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ヒロシマのグウエーラ 被爆地と二人のキューバ革命家 みんなのレビュー
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紙の本
グウエーラとはチェゲバラのこと
2017/09/24 14:39
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くりくり - この投稿者のレビュー一覧を見る
1959年7月、チェ・ゲバラはキューバ革命を成功させた直後、通商条約を結ぶために日本を訪れ、日本での公務の隙をついて、ヒロシマを訪れている。このとき、ただ一人ゲバラの広島訪問を取材したのが、県政記者クラブで最年少だった中国新聞の林立雄だった。
当時キューバ革命が日本では小さな報道であったことから、林記者はキューバ革命が青年将校のクーデターが政権を転覆し軍事政権を樹立したと考えていたこと、「キューバ使節団団長グウエーラ少佐」来広との外事課のブリーフィングは、国内でも林記者同様に、チェ・ゲバラという実質キューバNO2の来日に対して、その意義がわからず興味がなかったのだろう。
今となっては、世界で最も有名な伝説の一人と言っていいだろうゲバラである。ゲバラの広島訪問について、「ゲバラのHIROSIMA」が佐藤美由紀氏によって出版されているがその種本とも言えるのが本書。佐藤氏の書籍でもゲバラの思いは伝わって来るのだが、本書は、広島滞在中のゲバラに「ぶらさがり」取材した著者ならではのゲバラの当時の様子が表わされて、ゲバラのその時の表情や細かな言動があらわされている。佐藤氏の著述よりゲバラのカッコ良さが引き立ち、ゲバラのカッコ良に、改めて「ほれなおす」ものとなっている。
また、2003年のカストロの広島訪問も著者は観察している。ゲバラのヒロシマに対する感想は「最後まで一革命家として生きようとした青年」のものであったが、カストロは「大国と渡り合って生き延びた一国のトップ」として、「世界全体における核兵器はどうあるべきか」「その原点となった原爆投下は何であったのか」という冷静な分析に基づいていると指摘している。それは、アメリカが、原爆投下の理由を戦争の早期終結としているが、その必然はなかったというものである。
本書の編集後記の中で、この2人のキューバの革命家訪問の間の世界情勢についても、著者は記述する準備を進めていたが、著者が鬼籍に入ったことでかなわなかったことが記されている。残念ではあるが、表わさなくとも、十分にわれわれに考える材料は提供された。
そして、何より、ゲバラファン、カストロファンにとっても、彼らの人となりを伝えるものとして期待にこたえるものでもある。
紙の本
貴重な資料
2023/02/28 17:12
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は1959年にゲバラがヒロシマを電撃訪問した際に、広島の中国新聞の下っ端記者だったという林立雄氏。
当時の日本ではキューバ革命やキューバに対する認識が十分ではなく、ゲバラという名についても、広島県がグウエーラとプレスリリースするなど、お粗末なものだったようだ。林氏が、「グウエーラ」がキューバナンバー2のゲバラだと気づいたのは、ずっと後だったというエピソードがそれを物語る。結果的に林氏は、ゲバラを広島でじかに取材したただ一人の記者となった。
この本は、林氏が生前書き残していたものを、没後に娘が編集し、資料を加えて一冊にしたもの。
林氏の原稿自体、貴重な記録/レポートである上に、巻末にはキューバの核関連年表、原水禁大会でのキューバの発言なども収められていて、資料的価値も高い。
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