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  3. サトウジョンさんのレビュー一覧

サトウジョンさんのレビュー一覧

投稿者:サトウジョン

21 件中 1 件~ 15 件を表示

人と出会うということ、人と交わるということ。

21人中、21人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

鎌倉を舞台に、ある家族とその周辺の人々のそれぞれの関係・他人との交わりの姿を細やかに描いた物語。
父の女関係が原因で両親が離婚。その後母も再婚を機に実家を出、残された3人姉妹は祖母とともに古い家に暮らし続けた。
厳格だった祖母が亡くなり、それぞれが成人した今も3人姉妹は鎌倉の家に住み続けている。
そんなある日、別れたきり会っていない父の訃報が突然に届いた。
相続の件もあるし是非、と言われて訪れた父の居所は山形の田舎。そこで3人は父の娘だという中学生に迎えられる。
そう、彼女は3人の義理の妹になるのだった・・・・・。
これが表題作である「蝉時雨のやむ頃」。
他に次女とその恋人との偽りを描いた「佐助の狐」、4人目の妹がメインの友情モノ「二階堂の鬼」が収録おり、どれもテーマは一貫して“人と人とのかかわり”である。
家族・男女・友情・・・それぞれの交流の形が、決して重過ぎない筆致で明るく軽やかに描かれている。
なにより3姉妹(後、4姉妹)の家庭での姿が実に自然で魅力的。
特に好きなのは3人が台所に座り込んで自家製の梅酒を味見しているシーンなのだけれども、家族であり気のおけない女友達であり・・・という雰囲気がとても心地よく感じられる。
ベテラン・吉田秋生だけにストーリーそのものが安定感のあるこなれ具合なのは勿論だけれども、さらに鎌倉という舞台そのものも演出効果に一役買っているように感じる。
港町であり古都であり、洒落た都会のようで情緒的な町並みでもあり、海の明るさと暗さが印象的で象徴的なようでもあり。
普遍的なテーマを描いたこの作品にこれ以上なく相応しい舞台だと思った。
性別、世代にかかわらず多くの人に読んでもらいたい作品である。
家族や友人や恋人や、身近な人たちに対してふいに感謝の念がわく・・・・、そんな気にさせてくれる作品は貴重だと思う。

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紙の本青い花 1

2006/05/27 21:41

少女という存在を愛でる全ての人のための作品

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

鎌倉を舞台にした女子高生達のお話。
10年ぶりに再会した少女二人、進学女子高に通う「ふみ」とお嬢様系女子高に通う「あきら」を中心として物語は展開する。
「ふみ」は内気な文学少女。
背が高いのとあいまって、いつも俯きがち。
好きだったいとこの志津ちゃんの結婚話に、裏切られた気分になった彼女に同じ学校の先輩が声をかける。
同性である先輩の「ふみが私の初恋だよ」という言葉にときめき、舞い上がる日々。
しかしふと考える。では自分の初恋は?
「志津ちゃん・・・ううん、あーちゃん(あきら)だ」
「あきら」は幼い容姿に反し、物怖じしないしっかりもの。
昔から内気なふみの手をひく役回りだったが、それは再会後にもあまり変わらない。
まだまだ恋愛をリアルにとらえられないあきらに、ふみが告白する。
「同じ学校の先輩と付き合ってる。気持ち悪いなんて思わないで」。
それに対し「べつに女の人を好きでもいいんじゃないでしょうか?」「あたし、どうしたらいい?」と、受け入れるあきら。
1巻では「ふみ」の恋愛のほうが軸になっているが、そこに「あきら」がどう入ってくるのか?
また、ふみの恋人である杉本の過去の恋愛、杉本に思いを寄せる井汲など、周囲の少女達の想いも複雑に絡まりあう。
高校に入学するところからはじまり、夏に入るすこし手前までの短い期間が丁寧に描かれている。
事前にロケハンを敢行したというだけあり、古都鎌倉の描写も魅力的かつ効果的。
季節感や思春期の少女たちの醸し出す雰囲気が、なんともきらきらした新緑のような一冊。
書き込みの少ない絵柄が少女たちの清潔感に相応しく、間合いの多いコマや文章がよりいっそう繊細に登場人物たちの感情を表現している。
「花物語」
「青春はうるわし」
「スタンド・バイ・ミー」
など、各章のタイトルですら詩的。
百合好きの方は勿論、女子校ノリの話は好きだけれども最近の百合ブームにはいまいち乗れない、という方にこそ読んでいただきたい。
硬質でかたくななくせに些細なことで傷ついてしまう「少女」という存在。姿かたちではなく、その精神を愛する人ならきっと感じるところがあるはず。
清く正しく美しい、まさに「少女漫画」の名に相応しい一冊である。
自ブログより改稿

