紙の本
民藝と利他
2021/05/22 21:09
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:第一楽章 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「あなたのためを思ってしてあげたのに(言ってあげたのに)!」、「わたしは〇〇してあげたのだから、あなたは感謝して(喜んで)しかるべき」と、初めは他者を思ってのことだったはずなのに、いつのまにかその他者に刃が向いてしまうこともある「利他」的な行い。そうならない本当の「利他」とは何か、伊藤 亜紗、中島 岳志、若松 英輔、國分 功一郎、磯崎 憲一郎の5名がそれぞれの観点から論じています。
ひとつの到達点が、「利他」とは「うつわ」である、という結論。それは、様々な料理を受け止めその可能性を引き出す余白を持つ器(うつわ)のように、特定の用途や作り手の意志に固執せず、相手(使い手)の踏み込む余地、余白を持っていることが肝要なのではないか、という考えです。これは若松が本書で指摘しているように、柳宗悦の提唱した”民藝”に通ずるものです。
作り手の意志がひしひしと伝わってくるような、名のある作家による凝った器は、実用するのではなく飾って観る分には大変美しく素晴らしいものかもしれない。でも使ってみるととても使い勝手が悪い、あるいは実用に耐えない。それは使い手のことを考えた「利他」的な器ではない。逆に、生活の中の様々な場面で使われてきた品物の美を見出したのが”民藝”であり、作り手の意志から離れ使われてこその価値がある。そこに「利他」と共通するものが宿っているという考えは、すっと胸に落ちてきました。
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医師は患者さんのために働くし、産業医は働く人のために働くので、利他的な職業でありそうですが、そこで利己的な利他を発動しがちなのもまた真だと思うので、メタな視点ってやっぱ重要なんだなあ、と思いました。
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伊藤亜紗さんの論考がおもしろすぎて、引っかかる文章が多すぎて、ずっとツイートしながら読んでしまった。それを一つ一つ拾いはしないけれど、まとめの部分だけ引用する。「よき利他には他者の発見がある。相手の言葉や反応に真摯に耳を傾け「聞く」こと。利他とは「聞くこと」を通じて、相手の隠れた可能性を引き出すこと。同時に自分が変わること。善意を押しつけるのではなく、うつわのように「余白」を持つことが必要。」この、「うつわ」ということばの使い方がまだしっくりこないが、中島岳志さんのあとがきによると、どうもキーワードのようだ。「うつわ」からの連想で、土井先生が言っていた、「混ぜる」のでなく「和える」。それから古くは梅棹先生が言っていた人種の「るつぼ」ではなく「サラダボール」。まあ、関係なさそうだけれど、いろいろ考えてみよう。「うつわ」いっぱいいっぱいにならないように気を付けよう。中島岳志さんの話は他でも読んだり聞いたりしているものが多かった。「哀れみ」ではなく「慈愛」。利他は自分の中にあるのではなく、どこかから自然にやってくるもの。ところで、生徒にテストやプリントを手渡しているとき、「ありがとございます」と言ってくれる子がいる。こちらは「あたりまえ」のことをしているだけでお礼を言ってもらうようなことではない。まあでも、そんなに嫌な気はしない。息子に月々の仕送りをして、ラインで報告すると「ありがと」と返信が返って来る。たぶん、「あ」って1文字打つだけだと思うが。それが月1回唯一のコミュニケーション。まあ「はい」だけでもいいような気はする。國分功一郎さんの話は、通勤途中の電車の中で読んでいるので、しっかりとは頭に残っていない。中動態から意志の問題、そして責任と、ここまではつながったが、そこに利他がどう続くのか。再読が必要。若松英輔さんの「民藝」の話はちょっとつかみ切れていない。とりあえず、本日、年1回のお墓参りの後に河井寛次郎記念館に行く予定。磯崎憲一郎さんは、小島信夫を取り上げている。村上春樹の紹介で、「馬」を図書館で借りて読んだ。安部公房好きの私なので、変な話は嫌いではない。しかし、利他とはどこでつながるのか・・・ところで、本書は、ツイッターで紹介されているのを見て、アマゾンでポチって購入。ところが、どうやら間違って2回ポチったようで、2冊送られてきた。同時に。返品するのもムダなので、誰かにプレゼントしようと思う。大学に合格した卒業生が、報告に来てくれるといいのだが。
後日、大学院に進学した卒業生が来てくれたので、あげた。
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「利他」とは何か、読んでいながら解答を求めている自分に気付きました。各自なりに考えて実行することが、近づく近道だと思いました。
