紙の本
不思議なリアリティ...
2022/03/04 13:20
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投稿者:higassi - この投稿者のレビュー一覧を見る
小説表現が厳しく統制された近未来(?)を描いた作品。「療養所」での生活の細かな描写のせいか不思議なリアリティがあり前半から引き込まれ、心地良い展開ではないのに一気読みでした。桐野夏生さんの作品は久々でしたがパワーを感じました(毎日新聞「今週の本棚・著者」20201031)。
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
桐野夏生さんの社会派の長編作品はたくさん読んできたが、本作は、登場人物の名前からして、ちょっと現実離れしている気がして、最初戸惑った。SFのような味わいがあるので、自分とは関係ない世界のことだと思うと、冷めてしまうのだ。
しかし、読んでいるうちに、どうも現実社会と全く無縁とは言えないらしいことが分かってくる。そして衝撃のラスト…。とにかく恐ろしく、肩の力を抜いて読めなかった。
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投稿者:6EQUJ5 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ある突如として監禁が始まったらどうなるのか。ひたすら不条理。しかし近未来の日本を描いているようなリアルさもあります。風力発電のタービンの音が不気味に響く。
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全体的にスピード感があって、(ディストピア小説好きにとっては)わくわく小説なのだが、帯に書いてあるように「表現の不自由」の近未来と言い切るには、その描写が不足してませんか?具体的に規制対象として何度も出てくるのは過激な性描写程度でしたよね?
ディストピア小説としては、2021年の日本の感覚からみると軽すぎる理由でビッグブラザーから召喚されるという風にした方がよかったと思うんですよ。例えば『子どもを産める年齢なのに産まない異性愛カップルしか出てこない小説を書いた』とかね。
あと同じく帯にポリコレって言葉が入っていますけれども、文化文芸倫理向上委員会が言ってることは全くpolitically correctに基づくものではないので、ミスリードです。
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衝撃的な桐野夏生の一作。
読んでいる最初はどんな話しに進んでいくのか
謎の包まれた話だったが、政府によって言論統制
された世界。
そこで自由を奪われた作家マッツ夢井が、体験する
悪夢の様な日々、国家に反した小説や言動を取り締
り更生させる施設と名を打った刑務所さながらの
施設だった。最近はSNSなどの炎上やTVでの規制
が特に強くなっているが、国やそこに暮らす人々も
他人の言動やメディアの発言には、良くも悪くも
敏速になっている。
一個人への攻撃も酷いが、ヘイト的な物も確かに
多数ある。でも全てが、監視の元で検閲されるのは
隔たった情報のみを鵜呑みにしてしまう可能性
もある。マッツ夢井が最後にみた朝日は、これから
どの様な光となるのか、希望なのか暗黒なのか
また闇に溶け込む様な朝日には日本はなって欲しく無い事を願う。
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マッツ夢井というペンネームで活動している女性作家松重カンナ。彼女の作品は性愛を描いたものが多く、人間の想像の及ばないところに本質があると信じて活動していた。
突然ブンリンと名乗る団体から召喚され、治療と称して監禁させられてしまう。理由は、社会に適さない思考で描かれた作品であるため。それを矯正させるため。
この小説はフィクションだと思いたくなるが、必ずしも現実とは異なるわけではない、という点が本当に恐ろしい。
思考の矯正はウイグル・香港でも起きていること。
自粛警察が公的にできたようなもの。
蕎麦殻枕に忍ばせられた遺書を読み、それを信じてしまう点はコロナ禍で誤った情報を信じてしまう人の存在と似ている。
日本学術会議のメンバーが政府に任命を取り消されたことは、マッツのような排除とは違うのか。
転向をせず、自分が自分で居続けるための自殺は尊厳死なのか。
まだこの国に自由があるのだろうか。
それを考えるためにも読むべきだ。
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国家が権力を使い、私たちの知らないところで、この療養所のようなことを行なっていたら。
現実に起こるわけない、と言い切れない雰囲気が今の日本にあることが恐怖を加速する。ノンストップで読了した。