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紙の本残酷な神が支配する 1

2007/09/23 21:45

魂の対話

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

二日かけて一気読みしたところ、すっかり頭が『残酷』モードに陥ってしまった。長編作品を読んだ後にはよくあることだが、これだけトリップしてしまったのは単に話の長さだけではなく、強力な磁場を持っているからだと思う。物語、それ自体が。


「義父からの性的暴力に身も心も破壊された主人公と、彼を立ち直らせようとする義兄との破壊と再生の物語」というストーリーは、複雑なようで簡潔でもある。間違ってはいないと思うが、こんな文章ではこの作品の何百分の一も表現できた気がしない。萩尾望都は希代のストーリーテラーと言われるけれども、この作品の最たるところは、ストーリーよりもむしろキャラクターの内面表現だろう。


ショッキングな内容の通り暴力表現も痛々しい限りだけれど、でもそれよりも際立った描写だったのは、主人公(と義兄)の心理表現だ。
時空を超え、空間を超え、人体の構造もバラバラのピースに分解されて、歪められ、引き伸ばされて、そしてまた再構築される。
何が現実で何が夢なのか、その境すらも曖昧な内面表現。すでにあらゆる表現が試されたと思っていた「漫画」というジャンルで、全く見たことのない表現方法を見た!と思わされてしまった。


しつこい程に繰り返される主人公と義兄の対話。
読んでいる側としては「もう充分分かり合いすぎるくらい分かり合ってるんじゃないか?何故それ以上を求める?」とも思う程だけれど、二人は決して妥協の結果の穏やかさを求めようとはしない。
言葉で、体で、精神で対話をし続ける。どれほど傷ついても、後悔しても。むしろ後悔を積み重ねるほどに、新たな理解を得ようとしていく。その姿は痛々しいほどに脆く、真摯に映る。


嘘や偽り、気遣いすらもかなぐり捨ててぶつかりあえる関係というのは、きっととても強くて怖い関係だろう。馴れ合いや妥協に浸りきった自分にはとても出来はしない。でもだからこそ憧れる。
むき出しの魂同士の衝突というのは、まるで見てはならないものを見てしまったような畏怖を感じ、だからこそ見ずにはいられないものなのだ。

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紙の本とるにたらないものもの

2007/03/16 22:23

愛すべき過去と孤独

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

他人から見ればとるにたらないもの、けれども江國香織にとってみればかけがえのないものたちにまつわるエッセイ集。
各篇3ページ前後という短さでまとめられており、けれどその短さがさっぱりと潔い。
「カクテル」「お風呂」「化粧おとし」「ケーキ」など、いかにも江國香織的な・・・彼女を好まない人たちの言葉を借りれば、『万年少女趣味』的なものものから、「輪ゴム」「焼き鳥」「競艇」など、ちょっとイメージのわかないものまで、作者にとって愛着のあるだろうものものが、作者独特のゆったりとした文章で語られている。
本書以外のエッセイも含め、私が江國香織のエッセイに惹かれる理由は、彼女が語る日常が愛すべき過去の出来事として語られているというノスタルジーと、現在の幸せも所詮不確かなものである、という絶対的な孤独が感じられるから。
そしてそれが自分にとってもとても共感できることだから。
例えば『食器棚』より、夜中の台所で彼女はひとり考える。結婚も、夫も、この日常も何もかもが嘘なのだ。自分ひとりの空想なのだ。それはぞっとすることだけど、不思議と腑に落ちることでもある・・・。
立場は違えど、私自身これと似たようなことを考えることがある。
親元を離れてからもう随分たつというのに、自分がまだ小さな子供であるかのような気がするときがあるのだ。
本当はまだ実家の自分の部屋にいて、大人になった自分を空想しているだけなのではないのか?
一人で暮らして、働いて、自立しているなんて信じられないから。だって自分は子供だった時と同じ中身なのに。何ひとつ変わっていないのに。
こんなふうに考えてしまうのが自分だけではないのだと、江國香織の作品を読むとほっとするのかもしれない。
彼女の文章を読んで、全然泣くようなところではないのに泣きたくなってしまうのは、きっとあまりにも身に覚えのあることだから。
他人には言わない自分だけの頭の中のこと。
本当は皆似たようなことを思っているのかもしれないけれど、自分では上手く言えないことを、実に確かに文章にしてくれる江國香織は、やはり大人の女性の代弁者だと言えるのだと思う。

