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インザギコさんのレビュー一覧

投稿者:インザギコ

紙の本ひとり暮らし

2012/06/27 23:50

独居老人、生と愛を考える

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

数度の結婚の経て「独居老人」となった谷川、さびしく暮らしているかと思いきや、意外と楽しそう。単行本のあとがきにはこうある。「ひとりで暮らすようになってから人と会う機会が多くなり、新しい友人にも恵まれた。友人たちと旅をしたり映画を見たり、酒を飲んで馬鹿話をしたりするのは、ひとりでいるのとはまた違う楽しさだ」。「ひとりで暮らすこと」と「ひとりでいること」の違いって大きいのね。

谷川は音楽がとにかく好きらしい。運転中に音楽をかけていて目的地に着いてもその音楽が終わらないと、道端に車を停めて最後まで聴くこともあるそう。ベートーベンのことを「ベトちゃん」と表現しているのには思わず笑ってしまった。ちなみに中原中也はシューベルトのことは「シュバちゃん」と言っていたそうな。シュワルツェネガーみたいなむくつけき男性を想像してしまうではないか。

強く印象に残ったのは一人称の使い分け。「僕」「ぼく」「私」「俺」。使い分けるときには繊細なセンサーが働いている。「ぼく」というときには「私」のときとは違う傷つきやすさ、頼りなさが存在している、という説明は、わたしも肌でわかる。「僕」と違う、というのも説明できないけれど、わかる。こう見ていくと、男性の一人称のほうが女性の一人称より表現の幅が広い。女性はせいぜい「私」の派生形だけだもんね。女性歌手が「僕」を歌に取り入れだしたのは、そのせい?!

未だに人生でいちばん大切なものは「愛」だと考えているのも、谷川らしい。愛を信じているからこそ、結婚を繰り返したんだろう。「いまの高校生たちはどうなのだろう。毎週土日に会って、日に三回携帯に電話があればそれが愛だという発言を読んだことがあるが、それも愛のひとつの形と言えるのだろうか」。ひとつの形ではあるかもしれないね。唯一の形ではないにしても。

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紙の本女中がいた昭和

2012/07/01 11:15

一級の女性史資料

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ここ数年、イギリスのメイドに関する書籍が目につくようになった。でも、どれも職業としての大変さにはあまり触れられていなくて、なんだか消化不良だった。ま、ミステリに登場するメイドさんに生活の辛さを訴えられても、辛気臭くなって話が楽しめなくなるのは事実。

いっぽう、日本ではお手伝いさんといえば、かなりの重労働ということで、メイドとのイメージギャップが大きいのがずっと気になっていた。「女中」という言葉も今はあまり使ってはいけないようだし。

女中というのは昭和「時代」までの存在だったんだなあ、としみじみ思う。戦前には中流家庭にはたいてい女中がいた。昔の邦画や小説を読んでいると、たしかにねえややばあや、乳母など、広い意味で家事を手伝う女性が出てくることが多い。

羽仁もと子の『女中訓』(1912年)に女中の心得がいくつか挙げられている。「容易に腹を立てない」「他人を羨まない」「目と頭を忘れたら、手足を動かしても無意味」なんていうのは、どんな職業、ひいてはどんな人生にも言えること。人間としての基本中の基本とも言える。「人生訓」や「職業訓」というタイトルで現代でも売れそうだ。人間ってそう変わらないのね。

とはいえ、「金の卵」扱いされた昭和20年代30年代はまだしも、昭和初期は女性の人権が今ほど認められていなかったから、女中の人権は推して知るべし。主人や家の男性に手を付けられても泣き寝入りは当然、「行為を憎んで人を憎まず」とか「落ち着いて前後の事情を反省し(中略)世間の物笑いにならぬ様に心掛けねばなりません」って! 反省するのはどっちだ(怒)!!

こういう時代を経て、昭和30年代には新潟県出身の女性が女中として引っ張りだこになり、ある程度の賃金と権利を得られるようになった。昭和28年生まれの女性の「お手伝いさん」記が載っていたのに、ちょっとびっくり。これくらいの年の生まれでも、お手伝いさんにいっていらした方はいたのね、と歴史がまだ古くなっていないことを実感。

驚いたといえば、進駐軍の宿舎(代々木のワシントンハイツ等)で働いていた日本人メイドは国家公務員だったのだ! 雇用主は日本政府で、最初は国家公務員一般職、続いて国家公務員特別職だった(1977年まで)。

