著者の戦争に対する強い想いを感じた。
2021/12/31 21:33
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投稿者:シュウハオ - この投稿者のレビュー一覧を見る
子供時代を戦争の中で過ごした著者は、東京大空襲で壮絶な体験をし、何とか一命を取りとめた。成長し出版界に身を置く中で、戦争中に発せられた言葉を集め、戦争について探求したものの一部がこの本になった。語り口は穏やかだが「何故、あの戦争を止められなかったのか?考えるべきだ。」そんな思いを強く感じた。
半藤さんが遺してくれたもの
2023/08/24 06:42
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の半藤一利さんが亡くなったのは2021年1月。
亡くなる直前まで雑誌「歴史街道」に連載していた作品で、
雑誌連載時には「開戦から八十年-『名言』で読み解く太平洋戦争」という
タイトルがついていました。
これはエッセイですが、その内容は雑誌連載時のタイトル通りです。
中には、これが「名言」と思えるものもありますが、
それは半藤さんもわかっていて、
「許しがたい言葉にこそ日本人にとっての教訓がつまっている」と書いています。
印象に残った「名言」のひとつは、
沖縄戦の司令官だった大田実少将のこの言葉。
「沖縄県民斯く戦へり。県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」。
これを踏まえて、半藤さんは
「大田少将の最後の訴えは、いったいどこへいったのでしょうか。」と嘆いています。
そんな「名言」の数々を
死を前にして半藤さんは残してくれたのです。
それを私たちにつなげていくように、というのが
半藤さんの強い遺志だったのだと思います。
孫が編集した半藤さんの遺作
2021/10/19 20:13
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
半藤一利さんが亡くなった後に、出版された「伝言」のような一冊だ。
「非人間的な戦争下においてわずかに発せられた人間的ないい言葉」や「名言」とはいえなくても「教訓を読みとることができる」言葉を示し、その歴史的背景などを紹介している。
お孫さんによる編集後記によれば、2019年に骨折で入院した半藤さんが病室で企画し、執筆したものだそうだ。
コロナで会えなくなる中、この原稿のやりとりが、祖父と孫をつなぐ「手紙」だったそうだ。
戦争経験者として、どうしても孫の世代に伝えておきたかった半藤さんの思いが伝わってくる。
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投稿者:nekodanshaku - この投稿者のレビュー一覧を見る
太平洋戦争の時代の、戦争に関わる言葉・名言を記しながら、あの戦争が、いかに大義がなく、分けがわからないものであったかを、まさに戦争を知らない世代に、教訓として残したいという著者の熱い気持ちで書かれている。日本人の国民性が、いかに煽られやすいかが分かる部分もある。敗戦後、十分に個々が反省しないまま、生きるために経済活動に邁進したために、繁栄があったのだろうが、コロナ禍の中、戦争の反省をしなかったつけが回ってきた気がする。
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やっと、半藤さんに会えました。ずっとずっとお話を聞きたくその時を待っていましたが、私もなかなか忙しく、今日に至った次第です。
ドラマぐらいしかわからない戦争の話を、いくつかの言葉に載せて、私たちのこれからの幸せとは、平和とは何かを考えるきっかけを与えてくれました。
また、これからも直々お話を聞かせてもらいます。
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今年の1月に亡くなった「歴史探偵」・半藤一利氏の最後の仕事です。太平洋戦争を各世界の人々の名言から読み解くとても貴重な作品です4.巻末の解説は半藤氏の奥様・半藤末利子さん(文豪・夏目漱石の孫)が書かれています。更に、編集後記は半藤氏の孫・PHP研究所 北村淳子氏が書かれています。
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毎年8月は極力戦争に関する本を読むようにしています。戦争を知らない私が、日本とは?日本人とは?という問いに向き合うときに戦争を知らなくていいのか?という想いがあるからです。戦争に触れれば触れるほど、平和な今の時代に戦争を知らないことの怖さを感じます。
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名を知りながら読んだことのなかった半藤一利さんの本をはじめて読みました。平易でわかりやすい書きぶりでページも少ないのに胸がいっぱいになりました。
