紙の本
樅ノ木は残った 中
2022/05/13 19:49
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
謎に包まれる原田甲斐の人間性が少しずつ明らかになっていく。船岡での原田一族の暮らしや山に入った甲斐の人の変わりよう、長年追い回した鹿の「クビシロ」との死闘も描かれる。
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物語から目が離せられない
2019/03/03 09:14
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
山本周五郎の言うまでもない、代表作のひとつで、長編歴史小説である。
平成30年秋に改版された新潮文庫では上中下の三分冊になっていて、これがその中巻。
この長編歴史小説が江戸時代前期に実際にあった「伊達騒動」を題材としていることはすでに書いたが、この小説の面白さは騒動の真実が明らかになる面白さというよりも、物語がもっている緊張と緩和の面白さといっていいように思う。
その顕著な例が、新潮文庫改版の中巻の冒頭にある「第二部 くびじろ」の章ではないだろうか。
ここでは主人公である原田甲斐が自分の領地である船岡に戻り、その山奥で鹿猟をする姿が描かれている。「くびじろ」というのは原田が長年追い続けた大鹿で、ついに原田はくびじろを射止める奇遇を得る。
大鹿と対峙しながら原田の心に去来するのは、自分は間違って生まれたという後悔。伊達藩の大家に生まれたが自分が欲したのは、野を駆け、動物たちと共に生きることではなかったかと。
この章は「伊達騒動」を描くということではあまり必要性を感じないにも関わらず、この章があるから、そして、この章のような枝葉が実に見事であるゆえに、この長編小説はとてつもなく面白いのだといえる。
「くびじろ」という章はまるで一篇の短編小説を読むが如くで、読書の面白さがここにはふんだんに盛り込まれている。
同時代的にこの小説を読んでいた人にとっては、たまらなく幸福の時間だったのだと思える。
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この作品ほど,私の中でいつまでも余韻に浸れるものはなかった。原田甲斐。この名前に何度胸を痛めただろう。読み進めれば読み進めるほど辛くなる。中では,甲斐の人間らしい部分に触れることが出来る。大鹿「くびじろ」との一戦にこそ,原田甲斐の本音が見える。
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真ん中ぐらいまで、読んでる。
「1Q84」に集中しているので、登場人物を忘れています。
や、やばい。
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あっという間に読み終えた感のある中巻。登場人物たちが生命を吹き込まれたというか、知り合いになったという感じでしょうか。未だに、主人公原田甲斐が何をどう見通して行動し、言葉を発しているのかまではわかりません。でも、その目的は理解しているつもり。 今回つくづく思うのは、作家というは普通の頭脳ではないということ。物語と情景描写だけでなく、その場の雰囲気、香り、臭い、人の動きまでを読み手の頭の中に映像化させてしまう、そんな文章を書く人って普通じゃありません。私が江戸時代の風景をこの眼で見ているわけはないので、大河ドラマやその他の時代劇で見た映像が助けになっていることは大いにあるのだけれど、それにしてもすごいものです。想像力を書き立てる文章を書く人はすごい。たくさんの人の思い、人格、駆け引きを一人の人間が創造するというのは、すごいことだと思うのです。これは、今まで小説を読んできて初めて感じたことでした。今までこういうことに気がつかなかった私が鈍なのかもしれませんね。
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従来の伊達騒動と原田甲斐の人物評価を180度覆した新解釈でも有名になったこの作品は、何が真実で何が嘘なのか、何が正義で何が悪なのか真摯に考えさせられます...
【開催案内や作品のあらすじ等はこちら↓】
http://www.prosecute.jp/keikan/018.htm
【読後の感想や読書会当日の様子などはこちら↓】
http://prosecute.way-nifty.com/blog/2006/09/post_c5ac.html
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男たちの戦いを見ながらも、黙って仕えるしかない女たちがいます。母であり妻であり娘でありながら、であるからこそ、主君に仕える男たちの犠牲にならなければならない女たち。武家の女の悲しみが淡々と描かれます。
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徐々に明らかになる一ノ関と雅楽頭の密約など、物語が加速中。しかし、一番ミステリアスなのが主人公・原田甲斐。一体何を考え、行動しているのか?