女性の職業史、女性史としてたいへん勉強になった。興味のある人は一読をお勧めする。

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紙の本孕むことば

2012/05/27 22:22

翻訳と言葉の本質をも問い直す子育てエッセイ

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

文中からの言葉を借りれば「縦軸が子育て、横軸が文学、車線に体のことなどちょっと女子トーク」のエッセイ。

40歳にして初産というつわものの鴻巣が、生まれた娘の口から出てくる面白い表現を取り上げ、そこからさまざまに言葉と翻訳に関する話を広げていく。言葉を使って糊口をしのいでいる母親から生まれた娘だからか、鴻巣の幼い娘はとにかく語彙が豊富で、言葉にたいして感受性が豊かである。まだこの子が生まれていなかったときに鴻巣が夫婦で里帰りをした話をすると、この娘が「わたしもいた?」と訊いた。いなかったよ、と言われると「パパとママだけいて、わたし、ひとりぼっち」と大泣きしたそうだ。ここを読んで怖くなった。大人よりも純粋なだけ根源的で受け止め方が深い。鴻巣はこれを「死への覚醒の一歩」ととられているが、そうなのかもしれない。「わたしがいなかったら、わたしは淋しい」。シンプルだけどむずかしいこと。

鴻巣は『嵐が丘』の新訳を引き受けた時点で子供をもつことをあきらめたというが、こう腹をくくったとたんに物事が思いもかけない展開を見せ、新訳も子供も世界に送り出すことができた。腹をくくると、たしかに思いがけないことが起こる。覚悟を決めると、世界が違って見えてくるからだろうか。

このかわいいお嬢さんの見えざる仲間「かぶさん」と「アンドちゃん」に会ってみたいな。特に「かぶさん」。目に見えない存在で、彼女をずっと守ってくれていたらしいが、3歳くらいになるとふと姿を現さなくなったそうだ。なんだか素敵だなあ。うらやましい経験。

子育てエッセイと侮るなかれ、言葉や翻訳についての本質について考えさせられる一冊。

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紙の本本はどう読むか

2012/05/21 23:42

「立派に死に、立派に生きるための読書」

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

山本夏彦翁がこの人の『私の文章作法』を絶賛していたので、名前は覚えていた。帯には「選び方、読み方、整理法、メモのとり方――豊富な経験からあみだした知恵と工夫。昭和を代表する知識人の体験的読書論」とある。

読書を勧める本は、たいてい要旨は一緒なのだが、細部が人それぞれでけっこう面白い。たいていは速読を否定する人が多いのだが、清水は速読を否定しない。ただし清水の言う速読は、10分間で1冊読むのではない。「作者が書いたスピードに合わせて読む」ということだ。言い換えると作者の筆の勢いに読者も乗っかる、ということになろうか。これは翻訳にも通じて、勢いある文章をとろとろした文章にすると、まったく印象が違ってしまい、原文の面白さを殺すことになる。えてしてこういうケースは少なくない。

それにしても、清水の学習院大学の学部の授業は今からだと考えられないくらい厳しい課題が課された。課題図書3冊を選び、それぞれ400字詰め原稿用紙30枚以内の感想文を書いて提出するのだ。1万2000字! 課題本も岩波新書から出ている清水の訳書。堅いことこのうえない。こういう訓練ってどこかで受けておいたほうがいいのはたしか。文章が書ける人って意外といないのだ。

そのほか「本は買うもの」(そうだ、そうだ!)、「古典だからって自分にとって面白いとは限らない」(そうだ、そうだ!!)とか、こちらの胸の内を代弁してくれること多々。40年も前の本だが、内容がまったく古びていないことにも感心した。

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紙の本快楽としての読書 海外篇

2012/05/17 22:40

翻訳書の愉悦

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『快楽としての読書 日本篇』の姉妹篇。

個人的には海外篇のほうが面白かった。丸谷自身が優れた翻訳者なので、文章の最後にたいてい翻訳の出来について触れているのが、参考になる。たいていは「すばらしい出来栄え」とか「惚れ込んで訳していることがよくわかる」と、さらりと書いているだけなのだが、たまに大絶賛にあたることがある。イタリア文学であるマンゾーニの『いいなづけ』の翻訳については手放しでこう褒める。「このイタリア文学の代表作は、在来、とても読む気になれない翻訳しかなかった。平川祐弘の新訳の刊行は、文学的事件とでも言ふべきものであr4う。暢達な文章を自在に操って、彼はわれわれに小説の醍醐味を味ははせてくれる」。飛田茂雄が訳したアントニイ・バージェスの小説については「飛田茂雄の翻訳はバージェスの世界の色調を正しく写した見事なもの。この翻訳者の名は記憶に値する」。死ぬまでに一度これくら絶賛されたいものである。

