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菊理媛さんのレビュー一覧

投稿者:菊理媛

54 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本獣の奏者 4 完結編

2009/09/10 11:16

人と獣の絆が災いとなるのか? 人間の欲望が絆を禁忌へ向かわせる

14人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

獣の奏者 完結編

 読み終わって、なんとも「心痛む作品」という印象が残ります。
 たぶん、読み終わってからもう少し時間をおくと、徐々に穏やかな気持ちになれるのではないかと希望的観測をしてしまうのですが。

 争いを止めることのない「人間」という生き物への憤りと、自分もその人間であることへの悲哀。より豊かな生活を求めて利権を争うことの意味と必然性に憤然としながらも、現実に照らせば理解できてしまう自分が許せないような気持ちになります。

 しかしながら、私が一番心痛いのは、人と信頼関係を結んだために人でない生き物が犠牲になってしまう部分でした。

 エリンがリランと心結ぶことがなければ、リランは幼獣のまま死んでいたかもしれない。エリンがリランに示した愛情は本物であり、本編でエリンがとった行動は、リランの子孫を野生に戻し、後の世において王獣を人の手から解放するという未来を得たことを考えれば、彼女が取れる選択肢の中で最上のものであり、(今現在は否定的な響きのある、どこかで聞いたことのある言葉を使えば)「痛みを伴う改革」だったのだろうとは理解できるのですが。

 その痛みが、あまりにも痛い。エリンに甘えるリランの長男の末路。穏やかにエリンの最後の従うリラン。

 あまりにも人間の考えや行動は身勝手で、庶民を守らねばならない義務があるというセィミヤの言葉も、ラーザの戦闘力に対抗するには必要だという理屈も、相手が仕掛けてきたのだから避けようが無かったと言う言い訳も、すべては人間の都合であることであり、その領地取りのために生をゆがめられた闘蛇も王獣も、人間の身勝手さの被害者であることが一番辛い展開でした。

 いにしえの時代に自らが誓った「禁忌」さへも再び繰り返してしまう愚かさ。

 「あれば使う」「知れば使う」諸刃の剣となる兵器としての闘蛇と王獣を、二度と同じ間違いを犯さないためにと、人の手から未来永劫取り上げようとした先人の知恵は「教えて諭す」ではなく「知らせず秘する」だったことで破綻をきたしてしまいました。

 ならば、「教えて諭す」を選んでいたなら、同じ過ちを犯すことはなかったのかと考えるに、それでもなお別の道を通って同じ過ちは繰り返されたのではなかろうかと思えてしまうあたりが、やはり人間の愚かさゆえなのかと思えてしまいます。

 それは、「戦争など、誰にも幸せをもたらさない」と知っているはずなのに、世界のどこかで絶えることのない戦争を続ける人間という生き物の性(サガ)というか、戦争をしないまでも自国の利権を主張しあう姿に見える業というか、そういうものを払拭できない限り、愚かにも大禁忌を繰り返しかねねない人間の本質を、どうしても否定できないからなのかもしれません。

 食べるためのブロイラーを羽毛がもともとないように遺伝子操作し、豚のロースを増やすために肋骨の数を増やしたという話を聞くたび、人間の都合で生をゆがめられている動物がどれほど多いのだろうと苦々しく思いながらも、自分の食べている食品の実態など実はよく判ってもいない愚かな私が言ってはいけないのでしょうが、人間はあまりにも自分たちの都合で他の生き物の生をゆがめているのではないでしょうか。

 先の二編(闘蛇編・王獣編)で終わっていたなら、結末はファンタジーの常の形で収まりがついていたように思います。けれど、この二編(探求編・完結編)は、ファンタジーながら現実の厳しさを強く示していると思います。
 私のような極楽トンボは、「めでたし、めでたし」で終わりたい。そう終われない結末は目を閉じてみないようにしてしまうところがあるので、この完結編の最後部分は読み進めるのが辛く、週末が予見できてからは読みたい気持ちと読みたくない気持ちの葛藤でした。

 けれど、確かに「こうならなけらば次が無い」という終わり方であったことも、素直に認められるのです。

 エリンとリランの生涯は、お互いに普通の生ではなかったかもしれませんし、世の中に大きなひとつの「災い」をもたらしたのかもしれません。けれど、彼女たちの絆そのものは、夢のような、羨望に値する、すばらしい関係だったと、完結編を読み終えた後でも、それだけは、そのことだけは、羨望の気持ちをもって「有り難い絆」と思えるのです。
 エリンとリランの絆は、古代の人々が禁じたものを壊すきっかけとなってしまったかもしれませんが、壊すために利用したのは人間の欲望だということを読者は理解しなければならないと思います。

 ファンタジーでありながらも、多くのことを示唆したすばらしい作品であると、たくさんの人に勧めたい本です。
 

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多くの人の「人生の秘宝」となるか?

14人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

初期のころとは打って変わって重苦しい話になってきた。とはいえ、違和感があるわけではなく、守られていた子ども時代から大人になるに従って、悲しみや辛い出来事の度合いが増すという、人生の構図そのものだと感じる。
それを子どもが読んでどう感じるかは、大人になってしまっている私には計り知れないことであり、もしかしたら、同じ本の中に違う世界を見るのかもしれないとも思う。
とはいえ、やはり「ハリーポッター」は面白いと、読みながらつくづく思った。この巻がでるまでの長い待ち時間と、ずいぶん前にニュースで盛り上がっていた「ハリーポッター最終巻」の大騒ぎのせいで、ともすれば興味が冷えてしまった感もあったのだが、最初に「…と賢者の石」を読んだ時と同じく、読みはじめからどんどん引き込まれて行く。
ストーリーそのものは、すでに周知の内容の「その続き」ということで間違いない(ネタバレ要素など、より少ない方が良いと考える)ので割愛させていただくが、今回この本を読んで、なにに心引かれたかと言えば、「人は誰も良い面と悪い面をもっている」「完璧な善人も純然たる悪人も存在し得ない」という事実を再認識したということだ。
たとえばクリーチャー。あのシリウスを死喰い人に売った屋敷しもべだ。彼があることをきっかけにドビーと少しも変わらない忠誠な屋敷しもべであることが今回わかる。思わず「シリウスが悪かったのだ」と思ってしまった。もちろん、シリウスが悪かったとも言い切れない。つまりは環境と状況と相手の態度でどうとでも、その個人に対する評価は変わり、評価が変わって態度が違えば、対する相手との関係性も変わってくるのだ。
そしておなじみのロン。彼の心の闇を聞いてしまえば、責める方がおかしいような内容だ。当然感じて然るべき杞憂だろう。それでもなお、その思いを自ら振り払い、その闇に身をゆだねてしまわなかった者が正しい道を歩むのだろう。
闇はだれにでもある。ダンブルドアがハリーに言った「なにがあろうと私を信じろ」という言葉ほど、難しい試練は無い。誰も否定してくれない状況で、「もしかしたら」と悪い事態を考え始めたら、あっというまに闇が生まれ、意図せぬ間に広がってゆくのが人の心の弱さかもしれない。考えまいとして考えずに済む事ではないし、そういうことを考えもしない人生などありえないだろう。
実は、まだ上巻しか読んでいない。読み始めると、寸暇を惜しんで読んでしまうので、終わりに近づくのが惜しいのだ。とはいえ読まずにはいられない。多少モレ聞くネタバレで、あまり楽しい場面はなさそうだけれど、それでも下巻を読むのが楽しみだ。
楽しいばかりの人生などない。それでも、人と人は信じあう事でお互いを守ることもできるのだ。目に見えず、手で触れもしない「疑心」に自らを蝕まれてはいけないと、作者は教えてくれる。

