紙の本
若者たちを信じて
2010/12/09 08:13
10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本の「はじめに」で著者の塩野七生さんはこんな言葉から始めています。「十二年も昔に話したことを、今また本にしたいという申し出を受け、読み返してみて愕然としています」と。
そこにあるとおり、この本には、塩野さんが1998年に行った講演記録である「これから人生を歩むあなたへ」と、1985年に書いた「オール若者に告ぐ」、そしてこれは最近ですが2010年に書いた「母と読書と好奇心」という、3本の作品が収められています。
では、何故塩野さんが「十二年も昔に話したこと」に「愕然」となったのでしょう。
それはその話が「今でも通用するということがわかって」ということらしい。
1998年の講演の際の聴衆は「高校生から大学初年頃の若者たち」だったそうですから、彼らはすでに三十歳前後になっています。塩野さんは「その間、日本はずっと一箇所を迷走していたのだから」、彼らもいまだ悩んでいるかもしれないと考えます。
それがこの本の出版のきっかけだそうです。
「日本はずっと一箇所を迷走していた」という塩野さんの思いに賛同する人は多いと思います。それが政治の迷走であれ、経済の低迷であれ、おそらく多くの人が塩野さんと同じように、新しい世界観を組み立てられないこの国に失望しています。
十二年前塩野さんはどんな話を若者たちにしたのでしょう。一言でいえば、「グローバル化」に備えた生き方についてでした。
最近でこそ英語を公用語にする動きがいくつか目立ってきたものの、まだまだ思考は「グローバル化」についていけていないのではないでしょうか。
この本がこうして世に出ることの大きな意味はそこにあります。
この本には「若者たちへ」という副題がついています。
いつの時代であっても、国のありようを変えていくのは若者たちだと思います。高齢化社会にはいったこの国であっても、いつまでも老人たちが政治や経済の先頭に立つべきではないでしょう。塩野さんがいくら声高に話しても、そういった社会の構造を変えないかぎり、難しいかもしれません。 本当に「生き方の演習」が必要なのは、若者ではなく、年老いた者ではないでしょうか。
◆この書評のこぼれ話は「本のブログ ほん☆たす」でお読みいただけます。
紙の本
物事を俯瞰する大切さ
2024/01/21 13:46
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:tokei - この投稿者のレビュー一覧を見る
本当に大切なことは何か?
「ものの見方」が変わる 逆転の発想!
という帯に惹かれ購入しました。著者の高校時代の話、語学力に関する考え方、海外生活が長い著者ならではの目を通して日本の若者へ送るメッセージは強く響きました。子供に是非読ませたくて購入しました。子供も親も読み返したり考えたりするきっかけをくれる良書です。安野光雄さんの装幀も好みです。物事を俯瞰して見ることの重要さを再認識させてくれます。
紙の本
人生には可能性がある
2017/09/11 08:07
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
若い頃から多くの山の手育ちの女性とは違うものの見方考え方をしてきた著者。世界に出るも、競争をせず地元に残るも本人の希望や資質次第と説いている。どうやって決めるかは、自分の頭を使う、そんな辛口話。
投稿元:
レビューを見る
すごく薄い本なので、本屋で1時間くらいで立読みできた。
私が高校生くらいの時に、塩野さんが高校生に向けて講演した内容を納めた本。10年以上前に話したことなのに、いまの時代にも、10歳以上歳をとった当日高校生、今アラサーの人にもためになるお話でした。
塩野さんが子供のころ、お母様から「耳の裏は、男の人にいつキスされてもいいように、綺麗にしていなさい」と言われたという話、ステキな教え方だなとおもった。
投稿元:
レビューを見る
「ローマ人の物語」の著者。
受験勉強をとても嫌っているが、いい側面もあると思う。ただ日本の受験・就職はただ自分の意見を持たず、考えず素直に受け入れる人が成功するというのはそのとおりだと思う。
母国語をしっかり学び、考えて自分の意見を持つ。外国語を道具として学ぶ。論理的に話す能力を身につけることを述べている。
投稿元:
レビューを見る
本書「生き方の練習」は、塩野七生が母として語った言葉を文書化した数少ないエッセイ。なぜ少ないか。それは彼女が本書で若者達に向けたこの言葉に、常に忠実であったからだ。
P. 81
