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あられさんのレビュー一覧

投稿者:あられ

149 件中 16 件~ 30 件を表示

読みやすく、明解でバランスのよい好著

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

小さな子供が、主に耳から言葉というものを知り、それを自分で使えるものとして会得していく過程を母親として身近に見ているうちに、「人間にとって、言語とは何か、どういうものか」という命題が日常生活の向こうに透けて見えてしまった言語学者。

対するお子さんの言葉が、あまりにベタな「子供あるある」で笑ってしまいます。

そのベタな「子供あるある」を、単に「うちの子の笑えるエピソード」や「わが子の成長記録」としてだけではなく、より広く一般性を持ち、学者としての知見に裏付けられた読み物として一冊の本にまとめるということを着想し、また実行された著者・編集者に敬意を表します。

全体で100ページほどの小さな本ですが、全体は7章に分けられており、最後の第7章は全体の総括的なまとめで、残り6章はそれぞれ個別具体的な事柄を扱っており、第1章から順番に読んでいくのがよいと思います。

扱われているのは、確かに「子供あるある」なのですが、もう少し高尚な(?)言い方をすれば、「大人となった今では忘れてしまいましたが、かつて私たちはことばを覚える過程で頭のなかでこうしたさまざまな推論や試行錯誤、柔軟な微調整を行っていたはずです」(77ページより)という、言語を習得していく過程での小さな言葉のかけら(失敗作あり)。登場するK太郎くんやYちゃんは(大人となった私たちと同じように)そのうちに忘れてしまうかと思いますが、そういう多くの「失敗」があってこそ、他者に何かを伝えるための言葉を自分で使えるようになっていくわけですね。

逆に言えば、私たち大人は「なぜ『死む』とは言わないのか」といったことについて、「当たり前じゃないか」と切って捨ててしまわず、「なぜだろうね」と考えてみることで、改めて、言葉(この場合は日本語の動詞)というものがはっきり見えてくるのではないかと思います。

著者の広瀬友紀さんはニューヨーク市立大学で言語学博士号を習得しておられ、文中には英語圏での研究事例なども言及されています。これにより安易な「日本語すごい」論を遠ざけている感もあり、バランスのよい好著だと思います。

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紙の本紛争地の看護師

2019/02/16 09:05

誰が読んでも必ず得るところのある1冊

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

国際医療NGO「国境なき医師団(MSF)」で、手術室看護師として外傷を負った人々の医療に携わる著者、白川優子さんが、その体験を広くシェアするためにお書きになった1冊。心の揺れや迷いも率直に綴られていて、MSFの看護師さんはきっと人間として例外的と言えるほどタフで強い方なのだろうなという先入観が、よい意味で吹き飛ばされました。普通の人が努力し、「職人」と言える手術室看護師となり、そしてイエメンやシリアなどで紛争に巻き込まれた普通の人々の命を救う活動に従事し、そして接した人間の世界の現実を、私たち普通の日本人に伝えてくれる1冊です。
 
子どものころにMSFの活動を知り、憧れを抱いていたものの、憧れは憧れで終わっていて、高校までは将来の目標も特になく過ごしていた白川さんが、自分は看護師になりたいのだと気付いた、というところから書かれています。

看護師の資格をとるため努力を重ね、晴れて資格を手にして日本で仕事をしてきた白川さんは、MSFの説明会をきっかけに、30歳を目前にオーストラリアに留学し、MSFで必要とされる「英語で仕事をする能力」をつけるためのさらに努力を重ねます。オーストラリアで看護師として7年間働いたあと、30代後半でMSFに入り、内戦終結直後のスリランカが初派遣。

続いて、ウサマ・ビン・ラディン殺害(白川さんは「暗殺」と書いています)直後のパキスタン、内戦状態にあるイエメンへと派遣され、さらにシリア、南スーダン、パレスチナでも看護師として第一線で活動します。

国際メディアを見れば、シリアはかなりたくさん報道されていますし、イエメンも(あれでも)報道が多いほうで、自衛隊の派遣先でもあった南スーダンがこんなにもひどい状態とは、この本で初めて知りました(「自衛隊の日報」問題は日本でも大きなニュースになりましたが、現地で本当に何が起きていたかは、どれほど伝えられていたでしょうか)。

「体験記」の形式でまとめられ、文章はとても読みやすく、中学生以上ならほぼ問題なく読み進められると思います。これから将来の進路を考えていく世代だけでなく、大人でも、誰が読んでも必ず得るところのある1冊です。

