点となった出来事を遡っていくことで考えていく内容になっている。
江戸時代の当初は戦国時代から抜けきれない状態が混ざった混沌としたもので、農村では指示に従わない民衆が領主によって殺されたりすることは日常茶飯事だった。領主への不満や、新規の権力者に対する不信感、宗教の絡みご混ざって起こった島原天草一揆を境にして、民衆を殺害しすぎると米を納めてくれる人々もいなくなり国の荒廃につながってしまうと幕府は考え始める。徳川綱吉による生類憐みの令は武断政治から、仁政への転換となる時代であり、その後の民衆を大切にする江戸時代の政治、大きく捉えて人の命を大切にするということという、人としての根本を大切にするようにしたからこそ長続きした時代であったのではないかということについて考えさせられる。その後の三大改革や、その合間に起こる宝永地震や、天明の飢饉など、江戸の人々の危機をどのように幕府は乗り越えてきたのかについて考えることは、東日本大震災を経験した自分たちも大いに学ぶ余地があるものであると思う。江戸時代についての常識にも切り込み、違った角度から江戸時代の検証を行える本である。もう少しこの人の本を読んでみたいと思った。
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我々が思い浮かべる江戸が、1800年代初頭という江戸後期に確立されたということに驚きだ。著者は現代の日本人が持つ平和思想を江戸期を通して徳川が築いたものと説明する。時代を遡り、外国との関わり、福祉国家の萌芽、戦国時代からの決別による太平の世となった理由を示す。もし明治維新という政変が無く、徳川が外国文明を受け入れていたら、現在の自己中心的な世の中が変わっていたのかな?
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映画『関ケ原』でも
したたかなな武将として描かれている家康ですが
彼が開いた江戸時代260年こそが今の日本の礎を作ったと
磯田先生は言います
そして大震災、原発、景気、国家財政、老後の生活保障、税金
どれをとっても不安が募るいまこそ
江戸人の姿に学ぶところがあるはずと!
以下の磯田先生の指摘を
携わる人たちは、しっかりと心に刻んで欲しいものです
“現代政治においても、財政再建、財政の健全化は往々にして大きな政治課題・目標に位置付けられます。しかし、それが自己目的化してしまうと、本末店頭になります。現代の国家における政治や税制の目的は長い目でみた国民福祉の実現にあります。現代国家は税金で食べている人たちのものではありません。社会経済の変化にあわせて税制を変えながら、持続可能な福祉を国民全体に提供しつづけるのが現代国家の仕事です。しかし、これは賢明な国民と賢明な政府でなければ実現できません。”
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NHK出版「NHKさかのぼり日本史⑥江戸 ’’天下泰平’’の礎」文庫版。
第1章「鎖国」が守った繁栄 1806年(文化3年)
第2章飢饉が生んだ大改革 1783年(天明3年)
第3章宝永地震 成熟社会への転換 1707年(宝永4年)
第4章島原の乱 「戦国」終焉 1637年(寛永14年)。
参考文献・年表
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薄い
内容も軽い
面白いからいいけど
2021.12.31追記
江戸時代は文治国家であり百姓と雖も不当には
扱われないと思っていたが、本書では一揆を起
こした村人を皆殺し(550人)にしたと古文書が
語っているが、水戸藩の記録には一切ふれていない
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殺戮の戦国時代から近現代に通じる礎を築いたのは、(パクス)徳川幕府だとするエッセイスト風の歴史解説書。
読者の知的好奇心を煽りながら、すぐ読める。
「生類憐みの令」、「島原の乱」、「レザノフ」など、試験に出る日本史用語を本当の歴史的意義を優しく的確に解説してくれる作品。幅広い読者を満足させてくれるのでは。
私の好きな覆面作家で、「昔は良かった病」と断じ、現代を賛美するパウロマッツァーリーノとの対談や議論の場を読める機会があるならば、高額なハードカバーでも、即買いします。
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初めて著者のことを知ったのは、古文書を読み込むとどの断層でいつの時代に何年周期で大きい地震が起こってきたのかということがある程度分かりますとテレビで話して居るのを見たときでしたが、その著者による「260年間の戦乱の無かった江戸という時代」についての考察。Eテレで放送された「さかのぼり日本史」という企画がベースになっているそうです。授業で教えられた定番の捉え方は違う切り口視点で、統治者の意識の変革や社会経済の構造の変わり様を分かりやすい平易な文章で語っており、大変読みやすかったです。