紙の本
サピエンス全史より面白い
2020/06/23 22:06
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:山猫 - この投稿者のレビュー一覧を見る
始まりが感染症の話であり,ちょうど新型コロナウィルスのパンデミックと重なっていたため,いきなり引き込まれてしまいました.前作のサピエンス全史は,私にとっては世の中で騒がれているほどには感激的な本ではありませんでした.(もちろん,並の本以上には面白かったですが.) しかし,この本は,ずっと面白いです.著者の宗教,歴史,最近のテクノロジーに関連した知見から,新しいものの見方を教えられる感じがします.
まだ上巻しか読んでいませんが,下巻も読むのが楽しみです.
紙の本
絶望の未来
2019/11/30 22:32
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ライサ - この投稿者のレビュー一覧を見る
前作たる「サピエンス全史」がサピエンスの過去から現在を記載したのに対し、このホモ・デウスでは現在から未来を語る。
大まかにまとめると「人は神になりたがる」から始まり、地球環境への影響、不死、幸福追求、神性。そして残忍さとサピエンスも動物である事を語っている
絶望しか感じないしそもそも動物と人類は違うのだと信じたい人、また陰謀論を語りたい人には受け入れられない内容であろう
まぁそこはいいとして地球温暖化を専ら(温度と関係しない)CO2からのみ語っているのだけはいただけない
そして面白い事に、前作は上巻のが面白かったが今作は下巻のが面白かった
紙の本
現代社会の特徴まで
2019/05/11 17:52
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ただの人間 - この投稿者のレビュー一覧を見る
人類の21世紀の課題を神性の獲得と示したうえで、人間(サピエンス)が他の動物とどこが違うのか(意味のウェブ、大規模な協力可能性)、現代社会を特徴付けるものは何か(人間至上主義)の触りまでの上巻。サピエンス全史で書いてあったような内容をダイジェスト的に踏まえつつ、実際に神性の獲得という課題への取組みに至る前の助走という印象
紙の本
人間至上主義の先のデータ至上主義は必然か
2018/12/13 00:47
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:しょひょう - この投稿者のレビュー一覧を見る
サピエンス全史に大きな感銘を受けたので、続編である本書も購読。
「過去」の物語であった前作に比べると、「現在と将来」を論じているだけに、多少抽象的・概念的な部分が多く、読むのに苦労したが、予想通り満足。
著者は、人間至上主義の先は「データ至上主義」とし、人間は宇宙の中心からただのデータになる、と未来を予測しつつ、読者に対して未来は変えられる、と訴えるのだが、(逆説的になるが)あまりに説得力のある論理展開に、未来は必然なのではないか、とも感じてしまった。
必ずしも明るい結末の本ではないが、前作同様にいろいろ考えさせられた。
折に触れ繰り返し読んでみたい一冊。
また、前作も同様だが翻訳本とは思えないほどに、こなれて読みやすい日本語訳もありがたい。
紙の本
人類の未来に一石を投じる
2018/10/16 10:32
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たか - この投稿者のレビュー一覧を見る
深く考察しながら読み進めた。脳の働きを突き詰めれば、たしかにアナロジーにすぎなのかもしれない。だから不思議。われ思うゆえにわれあり
投稿元:
レビューを見る
下巻を含めた感想。
未来予測をする際に、今どうなっていて、かつてどうなっていたかを考えることは有効である。しかしながら、それをしたところで、実際にどうなるのかまではわからない。あくまで、予測の範囲内でしかない。
本書では、人間は未来、神になるだろうと予測する。
そして、何故そう考えるかを過去を振り返って説明していく。
1番心に残ったのは、人間を含めた生命は全てアルゴリズムで、「自分の考え」なんてもはや存在していない、ということだった。
投稿元:
レビューを見る
サピエンス全史と重複する箇所もあるが、そこは避けて通れないのだろう。興味深く読めた。特に宗教と科学に関する考察は納得できた。
投稿元:
レビューを見る
読むのをとても楽しみにしてました!
人間が20世紀に飢饉・疫病・戦争を単なる課題にした今、築かれつつある【人間至上主義】について迫る一冊です。
印象的だった文章
・ホモ・サピエンスが大勢で柔軟に協力できる地球上で唯一の種
投稿元:
レビューを見る
飢饉、疫病、そして戦争の三大災厄さえも克服しつつあるホモサピエンス。
では、その先には何が待っているのか?