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仔猫の愛らしさと、ちいちゃんの愛おしさに涙する

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

偶然、つい最近近所で捨て猫を見つけた。
家に猫がいる関係で連れて帰ることもできず、朝晩食事を運びながら貰い手を探すという経験をしたが、この猫が懐いて甘えてくるので、可愛くて可愛くて、イザとなったら家人と喧嘩をしても…という気になっていたのだが、幸いな事に貰い手が見つかり引き取られていった。
後に残ったお皿を眺め、しばらくは寂しくて仕方なかった。身を摺り寄せてくる小さな命の愛おしさというものは、体験してみるとなんとも言えない感情であることがわかる。
低学年用の読み物とはいうものの、読んでいて感極まって涙が出てしまった。
貰い手が居なかったら死ぬしかない命を、引き取り手が居なかったら殺すという人間の傲慢さ。ちいちゃんという、小さな人間がカラスから守った仔猫の命を、いとも簡単に「保健所へ連れて行く」と言い切る大家さんの言葉に、人間の身勝手な考え方と世の無常を感じて憤慨してしまい、ちいちゃんといっしょにお母さんの言葉にたしなめられた気がした。
命の大切さを子どもに伝えることが、なぜか難しくなってしまった今の時代。バーチャルなゲームで、遊び感覚で殺りくを楽しむことより、自分より弱い命を守る誇りを知ってもらう術を大人は模索しなければならない。
「ほんとうは、うちの子にしたかったの」と泣くちいちゃんの言葉が、優しくて痛い。
それでも今の時代、動物を飼うということには、子どものお小遣いではまかない切れないものがあることや、それでも命のあるものを愛しむ大切さを教えてあげたい。
子どもの感受性を育み、時には死を身近に感じて悲しむことは、人としてとても大切な敬虔だと思う。
最後に、猫は犬のように愛想良くないと思われがちだが、この物語の仔猫のように、飼い主が帰る時間に玄関で待っていてくれるくらいの愛想は十分にあるということを明記しておきたい。
たくさんの子どもたちに読んでもらいたい本である。

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紙の本狐笛のかなた

2007/10/26 14:13

命有るもの

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

不覚にも通勤電車の中で涙をこぼしてしまった。
不遜と思われるかもしれないが、日ごろから人が災難に遭う映像より、動物が殺されたり迫害されている映像に心が痛む人間である私としては、人に良いように使われる身でありながら、人の娘である小夜に恋慕の情を持ってしまった野火が愛しくて、哀れでならなかった。
児童書でありながら、この物語に貫かれている精神は、今の世の中で大人が考えるべき真理ではないかと思う。恨みを恨みで洗うような正義は、各々には正義であるかもしれないが、相手にとってはただの横暴であると、せめてその事実だけでも理解できたなら、今の世の不条理もずいぶん沈静されるのではないかと思う。
主に使い魔として操られる霊狐たちが行う殺人は、人と人との争いの産物である。「食べるために殺すねずみをかわいそうとは思わないが・・・」という野火の言葉が生きるための糧としてでない殺戮の無意味さを率直に表していると思った。
命あるものすべて、この世にあるものすべて、それぞれに命を持っている。利権のためでなく、生きるための食物連鎖上のことならともかく、恨みを晴らすための恨み、相手を苦しめるためだけの争いには終着点がない。そんなことのために命を取ったり取られたりすることなど、何の意味も甲斐もないと、読むものに教えてくれる本だと思う。
小夜も野火も小春丸も、果ては玉緒さえも幸せに生きてくれたらよいと願わずにはいられない。残り少ない命と知りながら、呪者としての生き方を選んだ主でさえ、それにふさわしい死に方を経て、穏やかになれたのではないだろうかと思える作品であり、作者の精神の豊かさを表す傑作だと思う。

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うちの猫が、仰向けに転がるのなんて、当たり前だと思ってた。。。

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 今は昔。「うちで猫かってるの」と家人がおっしゃる家の猫は、ほとんどが外出自由の身であったり、逆に外に棲みかを持っていて、食事と安息の場として人の家(あるいは地域に)出入りして暮らすことが多かったように記憶しています。

 やがて、ドックフードなみにキャットフードも一般化し、主には純血種などを外出禁止の家猫として飼う家庭が増え、「猫にはご飯に鰹節のせて、味噌汁かけたものをやればいい!」などとおっしゃるお婆ちゃんの怒声を振り切って、ドライフードだ猫缶だと専用のフードを買い込み、「臭いの気にならない」とか「しっかり固まる」とかいうトイレ用の砂を備蓄して、猫に生活をさせる飼い方が定着しつつあるようです。

 今では、初めて猫を家族に迎える家庭では、どのような猫を家族に迎えるかの段階で、「ネコ図鑑」などで念入りに調べたり、「上手な猫の買い方」などの本で、猫の生活必需品を調べ、飼育ノウハウを勉強することになります。
 まぁ、ノウハウについては、ブリーダさんや(個人的には推奨しませんが)ペットショップの担当者さんに、たいていの疑問は答えていただけますけれど。

