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  2. レビュー
  3. 峰形 五介さんのレビュー一覧

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先月(2017年4月)

峰形 五介さんのレビュー一覧

投稿者:峰形 五介

69 件中 1 件~ 15 件を表示

ケッ! おれは第二部至上主義者だよ。第四部のノベライズなんて女子供の読む物はチャンチャラおかしくて……ンまぁ~~~い!

16人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

荒木飛呂彦と乙一の才能を疑う者はいないだろう(作風に対する好悪は別として)。しかし、両者の親和性については首をかしげる者が多いのではないか? 今は昔、「やってみたら美味しかった。和食の後のコーヒー」なんてCMのコピーがあったが……うまいわけねえだろ、ジョーシキテキに考えて!
まあ、これがメディアミックの一環であり、荒木と乙一が同じ素材を個別に料理するのであれば、親和性など気にかけなくてもいい。むしろ、二人の差異を比較して楽しむべきだ。しかし、本書はあくまでも『ジョジョの奇妙な冒険』のノベライズなのである。まず原作ありきなのである。荒木飛呂彦は動かないのである。その不動の荒木山脈に乙一が登頂を試みるのである。無謀である。無茶である。自殺行為である。凡百の作家ならば八合目あたりで満足して引き返すはずである。
ところが、乙一は見事に登りきった。しかも、山を穢さなかった。自分の持ち味を出しながらも、原作には傷一つ付けなったのだ。
そう、本書は紛れもなく乙一の小説だが、同時に『ジョジョの奇妙な冒険』の小説でもある。読んでいる時に何度か「ゴゴゴゴゴ……」という擬音が見えたし、終盤の「億泰VSある人物」のバトルに至っては荒木の絵が見えた(いずれ本書の一シーンを荒木の絵柄で再現したパロディコミックが「朝目新聞」等のサイトで紹介されるに違いない)。また、原作の愛読者たちをニヤリとさせる「くすぐり」や楽屋オチも山ほど詰まっている。
それだけではない。本書は、ボルヘスの諸作と同じ匂いを持つ良質なメタフィクションでもある。断言しよう。『ジョジョの奇妙な冒険』を知らなくても……いや、漫画そのものに興味がなくても、本書を読めば心を打たれるはずだ。「物語」というものに重きを置く人間であれば。



大袈裟かもしれないが、本書は奇跡のような作品である。しかし、人間というのは欲深いもので、たった一度の奇跡では満足しない。二度、三度と求めてしまう。
というわけですから、集英社さん。次は「乙一による四部以外のストーリーのノベライズ」とか「荒木飛呂彦による乙一の短編のコミカライズ」なんか、どーですか?

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紙の本WATCHMEN

2009/03/09 23:06

「35分前に実行したよ」

14人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 物語の舞台は1985年のアメリカ。ただし、我々が知ってる1985年ではないし、我々が知ってるアメリカでもない。
 そこはニクソンが十年以上も大統領を続けているアメリカ。
 そこはウォーターゲート事件が発覚しなかったアメリカ。
 そこはベトナム戦争に勝利したアメリカ。
 そして、派手なコスチュームをまとったスーパーヒーローが実在するアメリカ。
 フランク・ミラーの名作『バットマン:ダークナイトリターンズ』と同様に『WATCHMEN』の世界でもヒーローたちの自警行為は法で禁じられ、ごく少数のヒーローだけが政府の工作員として(時には兵器そのものとして)活動している。
 ある夜、そんなヒーロー/工作員の一人が殺害される。アメリカの敵対国が刺客を放ったのか? ヒーローに恨みを持つヴィランが復讐を果たしたのか? それとも……?

 スーパーヒーローの物語を描く際にリアリティを重視するのは危険だ。リアルに描けば描くほど、スーパーヒーローという存在の滑稽さが際立ってしまうのだから。下手をすると、ギャグにしか見えなくなる。しかも、笑えないギャグだ。
 この『WATCHMEN』がお寒いギャグマンガにならなかったのは、登場するヒーローたちが己の滑稽さを自覚しているからだろう。滑稽さだけではなく、非力さも自覚している。悪事を働くヴィランたち(彼らもコスチュームをまとっている)を退治したところで、この世界に迫る本当の危機を打破できるわけではないのだ。
 それでもヒーローたちはコスチュームをまとわずにはいられない。滑稽で非力な道化役を演じずにはいられない。なぜなら、ヒーローだから。

 物語の終盤、コスチューム姿のヒーローたちがある場所に集結する(ドクター・マンハッタンだけはコスチュームを着ていない。全裸がデフォルトなので)。黒幕までもが必要もないのにコスチュームを身に着けている。しかし、そこで繰り広げられるのはコスチュームヒーローの物語に相応しい勧善懲悪の大団円ではない。かといって、巨大な悪の前に善が膝を屈するわけでもない。もっと残酷で幸福で邪悪な結末が待っているのだ。
 ヒーローとして生きることしかできない者にとって、アラン・ムーアが描く世界は悪夢だろう。悪と戦って華々しく散ることさえ許されないのだから。

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紙の本トラウマ映画館

2011/04/12 23:58

トラウマよ、トラウマよ!