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紙の本やさしいねこ うちのぽー

2018/05/25 03:35

生きることと死ぬこと

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「シンクロ姉妹猫」のとらとまるを中心としたねこ写真ブログで有名な写真家の太田康介さん。2011年3月以降は、福島県に残された動物たちのためのボランティア活動やその報告の写真集などで広く知られていますが、以前は世界各地を(紛争地を含めて)取材していらっしゃいました。

その太田さんが、ご自宅のある地域で行っている猫のTNR (trap, neuter, return) 活動。「野良猫」と呼ばれる猫が増えすぎないよう、猫を捕らえて (trap)、避妊手術をし (neuter)、元の場所に放し (return)、地域の中で人間と仲良く生きていってもらおうというこの活動を太田さんが実践した最初の猫が、「ぽー」でした。

この「ぽー」、争いごとに向いておらず、人間の家の軒先でごはんをもらうにしても他の猫に気おされ、遠慮してしまいます。乱暴な猫に飛び掛られて背中の毛をむしられてしまうこともしばしば……そしてついに太田さんご夫妻は、自由を奪ってしまうことになると悩みながらも、この猫を「うちの子」にすることを決意します。それからの先住猫とぽーの関係構築、ぽーと子猫たちの暖かいつながりを見守りながら記録する太田さんの目線には、単に「かわいいうちの子」の話をしている飼い主ということだけでなく、観察し、記録し、伝える人ならではの凄みのようなものを感じます。そしてやってきてしまう、お別れのとき。

ずっとブログを拝読してきましたが、紙の本になると、また感慨もひとしおです。丁寧に編集されたよい本です。太田さんの写真はもちろん、文章もとても魅力的です。

太田さんのブログには、この本に入っていないぽーの写真や、紙では伝えられない動画もあります。

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実用的なヒント満載

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魚焼きグリルは簡易オーブンになるんですね。それも、庫内の温度はオーブンより高くなり(両面タイプで約400度、片面タイプで約300度)、またスペースが狭いので短時間で一気に温度が上がるという特性があります。その特性を活かし、肉や魚の主菜から、野菜料理、麺料理、ごはんもの、簡単にできるおつまみ系、果ては焼き菓子まで70種類以上のレシピが紹介されています。オーブンの天板の代わりにアルミホイルや耐熱皿、スキレットなどを使います。

直火を活かした焼き物はもちろん、アルミホイルを使った蒸し物、耐熱皿を使った煮物など、2口のコンロがふさがっているときにもう一品、同時進行で作れると助かるというヒントが満載です。春巻きの皮を使ったキッシュなど、応用が利きそうなレシピが多数あります。固ゆで卵はなるほど!と目からウロコでした。

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今読まなきゃ、いつ読むの

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日本語版は恥ずかしくなるほど狙いすぎなタイトルですが、原題は「シンギュラリティという神話」。「神話」とは、言うまでもなく、「実在しない物語」という意味です。架空の脅威論とでも言いましょうか。

このようにたいそう思い切ったタイトルのもと、著者は、名だたる学者やIT企業の大物たちが喧伝している「シンギュラリティ」など来ないのだと喝破しています。なぜなら、彼らの説は論理的に破綻しつくしているから。その検証に、コンピューターなど存在しなかった時代の思想(例えばJ. S. ミル)まで援用されており、西洋思想に疎い人にはかなりとっつきづらいと思います。しかし、重要なこととして、現代のコンピューター技術は、西洋思想に深く根ざしたものであり、西洋での積み重ねを無視していたら、理解は表面的に終わります。

「そこに到達したら、全てが永遠に変わってしまい、もう後戻りはできなくなる」というシンギュラリティー神話の根幹に、西洋の終末論のカタストロフィーを見てとるのは、私にはやや単純すぎるようにも思えるのですが、著者の論にぐっと説得力を持たせているのは、グノーシス主義との類似の指摘(第5章)と、その展開を準備している「コンピューターの自立と自律の違い」(第4章)での考察です。

それにしても、高名な学者から技術系の大物企業家まで、なぜみんなこぞって「シンギュラリティ神話」をはやし立てているのか。そこに著者は「物語」の力を見ています。人々が見たい・聞きたい「物語」を語ってやることで、金が動き、金が集まる――第8章で「参加型経済」、「ウェブ2.0」といった概念が、このグノーシス主義めいた極端な未来展望(という見せ掛けをとっているトンデモ)に結び付けられていくくだりは、目からウロコでした。ただし、その第8章の後半は(ビットコインなどが出てくるのですが)筆を急いだのか、それまでの記述に比べて薄っぺらく、最後に肩透かしをくらった感じです。続編に期待してしまいますね。国家という領域の無効化は、まさに、欧州の哲学者・思想家の得意分野ではないでしょうか。