 現実を振り返れば、多くの捨て猫、野良猫が一日に何匹も薬殺されていることを思えば、「里親探し」などしている団体や集会に出向いて、貰い手がなければ人間の身勝手な判断で殺されてしまう猫を一匹でも救ってあげるべきだとも思うのですが、「慈悲心」「慈善心」とかとは種類の違う「愛護精神」で自分たちの好みの猫との出会いを希望する人たちにとっては、「どんな種類の猫がいるのか」「その猫はどんな性格なのか」ということや、初めて猫と暮らすにあたっての準備品の種類や注意事項が気になることも事実でしょうし、その家に来ることになる猫にとっても、家主である人間たちが、自分たちに必要なものを知っておいてくれることは必要なことなので、そのような本の必要性は否定することが出来ないと思います。

 さて、本書はその名のとおり「キャット・ウォッチング」の本です。つまり、「どのように猫を飼うか」ではなく、「猫とはどういう生き物か」あるいは、「見慣れた猫の仕草や行動には、実はこのような理由がある」ということの類が書かれています。

 表紙に書かれた「なぜ、猫は あなたを見ると 仰向けに 転がるのか?」については、猫と身近に接した経験のある人なら、漠然とそれが親愛の情を示す行動であることぐらいは、わかっているんじゃないのかなと私は思いますが、それならば何故、「撫でて~♪」とばかりにそのような仕草を見せた猫が、「そおぉ? じゃぁ」と撫でると、その手に攻撃してくる不思議。まぁ、それも、「だって猫なんだから、じゃれ付くんでしょ?」という風に漠然と納得しているのは私だけではないように思います。

 本書でいわく、「私がお腹をみせてころがるのは、あなたの前で弱みをさらす姿勢をとれるほどあなたを信頼していると言いたいからです」と猫は伝えているのだとか。では、なぜ撫でようとする手に攻撃をしかけてくるのか? それは、「仰向けディスプレーをしているネコがあなたにその柔らかな腹面をなでさせる用意があると考えるのは、かならずしも正しくない。柔らかな腹部に近づくのを許さない用心深いネコのほうがふつうである」ということだそうです。

 そのように、多くの「よく見慣れた猫の行動」から、「見たことの無い猫の行動」まで、動物行動学の権威である著者が、「猫という動物」について多くを語ってくれています。

 猫と暮らす初心者には、飼い方本と併用することで、より新しい家族の理解に役立ち、長く猫と暮らしてきた猫好きにとっては、長年の不思議と誤解が解消される内容です。

 同居する仲間としては、できるだけ相手のことを知っているほうが要らぬ誤解や軋轢が減るのは当然のこと。また、食わず嫌いで猫を避けてきた人にとっても「猫と暮らす人」の特権やら、猫にまつわることわざなど(とはいえ、これはイギリスのことわざなので、日本では馴染み深いわけではないけれど)を解説してくれている部分などは興味深く、猫好き・猫嫌いを問わず有益な本のように思います。

 猫っ気などまったく関係ない生活を送る、生活にストレスを感じているアナタ。ぜひ、ご一読を。。。とお勧めします。


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紙の本獣の奏者 3 探求編

2009/09/01 13:35

愛する家族のために、古の禁断を解き明かし希望の光をつかめるのか

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 偶然街角で旧友に遭遇したような感があるとでも言いましょうか。彼女は確実によわいを重ねた風でありながら、いっきに懐かしい時間に引き戻してくれるだけの「記憶のまま」の姿で目の前に現れました。

 さて、子供向けのお話の多くが「悲しい部分や残酷な部分」を削られて広められていると薄々でなくハッキリと認識したのは『人魚姫』が『リトル・マーメイド』として発表されたときでした。
 人魚は恋破れて泡となって消えてゆく。そんな悲恋物語であったはずなのに、王子様と結ばれて終わる『リトル・マーメード』となり、きっと今の子達はそちらを主流に覚えているのでしょう。
 『シンデレラ』然り、『桃太郎』然り、『かぐや姫』然り。みんな「めでたし、めでたし」で終わるように修正されるのは、その方が子どもの情操教育によろしいと大人が判断するからでしょうか。世の中はそんなめでたいことばかりではないのにね。

 そんな「めでたし、めでたし」で終わらせた童話にも、その後の物語あって当たり前だと気づいたのはいつごろだったでしょう。たとえば『桃太郎』は、後に「宝を奪われた鬼たちに復讐される」わけですが。。。

 この『獣の奏者』は、「闘蛇編」「王獣編」で完結したものと思っていました。物語として十分に完成されていると思いましたし、その後のエリンの人生が楽なものではなかろうとは想像できたものの、ひとつの決着がついたあの「降臨の野(タハイ・アゼ)」での出来事で終え、「後のことは読者それぞれの想像に任せます」という終わり方なら、「エリンはリランたちとともに、リョザ神王国に拘束されない山の中で幸せにくらしましたとさ」的な「めでたし、めでたし」終わりが好みならそのように。また、「唯一の王獣を操れる者として、ヨジェ直轄の地位を得て・・・」と、次の物語を自分の中でだけなら自分勝手に想像するのも楽しかろうと思っていました。

 今回、まったく予期せぬ幸運というか、この「探求編」が出たことを知り、もちろん嬉しかったのですが、少しばかり困ってしまいました。なぜなら、子どもではない私の思考回路では、エリンのその後の人生が「めでたし、めでたし」では無かったはずだとしか考えられなかったからです。
 想像のとおり、エリンの人生はたいへんなもののようです。それでも、「あ、やっぱり?」と思う男と結ばれ、さらには母となり。あたかも旧友に「どうしてたの?」「あ、結婚して子どももいるんだ?」「最近はどうよ?」などと矢継ぎ早に質問して、友が答えてくれているような部分もあり、エリンの人生が想像を絶して辛いものであったとしても「続きを読めてよかったな」と思えました。