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著者には失礼な話だが、私にとって本書は『〈映画の見方〉がわかる本』の第三弾が出るまで(年内には刊行されるらしい)の繋ぎのようなものだった。
 で、軽い気持ちで読み始めて……打ちのめされた。キツい。これはキツい。かなりキツい。なにせ、本書で紹介されているのは、夢が破れ、絆が壊れ、良心が裏切られ、正義が踏みにじられ、愛が報われることもなければ、孤独が癒されることもなく、決して答えの出ない問題を突きつけて苦い後味だけを残す映画ばかりなのだから。
 幸か不幸か、私が見たことのある映画は一本もなかったので、「そういえば、こういう映画、あったよね」とか「この映画、子供の頃に見たことがあるような気がするな」というようなノスタルジックな気分に浸って逃避することもできなかった。
 そんな二十数本のトラウマ映画のなかで特に気になったのは以下の四本。


『悪い種子(たね)』
 罪悪感を抱くことなく殺人を犯していく八歳の少女(スチールに写っている顔がまた怖いんだ)を描いた作品。あまりにもショッキングな内容だったので、製作者は勧善懲悪な結末とカーテンコールを撮り足したという。しかし、凄惨な物語にお気楽なカーテンコールを付け加えたら、却って不気味な感じがするのでは?

『マンディンゴ』
 アメリカの奴隷制度の真実を描いた作品。「真実」であるが故に映画評論家たちから叩かれまくったらしいが、同じく映画評論家である著者は言う。
「『マンディンゴ』の物語は確かに差別的で笑ってしまうほど残虐で愚劣だが、それは実際に奴隷制度が差別的で笑ってしまうほど残虐で愚劣だからだ」

『眼には眼を』
 復讐する者と復讐される者との地獄の道行きを描いた作品。作品は当然として、母との確執についての著者の挿話も興味深い。ちなみに著者は本書を母に捧げている。

『愛すれど心さびしく』
 心優しき聾唖の男が寂しい人々の魂を癒して小さな幸せをもたらしていく様を描いた作品……ではなく、「共感を込めて描かれた登場人物すべての夢と希望が無残にも踏みにじられていく」(本文より)という残酷な作品である。しかし、ただ残酷なだけの映画ではないのだろう。『悪い種子』と『マンディンゴ』は日本でもDVD化されているが、本作は未DVD化(AmazonではVHS版に高値がついている)で原作も絶版。この原作も映画以上に残酷な物語であるらしい。


 これらのトラウマ映画を未見であることについて「幸か不幸か」と書いたが、「幸」だと言い切れる人――甘い感動だけを映画に求めている人には本書は必要ないだろう。もしかしたら、映画そのもの(だけでなく、物語というもの自体を)も必要としていないかもしれないが。

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拷問者の影 新装版

2008/05/22 21:34

新しい『新しい太陽の書』

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 早川書房創立六十周年記念リバイバルフェアなる企画で再版されてから五年も経っていないというのに、『新しい太陽の書』がリニューアルされた。リバイバルフェアの時にあわてて購入した私としては釈然としないものがある。しかし、未訳だった『新しい太陽のウールス(仮題)』も発売されると聞けば、新装版を買わずに済ますことはできない(なんだかハヤカワさんに踊らされているような気がするけども)。
 というわけで、新装版を買って読んでみたのだが……おもしろーい!
 正直、旧版を読んでいた時は「おもしろくないこともないけど、ちょっと疲れるなー」などと思っていた。世界観に圧倒されて筋を追うだけで精一杯だったからだ。しかし、今回は物語の全体像を把握した上で読んだので、余裕を持ってウールスという世界に挑むことができた。結果、初読時に見落としていた多くの伏線を見つけ、ジーン・ウルフの超絶な技巧(と、読み手としての自分のレベルの低さ)を思い知った。数年前のリバイバルフェアで『新しい太陽の書』に入門した新参者がこんなことを言うのは生意気かもしれないが、この新装版で初めて『新しい太陽の書』に触れる人に忠告しておこう。一回目で肌が合わなかったとしても、投げ出さないほうがいい。この物語は二回目からがおもしろい。もしかしたら、三回目はもっとおもしろいかもしれない。
 古参の読者にも報告しておくことがある。今回のリニューアルで変わったのは外側だけではない。そう、本文にも手が加えられているのだ。たとえば、「ウールス」や「高貴人」という言葉に付いていた注釈(それが原注なのか訳注なのかは判らない)がなくなっている。読み進めていくうちに意味は判るだろうから、わざわざ注釈を付けるのは野暮だと判断したのだろうか? それから、五章と六章におけるセヴェリアンの口調が変わっている。旧版では大郷士や絵画清掃人ばかりかウルタン師にまでもタメ口をきき、そのことついてウルタン師に咎められてから口調を改めるのだが、新装版では全員に対して丁寧な口調を使い、つい油断して発した「おれ」という一人称を咎められている。他にも、セヴェリアンとアギアの乗る辻馬車を引いているのが驢馬になっていたり、漢字にルビが付いていたり(若年層への配慮?)、逆にルビが排除されていたり(「櫓(バービカン)」や「鍔(キヨン)」など)、台詞の語尾が変わっていたり、「一張羅」が「唯一の衣服」に、「エスコートしている男」が「付き添っている男」に、「イッキ飲みをするから」が「一息に飲むから」に、「より経験のあるメンバー」が「より経験のある者」に、「活人画です」が「劇的場面です」に……などなど、数え切れないほどの変更点がある。誤訳の修正だけで済まさなかった訳者のこだわりには感服の至り。時間に余裕のある人は1ページずつ旧版と読み比べてみるのもいいかもしれない。
 ちなみに本文以外でリニューアル・ポイントは以下の通り。

