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電子書籍
☆近現代史☆
2024/05/26 00:57
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ACE - この投稿者のレビュー一覧を見る
【第1章】
ジャマイカの英雄ウサイン・ボルトは黒人だが、彼の出身国であるジャマイカには昔は黒人はいなかった。身近な話題から歴史を掘り下げていくと、そこには壮大なドラマがある。
西欧社会は中世のいざこざもあって、アジアやイスラム圏に比べ劣っていた。ポルトガルの喜望峰到達やスペインの国土回復運動完了によりイスラム勢力を駆逐していくと、今度は香辛料を求め、アジアへと進出を目論む。ポルトガルがアフリカ経由でユーラシア大陸に確立されていた海路に乗り入れする一方、スペインは大地球体説を信じ進路を西に、アメリカ大陸へと進出していった。軈て布教運動も兼ねて進出したアメリカでは、エンコミエンダ制を取る中で砂糖等の大規模農園の労働力確保のため、アフリカから奴隷を連れてくる大規模な貿易圏を築き上げていった。
【第2章】
1851年に第1回万国博覧会を開催したイギリスは、世界の工場の名のもとに、自由貿易を各地に強要した。クリミア戦争で財政難となったオスマン帝国は、イギリスとの貿易赤字に陥り、ミドハト憲法による近代立憲君主制を目指すも、露土戦争の勃発により挫折した。イギリスの綿製品輸入や税徴収で疲弊したインドでは、インド大反乱で抵抗するも鎮圧、軈て植民地化される。アロー戦争に敗れ開港場を増やした清朝では、総理衙門を設置して欧米諸国との対等外交政策に転じるとともに、洋務運動を開始して独自の近代化を模索した。また、日米修好通商条約を締結した日本は関税等の不平等条約によりイギリスの貿易体制に組み込まれるも、明治維新で体制刷新後、江華島事件で対外進出による国威発揚に臨んだ。一方、ビスマルクの下で国家統一を達成したドイツは、1879年の保護関税法で工業及び農業の発展を図り、イギリスに対抗した。南部の綿花プランテーションがイギリスと結びついていたアメリカは、南北戦争で北部中心の再統一を果たし、急速に自国産業を発展させてイギリスに対抗した。
【第3章】
日本の隣国である中国とロシアも、実は歴史的に微妙な関係で成り立っている。アロー戦争に乗じ、ロシアは1858年に清とアイグン条約を締結し、アムール川以北を獲得、ウスリー川以東の沿海州を両国共同管理とした。さらにロシアは、清と英仏の講和を仲介し、1860年に北京条約を締結、沿海州を獲得した。その後もシベリア鉄道開通や南下政策等で意外と小競り合いがある。
【第4章】
第一次世界大戦後、パレスチナはイギリスの委任統治下で国際管理とされた。1930年代以降、ホロコースト等から逃れたユダヤ人の流入で、アラブ人との摩擦も生じた。第二次世界大戦後、国際連合がパレスチナ分割案を発表すると、独立宣言をしたイスラエルとアラブ連盟諸国との間で1948年に第一次中東戦争が発生、イスラエルが領土を広げ、パレスチナ難民が生じた。エジプトのナセル大統領がスエズ運河の国有化を宣言すると、英・仏・イスラエルがエジプトに進行する第二次中東戦争で政治的に勝利したナセルによるアラブ民族主義が高まった。この間、パレスチナ解放を目指すPLOが結成されゲリラ闘争を展開する。このような中、第三次中東戦争が1967年に起こると、エジプトは敗北、アラブ民族主義は失墜し、イスラエルはシナイ半島からガザ地区、ヨルダン川西岸、ゴラン高原を占領した。
【第5章】
ベトナム戦争は、成長するアメリカ財政に打撃を与えた。国内的には戦費拡大による負担増がのしかかり、国際的には金とドルとの兌換が停止、ドルを基軸通貨とするブレトン=ウッズ体制は崩壊し、変動相場制へと移行していった。