対決は、たいへんけっこうで、それをやらなければ両世代とも真の充実は期待できないほど大切なのだが、やるからには堂々と、各世代とももつ唯一の武器、理性と論理を駆使して対決すべきであろう。;それ意外の武器を使うのは、勝負として穢いし、まずもって、同じ土俵上で対決することを拒否して、勝手に土俵から降りてしまうことと同じである。こういう場合、スポーツでも不戦敗といえど敗けなのだ。
男でも女でも、くさって悪臭しか発しないような、感情的な対立はやめたらどうであろう。理性的な方法で「対決」することこそ、世代の断絶をほんとうの意味でなくす、唯一の方策だと信ずる。
これこそが、著者の魅力であることは、著者の諸作品を通読してきた読者であれば100%首肯すると断言する。著者はいわゆる「女の視点」というものをまず作品に持ち込まない。著者が老若男女のいずれに該当するかは、作品の本質にはなんら寄与しないからである。
しかし寄与するともなれば、躊躇なく、しかしこの方針を逸脱しそうで逸脱することなくそれを使う人でもある。
「わが友マキアヴェッリ」より、ニコロの妻マリエッタの手紙を評して
いやはやまったく、亭主は丈夫で留守が良い、などと思っている女たちとは大ちがいである。
そして、これは、夫をほんとうに愛している妻の手紙である。史料の裏付けがあろうがなかろうが関係なく、私も女であるから、これは断言できる。女にとっては、まず息子が一番なのだ。どんなに夫婦仲がよい関係でも、息子が一番にくるのでは変わりはない。その大切きまわりない息子を。あなたにそっくり。などとは、夫を愛している女でなければ絶対に言わない。それも、よほど惚れていなければ、口にしない言葉である。マリエッタ・コルシーニは、夫のマキアヴェッリを愛していたのだ。
これを見た時には、男というのは母の視点を持てぬ以上、絶対女に敵わないと脱帽したものだ。と同時に、「塩野センセ、これ、反則じゃん」とも感じたものだ。しかしそれに続く文章を読めば、この発言は必然かつ理性的な方法で読者と対決するものであることがきちんと理解できる。マリエッタの手紙とそれに続く文章は、ここで引用してしまうにはあまりにおいしい。自分の目で確認していただきたい。スポーツも文章も、ラインぎりぎりのところが一番面白いのは同様で、著者はこういう場合きっちりライン内側に入れてくる。
で、本題である。著者の主張は世代間対立多いに結構。しかし対決は理性と論理をもって、ということであった。実例でいえば、「ローマ人の物語 II ハンニバル戦記」のファビウスとスピキオのやりとりなどがこれにあたるが、しかしこの対決は、両者ともこのルールに従うことでようやく成立するのだ。
で、今まさに両者の中点にいる中年の私が見るところ、ルール違反はむしろ年長世代の方に顕著に見られるのだ。
「資本主義はなぜ自壊したのか」
もう一つ、最近、国民の不評を買ったのが「後期高齢者医療制度」の導入である。七十五歳以上の高齢者を対象に、年間六、七万円程度の保険料を年金から天引きするという。
たしかに老人医療費の増大は深刻な問題ではあるだろう。だが、厚労省によって「後期高齢者」と指定された人たちは日本が経済大国になるうえでの立役者に他ならない。いかに財政難だとはいえ、そのような功労者に対して、いきなり保険料を年金から天引きするという過酷な政策を打ち出すのは、国家として正しいあり方だろうか。
むしろ、どんな知恵を使ってでも「日本社会に対する貢献に感謝して、これから医療費はすべてタダにいたしますので、安心して余生をお過ごしください」とするのが為政者というものであろうし、「敬老の精神」というべきものであろう。
「団塊漂流」
私の考えは、どちらかというとお年寄りの考えに近い部分があります。
それはやはり、現在七〇歳代、八〇歳代で年金をもらっている人たちは、自分の父母の世代で、彼ら彼女らが、それこそ戦争前後の日本の混乱の中で、ほとんどの人々が食うや食わずで、子育てに一生懸命だった姿を、何らかの形で直接見聞きしているからです。
現在のように安定した時代に伸び伸びと育ち、自分の老後のことなどを考えられた世代とは違います。ですから、この世代の人々の根金はなるべく税金の心配などせず安心して、老後の生活をできるようにしても、いいのではないかと思うのです。
はっきり言ってこんなのばっかりである。理性と論理と統計を自在に駆使する若手論者たちの言動に慣れた私には、くさって悪臭しか発しないような、感情的な対立の主因は年長世代にあるようにしか見えない。
私も今や子を持つ身でもあるので、世代間闘争はいまそこにある危機でもある。彼女たちの母に、こういいきかせる機会も増えて来た。
まず君がやろうよ、と。
そして私がやろう、と。
いいきかせているのは、そうしないといとも簡単に自分のことを棚に上げてしまうから。これは全世代に共通したヒトという生き物の宿痾であるが、その害がどちらにとって深刻化といえば、より年長でより裕福な方であることは、200万年前も2000年前もそして2010年の今も同じなのだ。