1 裏表紙の概略が変わった
2 カバーの折り返しに著者の紹介文がついた
3 背表紙が黒くなった
4 柳下毅一郎の解説がついた
5 訳者のあとがきがなくなった
6 表紙のイラストが小畑健

 個人的には3と4がよかった。5はちょっと残念。訳者のあとがきがないと、ウールス(Urth)の本来の発音が「アース」であることが判らない。
 6については……う~ん、どうだろう? 新たな読者層を狙ったということなのかもしれないが、『DEATH NOTE』のブームが過去のものとなった今では証文の出し遅れのような気がしないでもない。

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紙の本モンスター 完全版

2012/03/18 19:51

蝿とダイヤモンド

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ユーゴスラヴィアが分裂し、崩壊へと向かっていた時代。サラエヴォのコシェヴォ病院に三人の赤ん坊がいた。セルビア人狙撃手の遺児であるアミール、後にイスラエル外相の養女となるレイラ、そして、戦場で拾われたナイキ。
 生後18日の赤ん坊であるにもかかわらず、ナイキは知っていた。この町が戦火にさらされていることを。自分が孤児であることを。両隣にいるアミールとレイラもまた無力な孤児であることを。
 砲撃によって穿たれた穴から星空を見上げて、ナイキは誓う。血の繋がらない弟妹――アミールとレイラを永遠に守る、と。
 しかし、病院が破壊され、三人は離れ離れになってしまう。
 それから三十三年後、かつての誓いを思い出したナイキは「弟妹」たちを探し始めるが、反啓蒙主義を奉じるテロ組織の闘争に巻き込まれていく。
 その闘争の裏には「モンスター」とでも呼ぶべき怪人物の影があった。



「日本初のヨーロッパ漫画誌!」を標榜する『ユーロマンガ』がリニューアルし、雑誌形式から単行本に変わった(創刊時に「Vol.6に達する前に廃刊になるのでは?」なんて失礼なことを書いたけど、きっちり6号まで続きました。ごめんなさい)。
 リニューアル後の第一弾がこの『モンスター 完全版』である。著者は、バンド・デシネの第一人者にして映像作家でもあるエンキ・ビラル。完全版ということで、第一巻『モンスターの眠り』(過去に邦訳されたことがあるらしい)、第二巻『12月32日』、最終巻(第三巻と第四巻の合本)『パリのランデブー/4人?』までのすべてのエピソードが収録されている他、巻末には用語解説やユーゴスラヴィア紛争の歴史やビラルと貞本義行との対談なども付いている。

 この作品はとにかくヴィジュアルが凄い。日本の漫画のような躍動感には欠けるが、一コマ一コマの完成度が高く、ちょっとした画集のような趣がある。砂漠から天空に伸びる軌道エレベーター、白い部屋で繰り広げられる血の惨劇、虚空に浮かぶゲートから放出される黒い雲、水槽の中の生首とその周囲を漂う魚たち、眉間に弾痕がある巨人の頭蓋骨、甲板にサッカーコートが設置された空飛ぶ空母、物語の随所で重要な役割を果たす蝿――冷たく湿った悪夢のようなイメージの奔流にただただ圧倒されるばかり。
 ヴィジュアルだけでなく、ストーリーも濃密。過去と現在が交錯する第一話が特におもしろい。物語が進行すると同時に主人公ナイキの記憶は過去にさかのぼり、生後18日から17日に、16日に、15日に……そして、この世に生まれ出た日(サラエヴォが無差別砲撃された日)に至るのだ。
 第二話からは怪人物ウォーホールが主人公を食うほどの活躍を見せる(第一話にも登場しているのだが、その時点ではただの悪役の域を出ていない)。死と復活を繰り返し、幾度も名を変え、姿を変え、生きる目的を変え、物語内でのポジションを変え、ナイキや読者を翻弄していく様はまさに「モンスター」だ。ラストで明かされるその正体もブッ飛んでいる。

『ユーロマンガ Vol.6』に掲載されていた記事によると、本書は「記憶をめぐる物語」なのだという。
 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のさなかに生まれたナイキたちの記憶、本人曰く「常に狂ったようにジグザグ」に歩んできたというウォーホールの記憶、旧ユーゴスラヴィア出身である作者自身の記憶――それらが塗り込まれた物語は読者の記憶にも強く刻まれ、忘れ難いものになるだろう。

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「永遠につづくものなんてないのさ」

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 SFマガジン創刊50周年記念アンソロジーの第三弾。ちなみにこのシリーズは編者だけでなく、表紙イラストの担当者も巻毎に変わっている。今回の表紙、意味はよく判らないが、なんだかカッコいい(描き手は『順列都市』『祈りの海』『ディアスポラ』などの表紙イラストを手がけた小阪淳)。