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紙の本トーキョー・プリズン

2006/10/06 21:08

真摯なミステリ。

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

舞台はGHQ統治下の東京。
主人公・フェアフィールドは、戦争中行方知れずになった従兄弟の消息を求めて東京「スガモプリズン」を訪れた。
日本人の戦犯たちを収容している「スガモプリズン」内での調査を行うに当たり、交換条件として、ある日本人収容者「キジマ」の相棒役を依頼される。
「キジマ」は、独房に入れられた身であり、なおかつ戦争中の一切の記憶を失っているという状態でありながら、客観的事象の観察だけで事実を言い当てる才能を持っていた。
米軍はその才能を利用して、プリズン内で発生した殺人事件を解決しようとしていたのだ。
フェアフィールドはキジマの相棒役を任されるとともに、戦争中の記憶を失っている彼の記憶の調査も行うことになる。
キジマの過去、
プリズン内での密室殺人、
フェアフィールドの従兄弟の行方。
これらの謎を中心に物語は進展していく。
作者はそれぞれの謎に対して、丁寧に解答を示してくれる。
2転3転したラストも、ミステリを読む者としては嬉しい捻り方だ。
また、戦争・殺人・国家という重いテーマにも正面から向き合っている。
キジマを始めとする登場人物のほとんどが、戦争によって傷を持った人間として描かれているが、中でも印象的だったのは日系2世の米軍人ニシノと他国民を差別するボビイ。
根っからの悪人というわけでもないのに時折露骨な差別感情を見せる彼らは、戦争さえがなければ、実に気さくな好青年だったかもしれないのだ。
一部に金子光晴の詩を引用したというフェアフィールドの悪夢の情景は、読んでいるこちらの頭の中を引っ掻き回すようなグロテスクさだが、これが作者が表現する「戦争」なのだろう。
ミステリとして、エンタテイメントとしては勿論、人間ドラマとしても魅力のある作品。
久しぶりに、真面目に面白いミステリを読んだという気持ちにしてくれた一冊だった。

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紙の本78

2007/01/20 18:58

ロマンティックなのに甘すぎない、大人のためのファンタジー

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

かつて、世界は78回転で回っていた。
それはレコードの話。
33回転と45回転のふたつのスピードで回るレコードが誕生する以前、SPレコードは78回転で回っていたのだという。
これはいろいろな場所のいろいろな時間のいろいろな人たちの物語。
一見バラバラのように見えるそれぞれの話が小さな共通項によってリンクしあう、ファンタジックな雰囲気になっている。
SPレコード
ドーナツとコーヒー
2人の男と1人の女、そして第3の男
中庭
夜の塔
靴職人

最終駅
あちこちに散りばめられたこれらの共通項によって、世界が不思議な多元構造のように絡まりあう。
全てのピースが集まって、最後には大きな一枚の絵が完成する・・・と思いきや、あちこちモヤがかったようにあいまいなままのところもあったり。
全てが整然と整理されるのではなく、不思議は不思議のままに残されるのが、いかにも「クラフト・エヴィング」的。
気持ちのいい不思議に浸り、作者の手腕に安心して身を任せるのが正しい読み方だと思う。
各章のタイトルに心魅かれた方には是非おすすめしたい、大人のためのファンタジーだ。

