紙の本
感情に流されずに主張する大切さを学べる1冊
2019/05/30 17:26
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
感情的になって持論をごり押しする、「対話ができない人間」であると世の中では迷惑なだけ、ということを、著者が実体験も踏まえて丁寧に説いた1冊です。
持論と相対する側の見解を聞く大切さを学べます。ものの見方が広がった気が、読み終わってしみじみ感じました。
投稿元:
レビューを見る
ネットを見ていると嫌でも?耳に飛び込んでくるネトウヨ、パヨク。それらについて触れた本というのがまず新鮮だった。中身を読んでいても分かるな・・・と思うことが多い。医療の世界などでも話の通じない人というのは見かけるが、そういう人達と重なってくるように感じた。
そして、著者が自分のやっている塾で聞いている話というのが、凄くリアル。何の疑いもなく偏見を持って大人になるというのはかなり怖いし、下手すると今以上にリスクコミュニケーションが難しくなるかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
ネトウヨとパヨクは議論できない人々であることがよくわかった。帯にある通りなんだ。
ネトウヨやパヨクはどこにでもいる。ゲームの世界にも沢山いる。
投稿元:
レビューを見る
【子どもに○○する前に読む本】
『明確な目的も主張もなく、だた情熱だけが先走る』
『善意のある悪事』
『“論理”がない主張は、論理破綻のしようがなく、議論が成り立たない』
「これ、オレだ!」と言ってしまうのは大げさですが、心の声の語尾が「~すべき。~に決まっている」だった数年前の自分に重なる部分が多く、読んでいて思わずドキッとしました。
《ネトウヨとパヨク 物江潤 著》
『ネトウヨとパヨク』と呼ばれる人々。
著者自身が実際に彼らと接するなかで知る、絶対的な『対話不能』。
著者いわく『だれでもなり得る存在』と。
では、自分がそうならないためにはどうすればいいのか。
著者は提言のひとつとして、議論のルールを守ることを挙げます。
それは、
1. 自分の主張は仮説であると肝に銘じること。
2. 他人の発言権は奪わないこと。
3. 良い悪いの判断は『根拠』と『事実』ですること。
良し悪しの判断が『相手の声の大きさ』になってしまいがちな自分にとっては、『根拠と事実』を注視する必要性がとくに大きいと思いました。
また作中で著者は、真っ白でスポンジのように吸収する子供たちが、インターネットをとおして偏った主張へと容易に接続できる環境の危険性も訴えます。
対話不能な人々のことを知ると、この危険性は非常にリアル。
ネットに漂う偏った主張はどうやって生み出されるのか、親として知っておくことが大切なんじゃないかなと、自分も子を持つ身として思います。
子どもにスマホを持たせる前に、親はこの本を読んでおくべきだと僕は主張したい。
もちろん、仮説ですが。
投稿元:
レビューを見る
「ネトウヨ」はネット右翼、「パヨク」とはその反対の立場の人を批判的にとらえた表現です──本書の2ページ目にこう書かれている。ネトウヨはともかく、パヨクの語源がわからない。ググると、某電脳アイドルが引っかかってきた。く、くだらん! まあ、どちらも概念はわかった。そして本書はこの「対話のできない相手」といかに議論するかという内容だった。①事実→②論拠→③主張という議論のルールは覚えておこうと思った。
投稿元:
レビューを見る
ネトウヨであろうとパヨクであろうと一番いけないのはそれのみに固持する思考だと思われるがどうか。
ある一人の人物がおりネトウヨから持ち上げられパヨクからは攻撃される、またその逆でもよいが、その考え方は一つであり立場が違えば変化するという認識を持てないのが一番腹がたつ。
人は常に右に左にぶれながら生活している。それに合わせて皆が右や左にぶれながら生活するのが一番まっとうな世の中だと思うのだが、今のこの時代それを表に出すことができない何故なのだろう。
その答えがこの本の中に存在した。
投稿元:
レビューを見る
主にネット上で「ネトウヨ」「パヨク」と呼ばれている対話不能な人々に対するフィールドワークと社会学的分析の著述です。
個人的に印象に残った部分は、彼らの言論が若年層(中高生)に悪影響を及ぼす危険性を指摘しているところです。
正直に言うと、学校教育ではその性質上、それに十分に対応することが難しいと感じましたが、やはりcritical thinkingを普段からあらゆる場面で実践することが大切であると考えます。
「自分の主張は本当に正しいのか」
「その意見の根拠は十分であるか」
「なぜそのように言えるのか」
私も自戒することを忘れずに生徒たちと接していこうと思います。
投稿元:
レビューを見る
ネトウヨとパヨクを分析、深堀したものではない。
ネトウヨとパヨクを対話のできない人として定義
対話ができないとはどういうことか
を論じた本。
論理的な対話は
トウールミンの議論モデル
①事実②理由付け(論拠)③主張
から成り立つ。
結論ありきの議論は理由付けがきちんとされていないので、対話にならない。
本人が正義と思っていることで人の意見を聞かないことがある。
対話とは他の意見をロジカルに聞き、自分の主張もあくまで仮定といして、建設的に意見をアップデイトしていくこと。
結論を言い争い、人のロジックを聞かないことは対話になっていない。
ネットだけではなく、実社会の会社の打ち合わせなども、意外と対話になっていないのではないだろうか。
また、極端な主張でも、ネットに居場所ができて島世界を作れる現状を説明。
Twitterのように短い言葉で断言するSNSは、ロジックの組み立てではなく、断言と感情的な共感から成り立つから、ロジカルな対話のようなものは必要とせず、世界を作れる。
投稿元:
レビューを見る
友人から虎ノ門ニュースを勧められて以来、彼らのマインドがどうにも受け入れがたく、そういった気持ちをネットで書いてみると「パヨク」認定されることがあって、自分は何者なのかと思い読んでみた。
本書に書かれてある通り、私に対して「パヨク」認定してきた人たちは対話不能だと感じた。ネトウヨにとって相手を「パヨク」と罵ることは何よりの攻撃あり防御であり、これは逆もしかりなのだろう。そこにはなんの論理もなく、むしろ小学生が言い合いになって相手を「バーカ」と罵る状況によく似ている。
現実ではあまり「ネトウヨ」も「パヨク」も聞かず、しかしネット内ではこの言葉は頻繁に見られる。それも感情的なシチュエーションで使われる。
対話が重要だとは思いつつ、ネットの中での対話は難しく、現実世界で「ネトウヨ」「パヨク」と使う人間が私の周りでは皆無だ。そもそも「ネトウヨ」も「パヨク」も互いにそれが良くない言葉だとわかっているので現実で使わないのだろうから、正体がつかめない以上、その溝を埋めていくのは難しいように思われる。
投稿元:
レビューを見る
「ネトウヨ」「パヨク」と呼ばれる彼らのSNS上での大立ち回りに辟易してしまい何か良い心の持って行き方の手立てはないかとこちらを読み始めました。著者のフィールドワークに基づいた考察が豊富で素直に読み進める事ができました。沢山の例が出てきますが結局は「対話のできない人」は放っておくのが良いのかな、というのが感想です。
自分は「ユーモアと素敵なレトリック」で議論できるよう努めたいと思いました。