 シリーズ最終巻である本書のテーマは「ポストヒューマンSF」。ポストヒューマンと言われてもピンと来ない人(実を言うと私はピンとこなかった)のために乱暴に言い換えると「未来SF」である。もう少し丁寧に言うと、「テクノロジーによって変容した人類の姿、そしてそれにともなって倫理観や価値観、さらには人間性の意味や人間の定義までもが大きく変化した世界の物語」(編者あとがきより)ということらしい。
 また、本書には「愛」という裏テーマもあり、「テクノロジーによって変容した愛のかたち(おもに夫婦)の物語」(編者あとがきより)がいくつか収録されている。
 たとえば、デイヴィッド・マルセクの『ウェデイング・アルバム』も夫婦の物語。舞台となるのは、人生の節目に記念写真ならぬ記念複製人格を記録する行為が一般化した未来世界。結婚式の日に記録された新婦の複製人格が主人公だ。幸せの絶頂の時点で「固定」されている複製人格の妻と、時が流れるにつれて変化していくオリジナルの妻との対比が描かれていくのだろう……と思って読み進めていくと、きっと驚くことになる。あまりにもスケールの大きな展開が待っているからだ。
 もっとも、スケールという点では冒頭に収録されているジェフリー・A・ランディスの『死がふたりをわかつまで』に敵うものはないだろう。題名から察しがつくように、これも愛を描いた作品。一組の男女が「出会わない」ところから物語が始まり、長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長ぁ~い愛の歴史が描かれる。たったの6ページで。
 愛と関係のない収録作の中では、デイヴィッド・ブリンの『有意水準の石』が良かった。「フィクションの存在に人権はあるか?」という新城カズマが好みそうなテーマを含んだ作品である(先に挙げた『ウェデイング・アルバム』にも同じようなテーマが含まれている)。物語のオチは定番ともいえるものなので、読んでいる途中で予想がつくかもしれない。しかし、そのオチを真正面から受け止める主人公の悲壮な決意には胸を打たれるはず。

 このSFマガジン創刊50周年記念アンソロジー三部作はどれも楽しめた。しかし、SFマガジンに掲載された短編小説の中にはまだ一度も書籍に収録されていないものが山ほどあるという。またアンソロジーが編まれて、それらの作品が日の目を見るのはいつのことだろう? 「60周年まで待て」なんて言わないでね、ハヤカワさん。

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紙の本鉄子の旅プラス

2009/03/23 20:28

「どこにでもあるような駅」が「そこにしかない駅」であることを教えてくれた人たち

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 なんでも『日本鉄道旅行地図帳』なるものがバカ売れしているそうで。テツブームはまだまだ終わらないようだ。
 そのテツブームの隆盛に貢献した(と思われる)実録マンガ『鉄子の旅』が帰ってきた。リアルタイムで読んでいた人にとっては約二年振りの単行本ということで喜びも一入だろう。もちろん、私のような俄かファンにとっても喜ばしいことだが。
 最新巻にして最終巻である本書でも横見浩彦は絶好調。キクチの容赦ないツッコミも健在(でも、カバーを外したら読める恒例のオマケマンガではキクチがボケ役で横見がツッコミ役)。もちろん、要領が良いんだか悪いんだかよく判らない編集者のカミムラの出番もたっぷりとある。
 そんな三人と多彩なゲストによる「鉄子の最後の旅」の内容は以下の通り。


1 「相互乗り入れ企画!? 酒井順子さんと水のある風景を求めて」
 月刊IKKIと小説新潮のコラボレーション企画。ゲストに酒井順子を迎え、
 「水のある風景」が堪能できる北の秘境駅を目指す。

2 「秘境駅の女『鉄子の旅』同乗記」
 1の模様を酒井順子が記したエッセイ。横見に対するキクチの感情をストック
 ホルム症候群に例えているのがおもしろい。

3 「押しかけ同行取材! テツドラマ誕生の地へ」
 テレビドラマ『特急田中3号』のロケに同行し、トリテツの聖地に向かう。ス
 ペシャルオマケマンガ付き。

4 「アニメ化記念スペシャル! 皆でワイワイ、サンライズで出雲にGO!」
 アニメ化記念企画。アニメの主題歌を担当したSUPER BELL"Zと豊
 岡真澄がゲストとして参加。目指すは直江駅。
 横見「キクチナオエが「直江」に行くの! ナオエが「直江」へ!! すご
  いでしょ!?」

5 「アニメ制作地獄 スタッフが語るアニメ『鉄子』の裏側」
 アニメのスタッフ(と自分)の苦労についてカミムラがキクチに語る。

6 「銚子電鉄応援企画 ここではやっぱり全駅乗下車」
 完全にテツオタと化した豊岡真澄、彼女のテツ師匠ともいえる南田、自称ソフ
 テツの村井美樹、そのマネージャーであるマイペースの米田といった濃い面々
 と共に銚子電鉄の全駅を乗下車。

7 「実録! テツヲタブランド化計画」
 『鉄子の旅』終了後に連載された近況報告マンガ。

8 「2008年9月2日AM11:19までのエピソード」
 本書のプロローグとエピローグ。そして、各エピソード間のインターバル。キ
 クチが読者に語りかける形で進行する。