だから、今度は著者に表していただきたい本は、「--後輩たちへ--」なのである。
投稿元:
レビューを見る
日本歴史小説なら司馬遼太郎、ヨーロッパの歴史小説(小説としていいのか分かりませんが)といえば、塩野七生、というイメージ。
でも、実はまだ手を出したことがありません。
その量が膨大すぎて、果てしない感じ。
その塩野さんが、10年ほど前に高校生に向けて行った講演などを書籍化した一冊。
10年前にお話された内容でも、全く古さを感じない内容。
これから進学・就職など将来を考える中高生にはもちろん、
息子との接し方や、女性としての働き方、社会に対する姿勢とか、
アラサーの自分でも得るものがたくさんある本だった。
短くて薄いので、読書嫌いの人でも手に取りやすいのでは。
投稿元:
レビューを見る
塩野七生さんの、若者に向けたメッセージ。
好き、嫌いがはっきりしていて、自分の生き方がちゃんと持っていて、まっすぐ。
私がなりたい女性が、また一人増えた。
投稿元:
レビューを見る
・自分というものは一生分からない-考え過ぎると一歩も前に進めない
・勉強も仕事もリズムが大事
・価値の多様化とは-例えば、サッカーが好きという価値観は一つ。
プロ:試合に勝ちたい アマ:日曜日に試合を楽しむ
どちらも方法は違えど、サッカーを好むという目標は一緒だということ。
・現実をクールに俯瞰する。情報の棒をたくさんたて、選択肢を増やす。一部の情報を丸のみするのではなく、疑ったり、考えたりする。現実は一つじゃない、その人が見たい現実だけ見てしまうものだ。
・若者の特権-1.好奇心を持つ 2.大胆になる(傷つくことを恐れない)
・ツェンツァ=サイエンス 観察、考える、伝える。
・論理的に、きちんとした母国語で伝えること。国語力は必須。
新しい視点で気付きがたくさんありました。この年代の方からは学べることが多いです。そして、最後の機会だと思うからたくさん学んでおきたい。世代の断絶はあるからこそ、様々なアンテナや教養を学べます。
投稿元:
レビューを見る
なんでこの本を借りたのか、すっかり記憶にない。
でも、大きな文字と、90ページという少ないボリュームだったので、さらっと読み始めたら、いきなり引き込まれてあっという間に読了。
タイトルからは、啓発書のようなイメージも抱くが、まるでエッセイを読むかのように、若い世代へ向けてのメッセージが、心地よく頭に入ってきた。
著者の考える「若者」とは30歳ぐらいまでらしく、自分はなんとも中途半端な年齢ではあるが、「若者」のつもりで読ませていただいた。
啓発書でもなければ、ハウツー本でもない、御年70歳と少しの素敵なお婆ちゃんからの優しくて強烈なメッセージである。
投稿元:
レビューを見る
心から「カッコいい!」と思える女性の生き方がエッセイ調で綴られていた。
1回読むだけでは足りない気がする。薄い本なので、何度でも読んで自分の中にきちんと確立させたい。
投稿元:
レビューを見る
説教くささがかなり鼻につく。
しかし、「英語なんて所詮道具でしかない」という意見など、目新しさはないものの賛成する主張は少なくない。
また唯一著者の展開する主張のなかで新しいと感じたのは、「世代間の断絶があるからこそ新しい世代が新しいものを創り出す。だから若者に親しくなろうと近づいてくる大人には用心すべきであるし、大人は若者のことなど放っておく、または余裕をもって遠くから眺めておくぐらいがちょうどいい」というところ。
投稿元:
レビューを見る
著者の提案によると、歴史エッセーと称する領域に位置するそうで、作品はなかなか受賞対象になりにくいのだそうである。
講演「二十一世紀にどう入っていくか」(1998年)、の記録が中核になっている。若者が、発言のどこに注目するだろうかと考え、読んでみることに。
「選択肢を多くもてない」「好奇心が新しい文明を生み出す」「刺激をいっぱい受ければ独創性が生まれる」。
インパクトという点で、どうなのかと考えるが、もう一度読んでみることか。
投稿元:
レビューを見る
【夢ゼミ'11年2月おススメ本】12年前に塩野さんの講演録を手にしたとき,子どもたちにこんな話をしたいな,聞かせたいなと思っていました。それが何と書籍化。この本は,これから中学,高校と一歩一歩大人になっていくみなさんに読んでほしい本の一冊です。外国語の習得,国際理解,教養,独創性,読書と好奇心…。学校の教科書の前に読む教科書です。
投稿元:
レビューを見る
若者には何が必要なのか、筆者の人生経験からのアドバイス。外国人の考え方について。好奇心や探究心について。などなど。筆者のインテリジェンスが随所から読み取れる。