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一気読み。
友だちの意見聞きたい。
マッツ夢井はエンタメ小説家だったから、国から目をつけられた。純文学作家でも狙われる? 越智はミステリー作家で反原発小説を書いたら連れてこられたって。もしもこんな世界になったらみんなが面白かったよ素敵だったよ楽しいよ綺麗だよ美しいよ美しい日本よってことだけが正しくなってしまって、共感しないと何が書いてあるのかわからないと駄目(実際ほんまのほんまに何が書いてあるのかわからないと読めないってひとたくさんいるから)なつまんない小説や漫画や映画ばっかりになっちゃったとしたら、そんなの求めてないし、汚くていらないって思ってしまった。
マッツ、どうなったんだろう。。
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小説は基本的にどんな内容でもアリだ。その登場人物が話の中でどれ程不愉快な振る舞いをしても、それは話のなかだけだ。しかし国家権力が特定の作家に対し、その考えを改めるまで「治療」を施すとなれば・・・。これは今の日本(自由度がどんどん狭まりつつある)で読むから、よりリアルで恐ろしく感じる。
召喚され療養所に入った女性小説家マッツ夢井。読者から内容が不適切との指摘を受け連行される。不適切とされるものは凶悪犯罪への執着、暴力、異常性癖、差別の助長、論理性の欠如、反社会的な思考、そして国家への反逆である。これらが作品にどんな文脈であれ書かれている本の作者が対象となっている。
収容されてから、その施設の異常なルールが徐々に明らかとなり、先に入所していた作家達がどのような目に遭っているかもわかってくる。
マッツは早々に要注意人物とされ、扱われ方が徐々に非人道的なものになっていく。そのような状況下において、マッツの心が揺れる様子がなかなかに怖い。
この怖さはSF・ファンタジー的なある種、距離感のある怖さではなく、現代日本において明日にでも起こり得るようなリアルな怖さだ。実際、上記の不適切について、今では多くの人が賛同しているような気がするものだから。
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桐野夏生作品は、一気読みしてしまう何かがあるのだが、今回もそうだった。
書きたいものを書けないことほど、作家にとって辛いものはないのではないか…。
購入後に、ディストピア感があるよと聞いて読んだが、確かにこれは一九八四年に通ずるものがあるかも知れない。
社会からはみ出した者は施設に入れて矯正し、みーんな同じにしてしまう。あれはそう言う話だった。
本作は、作家から生み出される小説に対しての矯正だが…ここまで言論統制が進んでしまえば、と考えると、非常に恐ろしい。
私も途中で、主人公であるマッツ夢井のこれからに希望を抱いたが……崖へ向かう彼女は、あれ以外に何を思ったのか。絶望し、何も考えられなかったのか。それとも……
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作家は政府が求める『いい小説』だけ書いていればいい。
それに反するものは強制収容所へ。
ではいい小説とは?
と反発すれば、ノーベル文学賞を取る小説やハートフルな泣ける小説。逆に悪い小説は暴力行為や官能シーンがある小説。
なんとも無茶苦茶な…
と思っても、もし現実でそうなってしまったらなんとも怖い。国の方針に沿わない作家は狩られる時代が来たとして、本を読む人の人口は年々少なくなっているから大して話題にならない。気づいた時には作家狩りは当たり前になっていて、同時に小説だけでなく他の表現の自由も奪われる。
タイトルの通り希望はない。日が沈みます。
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翼をもぎ取られるも皆んなが涙する良い小説を書いて生きれば良いのか、もしくは書かずに死ぬばよいのか、そんなの酷すぎる。暗くて怖くて絶望しかない。でも、作家に限らず、何かを表現する人達には、収容されなくとも何らかの圧力だとか制限がかかっているのではないか…。そんな事象が現世界でも目立つ。知らず知らずのうちに出口のない迷路に閉じ込められるのかもしれない。
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言論統制の厳しい国家により、監禁された女性作家の末路。
第一章 召喚
第二章 生活
第三章 混乱
第四章 転向
激しい性描写やタブーを作風にしていた女性作家・マッツ夢井は、総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会(ブンリン)からの召喚により、強制的に療養所に収監されてしまう。
納得できない表現の自由の蹂躙に、錯乱していく精神。
入所者の相次ぐ自殺と、ブンリンの飴とムチ。
マッツ夢井は生きて帰ってこれるのか?