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昨年NHKの番組でジャック・アタリ氏が発した「利他主義とは合理的な利己主義」という言葉に私もとても共感したのだけど、この東工大の研究会のメンバーがまた豪華だし、とても面白かった。特に伊藤さん、中島さん、若松さんの章はわかりやすいし読んでいて膝を打つことが多かった。
放送直後にもこのジャック・アタリ氏の発言には反響が多かったような気がするし、今後もこの研究を重ねてまた本を出してほしい。
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利他とは何か
本書を読むことで感じたのは、近代的な人間論、個人への懐疑であった。本書を通底する思想はここにあると思う。利他という時、そこには、利他を行う自己の存在がある。その自己はなんでも自己決定ができ、すべての意思決定をコントロールできるものである。その操作性の高い自己による他者への奉仕や行動は、その操作性の高さを他者にも応用するものでもある。自分が自分の意思決定を自由にできるということを前提に、他者への奉仕を考えたとき、人は他者を自由に意思決定できる主体として捉える。そしてそうなったときに、自分が他人から奉仕されたら当たり前のように行動する返答を、相手に期待してしまうことがある。障がいのある人が、みんなに好かれるよう強制されることの背景には、奉仕したからには当然に感謝せねばならず、支援をされる側の人間の行動を規定することを無意識に行ってしまう危険性がある。
しかし、本当の利他とは、他者の行動に対しての返答の要求や予測可能性を排した次元にある。後々自分に返ってくるから善行を行うという考え方はもってのほかで、他者がどう感じ、どう受け取るかをいうことに対しての自己の意志というものは排されるべきである。その姿を「うつわ」として表現することもできる。
また、このような発想をするためには、近代的な自己像の解体も必要である。我々は自己決定をしているようで、自己決定をしていない。自分で行動しながらも、何か自分でないところから湧き上がってくる行動がある。それによって行われたことは、能動/受動という二項対立には位置づけられない、中動態とも呼べるような様相を呈する。こうした近代的な自己決定論の解体の先に、新たな社会像の提起がある。我々の意思決定や自己決定への非―操作性に気づくことから始まる議論や社会の在り方があることを、本書は提示しているように思えたのである。
村上春樹は、自分と“うなぎ”が小説を書いているという。それは、かつて古代ギリシャ人がダイモンと呼んだ、何らかの自己ならざるものなのであろう。
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言葉の意味って、考えるほどに難しい。
利他ってなに?と聞かれると、利己の反対だとか、相手のために考えて行動することだとか、そんな辞書的な意味の答えばかりが頭に浮かんできた。
そのうちに聞かれたことではなくて、自分の利他にまつわるエピソードとかを、思い巡らせたりしながら、この本を手に取った。
「利他とは何か」というテーマに関して、5人の著者が全く別の視点から考察するこの本は、最終的に近いところで着地しているところが、おもしろいと感じた。
「利他」に関わらず、「共感」などポジティブな面にばかり向けられた言説が多い中、悪い面も取り上げているところが興味深い。
例えば、利他であれば、「寄付する」の行為は、寄付される側が、選ばれるように仕向ける努力をするという、間違った結果を生みかねないこともあると指摘している。
Yahoo!基金など、寄付することが身近になったいま、腰を据えて考えてみるテーマであるように思える。
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様々な角度から「利他」とは何かについて書かれている。
単純に人に対して良いことをするという訳ではなく、より深く思考を進めていく。これによら、これからの世の中に必要なものの本質を見つける事ができるかも知れない。
特に中動態の考えは初めて触れるものだったので新鮮な感じがした。
意志の概念に「責任」の概念も関わっているというのは最初はピンと来なかった。しかしファシリテーションを行う際に各人に責任感をしっかり持てるかと考えた時にハッとなった。意志をしっかり持つと責任も生まれるのかと気付かされた。
利他を考えた時にお情けではなく如何に他者が変わる事ができるか、また自分自身も変われるか、倫理の問題と併せて色々と考えさせられました。
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某所読書会課題図書.「利他」に関する5つの別個の解説が収められているが、それぞれが独立しており理解が難しかった.國分功一郎の"中動態"の解説はよく理解できなかった.中島岳志の「利他はどこからやってくるのか」が取っつきやすかった.例としてインドでの経験を述べていたが、贈与と利他の問題提起だ.純粋な利他はあるのか という疑問も投げかけている.まだまだ考えていく必要のある問題だと感じた.