「沖縄県民斯く戦へり」の章はいつまでも私のこころに残るでしょう。
ありがとうございました。
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半藤さんの最後の著作ということで読んでみました。
内容としては、戦争が身近に感じられて、その分恐怖を
覚える内容だと思いました。
内容よりも最後の、奥さんと、編集者であるお孫さんの
後記が胸にぐっとくる部分がありました。
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様々な文献に目を通し、頻繁なインタビューを実施して著に表している著者が、最後の最後で伝えたかったこと、残したかったテーマは戦争、ということなんだろう。
この書籍自体の分量は多くなく、1時間~2時間で読了できる。そのため、中高生や今まで本を読んで来なかった人にもお勧めできる。
歴史を発掘することで様々な価値を残してくれた著者に感謝申し上げたい。
ご冥福をお祈りいたします。
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今年の1月に90歳で亡くなった昭和史研究の第一人者「歴史探偵」の半藤一利さんの遺作です。「孫に知ってほしい太平洋戦争の名言」をエピソードとともに書いてあります。80年前、日本はなぜアメリカとの開戦に踏み切り、膨大な犠牲者が出てもなお戦い続けたのか…。この本を読めばわかります。この本には、沖縄での悲劇に代表される戦争の悲惨さ、当時の政治家、軍部などの無能さが詰まっています。文章も柔らかく、若い世代向きに書かれています。二度と戦争をしないためにも、すべての人が読むべき本だと思います。
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半藤一利さんは特に近現代史の研究家として第一人者であろう。しかし、安倍前首相や、その取り巻き達からは嫌われていた。第2次大戦における後世に伝えたい言葉を紹介したこの本は、半藤さん最後の著書である。
まずは山本五十六。真珠湾奇襲にあたり指揮官だけの会議において「日米交渉が成立したら、例え攻撃機発進後でも直ちに帰投せよ」と指示したところ、機動部隊司令長官南雲中将は「実際問題として実行不可能」と発言。山本長官は「兵を養うは、一に国家の平和を守らんがためである。これができない指揮官は即刻辞表を出せ!」と叱責。各指揮官は全員シュンとなったという。司馬遼太郎は当時の日本について「現実の日本は、アメリカに絹織物や雑貨を売って細々と暮らしている国で、機械については他国に売るほどの製品はなかった。陸軍の装備は日露戦争時に毛の生えた程度の古ぼけたもの(主力小銃は三八式歩兵銃、主力戦車はブリキと揶揄された)で、海軍は連合艦隊が1ヶ月も走れる石油はなく、その石油もアメリカから買っていた。大戦争など起こせるはずもなかった。」と書いている。自称保守派連中でも、この現実を理解していない者が多すぎる。
半藤さんは、昭和20年までの教訓で第一のものは「国民的熱狂を作ってはいけない」ということだという。
また、アジア解放を掲げアジアの人々のために戦争に向き合っていた日本人もいることはいた。しかし残念ながら殆どの日本人はアジア緒民族を軽蔑しきっており、それらの国を欧米の代わりに日本が支配するというものだった。もし当時の日本人に岡倉天心や高村光太郎のように、苦しんでいるアジアの民を自分の苦しみとしていたならば、後々まで憎悪されるような圧政はなかったのではないかと書いている。
沖縄戦において大田少将は大本営宛に「沖縄県民斯く戦へり。県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを」と電報を打った。しかし米軍基地問題等、沖縄の人々の心の内を無視して強行しているとも書かれている。実際このような考えは上だけでなく、例えば本土から来た警察の機動隊員が現地の人を「この土人が!」と呼び蔑んでいることを見ると、行政の末端に至るまで浸透していると感じる。
参謀次長河辺中将手記には戦争末期、北の国境にソ連軍の大群が集結しているのを確認しておきながら、攻めては来ないと結論付け、ソ連の日本侵攻の報に接し「ソは遂に起ちたり。予の判断は外れたり」と書いた。そのお人好しさに滑稽感があるばかりとして、軍上層部の情報収集能力や国際感覚のなさを指摘する。これは株をやっている人にもお馴染みの、自分の都合のよい判断をする「正常性バイアス」というものだ。
著者の企画メモにはこの本に記載されたもの以外にも、政治家や軍人らの有名な言葉が書かれている。それらに対する半藤さんの考えも読んでみたかったのだが残念である。
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半藤一利の著作を最後に読んだのはいつだっけ?