 1と3と4は連載終了後に掲載された特別編。DVDのVol.2で4の実写映像を見ることができる。
 5はDVDの初回特別限定版の特典。6は銚子電鉄応援BOXの特典。一部の人しか読めなかった「幻の作品」を収録してくれたのはありがたい(でも、特典目当てにDVDや応援BOXを買った人は釈然としないものがあるだろうなー)。
 描き下ろしの8はキクチによる『鉄子の旅』の総括である。
 そして、『鉄子の旅』への決別でもある。
 彼女が後にする久留里線の東清川駅は第一話で鉄子一行が駅弁を食べていた場所。横見がJR全駅制覇時代の貧しい食生活を回想して感慨にふけっていたあの駅だ。『鉄子の旅』を締め括るに相応しい場所かもしれない。

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ネバーウェア

2012/05/29 00:23

映画化されるって本当ですか?

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

その昔、クリストファー・ファウラーの『ルーフワールド』という作品があった(残念ながら、現在は在庫切れで注文できない)。ロンドンの「空」で生きる者たちの戦いに巻き込まれた青年の物語だ。
一方、この『ネバーウェア』はロンドンの「地下」で生きる者たちの戦いに巻き込まれた青年の物語である。地下で生きると言っても、遊民や浮浪者の類ではない(まあ、そういうのも含まれているのだが)。扉を自由に開閉する能力を持った少女ドア。彼女の味方でありながら、どこか信用できないカラバス侯爵。ネズミに仕えるネズミ語りたち。凶悪だが、どこか憎めない二人組の殺し屋クループ氏とヴァンデマール氏。地下鉄を己が宮殿としている隻眼の伯爵。ある場所へと通じる鍵を守る修道士たち。そして、本物の天使であるイズリントンなど、個性的とか魅力的とかいった言葉では表現しきれない面々なのだ。
そんな異形の民に翻弄される不幸な主人公の名はリチャード・メイヒュー。やたらと上昇志向の強い美女との結婚を目前に控えた青年。証券会社に勤務。趣味はトロル人形の収集。
ゲイマンの他の作品『アナンシの血脈』や『スターダスト』の主人公がそうであるように、我らがメイヒュー君もちょっと頼りなく、なにかにつけて要領が悪い。しかも、それら二作の主人公たちと違って、特殊な生い立ちもなければ、不思議な力を秘めているわけでもない。もちろん、物語の途中で御都合主義的にヒーローとして覚醒することもない。だからこそ、彼の最後の選択に読者は共感し、羨望を抱くことができるのだろう。

ちなみに『スターダスト』と同様、本作も映画化が決まったというニュースが流れたが、実は既に映像化されている。いや、正確に言うと、本作は映像作品のノベライズなのである。まず、テレビドラマとして制作されて → 脚本を担当したゲイマンがそれを小説化して → 今度は映画になる……という流れらしい。オリジナルのドラマ版のDVDは日本でも発売されているが、ちょっとチープな出来なので、万人にはお勧めできない。しかし、『サンドマン』でおなじみのデイヴ・マッキーンがオープニングを担当していたりするので、ゲイマンのファンはそれなりに楽しめるかもしれない。

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紙の本魚舟・獣舟

2011/01/18 21:46

ギョギョ!

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 恥ずかしながら、本書の表題作のことはSFアンソロジー『ぼくの、マシン』を読むまで知らなかった。
『ぼくの、マシン』における作品解説によると、本書(と表題作)は多くの人々に絶賛されたという。その解説を書いている大森望自身も「“オールタイムベスト級”との賛辞に恥じない出来」と認めている。
 そう、これはオールタイムベスト級の作品だ。間違いなく。

 物語は、主人公である「私」の回想から始まる。
 獣舟(けものぶね)と呼ばれる異形の海洋生物――七歳の時に「私」は初めてそれを見た。家族と共に暮らしていた船の上で。
 一家の船を追い越していく巨大な獣舟に目をやり、「私」の父は「星形の疵が見える」と呟いた。
 そして、「私」を振り返り、こう言った。
「あれはおまえの伯母さんだ」

 この強烈な掴み! 読書というのが書き手と読み手の戦いだとするなら、ここで書き手の勝利は決まったも同然だろう。
 あとはワンサイドゲーム。獣舟とはなにか? 「私」の一家が船上で暮らしている理由は? なぜ、獣舟が「私」の叔母なのか? 読み進めていくうちにそれらの疑問が解き明かされ、「私」が生きている世界の様相があきらかになってくる。その間、冒頭部で掴まれてしまった心は解き放たれることなく、激しく揺さ振られ、揺さ振られ、揺さ振られて……クライマックスで粉々に握り潰されるのだ。読み手の完全敗北である。
 しかも、この勝負はあっという間に終わる。『魚舟・獣舟』は壮大なスケールの作品であるにもかかわらず、30ページ(字組みは17行×41字)にも満たない短編なのだから。もちろん、長編の美味しいところだけを抜き取ってきたようなダイジェスト風の代物ではない。「本物」の短編小説だ。
 もう「参りました」としか言えない(こういう気持ち良い敗北があるから、本を読むことがやめられないんだよね)。

 ちなみに表題作を含むいくつかの作品はホラーアンソロジー『異形コレクション』シリーズで発表されたものなので、ホラー小説としての側面もある。とくに『くさびらの道』は怖い。ホラーが好きなかたは勝負を挑んでみては?

