紙の本
檀家の事情、寺の事情
2020/09/15 08:54
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投稿者:amisha - この投稿者のレビュー一覧を見る
我が家は震災をきっかけに檀家を辞めて、お盆とお彼岸に家の仏壇を拝みにきてくれるお寺さんを依頼するに至った。理由はひとつ、お金である。提示された金額が払えなくなったからなのだ。
社会構造や家族構成の変化によって、お寺さんが抱える問題を包みかずさず書いておられる。著者の代表作に「高学歴ワーキングプア」がある、本来ならこちらを先に読もうと思ったのだったが・・・諸般の事情でこちらを先に拝読するに至る。
我が家に通ってくださっているお寺さんは、私たちのように経済的事情で宗教行事やお布施を軽減せざるを得なくなった家族をどのように感じておられるだろうか。地域コミュニティの中のお寺の役割についても、いろいろ考えさせられる。コロナの影響でいつもはお盆に集まる親戚にも今夏は一切声をかけなかった。先祖たちもさぞや寂しがっているのではなかろうか。
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著者は、地方のお寺が廃寺の危機にあるという。
宗教法人は非課税であり、「坊主丸もうけ」とか「祇園のお茶屋の常連はお坊さん」といったイメージも強いが、檀家の減少で住職はワーキングプア状態で、後継者も中々見つからないという。兼業農家ならぬ兼業住職も多いということで驚いたが、たしかにそうなのかもしれない。
今の日本社会は、一部の熱心な信者を除けば、宗教との関わりが極めて薄い。江戸時代のように、寺を中心とした共同体に縛り付けられるのも嫌だが、葬式でお経をあげてもらうだけという関係の薄さもどうかと思う。
ただ、地縁がどんどん希薄化していく中で、どうやってお寺と新たな結び付きを見つけ、築いていくかは、中々難しい。多くの人は、良いお坊さんに出会いたいのではなかろうか。色々な相談にのってくれる知恵と人間力のあるお坊さんであれば、支えていこうと思う人も多いだろう。昔々は、お坊さんが近所で一番のインテリという所も多かったのではないかと思われ、そんな時代には、自然とお坊さんが尊敬を集めていたように思う。ところが、今は、インテリが多いので、お坊さんに求められる水準も高くなっている気がする。修行や研鑽を積み重ねて、宗教家として一目置かれるようでないと、宗教という精神世界の指導者としての役割は果たせないので、お坊さんにとっても厳しい時代だろう。
著者は、本書で、仏教が現代日本で果たす意義についても触れているが、こういう意義が再認識されつつある中で、宗教者であるお坊さんにも今一段の活躍をいただくよう、エールを送りたい。
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減益の兼業僧侶が書く、僧侶の実態。
日本の宗教観もよく理解できます。
「坊さんを囲える幸せ」。
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いかに周囲の目がいいかげんであるのがよくわかる。
そもそも否定的な言葉を発するときにはその中に一度入り込んでみなければわからんないだろう。
無論、その中での話であり、それを100%信じることはできないがそれでも何かを考えるためには必要なことなのだと確信した。
世論は宗教課税を強めようとさせる。しかし、その裏で自分の首を少しづつ締めているという事もいずれ気が付くことだろうが気が付いた時にはもう遅いという事にならないようにしなければならない。
いずれにしてもこの世界から宗教という概念は消える方向に突き進んでいくのだろう。それを後押ししたのが自分たちだという事も忘れないでほしい。
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お寺さん崩壊 (新潮新書) 新書 – 2016/12/15
地方寺院の置かれた状況は八方塞がりだ
2017年10月7日記述
水月昭道(みづきしょうどう)氏は1967年(昭和42年)福岡県生まれ。
10年ほど前に光文社新書にて高学歴ワーキングプアという書籍で大学院に進み困窮者になってしまう危険性を世の中に知らしめた。
今回は実家のお寺(浄土真宗本願寺派)を継いだ後に
その問題点について著者の問題意識をまとめた本だ。
(2016年12月20日初版発行)
大学院時代も含めどうも著者はこういった星の下にいる運命にあるのだろうか。
そしてそれを世間に発信する役目があるのだろうか。
本書の途中でも紹介されていたけれども関西から
九州へ戻るよう実家から諭され帰郷。
筑紫女学園で職員として就職することになった著者。
これまでの書籍でも職員として生活しボーナスがあることの嬉しさ、電話の取次が上手くできない事に悩んでいることなどと独白しており頑張れとの思いを抱いた事を思い出す。
しかし理事長の独裁的な運営への内部対立。
著者自身がそれへの疑問を述べた事などから組織を追われ実家に戻り寺で働くようになったとのことだ。
人生何があるかわからないものである。
本書全体を通じて良い問題提起ばかりと思える。
しかし写真などをうまく活用して貰えればより現実感のある本になっただろうにと思うと少し残念。
さて、本書では特に地方寺院のおかれた現状とその厳しさに関して報告している。
冒頭、松雲寺という今は無き寺が如何にして解体されたか。
檀家はどのようにして移っていったのか。
本尊は火事で全てが消失した寺に運良く移されたが・・・
今後も日本各地で人口減少が進むのでこのようなお寺は増え続ける。
今、誰もまいらなくなったお墓の特集などをTVで見る機会があるけれども今後は引き取りてのないご本尊もきっと登場するに違いない。
寺を経営していく為に住職、総代が危機感を常に持ち
健全な財政計画のもと、寺院運営にあたることが大事とのことだ。
よくよく考えればNPOやクラブ活動でも会社ではないのでなあなあの運営が行われがちだ。
お寺もそうなのだ。
だから積極的に上手く経営する視点を持つべきであろう。
昔と違い、公務員や教員として勤務しながら住職を兼務することも難しい。
非正規雇用者として住職を兼務する若いお坊さんが増加。
ガソリンスタンドでのスタッフをこなしながら住職をやっている人の話には信じられない思いだ。
檀家数300軒が安定して運営していく為の分岐点。
お布施による収入が900万円ほど見込める。
家族経営故に長期経営の視点が無い・・
伽藍の建替え費用の積立など全く出来ていない寺院が大半。
減価償却費の積み立てくらいは知っておく必要性
(これは何も寺院だけでなくNPOやクラブ活動でも知られるべきであろう)
住職は自分の代をどう無難に過ごすか(乗り越えられるか)を考えるだけで手一杯なのだ。
住職雇用制度を導入すべし
檀家はこの住職はもう働けないと見なせば、檀家はただちに次の住職候補を探しはじめる非情な現実だってある。
住職の息子が跡取りを拒否することすら珍しくなくなっている。
食えない上に、家族で遠くに出かけることもままならない制限ばかりのライフスタイルを強いられ、檀家の周辺以外に社会的な活動の場も見つからない為
寺院は現役時代は外で働き、残った老住職を限界まで酷使するモデルでは地方宗教法人は維持出来ない時代に入った。
近未来においては、お寺は今のような我が家的居場所ではなく、いわば会社のような、より公共色の強い場になっていくことは間違いなかろう。
そうでなければ護持が叶わないからだ。
P94から紹介のあった禅宗(曹洞宗)は良い運営をしている例として参考になるだろう。
会計のオープン化、どんぶり経営からの脱却は欠かせない。
まあそれでも対応しきれずに崩壊していく寺院は
続出するだろう。
住職の方は本書を読むことで効率的に苦労できるはずだ。
本書での地方寺院の運営改善への道は前半で示しきっているように思う。
後半は現在の仏教徒、住職のあるべき姿を模索している著者の苦悩が描かれていた。
クリスマス、神棚を忌み嫌うような狭い了見、教条主義に陥らないこと。