日本の観光の近現代史です!
2018/10/30 09:05
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、日本の観光業における近現代史です。明治初期、西洋が失った「古き良き時代」を求めて多くの外国人が日本に来ましたが、日本政府はそれに対して、近代国家としての象徴とも言うべき、近代工場や官庁の施設などを外国人に見せたいものの中心としてガイドブックを編纂しました。このように、外国人が見たいものと、日本政府が外国人に見せたいものとは大きなギャップがあったのです。こうした観光業を巡る歴史を一つひとつ追い続け、それを纏めたのは本書です。私たちが知らなかった非常に興味深い内容が詰まっています。
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
近代以降の日本の観光にスポットを当てている。ホストとゲストの認識の違いは、いつの時代でもあるようで、注意が必要とのこと。
今日の観光政策について、知りたい人は第8章で、取り上げられているが、本文にもある通り、歴史に学ぶより歴史を学ぶことが重要とのことなので、通しで読むのがおすすめ。
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投稿者:なつめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本人が気付かなかったことの再発見に、驚きました。外国人の視点を、大切にしていく必要を実感できてよかったです。
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投稿者:ヤマキヨ - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治時代の廃仏毀釈で貴重な文化財が多数失われたことや、フェノロサなどの外国人が「凍れる芸術」のように日本文化を評価したことは知っていました。本書を読んで、外国人による日本の再発見が、現在の日本の観光地にどのように貢献しているのかが、より詳細にわかりました。日本古来からの伝統とか、クールジャパンなんて行っていますが、現実は日本人によるself-produceというわけでは必ずしもないようです。
外国人の評価でコロコロ変わる日本人って今も昔も変わらないんですね。
もちろん、本書のタイトルにあるように、ステレオタイプや過度の期待による、日本の誤読・誤解もあわせて取り上げられています。
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<目次>
第1章 妖精の住む「古き良き日本」時代
第2章 明治日本の外国人旅行環境
第3章 国際観光地、日光と箱根の発展
第4章 第一次世界大戦前後、訪日旅行者増減の大波
第5章 「見せたい」ものと「見たい」もの
第6章 昭和戦前、「観光立国」を目指した時代
第7章 昭和戦後の急成長
第8章 現代の観光立国事情
<内容>
「観光立国」を目指す日本は、近代になってからどのように推移してきたのかを豊富な資料によって分析した本。これを読むと、第一次世界大戦後にも「観光立国」を目指した時代があり、その時にも「見せたい」ものと「見たい」もの差があったという、現在とあまり変わらない日本の様子が示されている。最終章にある、山陰の自治体の勘違いをわれわれはずっとやってきている。こうした本で早く気が付く必要がある。
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〈要約〉
訪日外国人数は近年急激に増加しており、政府は高い目標を設定してるが外部要因による影響を大きく受けやすい。リスクヘッジの為にも、外国人が体験したいと考えていることと日本人が体験して欲しいことのギャップを念頭に歴史を学び分析し、きめ細やかなマーケティングを行うことが欠かせない。
〈感想〉
「観光」という観点から日本の近現代史を俯瞰した「歴史の教科書」です。
幕末から現代に至るまでの外国人から見た日本、興味がある日本と、それを受けて日本の観光に対しての意識がどのように変遷してきたのかが分かりやすく書かれています。
最終章では、更なる外国人観光客の増加を見込む日本に対しての、著者からの課題提案で締めくくられます。
これまで学校で学んできた歴史とは全く違う観点から語られる外国人と日本の関わり方の話はどれも興味深く、多種多様な文献や、詳細なデータを列挙した解説は信頼できるものでした。
並行して読んでいた「日本はどう報じられているか」において、国際関係における経済、安全保障のために、海外に向けた戦略的な情報発信を行う必要性が説かれていましたが、まさに観光もその一翼を担う事業と言えるのではないでしょうか。