と思いながら、書店の平積みにあるこの本を手に取った。
その時亡くなっていることに気がつき、惜しい人を亡くしたなと感じた。
半藤一利といえば私の中では『昭和史』。
大学生の時に、なぜかわからないが読んだ。
戦争の悲惨さ、民衆の心の動き、政府の未熟さ。
どれをとっても悲しみと怒り。
沖縄に行けば、否応なく感じるその苦しさ。
それを気がつかせてくれたのも、この人だったと思う。
今の現代人が歴史に興味をもてないのは悲しい。
著者は
「人間の眼は、歴史を学ぶことで、はじめて開くものである。」
という。
歴史を伝える立場にある以上、この言葉を胸に刻みたい。
合掌。
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ぼくの地元は土崎空襲の地域でした。空襲は終戦の前夜。あと1日降伏が早ければ。。。そんな話をひたすら聞かされ、小学校の学芸会では空襲を題材にした劇を演じました。
また、ぼくの祖父母は子どもの頃に戦争を経験した世代。だから、食卓の会話として戦争の話が出てくることがふつうにありました。でも、もう少し年齢が下がると、祖父母も戦争経験がないということになります。だから、本書にある「最近のひとは戦争を知らない」という話は、ぼくが持っている印象よりもリアルなんだろうなと。
さて、本書は、戦時下の「名言」とそれにまつわるエピソードをとりあげ、そこから教訓を学んでいくという構成になっています。ぼくがいちばん印象に残った名言を紹介しましょう。
太平洋戦争末期、アメリカにボコボコにされてもはや死に体の日本でしたが、そこに追い討ちをかけるように、8/9、ソ連が満州に攻め入ります。この時、参謀次長河辺虎四郎中将の名言(?)が「蘇は遂に起ちたり! 予の判断は外れたり」 であります。実は、ソ連の侵攻というのは、日本軍には寝耳に水でした。半藤さん(著者)は以下のように分析しています。
・当時の日本陸軍の戦争指導層の大半が楽観していたのは、正確にいうと、ソ連がでてきたら太平洋戦争における今後の全作戦構想(本土決戦)は壊滅する、であるから、ソ連にはでてきてほしくはない。こうした強烈な「来たらざるを恃む」願望が、〝でてこないのではないか〟という期待可能性に通じ、さらにそれが〝ソ連軍は当然でてこない〟となった。つまり、起ってほしくないことはゼッタイに起らないという、根拠のない確信になっていったのです。
原爆の映像とかを見せて、戦争はこんなに悲惨なんだ、だから絶対にしてはいけない。こんな論調も多いと思いますが、これだけでは、さっきのソ連と同じで、「戦争は嫌だ→戦争はゼッタイに起きない」という思考回路にハマってしまわないでしょうか。今のひとに戦時中を想像しろというのは難しい話ではあるけれど、当時がどういう状況で、その中にいる人がどんな判断をして、結果どうなったか。これをひとつひとつ読み解いて、教訓を得ていくというのが、同じようなことを繰り返さないために必要なことだと思います。
最後に、半藤さんの奥さまが長岡空襲を遠くから見たとき、「息をのむほどに美しい眺めだった」という形容をされていますが、ぼくの亡くなった祖父も、同じようなことを言っていました。それを聞くたびに、じぶんは空襲を受けなかったからといって、なんて呑気な、と思っていましたが、実際の空襲は現実離れしすぎていて、そういうように感じてしまうものだったのかもしれません。
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半藤一利氏が雑誌『歴史街道』に「開戦から八十年—名言で読み解く太平洋戦争」を執筆する条件として、PHP研究所に籍をおく孫娘が編集を担当することで連載が始まりました。企画段階で37篇の「名言」が掲載される予定でしたが、2021年1月帰らぬ人となり、本書の14篇をもって遺稿となりました。 半藤氏の東京大空襲で九死に一生を得る戦争体験をとおして語られる著作からは、凄惨な歴史から学ぶべきことの重要さが切々と伝わってきます。戦争の語り部から戦争をなりました知らない読者へ、平和の願いを託された最後のメッセ-ジです。