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われわれはそれに憧れ、それを求め、必要な道具を作り、それをやってのけた。

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 しかも、火星はつねにここにある。もっと徹底的に火星を調べたいという夢と決意を持った人間が見れば、それは手招きする光となって、夜空に輝き続けるだろう。  ――『ワイオミング生まれの宇宙飛行士』より



 SFマガジン創刊50周年記念アンソロジーの第一弾。テーマは宇宙開発SFだ(ちなみに第二弾は時間SFアンソロジーで、第三弾はポストヒューマンSFアンソロジーとのこと)。宇宙SFではなく、宇宙開発SFである、念のため。
 50周年記念ともなれば、収録作のラインナップも古くは60年代から新しくはゼロ年代まで……と思いきや、全ての作品が90年代以降に発表されたもの。にもかかわらず、このアンソロジーには歴史の重みがある。なぜなら、収録作の約半数が宇宙開発SFであると同時に宇宙開発史SFだから。
 そして、改変歴史SFでもあるから。
 そう、ここで描かれているのは、作家の想像力によって書き換えられた世界。現実とは違う宇宙開発史を辿った世界。人類が再び月に立ち、火星に第一歩を記し、木星を後にして、土星を越え、更にその先を目指す世界。
 しかし、作中の宇宙開発史と現実のそれとの差異を思うと、なんだか悲しくなってくるし、悔しくもなってくる。二年ほど前、フレドリック・ブラウンの名作『天の光はすべて星』を初めて読んだ時も同じような思いを抱いたものだ。『天の光はすべて星』では2001年に木星行きの有人ロケットが飛ぶのに、現実の世界と来たら……いやいや、やめておこう。宇宙に対して深い思い入れがあるわけでもない(それでいて、はやぶさの帰還には感動してしまうミーハーな)人間にそんなことを嘆く権利はない。第一、現実の世界で宇宙開発に力を尽くしている人たちに対して失礼だ。

 話を本書に戻すと……収録されている作品は七本。ソ連のロケット工学者セルゲイ・コロリョフの人生を虚実入り交えて描いた『主任設計者』、サターン5型ロケットが現役で飛び続ける『サターン時代』、アーサー・C・クラークの短編を発展させた『電送連続体』、月に取り憑かれた少年の物語『月をぼくのポケットに』、複数の並行世界が出てくる『月その六』、前世紀の遺物と化したバイキング1号が思わぬ「活躍」をする『献身』、感涙必至の『ワイオミング生まれの宇宙飛行士』。
 一番のお勧めは『ワイオミング生まれの宇宙飛行士』だが、「この作品を紹介できただけでも、本書を編んだ甲斐はあった」と編者が巻末で述べている『月をぼくのポケットに』も良い。きっと、主人公の少年と同じ世代――アポロ計画の熱狂をリアルタイムで体験した世代には堪らないだろう。その人たちが羨ましい。
 しかし、いつの日か、それ以降の世代も後人に羨まれるはずだ。はやぶさの帰還がもたらした感動をリアルタイムで味わった世代として。おそらく、人類が火星に立った時の感動をリアルタイムで味わった世代としても。ひょっとしたら、木星に到達した時の感動も……。

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木でできた海

2009/05/13 22:49

木でできた海をどうやって渡る?

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 物語の終盤でフラニー・マケイブは悟る。
「俺たちは彼らの声に耳を傾け、導いてもらわねばならない」
 さて、「彼ら」とは何者か?
 ヒントその1 複数形なのに一人しかいない
 ヒントその2 でも、やっぱり一人ではない



 本作はジョナサン・キャロルの十一本目の長編である。『蜂の巣にキス』、『薪の結婚』に続いて、今回もクレインズ・ヴューが舞台となっているが、前二作とは少しばかり趣が違う。いや、キャロルの過去の作品すべてと趣が違う。キャロル・ワールドに慣れ親しんできた者たちはきっと戸惑うだろう。まさか、キャロルがアレを書くなんて……。
 アレというのは、あるジャンルのこと(ネタバレを避けるために言葉をぼかしておこう)。アレの愛好者たちは「こんな小説はアレではない」と言うかもしれないし、当のキャロルも「べつにアレを書いたつもりはない」と言うかもしれない。それでも多くの読者はアレを思い浮かべずにはいられはずだ。あんな事が起きたり、あんな者が出てきたりするのだから(ああ、もどかしい)。
 しかし、アレであろうとなかろうと、キャロルはキャロルだ。おなじみの要素が本作にも詰まっている。たとえば、奇妙な犬。たとえば、父と子の愛憎。たとえば、不良中年の内省。たとえば、頼れる(しかし、変人の)相棒。たとえば、喋り出す死人。たとえば、俗っぽい姿で現れる高次の存在。そして、甘すぎない感動。
 キャロルは良い意味で変わっていく。キャロルは良い意味で変わらない。新境地を拓きながらも、自分を見失うことはない。
 なぜ、そんな風に変わること/変わらずにいることができるのか?
 たぶん、キャロルもまた「彼ら」の声に耳を傾けているからだろう。