 先の2編が「闘蛇編」「王獣編」であったように、今回の2編も「探求編」では闘蛇にまつわる話を中心に進められていたので、「完結編」では王獣にまつわる話が語られるのでしょう。
 無敵の闘蛇部隊を、たとえ一頭であっても王獣が蹂躙する事実で終えた先の「王獣編」から十年の時を経て、幼かったエリンが抱えていたより大きな難問が母となったエリンを苦しめます。闘蛇の操縦法が他国にもれたかもしれない状況下で王獣部隊を組織するように迫られるエリン。子どもながらに潔くも「いざとなったらこの命を捨てさへすれば」と誓っていたエリンも、妻となり母となり、自分の命ひとつを引き換えに逆らえるものではなくなったことも、皮肉な運命といえるのかもしれません。

 命を捨てることも逃げることも出来ないと悟ったエリンが向かった先は。そして、そんなエリンを守るためにエリンの夫がとった行動とは。物語は「完結編」へと流れてゆきます。

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紙の本ころころろ

2009/08/14 13:50

「置き去りにされた」と思う心が、鬼の闇

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 おなじみのシリーズも8巻めなりました(末広がりで、お目出たい♪)

 さて、あまりにお目出たくてか、新刊『ころころろ』では、若旦那の“お目”玉が、つまみ“出”され、もってかれてしまうようです(洒落ですか?)

 しかし、毎度おなじみ病弱で外出もままならない若旦那が失明したとて、どうせ普段から寝てばかりいるんだから大差ないようにも思えてしまうのですが、家はおろか離れから出もしないのに、転んだりぶつけたりと、まことに器用に危ない目にあってしまうとあって、大事な若旦那には、超甘々の両親と、超々甘々のふたりの兄やをはじめとする甘々面々は、人も妖もこの椿事に大弱りの大騒ぎとなります。

 大事な若旦那の災難だけでも、心配マックスの兄やに、若旦那の母であり大妖皮衣の娘、おたえを悲しませたのは、兄やふたりの「守りがだらしないからだ」と、おたえの守狐から責められて、キレたふたりは、「鼠捕り」よろしく、神様をエサでつってつかまえてしまえと、罰当たりな行動に出ます。
 そんな単純な罠に神様ともあろうお方が引っかかるものか? と思いきや、そこがこのシリーズに出てくる“人ならぬ者たち”らしいところとでもいうのでしょうか、あっさり捕まった神様は、若旦那とその親衛隊の妖し連中に交換条件を出します。その勝負に勝利して、若旦那の「光」を取り戻すことができるのか?

 必死に玉を求めるあまり、「神様捕り」にひっかかってしまうちょっと間抜けな(?)神様。今回初登場の品陀和気命(ほむだわけのみこと)は、生目神社に祭られる目の神様。その神社に備える鎮壇具(ちんだんぐ)の七宝玉が全編を通してのキーワードとなってます。

 個人的におもしろかったのが、神さまが出した「問題」に出てきた『桃太郎』についての妖たちの解釈。実は私も「桃太郎のやったことってどーよ?」と思っていたので、「そうそう、その通り!」と膝を打って賛同してしまいました。昔話って、端折ってあったり、「めでたし、めでたし」と終わるので、大団円で終わったかのように思い込んでいますが、後で冷静に考えてみると筋が通らないことがままありますね。

 いにしえからの日本における神と人との交わりは、時にやさしく、時におそろしく。祀ったり、祟ったり。捧げたり、奪ったり。祈ったり、封じ込めたりと、一面だけでは理解が難しいかかわりかたをしてきた歴史があります。神の時間と人の時間のタイムラグ。神や妖からみれば、人の時間は儚くも短くて。

 「神とはいかなる者なのか」

 日本人なんだから、日本の神様がいかなるものか、そして古来から人間と神はどのようにかかわり、どのように接し、また距離を置いてきたのかを、さらっと程度には知っておく必要がある気になってくる今回のお話。

 神様は偉い人? 神様は祟る人? 神様に貢物、神様に人身御供。神様って怖い存在だから畏れ敬われるのか、慈悲深い存在だから祀られ敬われるのか。
 すくなくとも、このシリーズにおける神様は、とっても人間的。いや、鬼だって妖だって、とっても人間的。理由があって恐ろしく、理由があって悲しい存在として描かれます。
 兄やふたりも、それぞれに“鬼”を相手に大活躍。けれど、やっぱり病弱な若旦那の大活躍には適わない?

 今回も人情味あふれる(?)妖怪たちの活躍で、やさしさが“ころころろ”と転がって、この世もあの世も、誰かを失って鬼になるなら、誰かを守って何になるのでしょう?
 置いてゆく身と置き去りにされる身は、さてどちらが辛いのか。置き去りにされた事が辛いのか、それとも「置き去りにされたと思う心」が痛いのか。
 それが神であっても鬼であっても、ましてや儚い人の身ならなおのこと、いつか来る別れを思へば疼くような胸の痛みが、仁吉の「我らはすっと、側におりますからね」の一言に、それが事実であろうとなかろうと、少し慰められた気がします。

 

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紙の本天と地の守り人 第1部

2008/12/08 14:33

守り人シリーズ、大団円に向けて

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

天と地の守り人 第一部

 「この作者の作品が、一番好きだ!」と、上橋菜穂子作品を読み終えたとき必ず思う。とはいえ、薄情なもので、他の作者の本を読んでいるときは、あっさり忘れて、その時読んでいる本に肩入れしていたりもするのだけれど。