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自力の限りを尽くした果てにこそ、どうにもならぬ自己の限界を知りうる。そうした無力に立った人間におのずとやってくるのが他力であり、阿弥陀仏の慈悲である。なるほど。他とは他人ではなく仏様なのですね。人事を尽くしてこそ天命を得るわけだ。神仏混淆なれど、はなから神頼みに走る私は項垂れるばかりです。ヒンディー語の与格も勉強になった。「私は思う」ではなく「私には思える」という観念。自分が思っていることを自分でコントロールしているよりは、思いのほうに自分が翻弄されているという感覚。思い上がりを戒められる良き教えでした。
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作為的でなく、中動態において相手が起こす不利益を受け止める(自分観点で結果をコントロールしない)という意味での信頼を前提に起こす(というよりオートマティカルに起きる)行為が利他ということかな。利己的な利他とか自己犠牲的な利他とは別モノ。中動態と責任の話は消化できてないけどもっと掘り下げて知りたいと思った。応答としての利他行為。
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『「利他」とは何か』(伊藤亜紗編、集英社新書)。利他という言葉を聞いたことはありますか。わかりやすくいうと、他者を大事にするという考え方です。人間が備えている労(いたわ)る気持ち、思いやりの心を意味します。
新型コロナウイルスによって世界は危機に瀕(ひん)しています。この危機を乗り越えるためにどう生きればよいでしょう。この問題について美学者、政治学者、批評家・随筆家、哲学者、小説家が論じています。
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利他とは何かについて、専門領域の違う5人のそれぞれの視点から描かれている。興味深いのは、書き振りが少しずつ違うものの、5人が行き着くところがほんわりと広がりを持ったまとめかたになっているところだ。
つまるところ利他とはうつわになること、ということを細やかに拾い上げているように感じた。
うつわとは何かということを考えると、以下の要素があげられるのではないか。
【うつわの特徴】
受け止める
土台
主役は中身
中身に仮初の形を与える(液体の場合)
中身をより分かりやすくする
中身に雰囲気を添える など
つまり私はたしかに質量を持って存在していながらも、誰かにとってのうつわであり、
一方で中身でもあって、だれかに受け止めてもらっているということではないだろうか。
その組みなおしの繰り返しの中で、うつわや中身の材質や広さや深さが変わるのではないだろうか。
以下ネタバレ
各著者の気になった表現のメモ
・伊東氏
あらゆる人間的な仕事は本質的にはケアリング
余白をもつ
自分の行動による相手の結論は操作できない
・中島氏
利他は尊厳とは切り離せない
自分の個を超えた力に促されて生きる「業」
(心臓の動きとか意識してない)
慈愛と自己愛の不確実性
無力を知ることができた人間にやってくるのが他力
自力の限りを尽くした上で他力はやってくる
・若松氏
自他を超えた存在
物が奉仕をする
作ったものでなく生まれたものになるように
利他はいつも本物であることを求められる
人間の争いを食い止めるものが美
・國分氏
問題を起こした本人が自分について研究をするのが当事者研究
・磯崎氏
どんなにめちゃくちゃなことが起こってもこの世の中全体が存続し続けることだけは肯定する
冒険をしながら書き上げた作品こそ大きな力が宿っている気がする
・中島氏(あとがき)
〜してあげたいが脅迫になる可能性
物自体が自己生成し、展開する
オートマティカル
⇆持続性
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利他主義、重要性、可能性、負の側面、危うさ。
5人の利他をめぐる思考。
伊藤 亜紗、中島 岳志、若松 英輔、國分 功一郎、磯崎 憲一郎
NOTE記録
https://note.com/nabechoo/n/n8ef70156840a?magazine_key=m9672e1d4fe74
利他について、何となくの理解でいて、
真剣に考えた事もなかったが、
改めて、この5人の考えを聞くことで、
腑に落ちたり、新たな発見したり、
少し利他の本質を理解できた気がする。
(結構、難解で理解できない部分もあったが)
本当の利他は、「うつわ的利他」で、「余白が必要」
そして、「人知を超えたオートマティカルなもの」ではないかと。
若松英輔さん、去年辺りから
好きになりつつあって、この本買う
きっかけにもなったんだけど、
今回ちょっと難しめ。でも好きかも。
それより、國分功一郎さんの中動態の話、
興味深いが、全然分からない笑 難しい…。
こんなに「利他」を考えると、
深いものなのか。
真の利他性を持って生きたいものだけど、
なかなか難しいか。
「個の道は真の意味で利他に通じる」
が、理想的っぽい。
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利他の反対語は利己だが、このふたつは常に対立するものでなく、メビウスの輪のように繋がっている。利他の行為には時にいい人間に思われたいという利己心が含まれている。
ただ、どちらにせよ自分の意思で信念を持って実行した事は是と考えるしか無い。