 物語の中盤で少女がフラニー・マケイブに尋ねる。
「木でできた海で、ボートをこぐにはどうしたらいいですか、マケイブさん」
 さて、どうしたらいいのだろう?
 その答えは「彼ら」が知っている。

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紙の本アメリカン・ゴッズ 上

2009/04/12 23:10

オール神様大進撃

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 食事シーンが多い作品である。ただし、豪華な食事は出てこない。質より量のファストフード、もしくは素朴な家庭料理ばかり。ピザ、チリ、パンケーキ、パスティ(これは美味そう!)、マカロニチーズ、デビルドエッグ、ポテトサラダ、リンゴ酒、蜂蜜酒、手作りのビール、アイスクリームサンデー、キャンディバー、特大のチョコレートクリームパイ、KFCのフライドチキン、焦げたフレンチフライ、ぱさぱさの七面鳥、冷めたハンバーガー、米入りのロールキャベツ、ミートボール入りのスパゲティ、酸っぱいボルシチ、薪のストーブで煮込んだシチューなどなど。ダイエット中の方は読まないほうがいい。
 移民国家アメリカが舞台となっているので、いくつかの料理に含まれている民族色は作り手のそれと一致している。たとえば、第二部でスパゲティを作る女性の先祖はコルシカ島の出身だし、第一部でボルシチを振舞う老女はスラヴ神話の女神だ。
 この「女神」というのは比喩ではない。正真正銘の神である。
 そう、『アメリカン・ゴッズ』は神々の物語。

 アメリカには無数の神がいる。多種多様な人種が海を越えて新大陸にやってきた(あるいは強制的に連れてこられた)時、彼らが崇める神々もまたアメリカの住人となったのだ。ヨーロッパの神、インドの神、中国の神、エジプトの神……。
 もっとも、神が神として生きていたのは昔の話。今では力を失い、人間社会に寄生する日陰者になっている。人々の心が新たな神々を生み出してしまったために。インターネットの神、メディアの神、自動車の神、ドラッグの神……。
 古き神々の多くはそんな現実を受け入れているが、北欧から来た隻眼の神だけは違う。
 彼は主張する。
 新しき神々は我らを滅ぼそうとしている、と。
 殺られる前に殺れ、と。
 そして、彼は古き神々を糾合し、新しき神々に戦いを挑んでいく。
 これが少年漫画やライトノベルの類なら、新旧の神々が各々の特性を活かしてバトルを繰り広げるところだが(それはそれで面白そう)、書き手がニール・ゲイマンとなれば、そうはいかない。現代の「神々の黄昏」は読者の予想を裏切る形で進行する。しかし、期待までもが裏切られることはない。ゲイマンが紡ぎ出した神話に読者は困惑しながらも魅了され、憑かれたようにページをめくり続け、クライマックスを経て人心地がついたところで長めのエピローグにとどめを刺されるだろう。その後、すぐに息を吹き返し、再読を始めるはずだ。見逃していた伏線を再確認するために。

 それにしても、カバーの折り返しや帯にある「今世紀最大の問題作」という惹句はいかがなものか? 本書が問題作/名作であることは間違いないが、今世紀が始まってからまだ十年も経っていないのに「今世紀最大」と決め付けるのは早計に過ぎるだろう。
 次世紀が来る前に『アメリカン・ゴッズ』という作品が人々に忘れ去られる可能性がないとは言えない。この物語を最後まで読み通した人なら知ってるはずだ。どんなものもいつかは忘れ去られ、輝きを失ってしまうことを。
 もちろん、いつか失われるからといって今の輝きが無価値というわけではないことも。

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笑うに笑えない惨状をあえて笑い飛ばしてやれ!

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

クリス・ロックのギャグでいちばん強烈だったのを紹介
しよう。
「黒人はマイノリティだから黒人大統領が生まれないの
はしょうがない。でも、黒人が副大統領に指名されない
理由は何だか知ってるかい? すぐに大統領が暗殺され
ちゃうからだよ。オレはやるよ。たとえ死刑になったっ
て、黒人を大統領にした歴史的英雄になれるからな!」
            町山智浩『アメリカ横断TVガイド』より



 本書『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』の第六章のテーマは今年の大統領選なのだが、そこにもクリス・ロックの名前が出てくる。彼が製作と監督と脚本と主演を務めたコメディ映画『ヒップホップ・プレジデント』が紹介されているのだ。米国初の黒人大統領候補を主人公にしたこの映画が作られたのは今から五年ほど前。劇中に「次に黒人が候補になれるのは、あと50年先だ!」という台詞が出てくるそうだが、五年前の時点ではその言葉を大袈裟だと思う者はいなかっただろう。allcinema ONLINEにも「黒人大統領かぁ、夢のまた夢だよね」というコメントが投稿されている。
 ところが、その「夢のまた夢」が現実になった。たった五年で。恐るべし、アメリカ。本当のアメリカン・ドリームとは個人の上昇神話ではなく、このような歴史的快挙のことなのかもしれない。