 上橋菜穂子の作品は、総じて全身をすっぽりと包み込んでくれるほどの深みがある。読んでいるとき、読者は俯瞰して物語を楽しんでいる身ではなく、どっぷりと作品の世界にはまりこみ、登場人物に憑依して物語の進行に身をゆだねざるを得ないような一体感で、喜びも悲しみも、痛みも癒しも体感するのだ。
 主役が女性用心棒であるあたりがすでに珍しいが、その女性が実はお姫様であったり、絶世の美女というわけでもない。アニメではかなり美人で若く描かれていたが、本の中では三十路の短槍使いの女性としか表現されていない。その主役、バルサと不遇の太子チャグムの馴れ初めで始まった「守り人」シリーズ。この人気シリーズの説明は、今さらなので必要もないだろう。
 本作品は、守り人シリーズに、(当時は幼かった)皇太子チャグムを主役として派生した別流「旅人」シリーズが合流し、シリーズの集大成として壮大な物語となっている。
 個人の意志などではどうにもならないかのような、国と国との攻防のはざ間で、己の力なさを骨身の真まで思い知らされながらも、歯を食いしばって愛する故国のため、民のために自分のできることを成し遂げようとするチャグム。「精霊の守り人」で登場した、守られるばかりだった少年が、ここまで成長したのかと思うと、読んでいるこちらも感慨深いものがある。まして、バルサはどう思うだろうと考えるに、雛が翼の下から飛び立ってしまったような寂しさもあるのだろうなと旧知の友の心情を探るかのようにしみじみ思ってしまう。
 ちょうどこの本を読み終える2日前に、「天と地の守り人 第二部」が届いた。早く続きを読みたくてうずうずしてはいるのだが、せめて第三部の発売予告が出るまでは、「お預け!」と自分に禁を課した。そうでもしないと、第三部が待ちきれなくて、禁断症状を起こすだろうと本気で思うからだ。
 幼い自分を守るために命をかけてくれたバルサ。青年となったチャグムは、そのバルサに再び自分のために危険に身をさらして欲しいと、自らはとても言えないし、言いたくはないのだ。そんなチャグムを頼もしく思いながらも、わが子のことのように放っておけないバルサ。自分の知らないところでチャグムが危険にさらされるよりは、自分の体を張ってでもチャグムを守る方が気が休まるのだろう。缶バルへ向かうチャグムに随行を買って出た時、拒否しようとするチャグムに「私のことは私が決めるよ」と言い放つバルサ。バルサに再開できて嬉しいのは事実、ともに来て欲しいのも事実。それでも今の自分には、バルサのその行為に報いられる何も無い。その上、今回の道行きの危険度は前回の否ではない。
 成長したチャグムは、それがわかるゆえに、バルサに自分とともに来て欲しいとはとても言えなかったのだろう。けれど、やはりバルサはともに行くのだ。「守り人シリーズ」の主役である短槍使いのバルサは、やはり「守り人」なのだから。
 守る女槍使いバルサ。守られる運命の皇太子チャグム。バルサが帰る故郷はタンダ。シリーズでお馴染みのメンバーも、それぞれ自分の持ち場で危険と隣り合わせに頑張っている。みんながみんな頑張っているから、読者も必死に付いていこうという気持ちで、上橋ワールドの存亡を守り、旅するのだ。

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紙の本生き屛風

2008/11/06 14:24

煙管の煙が目に染みて

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 私は根っからホラーやオカルトは嫌いな性質で、子供だまし程度でも「お化け屋敷」などというものには近づきたくも無い人間である。真夏であっても、その類の映像は予告を目にすることさえも避けたし、ましてその手の本を好んで読もうと思った記憶もない。
 この『生き屏風』をなぜ手に取ったのかについては、自分のことながらよく分からないくらいで、読み終わった今考えても「なぜ?」と思ってしまう。しかしながら、読み終えた感想としては「粋」とか「洒脱」、あるいは「風流」という言葉さえ似つかわしい作品であり、「恐ろしい」という感覚はまったく感じなかった。
 帯に「ホラー小説」と書いてあるのだから、「恐ろしくなかった」などと書くと貶し言葉になってしまうのかもしれないが、「面白かった」と言って憚らないので、私なりの褒め言葉だと思っていただきたい。
 主役は妖鬼の娘。名は皐月と可愛らしが、父は人に育てられた鬼であり、母は花塊という妖とある。なんとなく父の姿は想像できるが、母の姿は皆目わからない。花の塊というからには美しいのか? とは思う。しかしながら、主人公の皐月は「へちゃむくれ」と屏風中の奥方に言われ、「狐妖と比べて綺麗じゃない」と菊の精に言われ、散々である。しかしながら、そう言われて怒るでもないあたり、かなり性格美人と見受けられるし、妖鬼といってもオデキのような角を前髪で隠せば、見た目には人と変わりない姿の娘のようである。とはいえ、人の一生とはかなり時間基準の違う生を送っているらしく、県境に住み着き、外部から入ってこようとする邪気や病を防いでいる彼女は、赤ん坊が長老と言われるころになっても、まだ変わらすそこに居るのだという。
 土地を守っているのだから、元来、悪い者ではないという認識にいたる。入り込もうとする邪気や病をすべてを祓えるわけではないけれど、力の及ぶ限り人の生活を守ってくれる者とあらば、守り神みたいなものではないかと思う。物語中、神と妖しの違いについてなども、私見程度だけれど書かれていて、なかなか興味深いものがあった。
 さて、日本ホラー小説大賞の短編賞を受賞したという「生き屏風」。皐月がいつものように生活しているところへ、近所の酒屋の小間使いがやってくる。その酒屋では、一昨年前に亡くなった奥方が夏場になると屏風の中に現れて我儘放題を言って家の者を困らせるので、人ならぬ皐月に彼女の相手をして欲しいという。あまり気が進まないながらも出かけてみると、口は良くないがなんとなく気の合いそうな奥方が、まっかな屏風の中にいて。。。
屏風中の奥方は、商家の妻女というよりは置屋の女将といった感じの粋な女性で、三味線を爪弾きながら小唄を口ずさんでいる婀娜っぽい姿が似合う女性が想像される。生きていたころは体が弱かったため外出もあまりしなかったという色白の肌と、半開きの赤い唇に寄せたガラスの煙管から漂う赤や紫の煙という描写が、えも言われぬ美しい絵を想像させてくれる。(もっともディズニーの『不思議の国のアリス』に出てくる幼虫の姿とも多少はダブらないこともないが)
 死んでなお、この世に居つき、残した者たちに我儘を言う奥方の、ちょっと捩れた愛情が見え隠れする。読み手には、この世に残した旦那に対する愛情が見えるのに、居着かれた旦那は迷惑なばかりのようで、邪魔をされていると思いこんだ手つき女には火をつけられそうになる。それを旦那が止めるのも、死んだ女房がかわいいからでなく、家が燃えては困るからであり、悪鬼となって祟られてはたまらないからという、心根で比べればどちらが妖怪か分からないような心情が語られる。
 なんとなく胸が痛くなるような展開だが、最後にほっとするような一文があることで、心が和んだ。
 恐ろしげだが、尋常ならぬ美しい妖の女。生きてはあるが、了見の狭い愚直な人の女。屏風の奥方や里外れに住むの狐妖の方が、旦那のお手つき女や、(狐妖の宴に出てくる)八つ当たり娘よりも、粋に婀娜っぽく、美しく描かれている。
 もっとも、生身の女たちの描かれ方も、生身ならば当たり前という程度のものではあるけれど。一人、「猫雪」に出てくるお妙さんが、生身の女の面目を躍如してくれているのが救いと思う。
 収録の作品どれをとっても、ホラーというには優しく、美しい情景の話に仕上がっている。ホラー嫌いの私としては、ちょっとしたカルチャーショックな作品だった。

