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コロナ禍のなか、新たに浮上した「利他」というキーワードに5人の識者がそれぞれの観点から論考を寄せた。私たちは新しい生き方を考える境界に来ている。
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東京工業大学の「未来の人類研究センター」の共同研究から生まれた本。専門テーマの違う5人がそれぞれの観点から「利他」への向き合い方を探る。5人分合わせても200ページもなく短い文なので深い論考というよりはそれぞれの論点の紹介という雰囲気も強いが面白い。個人的には伊藤亜紗氏は元々の関心が近く引用されていた未読本は読みたくなったのと、あとは國分功一郎氏の中動態の話は前から気になっていたのでこの本で簡単に触れて改めて興味がわいた。
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個人的には若松英輔の民藝のところが面白かったですね。作品が作り手の意図を超えていくところに作品の良さが現れる。というか意図を持つと良い作品にならない。手が学んだことに委すことによって美が生まれるということだそうです。
利他も同じで、利他は手仕事のようなもので、一度きりの出来事で決して繰り返されない。利他的になろうとすればするほど、利他から遠ざかっていくのかもしれません。
「自」と「他」が「不二」となること。一つのものではなく二つのものなんだけれども、全く別の二つではなく結びついていることを「不二」というそうです。そうした「不二」を実現することから利他が生まれ出てくるというところなんかはとても面白かったです。
この辺り、中島さんは仏教の「無為」という考え方を引いていたり、國分さんの「中動態」も似た様な感じだなと思いました。伊藤さんは利他を最大化するのが良いのだ、という効果的利他の考え方も紹介しつつ、数値化によって失われるものを指摘し、結局、自分の行為の結果はコントロールできない、という意見でした。
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自分以外に利する行為・考えとは何か。
第一章 「うつわ」的利他
日常生活における行為から利他を考える。著者の「目の見えない人は世界をどう見ているのか」を読んだ事もあり、具体例から分析しており分かりやすい。
第二章 利他はどこからやってくるのか
人文科学的な見地から利他を考える。著者の文章をいくつか読んでおりこちらも理解しやすかった。特に「小僧の神様」のくだりは面白い。
第三章 美と奉仕と利他
柳宗悦から始まる「民藝」から利他を考える。利他の定型化を警告する。
第四章 中動態から考える利他
哲学から利他を考える。やや抽象的であり少し分かりにくい。やはり具体例から考えていくのが初心者にはいいかな。
第五章 作家、作品に先行する、小説の歴史
それまでど毛色が異なる。著者と先輩作家である、北杜夫・小島信夫・保坂和志との交流を描く。純粋に面白い。
紀伊国屋書店天王寺ミオ店にて購入。
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利他主義altruismは、クライアントの支援にあたる専門職には欠かせない概念です。Arnold & Sternによる医のプロフェッショナリズムの定義では、臨床的能力(医学知識)、コミュニケーション・スキル、倫理的・法的理解の3つからなる基盤の上に、卓越性、人間性、説明責任、利他主義の4本の柱が支えてプロフェッショナリズムが構築されています。難しい本ですが、「利他」について考えるよいきっかけになると思います。
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コロナ禍に「利他」が流行っているらしい。それを東京工大の「未来の人類研究センター」のメンバーで、この言葉の論考を集めた本。伊藤亜紗、中島岳志、国分功一郎、若松英輔、磯崎憲一郎と今はときめくかどうかは分からないが、私自身は共感を呼んでいる著者ばかり。それぞれの論考の切り口が興味深い。「利己」の反対は「利他」ではなく、國分氏の言う言う「中動態」の概念を持ってしないと本当の理解には到達しないもの。「間主観」的なものか。色々な思いがわきあがる良書であった。こういうメンバーを揃えている東京工大は侮れない。
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利他とはうつわのようなもの
自分が立てた計画に固執せず、常に相手が入り込めるような余白を持つ
組織のあり方、会議の議事進行のなかでも雑談のような「余白」が必要
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4人それぞれの「利他」についての考察が書かれていた。わかったようなところと難しいなぁと思うところがあったが、「利他」を考えるきっかけになった。
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利他とは?を、異なるバックグラウンドの複数人の観点から追求した結果、様々な料理や素材を受け止めるような「うつわ」であると結論づける本。個人的には自分と他人を一体として捉えた自然への同化と解釈した。
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「うつわ」という言葉が響いてきました。分ける、対立するのでなく、うつわに入れて和える、和ませるという感覚でしょうか。「平和」の「和」ですね。
本の中身とは直接関係ないですが、こんな研究ができる東工大は素敵だと感じました。
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最後の会話が口論でいいのか
断っても「これ美味しいから一口だけでも食べてみなよ」は、利他が利己になった
能動と受動、中動態 意志の所在
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利他について、さまざまな専門家がさまざまな視点で。
利他とは自分の中にあり、本能的なものというのが私の受け取り方。
全体の内容とは関係がないが。
ブルシットジョブという仕事があることには気づいていて、それが単語化されていることに驚いた。
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思ってたんとちがう。