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『樅の木は残った(中)』/★★★★★/甲斐の意外な一面や新八のある意味での成熟が描かれたり、作中の時間の流れが感じられる。下関に対してどう戦っていくのか、下巻は渦中に入っていく展開になりそうですね。
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中巻は冒頭が熱く濃厚なマタギ小説になっていたり、甲斐と宇乃の心の交流が若干オカルト気味に感じられたので多少面食らったりもしましたが、伊達騒動を軸としたそれぞれの人物の野望、野心、宿願などがコントラスト鮮やかに描かれているので、夢中になって読み進めることができました。物語の中心から少し離れた位置にいる、言うならば脇役にも多くのページが割かれていて、その部分のドラマも良いです。本筋と脇が絶妙に絡み合い、長篇作品の醍醐味を存分に味合わせてくれます。
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いや、しかしロシア文学のように同じ人が違う名前で読まれたり、同姓/同名も多いから気を抜けない。そして陰謀が数年スパンで行われ、半年~数年は何もないまま過ぎていく。長大です、素晴らしいです。
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読んだきっかけ:古本屋で安かった(3冊280円)。
かかった時間:2/25-2/27(3日くらい)
内容:中巻は、宿老茂庭周防の辞任から、若殿の袴着の祝いまで。
またしてもあらすじを、wikiより転載しましょう。
(wiki「伊達騒動」よりあらすじ抜粋・ネタバレあり)
(ここから中巻)
宗勝は家老の原田甲斐宗輔らと藩権力の集権化を行い、地方知行制を維持しようとする伊達氏一門と対立する。一門の伊達安芸宗重と宗勝の甥にあたる伊達式部宗倫の所領紛争が起こると→
(ここから下巻)
→伊達安芸は幕府に一件を上訴する。
1671年(寛文11年)3月27日、騒動の裁判を行うため大老の酒井忠清邸に原田甲斐や伊達安芸ら関係者が召喚される。
原田甲斐はその場で伊達安芸に斬りかかって殺害する。
だが、原田甲斐も安芸派の柴田外記朝意と斬りあいになった。
原田甲斐は柴田外記によって斬られ、柴田外記もその日のうちに原田甲斐からの傷が元で死亡した。関係者が死亡した事件の事後処理では原田家や兵部派が処罰されるが、伊達家は守られる事となった。
ということで、中巻はあらすじ的には、物語はすすんでおりません。
しかし、不信・疑惑といったドロドロした人間関係は相変わらず地味に大きく動きます。
よく大河ドラマとしてもったなぁ…。
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下まで読んでしまったのですが、この主人公原田甲斐の生き方に深い感動を覚えずにはいられないです。最後の感想は下に書くとして、感動を受けた文を書いて終わり。
主人公原田甲斐に仕える丹三郎が、
「『自分の死は御役に立つであろう』と云った。主人のために身命を惜しまないのは、侍の本分ではあるが、だれにでもそう容易に実践できることではない。甲斐は丹三郎を知っているし、彼の性質としてそういうことを口に出して云う以上、そのときが来れば死を怖れないだろう、ということもわかっていた。
―ーだがおれは好まない。
国のために、藩のため主人のため、また愛する者のために、自らすすんで死ぬ、ということは、侍の道徳としてだけつくられたものではなく、人間感情のもっとも純粋な燃焼の一つとして存在して来たし、今後も存在することだろう。――だがおれは好まない、甲斐はそっと頭を振った。
たとえそれに意味があったとしても、できることなら「死」は避けるほうがいい。そういう死には犠牲の壮烈t美しさがあるかもしれないが、それでもなお、生きぬいてゆくことには、はるかに及ばないだろう。」
鬼役(毒見役)に向かうときかない丹三郎に対して、甲斐は言う。
「『人間はかなしく、弱いものだ、景林寺の僧がもし大悟徹底していたら、火中であんなことは云わず黙って静かに死んだことだろう、おそらく従容として、黙って死んだのが事実だと思う、火中にあって、心頭滅却すれば火もまた涼し、などというのは泣き言にすぎない、けれども、その泣き言を云うところに、いかにも人間らしい迷いや、みれんや、弱さがあらわれていて、好ましい、私には好ましく思われる』(中略)『人は壮烈であろうとするよりも、弱さを恥じないときのほうが強いものだ』」
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中巻では主人公の原田甲斐のキャラクターがより明らかになってくる。
くびじろ(大鹿)との対峙の場面では、孤独に身を置きながら(それゆえ)、強い信念を持ち続ける甲斐の心情をよく表しているともいえる。
最終巻(下巻)に向けてサスペンス的に物語は進行していく。
以下引用~
・「人間は壮烈であろうとするよりも、弱さを恥じないときの方が強いものだ」
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伊達家60万石を守るため、原田甲斐は国老となり、陰謀の中心へと近づく。
伊東七十郎、3ヵ条の誓紙、柿崎六郎兵衛など伏線が張り巡らされているが、最終的にどう収束するかサッパリ分からない。原田甲斐は攻めも守りもせず、誰にも己の本心を見せず・・・。しかし、いつかは攻めに転じないと話は進まないだろうし。下巻に期待。