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紙の本
☆世界史☆
2024/05/19 23:23
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ACE - この投稿者のレビュー一覧を見る
【序章】
黒死病やスペイン風邪の爆発的広がりを《地域間移動の頻度の増加》に着目して考える。
黒死病やスペイン風邪の拡大は、その国内の抵抗力の低下も要因の1つである。確かに、黒死病の蔓延したヨーロッパでは、寒冷に見舞われ、作物の生産量が低下していた。
ただ、《地域間移動の頻度の増加》に着目すると、黒死病の流行した14世紀半ばには、13世紀以降のモンゴル帝国の拡大、ユーラシア大陸の陸路・海路の整備により商業活動が活発したことが、またスペイン風邪の流行は、第一次世界大戦での総力戦(植民地の住民の投入等)が要因となっている。
【第1章】
ペルシア人の建てたアケメネス朝では、被支配民族の宗教や慣習に寛容であり、様々な言語と文字が使用された。公用語である古代ペルシア語を楔形文字で粘土板に、オリエント世界の共通語であるアラム語をアラム文字で羊皮紙等に記入して使用した。
【第2章】
古代ギリシア世界では、貴族の支配が続いていたが、身分闘争の中で、平民が徐々に政治参加を実現していった。その平民は、蓄えた経済力でポリスに貢献するべく重装歩兵となるのだが、武具等の購入や遠征による経済的負担がのしかかり、奴隷として没落する者も現れる。その状況下で行われたソロンの改革は、負債の帳消しや債務奴隷の禁止を行い、平民の奴隷への没落に歯止めをかけるようになった。しかし、根強く残る奴隷制を解消するには至らず、奴隷獲得の矛先を異国民へと向けた。その後、ペイシストラトスの僭主政治、クレイステネスの改革、ペルシア戦争、ペリクレスの政治を経て、古代民主制が確立していく。
【第3章】
12世紀のヨーロッパ・ルネサンスの原動力は、意外にもイスラム世界にあった。
古代のオリエント文化は、アレクサンドロス大王の東方遠征によりギリシ文化が流入、ヘレニズム文化へと融合した。そのヘレニズム文化を古代ローマが飲み込む。また、東欧以東ではササン朝がヘレニズム文化を吸収した。その後、西欧では異民族の流入等により分国化し、文化レベルが衰退していく。一方、東欧やイラン等の東側では文化が醸成され、さらに東のアジアや中国の文化とも触れ合う。その後、分裂状態が徐々に安定していった西欧側は、さらなる拡大のための国土回復運動や十字軍の遠征で相まみえたイスラム諸国から文化を吸収していった。
【第4章】
イスラム世界では、偉大なる預言者ムハンマドの死後、ムスリム共同体の指導者であるカリフが重要な地位を占めている。しかし、政治的権力者としてのカリフの実態は、初期と後代では異なっていた。例えば、7世紀前半のカリフは1人しかおらず、それも政治上の指導者として信者による選挙で選ばれていた。しかし、11世紀後半にもなるとカリフは複数が擁立され、その選出も世襲方式となり、セルジューク朝のスルタンが政治的権力を掌握していったことにより、カリフの権力は有名無実化していった。
【第5章】
本章では、中国史のうち、清の時代にスポットを当てる。
明から清へと交代し、ヌルハチ、ホンタイジと混乱の時代はあったものの、徐々に国力をつけていく。軈て、康熙帝、雍正帝、乾隆帝の時代に領土が拡大し、統治も安定し、生糸や茶の貿易を通じて銀が流入する繁栄期を迎えた。また、トウモロコシやサツマイモといった新たな農作物の導入は、山地の開発等を促し、耕地面積を増大させ、人口の急増を支え、東北、華南、台湾といった地への移住も進み、清の経済規模はさらに拡大した。
電子書籍
☆世界史☆
2024/05/19 23:24
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
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【序章】
黒死病やスペイン風邪の爆発的広がりを《地域間移動の頻度の増加》に着目して考える。
黒死病やスペイン風邪の拡大は、その国内の抵抗力の低下も要因の1つである。確かに、黒死病の蔓延したヨーロッパでは、寒冷に見舞われ、作物の生産量が低下していた。
ただ、《地域間移動の頻度の増加》に着目すると、黒死病の流行した14世紀半ばには、13世紀以降のモンゴル帝国の拡大、ユーラシア大陸の陸路・海路の整備により商業活動が活発したことが、またスペイン風邪の流行は、第一次世界大戦での総力戦(植民地の住民の投入等)が要因となっている。
【第1章】
ペルシア人の建てたアケメネス朝では、被支配民族の宗教や慣習に寛容であり、様々な言語と文字が使用された。公用語である古代ペルシア語を楔形文字で粘土板に、オリエント世界の共通語であるアラム語をアラム文字で羊皮紙等に記入して使用した。
【第2章】
古代ギリシア世界では、貴族の支配が続いていたが、身分闘争の中で、平民が徐々に政治参加を実現していった。その平民は、蓄えた経済力でポリスに貢献するべく重装歩兵となるのだが、武具等の購入や遠征による経済的負担がのしかかり、奴隷として没落する者も現れる。その状況下で行われたソロンの改革は、負債の帳消しや債務奴隷の禁止を行い、平民の奴隷への没落に歯止めをかけるようになった。しかし、根強く残る奴隷制を解消するには至らず、奴隷獲得の矛先を異国民へと向けた。その後、ペイシストラトスの僭主政治、クレイステネスの改革、ペルシア戦争、ペリクレスの政治を経て、古代民主制が確立していく。
【第3章】
12世紀のヨーロッパ・ルネサンスの原動力は、意外にもイスラム世界にあった。
古代のオリエント文化は、アレクサンドロス大王の東方遠征によりギリシ文化が流入、ヘレニズム文化へと融合した。そのヘレニズム文化を古代ローマが飲み込む。また、東欧以東ではササン朝がヘレニズム文化を吸収した。その後、西欧では異民族の流入等により分国化し、文化レベルが衰退していく。一方、東欧やイラン等の東側では文化が醸成され、さらに東のアジアや中国の文化とも触れ合う。その後、分裂状態が徐々に安定していった西欧側は、さらなる拡大のための国土回復運動や十字軍の遠征で相まみえたイスラム諸国から文化を吸収していった。
【第4章】
イスラム世界では、偉大なる預言者ムハンマドの死後、ムスリム共同体の指導者であるカリフが重要な地位を占めている。しかし、政治的権力者としてのカリフの実態は、初期と後代では異なっていた。例えば、7世紀前半のカリフは1人しかおらず、それも政治上の指導者として信者による選挙で選ばれていた。しかし、11世紀後半にもなるとカリフは複数が擁立され、その選出も世襲方式となり、セルジューク朝のスルタンが政治的権力を掌握していったことにより、カリフの権力は有名無実化していった。
【第5章】
本章では、中国史のうち、清の時代にスポットを当てる。
明から清へと交代し、ヌルハチ、ホンタイジと混乱の時代はあったものの、徐々に国力をつけていく。軈て、康熙帝、雍正帝、乾隆帝の時代に領土が拡大し、統治も安定し、生糸や茶の貿易を通じて銀が流入する繁栄期を迎えた。また、トウモロコシやサツマイモといった新たな農作物の導入は、山地の開発等を促し、耕地面積を増大させ、人口の急増を支え、東北、華南、台湾といった地への移住も進み、清の経済規模はさらに拡大した。
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