観光とは単なる娯楽ではなく、国にとってすれば外貨獲得の重要な手段であり、その国をイメージ付ける戦略として考えるべきことなのでしょう。
バブル期に日本が外国(主にアメリカ)との経済摩擦を考慮して訪日外国人誘致に消極的になったタイミングと、バブル崩壊後に起きた日本のイメージ低下(日本異質論の残滓)は無関係とは思えないのです。
政府は外国人観光客の更なる増加を目標にしています。
幕末から「外国人が見たいもの」と「日本人が見せたいもの」には大きなギャップが連綿として続き、その理由として根本的な徹マーケティングの不足を挙げ、これが水モノである観光産業のリスクヘッジにつながることを説いています。
昔、地方へ税金をばら撒いた結果、日本各地にくだらない建造物が乱立し、当然のごとく無駄遣いに終わりました。当然地方としては県外からの来客数増のために行ったことでしょうが、何も考えず、見せたいものを作ろう考えよう、の結果です。
斜めに見たことを書きますが、よくある広告屋のように、「おれたちが流行を作る」という奢った考え方ではなく、今求められているものを丁寧に分析して現状を把握し、ニーズとトレンドに沿ったPRを油断することなく行って行くことが大事なのでしょう。
この本の主題とはズレますが、ミクロに考えると、これは人とのコミュニケーションにおいても同じことが言えるな、と読みながら思った次第です。
多くの面で新たな視点を与えてくれる良書でした。
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これは日本の観光産業の歴史を綴った本です。
明治の開国以来、外資の獲得手段の一つとして
日本へ観光客を呼び込むことは、重要な施策
であることは誰もが想像できると思います。
途中に戦争や関東大震災などの不幸な出来事
で中断はあるものの、戦後最大の中断理由は
「貿易黒字」なのです。
それはバブルの頃でしょうか。内需拡大なんて
叫ばれていた時に、外資をもっと、なんて
言えるわけがないです。
その貿易不均衡が解消された今だからこそ、
観光客を大勢呼び込もうと言える時代になった
のですが、コロナが憎らしいです。
おそらく「貿易黒字」に次ぐ、中断理由として
歴史に残されると思うこのコロナ禍ですが
きっとまた復活することを祈って読むべき
一冊です。
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日光東照宮、吉原遊廓、原爆ドーム……外国人は日本で何を見たかったのか、日本人はなにを見せたかったのか。明治から現代までを通観
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●→引用
●当時の西欧人には、前記のように自分たちの「伝統を擁護」しなくてはならない理由があった。いっぽうで日本人には、外国と対等にわたりあうため富国強兵を推し進め、封建時代からの「伝統を壊す」必要があった。その相違がぶつかりあった時代での見解の相違である。このことは、外国人と日本人との間で、日本の魅力に対する感じ方、ギャップの根深さを浮かび上がらせているように思える。
●現在書店に並ぶ旅行ガイドブックはどこへ行ったらいいか、何を食べたらいいかを教えてくれるハウ・トウー本の領域にとどまっている。その土地の歴史、文化、自然地理、芸術、文学、動植物といった教養に属する記述はほとんどない。あってもほんの数行程度である。昭和の末ごろまでは国内の旅行ガイドブックなら、地元の郷土歴史家や地方紙の文化面担当者、高校の教師や大学教授が著者となり、見どころの歴史などを案内していた。外国旅行のものならその道の権威筋といった大学教授などが著者として名を連ねていた。これらは明治時代以来の旅行案内書の特徴、さらにいえば欧米の出版社による旅行案内書の伝統を引き継いだものだった。
●西欧人と日本人との大きな相違の一つは、身近な日常の中に宗教が根付いているか否かではないだろうか。西欧人の多くは、日常生活の中で祈りを捧げることのほか、旅先でも教会などでは親が小さな子に壁画を指さしながら「これがペテロで、あっちがパウロで・・・」などと絵の中の話を説明している光景をよく見かける。普段絵本で読み聞かせている聖書の中の話を、出かけた先の教会でも自然にしている。旅先でも宗教が離れずにある。日本人の場合、宗教が生活の中に入っておらず、お寺との関りをもつのは法事のときくらい、という人が多い。旅と関連した庶民の間の宗教的行為といえばお伊勢参りがあるが、それも盛んに行われた時期とそうでない時期があり、旅と宗教的行為との関係は比較的薄い。
●政府が国内力制限を全面撤廃しなっかた最大の理由は、条約改正において格好の交渉道具と考えていたためである。よく知られているように、幕府が欧米諸国と結んだ不平等条約を改正することは、明治政府にとっての最重要課題だった。