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紙の本蒼路の旅人

2008/07/18 15:15

チャグムとともに海を渡る

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

シリーズを通してそうだったと記憶している(未確認ごめん!)のだが、この作品の「目次」の次のページに「地図」があり、次に「登場人物紹介」がある。こもまではファンタジーならママある構造かもしれないが、さらに次のページには「用語集」が載っている。
国が違えば言葉が違う。言葉が違えば当然独自の名詞があって然るべきという、この当たり前のことが、ちゃんと整えられているあたりが、このシリーズのリアリティを強力にバックアップしているように思う。「ヨゴ語」については、この物語の世界に慣れ親しんでいる読者ならば、すでに自分たちの世界でも使われている言葉を話すかのように、自然に読めてしまうかもしれない。しかしながら、「タルシュ語」は今回が初見である。であるにもかかわらず、私のファン心理の成せる業ならまことに恐縮ながら、「砂漠」や「山脈」に当てた言葉などは、いかにもそれらしく、なにか土台にしている原語があるのだろうかと思ってしまうほど「それらしい言葉」が当てられている。世界観として実にすばらしい。
しかしながら単語はともかく、話す国民が変わるたびに別の言葉で語られるわけにもいかないので、当然のことながら物語りは日本語でつづられる。それでも、その中でちゃんと「ヒョウゴが、クルーズの挨拶をヨゴ語になおすのを聞きながら、」というように、通訳が入っていることをさりげなく、話の筋にまったく邪魔にならない体を保ちながら、うまく言語の使い分けが表現されている。
話を目で追いながら、読者はストーリーとともに、その情景から異国情緒を味わえるような、実に巧みな文章で、あたかも外国を旅しているような感動をチャグムとともに体感しているようで楽しい。
また、人物描写についても、一人一人の人格が鮮明で、それぞれに魅力的だ。どうして一人の人間が、これほど多重の人格を操れるものかと不思議に思いながら読み進める。不都合なことや、痛い思いはなるべくしたくない私などは、こういう話は逆立ちしてもあみだせないなと、読みながらつくづく思った。
登場人物は、それぞれにとても個性的で各人に魅力があり、その描かれ方も鮮明でわかりやすい。たとえば、タルシュの第二王子(ラウル)の馬番の男など、この王子が馬から下りる場面で、まさにチラっとしか出ないのだが、その寸の間の行動や態度で、この男の置かれた状況、さらにいかに馬主であるラウルに恐怖を感じているかを表現することで、ラウル王子がいかに恐ろしい男かが読者に十分伝わってくる。しかしながら、ただ「恐ろしい」というだけでなく、この王子は(好き嫌いは別として)非情に優れた男である事も感じさせる描かれ方である。
今回、初登場のなかにも、今後のシリーズでも活躍するのだろうなと思わせる人物も何人か思い当たるが、そういう素人想定をはるかに超えて、このドラマは最終話に向かって漕ぎ出してゆく。
「がんばれ!」と、これ以上がんばれないほどがんばっていると思いながらも、声をかけたくなるような物語だ。

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紙の本獣の奏者 2 王獣編

2007/03/28 15:47

十分に楽しめるファンタジー

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 良い意味で、展開予想を覆して行く面白いストーリーと言ってよいように思う。
 十歳の少女が、かけがえの無い母を助けるために取る行動とはいえ、その行動力といい能力といい、少々無理があるようにも思うが、そこはファンタジーの贈り物ということで良いではないかと収まりをつけた。
 決して楽とはいえない生い立ちを過ごしながらも、やはり普通ではない天性の能力(と言っても神業のような力ではない)をもって、少女はは主人公としての成長を遂げてゆく。とはいえ、それは魔法とか奇跡的に与えられる、例えば「えらばれし者」というアドバンテージなどではなく、言ってみれば好奇心と意志の強さでコツコツと積み上げた結果、気付いたら「えらばれし者」のようになってしまった・・・という階段を一段ずつ上るがごときストーリーは分かりやすい。
 誉め言葉になるかどうかは聞く人次第だろうが、宮崎アニメで見てみたい話だと感じた。
 決して完全に理解し合うことは不可能だから、超えてはならない壁があるという、本編の最後まで物語のバックに流れる真理を、最後の最後で覆す。覆ってみれば、人間同士でさえ完全に理解し合えないのだから、理解し合えぬという事実でコミュニケーションを諦めることへの愚かさに、ふと気付いたような気になってしまう。
 紆余曲折する主人公の思考を、単純な思考で覆す王獣リランの最後の行動は、ささやかな希望の光を見せて、作者の意図を照らし出す。