紙の本
☆近現代史☆
2024/05/26 00:56
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ACE - この投稿者のレビュー一覧を見る
【第1章】
ジャマイカの英雄ウサイン・ボルトは黒人だが、彼の出身国であるジャマイカには昔は黒人はいなかった。身近な話題から歴史を掘り下げていくと、そこには壮大なドラマがある。
西欧社会は中世のいざこざもあって、アジアやイスラム圏に比べ劣っていた。ポルトガルの喜望峰到達やスペインの国土回復運動完了によりイスラム勢力を駆逐していくと、今度は香辛料を求め、アジアへと進出を目論む。ポルトガルがアフリカ経由でユーラシア大陸に確立されていた海路に乗り入れする一方、スペインは大地球体説を信じ進路を西に、アメリカ大陸へと進出していった。軈て布教運動も兼ねて進出したアメリカでは、エンコミエンダ制を取る中で砂糖等の大規模農園の労働力確保のため、アフリカから奴隷を連れてくる大規模な貿易圏を築き上げていった。
【第2章】
1851年に第1回万国博覧会を開催したイギリスは、世界の工場の名のもとに、自由貿易を各地に強要した。クリミア戦争で財政難となったオスマン帝国は、イギリスとの貿易赤字に陥り、ミドハト憲法による近代立憲君主制を目指すも、露土戦争の勃発により挫折した。イギリスの綿製品輸入や税徴収で疲弊したインドでは、インド大反乱で抵抗するも鎮圧、軈て植民地化される。アロー戦争に敗れ開港場を増やした清朝では、総理衙門を設置して欧米諸国との対等外交政策に転じるとともに、洋務運動を開始して独自の近代化を模索した。また、日米修好通商条約を締結した日本は関税等の不平等条約によりイギリスの貿易体制に組み込まれるも、明治維新で体制刷新後、江華島事件で対外進出による国威発揚に臨んだ。一方、ビスマルクの下で国家統一を達成したドイツは、1879年の保護関税法で工業及び農業の発展を図り、イギリスに対抗した。南部の綿花プランテーションがイギリスと結びついていたアメリカは、南北戦争で北部中心の再統一を果たし、急速に自国産業を発展させてイギリスに対抗した。
【第3章】
日本の隣国である中国とロシアも、実は歴史的に微妙な関係で成り立っている。アロー戦争に乗じ、ロシアは1858年に清とアイグン条約を締結し、アムール川以北を獲得、ウスリー川以東の沿海州を両国共同管理とした。さらにロシアは、清と英仏の講和を仲介し、1860年に北京条約を締結、沿海州を獲得した。その後もシベリア鉄道開通や南下政策等で意外と小競り合いがある。
【第4章】
第一次世界大戦後、パレスチナはイギリスの委任統治下で国際管理とされた。1930年代以降、ホロコースト等から逃れたユダヤ人の流入で、アラブ人との摩擦も生じた。第二次世界大戦後、国際連合がパレスチナ分割案を発表すると、独立宣言をしたイスラエルとアラブ連盟諸国との間で1948年に第一次中東戦争が発生、イスラエルが領土を広げ、パレスチナ難民が生じた。エジプトのナセル大統領がスエズ運河の国有化を宣言すると、英・仏・イスラエルがエジプトに進行する第二次中東戦争で政治的に勝利したナセルによるアラブ民族主義が高まった。この間、パレスチナ解放を目指すPLOが結成されゲリラ闘争を展開する。このような中、第三次中東戦争が1967年に起こると、エジプトは敗北、アラブ民族主義は失墜し、イスラエルはシナイ半島からガザ地区、ヨルダン川西岸、ゴラン高原を占領した。
【第5章】
ベトナム戦争は、成長するアメリカ財政に打撃を与えた。国内的には戦費拡大による負担増がのしかかり、国際的には金とドルとの兌換が停止、ドルを基軸通貨とするブレトン=ウッズ体制は崩壊し、変動相場制へと移行していった。
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