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紙の本
≪言わない≫ことの深さ、≪寄り道≫することへの高揚感
2024/04/14 09:05
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投稿者:あお - この投稿者のレビュー一覧を見る
『雪月花』『水』に続く、「本の小説」シリーズである。
9篇の連作で構成され、「不思議な島」から始まり、島から星へ、星からブランデーと、しりとりのように連想の翼を広げつつ、後半から徐々に萩原朔太郎に関する話が多くなってくる。そして最後は、朔太郎が所持していたという≪時計≫の詳細に迫る。
近代の作家や詩人、映画などにまつわるエピソードについて、またそれらに関連する事象について、文献の一部を忠実に引用し、それらの本との出会いについて作者が所感を語る、といった構成だ。
『水』のレビューでも書いたが、自分は文学には疎い。こと古典文学に対しては、半分アレルギー反応を起こしかねない。しかし、「大丈夫かなあ」という不安以上に「北村先生がどんな文章を書いているか知りたい」という欲求の方が勝ってしまった。
結局、文中に出てくる登場人物や相関は今ひとつよく分からないままに読み進めたが、そこはやはり北村先生の筆の力が、こちらのページをめくる手を動かしてくれた気がする。
本書の全体を通して流れている考えは、
・表現について、説明や正解を求め、すべてが明らかになったとしたら、表現そのものの本質ともいうべき輝きが失われうる
・言葉にするよりも、むしろ言葉にしないでいる方が説得力が強いこともある
・現実の世界より、虚構の世界の方がよほどリアリティを内包している場合がある
・同じテーマでも、それを語る人ごとに独自の≪味≫というものが出る
ということだと思った。
実際、例えば冒頭で北村先生が神保町の書店で映画『猟奇島』のDVDを見つけ、≪猟奇≫という語義の変遷を文献で確認したり、映画の元となった原作小説にあたる。こういったことは実際にあった≪事実≫であろう。
しかし、読み手はそれらが≪事実≫であることは分かっているが、現実の世界線とは微妙にずれた次元の世界に誘われているような、不思議な感覚を覚える。
それはまさに、ガラスの円筒に360度ぐるりと描かれたパノラマの世界を、中から見つめているようなものではないか。
≪「事実を事実として描く」小説は文学に価値しない≫というのは萩原朔太郎の言葉らしい。また、『水』では、芥川龍之介が≪風呂に入るのは簡単なのに、それを文章で生き生きと書くのは難しい≫という言葉を残していたというようなくだりがあった。
本のジャンルとして、実際にあったことを書くのはエッセイだと思うのだけれど、北村先生は本書を――『雪月花』、『水』、また「いとま申して」シリーズと同様に――私小説として書かれているのだろう。
もしこれがエッセイとして書かれていたら、自分は途中で読むのを諦めたのではないか。
そう思うだけに、書くこと、表現することの難しさにめまいがするようで、そしてそれをできてしまう表現者というのは、高みにいる人達なのだなと遠い目をしてしまう。
けれど、せめて本を読む者として、分からないと思っても分からないままに読み進めて感性を少しずつ鍛えられたら、それは嬉しい。
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