 本書が取り扱っているのは大統領選だけではない。第一章では宗教、第二章は戦争、第三章は経済、第四章は政治、第五章はメディアがテーマとなっている。
 もちろん、各々のテーマには「現在のアメリカの」という枕詞がつく。いや、「現在のアメリカのバカげた」という枕詞のほうがいいかもしれない。バカげた宗教、バカげた戦争、バカげた経済、バカげた政治、バカげたメディア……どれもこれも洒落にならないくらいバカげているので、笑ったり呆れたりするより先に恐怖を覚えてしまう。特に第一章で紹介されているキリスト教原理主義者たちの愚行や蛮行はひどい(まあ、日本でも妙なカルトが幅をきかせていたり、細木カバ子やエロ原啓之みたいなペテン師どもがテレビに堂々と出ていたりするので、他国のことをとやかく言えないんだけどね)。
 それでも読み終えた後に憂鬱な気分にならないのは、幾許かの希望を本書から感じ取ることができるからだ。町山がアメリカという国に抱いているあろう希望を……。
 あ、そうそう。希望だけでなく、ユーモアも忘れられてはいない。思わず声を出して笑ってしまった箇所もある。たとえば、なんでもかんでもゲイ扱いして敵視する福音主義者ジェリー・フォルウェルに対する町山のツッコミ。
「何を見てもゲイに見えるって、おまえはやおいの腐女子か?」

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紙の本プランク・ダイヴ

2012/05/29 00:27

イーガンの宇宙

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SFは好きでも理系(に限ったことじゃないけど)の知識は皆無な私のような読者からすれば、グレッグ・イーガンは「面白いけど難しい」という作家だ。五冊目の日本オリジナル短編集である本書もあいかわらず難しい(『グローリー』の最初の数ページなんかもう……)。ただ、巻末の解説では「五冊中もっともハードSF色が強い」とあるが、前作『ひとりっ子』に比べると、判りやすい話が多いような気がする。
七本の収録作の中で一番のお勧めは『ワンの絨毯』。もっとも、これは長編『ディアスポラ』に組み込まれているので、オチを知っている人も多いだろう。
次点は表題作の『プランク・ダイヴ』。自分のコピーをブラックホールに突入させるという実験を描いた作品。コピーはブラックホールを内部から観察して様々な発見をするかもしれないが、最終的には押し潰されてしまう。もちろん、ブラックホールの中で発見したことを外側に伝えることもできない。自分しか知り得ず、他者には決して伝えられないこと――そんなものを求める行為に意味はあるのか? 舞台や道具立てはSFならではのものだが、このテーマは普遍的なものかもしれない。
イーガン版『フェッセンデンの宇宙』とも言える『クリスタルの夜』も良かった。人工知能を扱うことの倫理的問題についての作品だ。イーガンはロジカルな思考をする作家だが(いや、ロジカルな思考をするからこそ、か?)、人工知能の「命」をもてあそぶことは倫理に反すると考えているらしい。ちょっと意外だった。

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“Bod”と呼ばれた子

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ある夜、一家が殺害された。
たったひとり、生き残ったよちよち歩きの
赤ん坊が迷い込んだのは、真夜中の墓地。
この日から、墓地の幽霊たちの愛情溢れる、
世にも奇妙な子育てが始まった……。
           (カバー折り返しより)



 角川書店のサイトで近日刊行作として本書が紹介されていた時は『グレイヴヤード・ブック』という邦題だった(原題も“The Graveyard Book”である)。それが何故に『墓場の少年』になってしまったのかは判らないが、やはり『グレイヴヤード・ブック』のほうが良かったような気がする。『墓場の少年』というタイトルでは、元ネタが『ジャングル・ブック』であることが判りづらい。
 児童文学の定番とも言える作品を下敷きにしているだけあって、本書は実にストレートな児童文学である。ホラーやダークファンタジーの要素で彩られているものの、主人公のノーボディ(通称ボッド)が体験する出来事(同年代の少女と出会って共に冒険したり、大人の言いつけを守らなかったために危機に陥ったり、学校のいじめっ子と対決したり……)はこの種の成長譚ではおなじみのものだし、読者の少年少女たちにとっても他人事ではないだろう。できれば、子供の頃にこの作品を読みたかった(まあ、大人が読んでも充分に楽しめる作品なんだけどね)。

 本書は長編ではあるが、各章が独立とまではいかないものの、一話完結に近い形になっているので、長編小説を読み慣れていないような子供でも読み易いかもしれない。
 全八章の中でお勧めのエピソードは、ボッドが魔女の幽霊のために奮闘する第四章『魔女の墓石』。「魔女」であるところのライザが実に魅力的だ。あとがきによると、作者のニール・ゲイマンは本書をこの第四章から書き始めたという。
 第三章『神の猟犬』も良い。上に挙げた「大人の言いつけを守らなかったために危機に陥ったり」にあたる、ボーイ・ミーツ・ガールならぬボーイ・ミーツ・グールなお話だ。「バースとウェルズの主教」「アメリカの第三十三代大統領」「有名作家のヴィクトル・ユゴー」などと名乗るグールたちが登場するのだが、その名前の由来が傑作。たとえ子供向けの作品でも、こういうブラックな味付けを忘れないところがゲイマンらしい。

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