至福、不死、神性を追い求め「ホモ・デウス」となる道のりでなにが起こるのか。それは平等に分け与えられるのか。
そもそも、人類のみが恩恵に浴するべきなのかー。
様々な問題提起がなされる重厚な序文に始まり、ホモサピエンスが世界を征服したいきさつやその妥当性(人類が特別であると果たしていえるのか?という問い)、
文字や科学が与えてきた影響を綴ったのがこの上巻。
・生き物はアルゴリズムで動いている
・人類初「よわいつながり」でも協力できるという点で他の種と一線を画している
・システムの特性により、たとえ誤りが含まれていても修正されづらい
など興味深い考察が散りばめられ、自分自身の脳も強い刺激を受ける。
下巻でどのような論が展開されるのか非常に楽しみである。
投稿元:
レビューを見る
下巻にて感想述べる、と思ったけど.....サピエンスほど分かりやすく面白いとは思わなかった。下巻を読む気力が.....
投稿元:
レビューを見る
これは読み応え十分。前著「サピエンス全史」が人類の過去の本質に迫るもので、本書は未来予測を試みるもの。地球の盟主に君臨した人類が次に欲するものは「不死・幸福・神化」であり、これを宗教やイデオロギー、科学、経済などの切り口から読み解き、予想する。ただ、「次なる大きな目標」の達成のためには、犠牲にしなければならないものも比例して大きく、一歩間違えれば悲惨なことになる(経済成長と温暖化抑制のジレンマなど)。一見両立が非常に難しい課題であり、下巻が楽しみ。
投稿元:
レビューを見る
『サピエンス全史』に続いて、人類の未来を予言していく『サピエンス全史』は、私たち『ホモ・デウス』はどこへ向かうのかを示していきます。
すでに人類は、飢餓と疫病と戦争を克服してきました。
過去に比べると、飢餓よりも食べ過ぎで亡くなる人が多く、ペストなどの大流行もなく、戦争も確実に減少してきました。
歴史を学ぶ目的も、大きく変わってきています。
過去から現在を知ることはすでに不可能になっています。
歴史を学ぶ目的は、未来を予測することではなく、過去から解放されるためなのだと説きます。
歴史を学ぶ目的は、私たちを押さえつける過去の手から逃れることにある。歴史を学べば、私たちはあちらへ、こちらへと顔を向け、祖先には想像できなかった可能性や祖先が私たちに想像してほしくなかった可能性に気づき始めることができる。私たちをここまで導いてきた偶然の出来事の連鎖を目にすれば、自分が抱いている考えや夢がどのように形を取ったかに気づき、違う考えや夢を抱けるようになる。歴史を学んでも、何を選ぶべきははわからないだろうが、少なくとも、選択肢は増える。 ー 80ページ
投稿元:
レビューを見る
「サピエンス全史」は人類の歴史に焦点をおいていたが、本書は人間の心について論じられている。難解なテーマだが、分かりやすい例えと流れるような文体で、サクサク読める。下巻も期待したい。
投稿元:
レビューを見る
以前は、富の主な源泉は、金鉱や麦畑や油田といった有形資産だった。それが今日では、富の主な源泉は知識だ。そして、油田は戦争で奪取できるのに対して、知識はそうはいかない。したがって、知識が最も重要な経済的資源になると、戦争で得るものが減り、戦争は、中東や中央アフリカといった、物を基盤とする経済に相変わらず依存する旧態依然とした地域に、しだいに限られるようになった。(p.26)
人間というものは、すでに手にしたものだけで満足することはまずない。何かを成し遂げたときに人間の心が見せる最もありふれた反応は、充足ではなくさらなる渇望だ。人間はつねにより良いもの、大きいもの、美味しいものを探し求める。人類が新たに途方もない力を手に入れ、飢饉と疫病と戦争の脅威がついに取り除かれたとき、私たちはいったいどうしたらいいのか?(p.32)
じつのところ、現代の医学はこれまで私たちの自然な寿命を一年たりとも延ばしてはいない。医学の最大の功績は、私たちが早死にするのを防ぎ、寿命を目いっぱい享受できるようにしてくれたことだ。(p.41)
ブッダによれば、私たちは心を鍛錬し、あらゆる感覚が絶えず湧き起こっては消えていく様子を注意深く観察できるようになれるという。自分の感覚の正体、すなわち儚く無意味な気の迷いであることを心が見て取れるようになったとき、私たちはそのような感覚を追い求めることへの関心を失う。湧き起こるそばから消えていくものを追い求めることに、何の意味があるというのか?(p.58)
歴史を学ぶ最高の理由がここにある。すなわち、未来を予測するのではなく、過去から自らを解放し、他のさまざまな運命を想像するためだ。もちろん、それは全面的な自由ではない。私たちは過去に縛られることは避けられないが、少しでも自由があるほうが、まったく自由がないよりも優る。(p.86)