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ロマンチック・ノスタルジー

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

あしながおじさんIN昭和初期日本。
それがこれほどハマるものだとは、一体誰が想像しただろう?
主人公の「樹」は孤児院育ち。
天真爛漫、元気いっぱいな一方で、文学を好み、自ら文章を書く夢ももっている。ふとしたきっかけで彼女の作文を読み、その才能を買った青年実業家「千博」は樹のパトロンとなり、自らの後見で樹を女学校へ進学させる。
交換条件はただひとつ、月に一度自分宛の手紙を出すこと・・・。
「あしながおじさん」とは、これほどロマンチックな物語だっただろうか?
少女から大人の女性へと成長するヒロインの姿や、大人の男として彼女の成長を見守るおじさんのジレンマ。
幼い頃に読んだ時はなんとも思わなかったシチュエーションも、大人になってから読み返すと全く違うもののように感じられた。
それはオリジナルストーリーそのものの力というのは勿論だけれども、作者の「漫画」としての画力との相乗効果にもよるものだと思う。
丁寧に書き込まれた小物やアンティークな着物柄など、上品な愛らしさが全体に散りばめられている。
絵柄も丁寧で端整だし、特徴的なのは一枚のデザインイラストのような表紙絵や口絵。
動きの止まったかのような絵柄もまったり感を醸し出していて、世界観をよりいっそう演出している。
勿論昭和初期という時代設定が全てのポイントだというのは言うまでも無いことだろう。
また作者の笑いのセンスによって、過剰に甘ったるくなりそうな雰囲気が適度に息抜きされているが、これによって男女を問わずに読める作品に仕上がったと思う。
絶妙なバランスで「古典少女小説」かつ「恋愛漫画」の両方たりえている、そんな作品だ。
さらに同時収録は大人の女性を主役にしたオリジナルストーリーで、
どれも一風変わった雰囲気のものばかり。
ほのぼのなだけかと見せかけて、「三十路半ばヒロイン」や「失業ヒロイン」等、設定だけをみれば意外とシュール。
かといって彼女たちは自分を特別不幸だと思っているわけでもなく、のほほんとそれなりに日々を満喫していて・・・というように、
どこか共感できるキャラクターたち。
作者の魅力は、老いも若きも、男も女も平等なスタンスで生きているような独特のキャラクター造形だと思っている。
「Daddy Long Legs」は、それにストーリー性をプラスしてみせた作品だ。現時点での代表作といっていいと思う。
勝田文を読んだことのない人、
昔読んだことはあるけれどいまひとつ乗れなかった人、
どちらの人にもお勧めしたい良作である。

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紙の本望楼館追想

2006/06/26 22:22

痛くて苦しい現実との直面。その先にあるもの。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

常時白い手袋を装着し、それが汚れることを何よりも恐れる主人公。
身も心も活動することを止めた父。
思い出に埋もれ、眠り続ける母。
TVの中にのみリアルを見る老女。
止まることなく汗と涙を流し続ける元家庭教師。
過去をなくし、自らを犬と同一化する女。
奇妙な人間たちばかりが暮らすアパート、望楼館。
物語はここへ一人の女が引っ越してくることから始まる。
「外」からやってきた女によって、長い間心地よい殻に覆われてきた望楼館の静寂に亀裂が走る。
交錯するそれぞれの過去。
忘れていた、忘れたかったはずの過去が望楼館の住人のもとを訪れ、彼らを現実に導いていく・・・・。
望楼館の「閉じた」住人たちは非常にエキセントリックに描かれる。
しかしそれは、現実に生きる我々の一面をデフォルメした形に他ならない。
私だってそれが許されるものならば、自分の部屋に引きこもり、懐かしいものたちに囲まれて、好きなドラマのことだけを考えて眠り続けたい。
それはきっとこの上なく安全で確かな幸福だろう・・・・・そう考える人は、決して少なくはないはずだ。
しかしそれでは世界は成り立たない。
一人でいるとこは、絶対の安全であり、絶対の孤独だ。
本作が描いたのは、その「一人の世界」からの脱出である。
もっとも、安易な道徳論、幸福論などではない。
望楼館の住人たちは、過去に目覚めたことによって、忘れていたはずの苦しみを味わったり、現実を直視してしまったことで耐えられない絶望に落ちたり、そうして死を選んだりする。
他者と触れ合うことは喜びと苦しみの紙一重だ。
苦しみながら、それでも他者と共に生きることを選ぶ主人公の姿を、作者は丹念に描いていく。
それは読んでいるほうがじれったくなるほどに。
人は一人では生きられない、他者と手を取り合って生きていこう・・・そのようなおためごかしのメッセージ性に溢れた物語は世にごまんとある。
しかしその数多い中に埋もれることなく、本作には強く訴えてくるものがある。
それは何かというと、作者の真摯な姿勢に他ならない。
殻に閉じこもっているキャラクタ—たちが、それでも「外の世界=他者」と無縁ではいられず、(それに理由などなく)もはや自分の意思とは関係の無い、本能とでもいうしかないような感覚によって「外」へ開かれていく。
その過程、葛藤が、とても丁寧に描かれている。
みっともなくても、汚らしくても、それが殻を破るということ。
綺麗な言葉で読者をごまかそうとしないその姿勢がこちらの胸を打つのだ。
正直に言うと中盤で多少読むのがつらくなった部分もあったのだが、後半に入ってしまえばあとは一気読み。
確かに長いが、物語には、その長さによってのみ与えられる重み・リアリティというものがあると思う。
これは、確かにそれを感じられた作品だった。
何より惹かれたのは「望楼館追憶」という、この響きであったことも付け加えたい。