途中までどうなるんだろうと期待していたんですが、読後感は、何が言いたかったのかなぁと思ってしまった。
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2020年9月29日第1刷。最近矢継ぎ早に読んでいる作家桐野夏生さんの最新長編小説である。しかもどうやら、「表現の不自由」の近未来を描くという、まさにタイムリーな、現在の滅び行く日本の病理に直接対峙する内容らしいので、非常に期待して購入した。
が、読み始めて物語世界の薄いシュールさに戸惑い、「大丈夫かな」と心配になった。カフカ、ブランショ、オースター、安部公房、アンナ・カヴァンに近いような、現実感から遠いような状況が直ちに開始し、物語としてどうなのか、心許ない気分になったのだ。
基本的には現在の日本なのだが、ネガティヴな作風を咎められた主人公の女性小説家が、「総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会」なる官公庁から召集され、ソルジェニーツイン風の収容所に監禁されるという設定だ。この辺がどうも、自分の現実感覚としては飛躍的すぎるように感じられて、不安になったわけだ。
映画「時計仕掛けのオレンジ」の主人公が洗脳され、「カッコーの巣の上で」の主人公がロボトミー手術を受けたような残酷さで、「下品な」小説家の「更生」が押しつけられる。しかも、そこに出口があるのかどうか極めて不透明だ。他にも、政府批判や猥褻な作品を書いた作家たちも収容されているらしい。
最初の方で所長と交わされる(永久に噛み合うことの無い)文学論も興味深くはあるが、ちょっと唐突な感じがした。
「1984」のようなディストピアを描いたこの小説は、しかし、読み進めるうちに、
「これはまさに、今の日本社会の状況だ」
と共感させる迫力を帯び、物語後半は焦燥感に駆られ、主人公の幾度にも渡る敗北の屈辱を共に味わいつつ、圧倒的な感銘のうちに読み終えた。
これは、時代に真っ向から切り結んだ、リアルな、狂おしい苦痛に満ちた、大変素晴らしい傑作小説である。
あまりにも非人道的な収容所での生活は、一見、現在の日本とかけ離れているように最初は感じられるのだが、そういえば、我が国の「入管」では現にすこぶる非人道的な暴力行為が横行しているらしいという情報を最近よく見かけるし、たぶん自分が直接見てはいないものの、この国では現在もどこかでは、このような暴力が「公」によって駆使されているのかもしれない。
時代の不穏さに関しては、開巻1ページ目にしてただちに触れられている。
<私は基本的に世の中の動きには興味がない。というのも、絶望しているからだ。いつの間にか、市民ではなく国民と呼ばれるようになり、すべてがお国優先で、人はどんどん自由を明け渡している。ニュースはネットで見ていたが、時の政権に阿る書きっぷりにうんざりして、読むのをやめてしまった。>
最初はなんとなく読み過ごしてしまったが、読み直してみると、これこそが安倍政権7年間においてどっぷりと病に蝕まれ異常そのものとなった現在の日本の姿である。
テレビニュースが政府批判をするとただちに自民党からの抗議電話が延々と殺到し業務が出来ない事態にまで追い込まれ、それによって大手マスコミは屈したのだが、それにしても、このようなファシズムむき出しの政権を支持する大衆が少なからず存在するとともに、問題意識を自ら封じてしまった無関心層がその無言によって政権支持に加担した。総体的に国民の過半数を超える無教養・無知性な人びとが教養ある知識人を迫害しにかかっているのが、今の、滅亡プロセス真っ直中の日本である。
この小説の中にも<善意がはびこって世界が息苦しくなった>といった文があった。この「不寛容な正義」がいかに暴力的なものであるのかは、今年のコロナ禍における「自粛警察」「感染者狩り」等によってあからさまになった。この小説はコロナ以前の作品だが、事態はさらに深刻を極めているのである。
ネガティヴな作品は禁止、ポジティヴな作品だけが良い。という妙な価値観が蔓延していることは、20世紀末頃から私もじわじわと感じていた。それがついに、「正義」「公」を振りかざした行政によって、この小説では暴力そのものとなっている。
この本があまりにもエキサイティングでアクチュアルな問題と苦痛を吐露していることに驚き、「週刊読書人 2020年10月2日号」( https://dokushojin.stores.jp/news/5f74214d93f61956cbe6fdf0 )を購入し、桐野さんと星野智幸さんの対談を読んだ。ここには、本書が生み出された作者の思いなどがストレートに語られており、興味を感じた方は是非読んで欲しい。
