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今年はテレビの存在感が大きく感じたお正月でした。元旦の能登半島地震、2日の羽田空港航空機衝突事故、ネットでニュースをしり、慌ててテレビをつけて確認をするという行為を無意識にしていました。昨日の東京湾震源の地震でも携帯が鳴り響きテレビをつけるというパターンでした。自分の端末にどういうニュースが配信され、そのニュースはどう報道されているのだろうか?そのふたつは繋がっています。この新書でもキーワードとして取り上げられる「放送と通信」のひとつの側面が災害報道にあると思われます。自分のスマホにどんなニュースが配信され、そのニュースはどう報道されているか?いってみれば公共性と個人性の問題であり、それは局(ステーション)とプラットフォームの機能の違いなのだと思います。パブリックという側面を持つからこそ、放送局は放送法という法律の中で活動をしなければならなく、そこでテレビ局と政治は密接に結びつくことを本書は指摘しています。著者のテレビ局員としてのキャリアの中でニューメディア、BS、CS、地デジ化、ワンセグなどなど、なにが起こり、どう対応したかのクロニクルとして貴重な本です。だからこそ、国はテレビをどう導き、テレビ局はどう進もうとしたか?をもっと厳しく総括して欲しかったのですが、なにかモヤっとしているようにと思います。なのでこれからの再編ストーリーもいまいち小手先感を感じてしまいました。たぶん本書の中で語られているようにしか、ならないと思いますが…
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評論家や総研の人間が書くこのカテゴリーの本に比べ、さすがに当事者、それも系列局の責任者の書いた本だけに素晴らしい。インターネット部分とかにはちょっと怪しい部分もあるが(現場の当事者ではなかったのだろう)、テレビ・広告関係者は今現在読んだ方が良いだろう。
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テレビ局の未来がどのように語られるのだろうと期待して読みました。
感想としては期待していた未来は出てこなかったという印象です。
前半の汎テレビ時代(パクステレビーナ)の回顧は日テレの現場で
実際に経験した当事者の立場から語られており非常に面白かったのですし
放送法にがんじがらめにされたテレビ媒体についてもよく理解できましたが
後半については少し物足りなかったです。
203Q年や204Q年という形で未来の見通しが具体的に語られていますが
10年ズレている印象です。
また、テレビ局の再編を政界や金融業界のそれになぞらえて
業界の在り方は変わっても大事なものは残る=テレビは終わらない
と結論付けられていますが、見通しは甘いのかなと思います。
電波での放送という形態は間違いなく衰退に向かっていますし
その流れは押し留められることはないと思います。
ソフト・ハード一体というある意味特殊な形態でずっとやってきた
日本のテレビ局がその在り方を見直していくこともそうですが
テレビというよりマスメディアの存在価値・存在意義すら
怪しくなってくる時代が今後10年以内には来ると思いますので
テレビ局としても映像市場を中心にしていくとは思いますが
別業態に変わることも含めてゼロベースで検討していく必要がある
と思っています。
そのた検討のための一助となる本ではあるかなと思います。
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p12 未来を創る若者たち。逆説的かもしれないが、若者は未来からやってくる。
p107 恒産なければ恒心なし 適正な収入がなければ、人は平常心を失ってしまう。
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ここで言う再編とは、地方色の強化による独自性の強化と局間の統廃合(ブロック化もしくは垂直統合)による固定費の削減。
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テレビ局の放送とネットのここまでの歴史は分かったが、それだけ。事実は分かったがそれだけ。あくまで情報が記された辞典のような位置付けでしかなく、読み進めたいという感情が湧いてこなかった。