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紙の本快楽主義の哲学

2007/06/05 23:42

精神安定剤となりうる一冊(ただし、一部の人のみ)

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

博覧強記の才人にして希代の幻想作家。
本書はそんな澁澤龍彦の「入門編」ともいえる。
初期からの澁澤ファンには不評だったというこの本は、単に当時「実用書」としての趣が強かった「カッパ・ブックス」から出版されたというだけでなく、実際澁澤龍彦本人にとっても満足のいかない一冊だったという話も解説されている。
しかしそれは逆にとても「初心者向け」であるともいえるだろう。
『快楽主義の哲学』という少々ショッキングなタイトル通り、内容も澁澤世界を構成する基本要素が盛りだくさんである。
そして本書の特徴は、それらが他の本に比べても圧倒的に分かりやすく、噛み砕いて語られているということ。
読者に語りかけるような文章は、読みやすいのは勿論、思わず頷きたくなるような魅力に溢れている。
人生に目的なんかない だとか
道徳や理想論をぶちこわす だとか
博愛主義はうそだ だとか
健全こそ不健全だ だとか
なんとなくは感じていたし思っていたけれども、声高に唱えるには少々抵抗のあること(それこそ「健全」な人々から糾弾されそうだ)を、こうも理路整然と当然のことのように語られるのは、とても気持ちのよいことだと感じる。
私自身本書を読み返したのは10代以来のことだったけれども、胸のつかえがとれたような、スッっとした感覚は今も初読時と変わらなかった。
本書には解説文中で“すでに時代遅れの感のある文もあるが・・・”と言われる部分もある。
確かに刊行当時(1965年)と比べて世の中は非常に悪徳の栄える個人主義的な時代になっているかもしれないが、それでも世間の主流は「皆仲良く明るく健全で平等であるべし」という思想だろう、それがすでに建前でしかなくても。
だからこそ澁澤龍彦の語る世界は今も尚新鮮な響きがある。
一点の陰りもない世界は確かに明るくて平和には違いない。
しかしそれはとてつもなく味気ないものなのである、少なくとも「澁澤世界」に魅力を感じてしまう人種にとっては。
私自身は幸運にも「陽気で明るく嫌味の(それほど)ない(比較的)善良な人々」の中で生活しているわけなのだけれど、そんな中でこういう本を読むと、自分の精神が安心していくのを感じていく。
ああ、やはり自分は「こちら側」の人間なんだな、と。
私にとってこれはふとした時に読み返したくなる精神安定剤のような一冊。
澁澤初心者にとっても熟練者にとっても基本となりうる本だといえるだろう。

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紙の本雨にもまけず粗茶一服

2006/05/14 21:50

エンタメ青春成長ストーリー!