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紙の本こいしり

2009/07/03 15:23

いい男だねぇ。。。と思いますよ、私。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「まんまこと」を読み終えたとき、続編を期待しました。とはいえ実際は「指折り数えて待っていた」という風でもなく、世には晩餐会のごとき大作もあり、その後すっかり忘れたころ。本屋でふと見た本棚に並んだ「こいしり」の文字と見覚えのある挿絵。「おや、この装丁には見覚えがありますよぉ~」と思って手に取ると、なんと「まんまこと」の続編でありました。
 「まんまこと」は、“ハートブレイク”を梅干に、“お気楽・洒脱”のホッカホカの白飯に、ちょっぴり涙の塩味を利かせ、程よく握ったおむすびを、“江戸の風情”という粋な海苔でくるんだようなお話でした。食欲が無いときでも食べられそうだと思えるような、素のおいしさ。庶民の味、気の張らない身近なご馳走、もたれずさらっとイケるかんじのお話でありました。
 というわけで「おかわりいかが?」と問われれば、即座に「はい、いただきます」と答えたくなる物語だったわけで、迷うことなくご購入のなりました。
この物語の世界は、その核には歴然としたものがありながらも、どこか霞がかかったような、うまくお茶を濁しているような、薄布を通して景色を見ているような、なんとなく歯がゆいような設定と相関図が土台となっている世界観の成せる業とでももうしましょうか、「痒いところにイマイチ手が届かない」もどかしさが、満足させない欲求心をくすぐるように思います。
あの、お調子者の若旦那は相変わらずながら、しょっぱなから嫁取りの当日のようで、「これはこれは、めでたいで出し」と、ご近所でのお話のようにお祝い気分になりました。
しかしながら。。。この若旦那、添えないけれど想い人がいるんじゃなかったっけか? 
 前作は、「けなげに涙は見せず」という終わり方をしていたけれど、切ない恋心はいつか堰を切り、怒涛のように・・・なんて心配しないでもなかったのですが、なんとも上手にふんわりと状況転換がなされます。とはいえ、「アチラの塀が崩壊した時、コチラに塀が出来ていた」というような、「神様、運命ってイジワルなものなんですね」と言いたくなるようなところも無いではないのですが、結果オーライなんじゃないのかな? というのが感想です。
 これでまた続編が楽しみになりました。悪友は健在なり。初恋は実らぬものながら、いつまでも心の片隅に爪をたて。犬も食わぬ喧嘩も、かわいい女房とならばまた楽しというところでしょうか。
 今回、一番気に入ったのは、殴りこみに行った若旦那が、どなたかに言い訳するごとき言い回しで、喧嘩のときの所業が表現されるところでありまして、なんともおかしくて笑ってしまいました。この辺りも、「粋」が命の江戸町モノならではかもしれません。
 面白うて、やがて哀しき・・・哀しくて、やがて温か。なんか、いいカンジの展開です。

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選ばれし者、成長と苦悩を超えてクライマックスへ向かう

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ドラゴンライダー・エラゴンと、誇り高き青のドラゴン・サフィラの絆を中心に、帝国アラゲイジアを統べる邪悪な王ガルバトリクスの圧政に戦いを挑むヴァーデン軍。
 人・エルフ・ドワーフの連合軍に帝国側から寝返ったアーガルを加え、帝都への距離を縮めてゆくなかで、エラゴンとは従兄弟のローランの、ある意味エラゴンよりも目を見張る変貌ぶりや、マータグとの恋物語に発展するのかと思われたアジハドの娘・ナスアダの成長振りも見事で、読み応えがある。
 エラゴンの出生、ファーザン・ドゥアーの戦いの最中にさらわれた友マータグとの因縁など、物語を盛り上げる秘密が徐々に明かされつつ、物語はようやくここまで来たというところか。
 「エラゴン」「エルデスト」を読み終えてから、ずいぶんと時が経ってしまっていたので、記憶を呼び起こしながら読むことになったが、その名を目にするや即座に前歴(?)が甦る登場人(人とは限らないが)物たちは良いとして、なかには「誰?」と思い出だせない名も実はあった。が、読み進めるうちに物語の世界観の方から迎えに来てくれたようだ。

 申し訳ないが、映画「エラゴン」の出来はあまり良かったとは思えなかった。しかしながら、原作本はやはり面白い。ファンタジーとしても良く出来ていると思う。「パクリが多い」というような評価も耳にするが、ドラゴン、エルフ、ドワーフが登場する時点で、ある程度似た設定やら流れが出てくるのは仕方ないのではないだろうか。

 「エラゴン─意思を継ぐもの─」を読んだころ、この作品は三部作ということだった。それが今回「四部作中の三作目」ということになっていた。なんでも、作者の構想が膨張しすぎて、三部ではまとめきらなかったということらしい。まぁ、読み手としては延びてくれると楽しみが増えるので喜ばしいことなのだが、延びすぎて結末を書かないうちに作者が亡くなってしまうなどということになると、困るので次回作でまとめて欲しいものだと願っている。とはいえ、最終巻の最後のページを読み終えると、なんともいえない寂しさを感じることは、幾度となく経験しているので微妙ではあるけれど。

 この「ブリジンガー─炎に誓う絆─」で、ようやくヴァーデン軍は帝国軍との戦いの場へ出てこられる体勢になったようだ。頼りのドラゴンライダーのエラゴンも、前作の「エルデスト─宿命の赤き翼─」までは双葉マークをつけているようなものだった。いや、本作においても、自分のための剣を得るまでは、ライダーとしては多方面において不足があるようだった。ブリジンガー(炎)と名づけた剣を得たことで、まがりなりにも一人前のドラゴンライダーになれた・・・というのが、この三作目の主題だったように思う。
 少なくとも、エラゴンの師であるオロミスと金のドラゴン・グレイダーは、そう認めたから隠れていることを止めたのだろう。
 戦いの場に姿を現した嘆きの賢者と黄金のグレイダー。彼らは、彼らの役割を大きく方向転換する決心を固めたのだろう。そして明かされるガルバトリクスの力の源の秘密。
 ドラゴンと“ひとつ”になることで得られたドラゴンライダーの力。そして、明かされるドラゴンの命の秘密。クライマックスに向かって、準備は整ったと言えるだろう。
 悲劇のマータグとソーンはどうなるのだろうか?
 カトリーヌのために戦うローランの意思。「選ばれし者」として、多くの人たちの望みのために戦うエラゴンの意思。この、一見壮大さが異なるような動機付けでガルバトリクスに立ち向かう従兄弟たちは、それぞれのやり方で、それぞれの力量の限りを尽くして戦っている。その目指すところは一つであり、その決意の強さも劣らないあたりが、とても面白い。むしろ、個人愛に殉じているローランの方が迷いがないようにさへ見える。
 人は、誰もが「選ばれし者」なのかもしれない。その運命が公にもてはやされるものであろうと、家族や個人のためであろうと、誰かのために身を投げ打っても目的を達しようと思う者は、「選ばれし者」であり、英雄と呼ばれるに相応しい功績を残してゆくのだなと思える。
 ドラゴンライダーとして、ヴァーデンの希望であるエラゴン。一人の男として、カトリーナの愛と周囲の仲間たちに信頼されるローラン。さて、どちらがよりヒーローかと問われると、答えが難しいような気がしてくる。
 目的を達したとき、より幸せを味わえるのはどちらだろう? さらに、「欲しいもの」が何かも聞かずにメノアの木と約束を交わしてしまったエラゴンとサフィラの、後日の災難も気にかかる。
 早く、第四作を読みたいものだ。
 ちなみに、表紙は下巻を選んだ。上巻はレザーブラカらしき絵(蚊の親玉みたいだ)だったので、どうせならグレイダーがいいなと思った次第。