フランスでの考察なので、具体的な事例のみならず、文中での語源解説などもフランス語がベースで、英語圏で進行している「シンギュラリティという神話」とは若干ずれが生じているかもしれません。

なお、巻末に西垣通先生の解説があります(全文がウェブにアップされてもいます)。大変に優れた情報整理がなされています。西洋思想に不案内な方は、まずはそこから読まれるとよいでしょう。

電子書籍は未確認ですが、紙の本では、わりと細かめに入れられている原注(文献など)は巻末にまとめられています。原文の脚注は側注で、ページを繰らずに確認できます。訳注はカッコで本文中に組み込まれています。

英語圏の外で書かれているこういった書籍をいち早く翻訳して届けてくださる出版社・編集者・翻訳者のみなさんに、敬意を表します。

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「紙」ならではの魅力あふれる作品集

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スウェーデンの陶芸家として知られるリサ・ラーソンの素描を、便箋としてデザインした100点の作品集、と思って、手元に置いて眺めています。便箋に使われている薄手の紙もいろいろで(表と裏があったり、ざらざらしていたり)、全般的に手触りがよく、ラーソンの優しい素描とあいまって、手にとって眺めているだけでほっとできます。これは、電子書籍にはできない、紙ならではの魅力ですね。

作品集として見ると、マイキーやミンミといったおなじみのキャラクターがずいぶん自由に配置されている便箋あり、思わず見入ってしまう集合図あり、図案化された鳥や植物の「北欧」らしいデザインありと、100点もあるので当然といえば当然ですが、飽きさせません。

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じゃまされてみたい私にはヴァーチャルじゃまされ体験のできる一冊です。

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プレゼントでもらいました。うれしかったです (^^)

私は猫を飼ったことがないので、こういう目にあわされて困った(けど許さざるを得なかった)ことはありません。友人の家で、猫に邪魔をされて困っている(けれどデレデレと笑っている)友人を見たことはあります。私もこういう目にあってみたいです。でも、こういう目にあうなら、「一度こういうふうになってみたい」では終わらないんですよね。ずっと責任をもって、猫を守り、その世話をして、一緒に暮らしていかなければならない。何より「ペット禁止」の現在の住居では不可能です。

そんなフラストレイションを解消してくれるのがこの本です。ケニア・ドイさんの写真がとてもよいので(撮影するのは大変だったと思います)、ページを眺めていると、本当に猫ちゃんたちに邪魔されつつ、「何か、問題でも?」と見つめられているような気分になります。

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やればできる(ある程度は)

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パンを作りたいなら、小麦粉やイーストなどを買ってきて、オーブンで焼けばいい。でも本当にパンを一から作ろうとしたら、テレビ番組のアイドルグループじゃないけど、畑を作って小麦を育てるところから始めなければならない・・・ということを、パンを焼くためのトースターで実践したイギリス人の手記。

全体を通じて、「やればできる(ある程度は)」ということを記録しつつ、現代生活で普通に身の回りにあるものについて考えさせてくれます。パンに塗っているジャムの瓶はどうやって作るのか。そのフタの金属は何か。密閉のためにフタの内側についているゴムはどこから来たのか。金属とゴムの接着剤は何か・・・などなど、きりがないですね。

著者が無謀な着想を得たあと、最初に相談した専門家が、「いいですねー、どんどんおやりなさい!」とニコニコしながら、他人に無謀なことをさせるタイプの先生でなければ、著者はこんなことはしていなかったかもしれないし、したがってこの本もなかったかもしれないです。その意味で、めぐりあわせということについても、ちょびっと考えさせられます。

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紙の本Qを追う 陰謀論集団の正体

2022/09/20 08:30

よく取材され、具体的で、読みやすくまとまっている

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朝日新聞の連載をもとに、大幅な加筆のうえで書籍化された一冊。元が新聞記事だけに、とても読みやすいです。「Qアノン」はネットで広まった陰謀論ですが、インターネットに特に詳しくなくても、家族との連絡のためにスマホでLINEを使っている程度の人でも、これを読めば経緯がわかると思います。落ち込んでいるときや悩んでいるときにスマホで見たビデオなどをきっかけに、「ウサギの穴」に落ちてしまった一般の人々の実像が、伝わってきます。