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

大学受験に失敗した茶道の家元の長男は、まさにモラトリアムも真っ最中だった。
車の免許を取り、ギターをはじめ、髪を青く染めて己の人生を模索する青年は、何の因果か、死んでも行きたくなかった茶道宗家の本拠地・京都で暮らすことになる。
右も左も分からない土地、しかも一文無し、おまけに知り合う人々もなんだか風変わりな面子ばっかりで、さあどうなる?
という、大変まっとうな成長物語。
生き生きとした登場人物たちのおかげで、ドタバタホームコメディーの雰囲気もある。
謎の過去をもつ渋い僧侶・妻子もち、
公家趣味の茶人・職業高校教師、
マシンガントークの不動産屋・ジャニーズ系、
などなど、きっと気になるキャラがいるはず。ダークホースは主人公の弟(家元次男の小学生・腹黒?)か。
「親の跡を継ぐ」というのは、家元なんておおげさなものではなくっても、例えば家業が自営業だったりする人ならば一度は悩むことだろう。
敷かれたレールの上を走ればいいのか?
それが自分の人生なのか?
このオーソドックスにして普遍的なテーマに真正面から取り組んだ本書は、モラトリアム作品にありがちな堅苦しさや息苦しさとは無縁の明るさに満ちている。要所要所でクスリと笑え、娯楽作品としても一級品。
若い人から年配の方まで、年齢を問わずに楽しめる一冊なので、是非いろいろな方に読んでいただきたい。
ちなみに本作の主な舞台は京都なのだけれど、土地勘のある人なら面白さ倍増だろう。四条大橋の托鉢さんの前は、もう無視できない・・・。

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紙の本ブルースカイ

2008/03/16 22:14

「少女」とは?

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

3部構成から成るSF長編。
だけれども、私にはあまりSFという気はしなかった。
いや設定は確かにSFなのだろうが、全3部で収束されるこの物語が語りたかったことというのは、ただ「少女」という存在それ自体ではなかったのだろうか、と思えたからだ。


第1部の舞台は1627年のドイツ。
10歳の少女・マリーはレンスという田舎町のはずれに祖母と二人、ひっそりと暮らしていた。しかしその静かで穏やかな暮らしも、魔女狩りの断行によって打ち破られる。マリーの祖母が魔女の疑いをかけられたのだ。
一人きりになり途方にくれるマリーが出会ったのは、なんとも奇妙な容貌をした一人の少女だった。
第2部の舞台は2022年のシンガポール。
CG世界を構築する仕事に従事する青年・ディッキー。ゴシック好みである彼は、自分と自分と同じような仲間(青年)たちのことを「いつまでも大人になりきれない、けれども子供でもない存在のようだ」と感じていた。それに比べて女たちのなんと強く、大人であることだろう、と。そんなある日、すでに過去の存在であるはずの不思議な少女と遭遇する。少女はかつていたはずの「少女」と呼ばれる存在だった。
第3部の舞台は2007年の日本、鹿児島。
高校卒業を間近に控えた少女が主人公。家族仲も良好、友人も彼氏もいるはずの彼女は、しかし携帯電話で他人とアクセスを図る時にこそ「世界と繋がっている」と感じることが出来た。平和で幸せで穏やかで緩慢な日常を過ごしていたはずの少女は、ある日、あるきっかけで、その日常から隔絶される。


謎だらけの第1部が、2部、3部と進むうちに詳細が明らかになっていく。入れ子細工のような構成で、恐らくはその構成そのものも味わうべきなのだろうが、私が強く感じたのは「この本は作者の『少女論』である」ということだった。
特に第2部では作中キャラクターもが少女論、少女という存在についての考察をしており、それをそのまま作者の考えだと受け止めると、桜庭一樹という人は、とても「少女」という存在に対する思い入れが強いのだろう。
大人でもなく子供でもなく、未成熟であり、殻にこもり、傷つくことを怖がり、仲間を求める・・・
本書以前の作品でも少女をテーマにしたものが多い作者だけれども、この本が一番「少女とは」ということを明確に語っていると思う。
エンタメ小説としてというよりも、桜庭一樹の考える少女、少女性というものについて興味深く読めた一冊だった。

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紙の本間宮兄弟

2007/09/15 21:44

ささやかで、みっともなくても、小さな幸せ。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

いい年した兄弟が二人で仲良くご飯を食べたり、
ビールとコーヒー牛乳片手に野球観戦をしたり、
クロスワードパズルに熱中したり、
別々の本を読みふけったり、
そしてたまには若い女の子や悩める人妻にドギマギしたりする日々の物語。


ほのかな<色恋>が登場するものの、間宮兄弟の基本はあくまで自分たち兄弟にある。兄弟は自分たちがもてないのを分かっているし、決して負け惜しみでなく二人の暮らしを満喫している。
二人は幼い頃のまま仲良くしているだけなのだけど、それが他人の目には奇異に映る。「屈託がなく」「どこか俗っぽさを超越しているように」見える。
そして間宮兄弟のその愛すべき性質は、何故だか周囲の人々をもなごやかな気持ちにさせてくれるものなのだ。
そしてこの物語を読んだ読者の気持ちをも。