作品そのものに目を移すと、丸谷のストライクゾーンの広さにただただ唖然。英米文学のみならず、南米、ロシア、イタリアなどなど。挙句の果てには聖書まで。ちなみに、丸谷は現在もっとも普及している聖書の新共同訳の訳文をまったく買っていない。たしかに、丸谷が褒めている訳のほうが勢いがあっていい訳文だわ。

スエトニウスの『ローマ皇帝伝』という本は、タイトルとは裏腹にかなり面白そうだ。皇帝の色事や容姿について、けっこうあからさまに書いてあるらしい。たとえば、カエサルは、今風に言えばイケメンなのに髪の毛が残念だったそうで、「薬鑵頭の女たらし」なんだそう。ローマ史がずいぶん身近になった(笑)。

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現地で暮らしてこそ書けた一冊

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

高野は辺境ものや探検ものを得意とする作家だ。大学卒業後にタイのチェンマイで日本語教師をしていたという。それからビルマとの国境に住みついたりと、タイとの(切っても切れない腐れ)縁はどんどん強く、深くなっていった。そんな高野だからこそ書けた一冊だろう。

タイはどこに行っても人々がにこにこしていて気持ちがいい。が、高野はこの微笑みを次のように分析する。「(タイの女性たちは)相当にしたたかである。とにかく笑えばいいと思っている。(中略)べつにおかしいことがなくても笑みを浮かべるのだ。それが彼らの常態であり、処世術にもなっている」そうなのか。初対面では難しい顔をされるより、笑顔のほうがいいけれど、ねえ。このあたりは日本人と相通じるように思う(高野はそう思っていないらしいが)。

「タイ食文化のしたたかさ」はタイの食文化の奥深さを垣間見せてくれる。タイは高級店もさることながら、屋台の食事も抜群においしい。そして安い。タイに行くと食べたくなるのがラーメン。やさしい味のスープに卵麺にせよ米麺にせよよく合うのだ。具材も好きなものが選べる。たまにラーメンのはしごをすることもある。また、中華やインド料理もあなどれない。夫はバンコクのインド料理で羊の脳味噌のカレーを食べ、大喜びしていた。

プミポン国王への敬愛ぶりはもうびっくりするほどだ。音楽はたしなむのレベルを超えてアメリカの有名なジャズ・プレイヤーとクラリネットで共演したこともあるし、スポーツマンでもあるし、写真家でもある。クーデターがあっても、国王が「けんかはやめなさい」というとどちらも「はは~」とひれ伏す。だけど、後継ぎ問題は深刻らしい。そういえば、王女の姿はタイの雑誌でよく見るけれど、皇太子の姿は見たことがないような気がする。ホテルなんかに泊まると、表紙がつるつるの雑誌によく王室の消息やセレブの社交の話がよく出ているのである。日本とは段違いの格差社会なんだなあ、としみじみ。

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紙の本みみずく偏書記

2012/05/21 00:18

翻訳論まで学べる一冊

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

収録された文章は、長年さまざまな媒体に掲載されたものをまとめたため、執筆時期にずいぶん幅がある。それでも、著者の書物にたいする姿勢と愛情はまったくぶれていない。

本書を読んでいると、著者がこの本を書いている時点ですでに「情報を得るための読書」が幅を利かせて始めていることがうかがえる。著者にとっての読書とはこうだ。「大きな本はどこかに(略)親切な<手抜き性>を蹴飛ばす、ケタ外れの意地悪さを必ず伴っているものだ」「そういう本と<出会い>、そういう本と<付き合い>、そういう本と<対話し>、そういう本と<ともに育つ>のが、何というか読書の秘訣であって、そのほかに、いやしくも<本>と言いたい本はないのではないだろうか」。次の言葉はもっとカッコいい。「読みに読み、忘れに忘れて、やがてそれが意識下に溜り、知を産む腐葉土となり、そこから育ったあらぬ連想のわが、じりじりと円環を描いて、いくつもぶつかり合いながら意識の表層に頭をもたげ、観念の磁場をつくり、そのうち幸運なものだけが、格好よいゲシュタルトをつくる」

翻訳についての考察もなるほどなあ、と思わされた。事実を間違いなく伝えることに一喜一憂するあまり、真実を等価に伝える芸術性の問題が見過ごされているのではないか、というのは、耳が痛い。これは翻訳にとって永遠の課題なのだ。どこまで「翻案」、最近では「超訳」が許されるのか、びくびくしながら毎回試している。下手な者が手を出すと、まず間違いなく大失敗する。

辞書や参考書についても、さすが専門家だけあって具体的で詳しい。辞書は何冊か揃えて用語を見比べる、英和の場合、訳語にぴんとこなかったら英英を引く、というのは鉄則。でもさすがに、昔の作家が使っていた時代の辞書を使う、ということまでは今はしないだろうなあ。