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紙の本天と地の守り人 第3部

2009/02/12 14:04

行く末遥かな「結びの章」

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 大河ドラマが完結した。終わってしまって安堵したような、寂しいような、待ちかねていたファンとしては複雑な心境になる。
 「なるようになったな」という結末だった。御幣があるのを覚悟で言えば、各人が「そうあるであろう」と思われるところに落ち着いた結末だった。
 何事もなかったように・・・と言えば、貶し言葉ととられそうだが、そうではない。物語が始まってからこの結末まで、天地がひっくり返るほどの変化を経て、登場人物の主要メンバーそれぞれが、死んでもおかしくない経緯をくぐりぬけて、あるものは命からがら、あるものは寸でのところで踏みとどまり、あるものは否応もなく大切なものを失いつつも、「あるべき場所」へ至り、過ぎた日々と似たような(しかしながら、確実に変わってしまった)生活に戻り、淡々と日をおくる生活に身をゆだねてゆく。ここに至るまでの支流は数限りなくあると含みを残し、ここからまた、新たな物語が始まりもしそうな奥行きをただよわせて、「守り人シリーズ」は終着点にたどりついた。
 バルサとチャグムとともに旅した物語は、長かったようであり、短かったようでもありつつ、二人とともに、喜びも悲しみも併せ呑み、読者もここで旅を終えることになる。この大河ドラマが、バルサの物語であったのかチャグムの物語であったのかは、読者の目線がどちらとシンクロするかによっても違うだろう。国の存亡と、勢力図を左右する壮大な物語となったチャグムの大河。‘個’に対する愛情と思いやりを糧に、国の存亡を左右する謀略さへ揺るがすバルサの大河。究極は、どちらが主役であってもかまわないと思うのだけれど、物語の終わりが、「誰が誰の元に帰ったか」であるところを見ると、作者の意図ははっきりしているような気もする。
 私は元来、戦争ものは本も映画も好きではないし、戦闘シーンも人殺しを美化しているようで好きではない。しかしながら、チャグムの初陣の場面では、涙が出そうになるほど感動してしまった。外へ出ることさへ穢れとされてきた王家の皇子が、人の命の大切さゆえに、先頭に立って戦乱に飛び込んでゆく様は、深い感動を与えてくれた。
 戦場に借り出されたタンダを心配し、敗戦兵の収容されている場所までたどり着いたバルサが、タンダとの関係を聞かれて答えた「つれあい」という言葉に涙が出た。あぁ、この二人は、本当に「つれあい」と呼ぶのが相応しいなぁと心から思えた。
 できれば、遠い将来でいいから、バルサとチャグムに再会のときがあればいいと思う。「精霊の守り人」の別れでさへ、二度とは会えないと思っていた二人が、不幸を媒体としてではあったが再会を果たせた。不幸は国を揺るがす大事ではあったけれど、二人が会えたことは幸いだったのだと思う。二人が会えたから、不幸の中で幸いが芽吹いた。
 いつかまた、幸いな二人の出会いがあることを期待したい。それが儚い夢だとしても、「絶対に無い」という結末でなかったことを、私は幸せに思ってしまうのだ。

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茨文字の魔法

2009/01/29 14:56

不思議な文字が語るファンタジー

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 読み終えると、ファンタジー映画を見終わったような満足感を得られる一冊です。
 ありがち?…と思って読み進めてゆくと、その思惑を次々と裏切って、強烈にとは感じないままズルズルと引き込まれてゆきます。読み進めるほどに、続きが楽しみになるのは、マキリップの真骨頂というところでしょうか。
 王宮の地下図書館で養われた書記で翻訳者のネペンテス。
 レイン十二邦を父王から受け継いだばかりの若き女王テッサラ。
 そして伝説の皇帝アクシスに使えた仮面の魔術師ケイン。
 この三人の女性(ケインが女性だったとは、登場人物とともども、知ったときには驚きました)の物語が、時と時空を超えて入り組み、交わり、日常と伝説に、伝説が日常にとドラマチックに展開します。
 あらすじを書くと楽しみが多少なりとも減ると思うので極力控えたいのですが、ちょっとかすってしまう程度のネタバレのをお許しいただいて。。。

 まだ歯も生えていないころに崖の上に捨てられ、王宮の地下にある図書館で育てられたネペンテス。Mで始まるマールという名を付けた子の次に拾われた彼女は、Nで始まるネペンテスという名を司書につけてもらったのでした。
 つまりは、少なくともこの図書館には14人以上(古い王宮図書館ですからA~Zを何順かしているなら26の何乗プラス14番目ということになりますので、もっと多いのかもしれませんが)の捨て子が、書記として養われたということになります。
 多くの同じ身の上の子が周りにいたからか、それとも書記という仕事が性に合っていたからか、自分の出自や将来になんの疑問も持たぬまま時は流れ、ネペンテスは翻訳者として図書館で日々を過ごしていました。こんななんでもないような平和な日常と、その後に彼女が出会う“空の魔法学校”の学生ボーンとの初恋が、レイン十二邦の危機を救う大きな力となります。
 また、十二邦を統べるには役不足と誰もが思っていたテッサラが、思いもよらない力を発揮し、魔法と知識を積み重ねた大連邦の主となってゆく姿は、同じ女性としてとても誇らしい気持ちになれたりします。トップに立つ者に、絶対必要な資質とは? テッサラを見ていて、意外な答えを見つけました。
 ケインについては、物語中のなにというよりは、「女性の本懐」という点で、大きな示唆を含んでいるように思います。皇帝との愛に純粋に殉じようとした彼女の真の望みはなんだったのか。いろんな見方ができるように思います。
 主な役柄であっても脇役であっても、登場人物はそれぞれ魅力的です。その人物描写や、服装、建物や室内の描写。どれをとっても過剰ではと思えるほど綿密に語られます。これが、まるで映画を見たようなという感想につながると思うのです。情景、人物が目に浮かぶように物語が紡がれます。
 よみがえる古の夢見人。時の扉をこじ開ける大軍隊。歴史書と吟遊詩人の詩に残る伝説と現実が織り成す、ファンタジーらしいファンタジーです。

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