実は先に映画版を見ていて、映画もなかなかに自分好みでいい出来だと思ったのだけれども、それは何よりこの「間宮兄弟」のキャラ設定が何より魅力的だった結果だろう。
何も言わずとも一見してまず「オタクっぽい」と思われがちな二人、
それなりの社会経験を積んでいる筈なのに子供っぽさが抜け切らない二人、世間から浮いていることを自覚しつつも自分を偽れない二人。

「間宮兄弟」に好意を抱いてしまう人というのは、きっと自分の中のどこかに「間宮兄弟っぽさ」を持っているからではないかな、と思う。
大人になって、昔の自分を忘れたフリをしているけれど、本来はきっと誰しもの心の中に「間宮兄弟」的なものがあるのではないか、とも思う。


自分なりのこだわりがあるのはいいことだ。
ささやかでもいい、毎日が楽しいのはいいことだ。
兄弟だって姉妹だって親子だって友達だって恋人だって夫婦だって、心の通う人がいるというのはいいことだ。


日常の中の小さな幸せを教えてくれる、なんともほのぼのする作品である。

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紙の本青い花 2

2007/02/14 22:45

美しい世界に生きる少女たちのリアリティ

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

松岡女子高等学校に通う「ふみ」と「杉本先輩」、藤が谷女学院に通う「あきら」と「井汲」の4人の少女を中心とした物語。
舞台は古都鎌倉、そして主な登場人物のほとんどが女子高生ということで、美しくも浮世離れした箱庭の中のお話という印象をうけてしまう。
学校外の風景も確かに描かれているというのに、なぜか閉じた世界という雰囲気を感じてしまうのは、あまりにも一途な少女たちの姿ゆえかもしれない。
そして私がそんな彼女たちの姿を己に重ねてしまい、狭い世界に生きていた自分を思い出してしまうからなのかもしれない。
1巻では主にふみ、そしてあきらの目線で物語が進行したが、本巻では特に杉本のキャラクターが掘り下げられている。
それまでは単に「大人っぽくて格好いい先輩」という人物だった杉本の家庭での姿が描かれ、実際の彼女は年相応の、自分で自分をもてあましているような少女だということが語られる。
それは井汲についても同じこと。
ミステリアスな少女のようだった1巻での姿に比べると、2巻での井汲は仲間とはしゃぐこともするし、杉本に対してあまりにも率直に自分の感情を口にしてみせる。
杉本も井汲も、どちらも単に類型的な「大人っぽい先輩」でも「ミステリアスな同級生」でもない。
逆に1巻では周囲に流されがちだったふみが自らの意思で決断してみせる姿なども描かれていて、回を重ねるごとに少女たちの様々な側面が自然な形で登場する。
時に前向きだったり、後ろ向きだったり、優柔不断だったり・・・揺れる気持ちが丁寧に描かれれば描かれるほど、少女たちは読み手の中でリアリティをもって存在していく。
学校、友達、先輩後輩という小さな世界の中で、少女たちは一生懸命に生きている。小さくても美しい箱庭は、小さいからこそ高い純度で閉じていられる。
美しい世界の中の美しい少女たちの物語。
それがこんなに魅力的なのは、彼女たちの感情がたしかにリアルだからなのだと思う。もはや絶滅してしまったのかもしれない美しい少女たちの世界と、美しさを残しつつもリアリティをもった心理描写の両立が魅力的な作品である。