●中国人へは、日本の伝統的見どころを見せても、かえって歴史が浅いと見下されてしまう。中国人へは近代的姿を見せただけである。韓国人へは、近代的側面と歴史的側面、その両方を見せた。(略)同じ東洋でも国や地域により日本が見せたいものは異なった。明治前半、外国人の遊歩区域規定が条約改正の条件闘争に利用されたように、この時代の観光には、対米感情やアジアの覇権に絡んで政治、外交の要素が色濃く入り込んでいた。
●明治時代以来、日本は、欧米観光客からのフジヤマ、ゲイシャといったオリエンタルなまなざしを甘受し、それを宣伝してきた。いっぽう東洋からの旅行者には近代化した日本を見せようとした。しあしそれは西洋からは近代化を被った「偽者の東洋」として見られ、東洋や南洋からは「西洋文化を模倣した偽者」として見られてしまう危険性をはらんでいた。このジレンマに気づいた小山栄三らは、大東亜共栄圏���人間に対して、日本の科学的産業的施設を見せるのにとどまらず、「皇道精神」といった日本民族の精神的崇高性を理解させるべきだと主張した。”皇道精神”を啓蒙することこそが、ジレンマに囚われることのない大東亜共栄圏の観光宣伝の帰着点としたわけである。
●観光国の条件としては、「気候と治安のよさ」を前提として、「文化、自然、食」の魅力が高いことが重要といわれる。ハワイはそれらを満たしている。日本も治安は合格、気候も四季おりおりで合格、アンケート結果では食の評価も高い。文化や歴史の魅力も備えているとしたら、残るのは自然である。だが、日本人は自国の自然を過小評価し、魅力を活かしきっていない。(略)本書で多数の例を述べてきたように、日本の文化や歴史に関心をもち日本にやってきた人たちも、日本各地の自然に魅せられた。日本の自然に魅力がなかったら、彼らの多くは日本滞在の年月をずっと減らしてのではないかとさえ思える。文化や歴史に興味があっても息抜きが必要で、自然の中に身をおきたくなる。日本にはそうした自然も多種多様にあり、それらとセットになればリピーターも増えていく。
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外国人がみたい日本と、日本人が見せたい日本のギャップ。
観光政策は、明治期から始まっていた。
箱根、軽井沢、日光は、蚊がいないことが重要だった。
感染症下、観光が再構築できるか。
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明治維新、開国から現在まで外国人観光客の誘致の歴史を俯瞰する。外国人の求める日本と日本人の見せたい日本のギャップが興味深い。
外国人向けの観光ガイドブックに記される観光スポットは日本人のイメージと時に大きく異なる。京都の伏見の鳥居などはその顕著な例。
明治から大正、昭和戦争を経てその後平成、令和まで、外国人観光客を増やそうとする歴史について語られる。
最終章は偶然ながら観光産業のリスクについて。戦争、テロのほか伝染病によるリスクについて指摘を奇しくも筆者の懸念は新型コロナウィルスの蔓延により的中してしまった。
壮大なテーマをコンバクトに解説。新書ならではと一冊。
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本来なら東京オリンピックは、外国からの観光客を迎えてアピールするいい機会だったのだろうが、コロナウイルス感染拡大でうまく行かなくなった。
外国人が日本のどんな所に期待してやってきたのか、そして迎える側の日本人が見せたかったものの間にはギャップがあったようだ。
明治時代に外国人が日本のどのような点に興味を抱いていたのかわかるのが旅行案内書だ。
アーネスト・サトウという幕末に日本にやってきたイギリス人外交官が編著者として関わった旅行案内書がある。それは「明治日本旅行案内」だ。最初は横浜に拠点を置くケリー社から発行された。第2版からは創業1768年のイギリスの出版社マレー社から出版された。
食べるものに苦労していたのだなと思わせる箇所があった。今と違って外国風の料理を食べることもなければ、レストランもあちこちにある時代ではないからなあ。
それにノミや蚊には苦労した。イザベラ・バード「日本奥地旅行」で、宿泊した宿でノミに何度も悩まされたことを記している。
「明治日本旅行案内」によると、日光が3番目に位置する。著者も指摘しているが、今ならもっと低い。しかし、日光東照宮があり徳川将軍家と関わりが深く、過去とこれからついて関心を持っていた。
意外なことに最近だった日光東照宮のきらびやかな陽明門に関する記述は淡々としたものだった。
今でも意外なことに関心を示して驚いたことがある。それは渋谷のスクランブル交差点だ。日本人でも見慣れない地域から来た方は驚きはするが、わざわざ見に行くほどのものとは思っていない。
外国人からすると横断するときに誰ともぶつかることのない姿を見て驚くようだ。
外国人が見たいものと日本人が見せたいものにはズレがあってもおかしくはない。お互い異文化で生活する生き物なのだから。