この本の発想は東日本大震災以後の世情から来ているようだが、やはり、「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展」事件も強く意識されている。
<(桐野)(表現の不自由展は)表現の自由を問題にしているのに対して、「その表現で傷つけられた人間のことも考えろ」と激しく反撥される。全然違う話にすり変わっています。問題としている部分が根本的に違ったままで、会話が成立するはずがありません。>(前掲、週刊読書人)
そう、多様性に対する寛容さがいったん失われてしまえば、「話し合い」はひたすら不毛なだけのものとなり、世は全体主義に向かうしかないのである。
こうしたディスコミュニケーションの苦しみが、この小説を覆い尽くしている。
まだそんなに多く読んでいないが、この桐野夏生さんという小説家は、「現代のプロレタリア文学」とまでときおり言われるような、現代社会の生活上の苦痛を中心に描出しているように思われる。それは、人の心の傷口に手を突っ込んでグリグリとかき回すようなスプラッタ的残酷さを帯びており、恐らく多くの読者は、「面白いけど、苦しくて辛すぎる」と思うのではないだろうか? この作家は一応「エンタメ系」に分類されていて作品は書店にもよく置かれているし、例えば島田雅彦さんのような完全な純文学系作家と比べれば遥かに売れ、読まれているのだろう。しかし、「大人気」とまでは決して言えないのではないか。
いみじくも、2001年の新聞上のコラムで彼女が書いているのを見かけた。
<もともと私は文句体質である。理不尽な目に遭ったり、不公平を感じたり、不透明な出来事が生じたりすると、つい文句を言いたくなる。>(「女の文句」:エッセイ集『白蛇教異端審問』所収)
昨今よく見かけるクレーマーというのとは違うのだろうが、日々出会う悔しさ、苦しさ、痛みに対し、怒りを込めて反撃を試みようとしている、一人の女性の心がここにある。
もちろん、その感性は私とは全然異なったものだろう。しかしその、ドストエフスキーにも似た苦しみの文��作品を通して、読者はレヴィナス風に「他者の苦しみ」を引き受けることを迫られるのだ。それはつまり、極めてラジカルな、あまりにも人間的な局面を形成するのだ。
本小説は最後に「え? え? やっぱりそっちなの?」と驚かされるのだが、前掲の「週刊読書人」の対談によると、作者は再稿においてその「Uターン」となる15行を書き加えたのだと言う。映画「パピヨン」のように最後は自由の空/海が広がるのではなく、今この社会には明るい未来など片鱗も見えて来てはいないのだ、と言うかのように。
<むしろ、息苦しさはこれからもっと酷くなると思います。今の現実が、一番のホラーです。>(前掲「週刊読書人)
エンタメか純文学かといった区分けなどどうでも良いと私は思っているが、桐野夏生さんの小説はドストエフスキーやカフカのような、時代を反映し緊張感に満ちた優れた結実であり、この現実社会の歪さと、たとえば松本清張のような昭和の大作家と同様に戦い、しかし女性作家として全く異なる感性と方法で戦おうとしている。
完全におかしくなって滅びようとしているこの社会との絶望的な戦いがこの先どのように展開されていくのか、私は息を詰めて見てゆくしかない。
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怖い…怖すぎる…
一見無理がありそうな設定ながらも、もしかしたら本当にありえる?と思わせる描写。
いつの間にか引き込まれて、続きが気になって気になって寝る時間も忘れて没頭しました。
マッツ先生の勇ましさ。お茶目さ。
気づけば先生と一緒になって、安堵したり怒ったり怯えたり。
最後の最後。おちと三上の協力を得てついに脱出に成功。空気がおいしいというマッツに対し、おちの、最後なんだからいっぱい吸っとけよ、的なセリフ。
嫌な予感がふつふつと…
桐野夏生さん久しぶり過ぎて忘れてたよ。
このままハッピーエンドで終わるはずなんてなかった。
あーこわい。過去に自分が読んだ小説の中で、間違いなくトップレベルのこわさだ。
どうかどうか、こんな世の中にはなりませんように。
大好きな小説が、ずっと自由に読める世界でありますように。