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紙の本夜市

2007/01/24 21:44

リアリティある「異界」世界

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

大学生のいずみは、高校時代の同級生・祐司から「夜市」に行こうと誘われる。二人で出かけた岬の森では、確かに「夜市」と呼ばれるものが開かれていた。
それはこの世のものならぬ市。
一つ目ゴリラが刀を売り、棺桶職人の前に腐乱死体が立ち尽くす。
髪の変わりに植物を生やした少女が語る、「ここに迷い込んだら、買い物をするまで出ることはできないの」。
一体どういう理由でこのように恐ろしいところに連れてきたのかと祐司に問いただすと、彼は幼い頃の思い出を語りだした。
「自分は子供の頃、弟と引き換えに野球の才能を買ったのだ」、そして「弟を買い戻すためにここへやってきたのだ」と。
現実と異界の世界を描いた幻想ホラー小説。
前半では兄である祐司サイド=現実サイドが、後半では弟サイド=異界サイドが軸として語らるのだけれども、この弟の話が切なくて、悲しくて。
そう、これは決して「恐ろしい」だけではない、「かなしい」物語だ。
多くの和風ファンタジー作品、例えば今市子の『百鬼夜行抄』も現実と異界にまたがる話であり、ヒューマンな中にも時折「こちら(人間世界)はこちら、あちら(異界)はあちら」というように、ふたつの間には明確なボーダーがあるのだということが示されているが、『夜市』もその通り・・・いや、それ以上に明確な線引きがなされている。
兄と弟の世界が一夜の「夜市」によってはっきりと分かれてしまったのだということ、たとえ再会したとしてももう元には戻らないということが、残酷なまでに、はっきりと。
それは同時収録の『風の古道』も同じ。
こちらは友人とともに異界の道に足を踏み入れてしまった少年の話だが、「いったん入ってしまったからには簡単には外に出られないのだ」ということが終始語られている。
何も知らずに外からやってきた少年は、友人とともに脱出を目指す。
しかしそれを助ける青年は、異界のものであるために外に出ることはかなわない。
何があっても。
ファンタジーであるというのに、(だからこそ)時に容赦のないほどはっきりとしたルールがある「異界」という世界。
どこか民俗学的な雰囲気漂う日本的・土着的な幻想ファンタジーホラー作品である。
和風ファンタジーが大流行の昨今、本書の描く異界はシビアなだけに非常なリアリティが感じられる。
恐らく作者の中には、すでに確固とした世界観が成立しているのだろう。
それこそが本書の不思議な魅力であり、他の類似作品との大きな違いだと思った。

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紙の本江分利満氏の優雅な生活 改版

2006/09/17 21:14

愛すべき、全ての「エブリマン」へ

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昭和37年当時の、平均的サラリーマンの姿を「江分利満」氏に仮託して描いた一冊。
タイトル通り、「優雅」であるかどうかは読んでからのお楽しみ。
さて、江分利氏の人となりはというと、
ひとつ。35才である。
ひとつ。妻と一人息子と暮らしている。
ひとつ。江分利氏は、川崎の社宅に住んでいる。
ひとつ。遅刻魔である。
ひとつ。服装にはかまわないのである。
ひとつ。趣味は散歩である。
などなど、その名の通り「エブリマン」を体現しているかのような人物像である。
すでに40年以上が経過した今とは随分世俗も異なり、当時の風俗や生活スタイルを興味深く読み取ることもできる。
しかしその一方で、サラリーマンとして、一小市民としての心理というものは、現代の私にも非常に共感できる部分が多くあり、いちいち頷きながら読み進められた。
江分利氏の魅力というのは、その愛すべき小市民性である。
例えば、江分利氏は遅刻魔である。
しかし、本人も何も感じていないわけではないのだ。
「あわてたって仕方がない、ま、いいじゃねえか。」
とも思うが、
「チーム・ワークを乱していること、朝の空気を乱していることは償いようがない」
「江分利の朝の気持はいつも重苦しい」
というのも、また事実なのである。
このような、開き直りと罪悪感の板ばさみというのは、誰でも多少は身に覚えがあるのではないだろうか?
このようなエピソードのひとつひとつが、それがささやかなればこそ、我々にとって身近に感じられ、江分利満氏を愛すべき存在としているのだ。
江分利氏の人生には様々な局面がある。
時にシリアスであり、時にユーモラスであり、時に劇的である。
そしてそれは広く「エブリマン」に共通することである。
個々人の集合体が「エブリマン」なのである。
「エブリマン」なる一個人など、どこにも存在しないのである。
「(自分が)マス・ソサエティのなかのひとり、とは江分利も思っていない」のである。
江分利氏は我々の一部であり、我々の一部が江分利氏である。
であれば、大きいことをいうようであるが、江分利氏はこの国のキャラクターそのものといってもいいのではないだろうか。
江分利満的生真面目さ・愛嬌・悲哀など、その愛すべき性質を失わない限り、江分利氏への共感を失わない限りは、我々もまだ大丈夫だと思えるのだ。

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