本の読み方だけでなく、翻訳の正しい方法まで教わった。

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紙の本作家の本棚

2012/05/24 21:56

覗き見の愉悦

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

他人の本棚を覗くというのは、元来あまり褒められた行為ではない。でもやっぱり気になる。とくに自分が好きな作家の本棚なんてぜひ見てみたい。そんな覗き見趣味を満たしてくれるのがこの本。

桜庭一樹と石田衣良の本棚は前にテレビで見たことがあった。石田衣良の書斎はいいなあ、といつ見ても憧れる。広々としたスペースに壁一面の本棚。本がすべて背表紙が見えるのがうらやましい。前後に重ねてないのは、いいなあ。桜庭一樹の家はもっとすごかった。玄関まで本がびっちり。その後結婚して引っ越しただろうが、大量の本も一緒に移動したんだろうか。気になる。

広々といえば、本書に最初に登場する角田光代の仕事部屋もすっきりしていていい。窓からの景色はどんなんだろう? 角田は旅に出るときに一か月だと5冊、2週間だと3冊ほど本を持っていくという。ミステリだとあっという間に読み終わってしまうので、いつもはなかなか読めない文芸作品を持っていくんだという。わたしも旅に出るときは、持参した本が全部読み終わってしまうのが怖いので、原書(読むスピードが日本語より落ちる)を見込みより多めに持っていく。案の定、読まずに持って帰ってくる本が必ずあるけれど、それでも、それまで読めなかった本が読めたのは嬉しいのだ。

山本幸久は書店のカバーをつけたままにしておくという。そういえば、わたしも実家にいたときはそうだった。今も数冊書店のカバーがかかった文庫が残っているが、今はなくなってしまった書店のもの、実家のそばにあってよく通った書店のものは、いい思い出のよすがとなっている。

何人かの書棚に武田百合子の『富士日記』があった。ファンが多いんだなあ、と嬉しくなった。

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紙の本未来国家ブータン

2012/06/11 13:08

GNHの意外な裏側

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ブータン好き(行ったことないけど)必読! と思い、読んでみた。

高野の強みは体当たり取材。自分の目で見て、自分の耳で聞いたことを咀嚼して文章にする。だから主観もかなり入る。高野の主目的は雪男を探すこと。なんてったってブータンの公務員が「わが国には未知の動物はいません。でも雪男はいますよ」と堂々と言い放つのである。雪男は未知の動物じゃないんだ(笑)。

雪男に出会うべく、知人からブータンの現地調査を委託してもらった高野、さっそくブータンのエリート官僚など旅のお供もつけてもらい、ブータンのフィールドワークに適した場所を見つけるとうお題目の許、雪男を探す旅を始める。

高野はブータン政府の許可が下りているから、かなり自由に各地を訪れることができた。が、事前にかなり詳細なスケジュールを提出しなければならず、予定より長く滞在するのは基本的にNG。要所要所で関所があって、そこを通過しなければならないのである。ひとつの国とは思えない。

最後のほうで高野は、実はブータンには自由がないのではないか、と疑問を呈する。政府がすべて決めてくれるが、それが(とりあえず)国民の意思と利益にかなっているので、自由がなくても不自由しない。むしろ自由がないほうが楽なのだ。皮肉にも、それが「世界でいちばん幸せな国」たる理由なのではないか、と。民主主義が成熟してくると、選択肢が増える。選択肢が増えるというのは、ときには害でもある。最善の選択肢を選び取るには、選び取る側の人間の成熟度が大きく左右する。それに、自分で選んだら、自分で責任を負わなければならない。幸せになるのも自分のおかげなら、不幸になるのも自分のせい。民主主義もなかなかしんどい。

そういう意味で、ブータンが半鎖国政策をとって環境を維持しつつ、発展をどう遂げていくのか、興味津津だ。雪男のみならず、ロバのような不思議な生き物を目撃した、という人がまだたくさん実在するような国である。発展とともにこういう民話がなくならないことを切に祈る。これも大切な文化なのだから。

絶大な人気を誇る王様は、高野曰く「日本で言うならジャニーズ事務所所属の全タレントと高倉健とイチローと村上春樹を合わせたくらいのスーパーアイドル」。ジャニーズタレント以外はアイドルかどうか疑問符がつくが(笑)、イケメン国王の人気はたしかに高い。個人的には猪木に似ていると思っているのだが、この猪木国王は全国行脚して土地の境界線なんかの裁定もしてくれるんだそうだ。そこまで国王がするの!? とびっくり。前代の国王も賢王だった。頼れる理想の指導者のひとつの例だろう。

とりあえず、日本から直行便が出ないかな~。

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