私たちは普通、有神論の宗教は偉大な神々を神聖視すると考えている。だが、その宗教が人間をも神聖視していることは忘れがちだ。以前、ホモ・サピエンスは何千もの役者から成るキャストの一人にすぎなかった。それが、有神論の新しいドラマの中では、サピエンスが主人公になり、森羅万象がサピエンス中心に回り始めた。(p.117)
農業革命が有神論の宗教を生み出したのに対して、科学革命は人間至上主義の宗教を誕生させ、その中で人間は神に取って代わった。有神論者が神を崇拝するのに対して、人間至上主義は人間を崇拝する。(中略)有神論は神の名において伝統的な農耕を正当化したのに対して、人間至上主義は人間の名において現代の工場式農業を正当化してきた。工業式農業は人間の欲求や気まぐれや願望を神聖視する一方で、それ以外はすべて軽んじる。(中略)そのような慣行は、近年、人間と動物の関係を人々が見直し始めたため、しだいに批判にさらされるようになってきた。私たちは突然、いわゆる「下等な生き物」の運命に、今までにない関心を見せている。それはひょっとすると、私たち自身が「下等な生き物」の仲間入りをしそうだからかもしれない。もしコンピュータープログラムが人間を超える知能と空前の力を���得することがあれば、私たちはそのようなプログラムを人間以上に高く評価し始めるべきなのか?(pp.125-126)
進化は変化を意味し、永久不変のものを生み出すことはできない。進化の視点に立つと、人間の本質と呼べるものに最も近いのは、私たちのDNAだが、DNA分子は永遠不滅のものの座ではなく、変異の媒体だ。これに恐れをなす人は多く、彼らは魂を捨てるよりも進化論を退ける道を選ぶ。(p.134)
人々が信じなくなった途端に消滅してしまうかねないのは、貨幣の価値だけではない。同じことが法律や神、さらには一帝国全体にも起こりうる。それらは、今、せっせと世界の行方を決めていたかと思えば、次の瞬間にはもはや存在しなくなったりする。ゼウスとヘラはかつて地中海沿岸では絶対的な力を誇っていたが、今日では何の権威も持たない。誰も両者を信じていないからだ。(p.181)
貨幣が共同主観的現実であることを受け容れるのは比較的易しい。たいていの人は、古代ギリシアの神々や邪悪な帝国や異国の文化の価値観が想像の中にしか存在しないことも喜んで認める。ところが、自分たちの神や自分たちの国や自分たちの価値観がただの虚構であることは受け容れたがらない。なぜなら、これらのものは、私たちの人生に意味を与えてくれるからだ。私たちは、自分んの人生には何らかの客観的な意味があり、自分の犠牲が何か頭の中の物語以上のものにとって大切であると信じたがる。とはいえ、じつのところ、ほとんどの人の人生には、彼らが互いに語り合う物語のネットワークでしか意味がない。(pp.181-182)
現時点で最善の科学知識によれば、「レビ記」に見られる同性愛行為の禁止は、古代エルサレムの少数の聖職者と学者の偏見を反映しているにすぎないことになる。科学は人々が神の命令に従うべきかどうかは決められないものの、聖書の起源については当を得たことを多く語れる。宇宙と銀河とブラックホールを創造した力が、二人のホモ・サピエンスの男性が少しばかりいっしょに楽しむたびに恐ろしく気分を害するとウガンダの政治家たちが考えていたら、科学は彼らがこのはなはだ奇妙な考えを捨てる手助けができる。(pp.239-240)
科学は私たちが普段思っているよりも倫理的な議論にはるかに多く貢献できるとはいえ、少なくとも今のところは科学には越えられない一線がある。何らかの宗教の導きがなければ、大規模な社会的秩序を維持するのは不可能だ。大学や研究所でさえ、宗教的な後ろ盾を必要とする。宗教は科学研究の倫理的正当性を提供し、それと引き換えに、科学の方針と科学的発見の利用法に影響を与える。そのため、宗教的信仰を考慮に入れなければ、科学の歴史は理解できない。(p.242)
投稿元:
レビューを見る
「飢饉、疫病、戦争」は人類を苦しませ続けてきた。現在、人類はそれらをほぼ抑え込みつつある。人類が取り組むべき課題はそれらの克服ではなくなった。
これからの千年、人類は「至福、不死」を追い求める可能性が高い。それを現在のバイオテクノロジーが強く後押しする。そのテクノロジーはこれまで数千年変わることのなかった人間の心と体を作り直す。
ホモ・サピエンスはホモ・デウス(神)にアップグレードされる。変化は徐々に起こるが、ホモ・デウスが何をやりかねないかは、ホモ・サピエンスの我々には予測困難だ。
本書はホモ・デウスの登場の予言を目的としていない。
予測を立てることで現在の人類が何を達成しようとしているか考察している。そして学問を横断しながら人類の選択の変化を期待している。