読後に感じたこの違和感は、この本がそれだけ私に価値ある一冊だったことを物語ります。なぜそう感じたのか、お話します。
この本は、東京工業大学内にある、人文科学の「未来の人類研究センター」に集まった5人の研究者による合作本です。
様々なキャリア、視点から、「利他とは何なのか」という問いに答える。その切り口の幅広さに、読む前に持っていた漠然としたイメージに広がりを与えてくれました。
この本を読む前に期待していたことは、
「利他とは、他人のために自分の時間とお金、即ち命を貢献することだ」
という定義です。
その定義が当たり前にあって、他人の文章から、それを確認するために読む。そんな動機から本を手にしたのです。
元々、自分の目指すライフスタイルの1つに、利他という観念がありました。
どうすれば利己的な考え、自分勝手な生き方からおさらばして、他人のために尽くすような考え方ができるのか。これが今のテーマになっています。
言い換えれば、目指すべきところ、目的地は定まっていて、具体的にどうすればそれが達成できるのか。そんなステージにいるといえるでしょうか。
旅に例えるなら、東京に行くのが決まっていて、そこまでに新幹線はやぶさに乗るのか、夜行バスのMEXを使うのか。そのような違いでした。
ですが、この本で論じられることは、その前提が違いました。東京でいいのか?そもそも、目的地は南にあるのか?北にあるんじゃないか?いやいや、目的地を意識的に決めている時点で、どうやっても本当のゴールにはたどり着けないかもしれないぞ・・・といった具合です。
嬉しい誤算でした。
私がヒトのため=「利他」だと思っていたことが、場合によっては利己主義の裏返しかもしれない。ありがた迷惑にもなりかねないと気づかせてもらったからです。
例えば作中、伊藤亜紗さんという研究者が、障害者に対する「過ぎた優しさ」の例を取り上げていました。障害者は日常の生活の何もかもができないわけじゃない。カンタンな作業なら自分でできるし、それを自分でやってこそヒトの尊厳が守れます。
ですが、私達は利他心から1から10まで面倒を見てしまいがちだ。そう、伊藤は「過ぎた優しさ」に警鐘を鳴らしています。
また、批評家若松英輔さんの指摘も興味深いものがありました。
利己的、利他的と私たちは言葉を分けているが、「他人」とは自分と分け隔てられたものだろうか?という疑問です。
他の人とは、必ずしも自分と無関係なモノではない。自分と何らかのつながりがある人。また、利他においては自他の区別をなくし、「2人でありながら1人」として認識することが大切だ。と彼は仏教の言葉を引用します。
これまでの考えは、あくまで利他を表現する考え方の1つに過ぎず、
考え方を変えれば、ちょっと違った(場合によっては真反対の)捉え方も可能なのです。
利他を目指すのであれば、まずその目的地がどこであるのか。
この疑問に対して、この本が完璧な解答例とは言いません。ですが、盲目的に「世のため人のため」と言う前に、私に一呼吸置かせてくれる良書でした。
もしかしたら、目的地は自分の家の中にあるかもしれませんね。
(青い鳥ようなオチ、失礼します)
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善とは利他のことではないかと常々考えていたところにぴったりの名前の本を見つけたと思い読んでみた。目論見は外れたものの、著者ごとの角度から面白い知見を得られた。特に國分氏の古代ギリシャには意思がないというのは興味深く、人間に自由意志はないとする話を思い出した。
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荒木博之のbook cafeで紹介されたものを偶然拝聴し、「利他」の在り方を本書で触れてみたいなと思い、手に取ってみた。総じて、利己的な利他へ陥ることへの警鐘と。「うつわ」としての自己からさらに上位へと昇華したものとの関わりからの達観した感覚を受け取りました。
第一章 「うつわ」的利他 - ケアの現場から
「共感からの利他が生まれる」という発想は、「共感を得られないと助けてもらえない」というプレッシャーにつながる。これでは助けられる側は常にこびへつらってなければならない。
→この指摘は、日常でも常に感じてることを言語化してくれてる。
相手のために何かしているときにでも、計画から外れることをむしろ楽しみ、相手が入り込める余白を持っていること。
→最適化をデータで測定された対象にしか貢献しないという主張もあるが、限定的な思考ではなくどこかゆとりのある相手との相関性を感じながらの利他。何かを一義的に一方的に与えることがそのまま利他ではないという感覚が大切だな。
第二章 利他はどこからやってくるのか
贈与は一見利他的な行いの代表ではあるが、その裏には同時にもらった側に負債の感覚を与えてしまうという問題が孕んでいる。
→ほんとに良く苛まれる感覚。プレゼントや何かを奢ってもらうこと自体は非常に良いことなんだけど、その代わりに見返りをせねばと心が落ち着かなくなることは多々ある。さらに、返礼を前提での施しもまれにあるので、そういった利他は精神的に辛いものがある。
利他とはオートマチックなもの。私たちの中には、真の利他はなく、何か私を突き動かすものが外に感じられるのだろう。その感覚に身を任せることで、何か苦々しい思いから脱却することができるのでしょう。
→かなり自分なりの意訳です。でも、実感覚として躊躇する利他はどこか突っかかってるイヤーな気持ちが沸き上がります。
第三章 美と奉仕と利他
「民藝」という概念。日常使いされる手作りの調度品などにこそ美が顕現するいう。しっかりと触れたのは初めてだったので、理解が薄くなってしまって残念。
第四章 中動態から考える利他 - 責任と帰責性
現代人は能動と受動の関係で物事を判断しているが、そこには個人の意思が介在している。過去からの連綿と受け継がれる道程に未来があるという考えは、未来を過去からの継続出ないものとする意思による過去との切断があるのだ。意志の力によって因果関係が浮き彫りになり、責任を個人に起因される態度が表れている。
中動態はある人の心を場として発生するものであるから、責任は神的因果性によって個人から免責されその現象を客観的に捉えることで、最終的に人間的因果性に回帰し、頭ごなしではない責任について向き合えるのだろう。
→中動態について初見。これは個人的に新しい視座を与えてくれそうな予感。そんな気がします。
第五章 作家、作品に先行する、小説の歴史
アプローチの展開が他とは一線を画すものではあるが、小説家の作品を生み出す真髄のようなコアな部分に触れることができた気がする。単純に読み物として引き込まれる章だったな���