個人的には、HBOのドキュメンタリーで(おそらく日本語が壁となって)全然食い足りていなかったところが、藤原記者によって明らかにされているのがよかったと思います。特に旧2ちゃんねる管理人の「ひろゆき」氏と、アメリカの「ちゃん」カルチャー、とりわけ「4ちゃん」との関連についての事実、および取材を申し込んだときの氏の対応や氏の他メディアでの発言などが具体的にはっきり書かれているのはよい仕事だと思います。日本での展開、日本語圏での情報拡散の追跡は、鬼気迫るものがあります。

他にも「中の人」たちの具体的な発言を詳しく記録してあるところが多く、通り一遍の説明で済ませまいという筆者の強い意志が感じられます。

注文を付けるならば、子供の性的搾取を憂うあまり「Qアノン」にはまってしまった人が、いったいなぜ、大統領予備選の段階から女性に対して非常に暴力的で失礼な発言を繰り返していたドナルド・トランプのような人物が、「搾取されている子供たちを救う唯一の人物だ」などというでっちあげのストーリーを信じてしまったのか、その経緯ももっと詳しく知りたかったです。普通に冷静に考えれば、そこで引っかかって、あの陰謀論にはまることはないと思うのですが、それを考えるほどの思考力もなかったのでしょうか……。

あと、トランプがバラク・オバマについての陰謀論をわめきたてていたのは、「大統領に就任する前」(第2章「信じる」より)どころか、「大統領候補になるなどということを決意するずっと前」ですね。Birtherで検索すると当時の報道記事なども見つかると思います。

藤原記者の取材に応じて語ってくれた当事者の方々に敬意を表します。そして筆者の藤原記者には、今後も期待しています。

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紙の本鴨川ランナー

2021/12/28 01:58

「ことば」をめぐる緊張感

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きみは、この作品の紹介文で「『きみ』という二人称を用いた独特の文章」と書かれているのを見て、それはどういうものだろうかと「試し読み」をクリックしてみる。そこに連ねられていたことばに、きみは即座に引き込まれ、作者/筆者の書く「きみ」と同化する。それでいて、きみは「きみ」ではない。きみはアメリカ人ではないし、アシスタントランゲージティーチャーとして学校で勤務した経験もない。きみではない「きみ」の語る物語を、きみは、目で文字を追う、という形でたどる。そこに「存在」はあるのだろうか、ときみは思う。すべて、想像された概念にすぎないのではないか――。

ストーリー/描写されていること・出来事とは別に、筆者/作者/「きみ」と、彼が使っているこの言語との間の緊張感そのものが、とてもインパクトがある作品です。こんな記述を、私は読んだことがありませんでしたし、また、おおいに共感できました。母語である日本語でもしょっちゅうこういう/これと類似する感覚に襲われています。そう感じたことはない、と言う人が圧倒的多数だろうとは思います。しかし、私は感じたことがあるのです。私の周りにも何人か、この「感じ」を共有している人がいます。ケズナジャットさんも、きっと、母語であるアメリカ英語を使い、アメリカに暮らしているときはさほど自覚していなかったにせよ、自分が使っている「ことば」との間に、常に緊張関係をもってきた人だろうと思います。

「きみ」という人称代名詞も、時制の使い方も、きわめて英語的だと思いました。しかしそれを見事に表現しているのは日本語である、という二重性。そして、それでもところどころに垣間見えるちょっとしたずれ……例えば、今私たちが日常生活で使っている「雑な」という形容動詞は、本書の「きみ」が「ネイティブ先生」をしていたころは、あまり使われていなかったのではないか(京都では使われていたのかもしれませんが)。少なくとも、私はそのころは「粗雑な」「大雑把な」といった言葉を使っていた。そんなことを考えながら、ストーリーよりもむしろ、ことばそのものを読んでいました。

電子書籍よりも、形のある紙の本で読みたい一冊です。するり、するりと逃げていくことばを、少しでも手元に引き寄せておきたい……そのこと自体が幻想ですが。

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紙の本東京暗渠学

2021/12/05 12:17

復刊してほしい本

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版元の洋泉社が2020年に解散してしまったので、そのまま書店の店頭から姿を消してしまった本。まさに出版界の「暗渠」的な一冊になってしまいましたが、テレビ番組の影響で関心が高まった東京の地形に関する本の中でも、この本は特に面白かったです。復刊してほしいです。

著者の本田氏は波照間島の民俗や信仰、自然などを研究している在野の研究者であり、90年代終わりからウェブサイト(のちにブログ)で故郷・東京23区内の川と湧水について調査したことをまとめて発表されてきた方で、この本で「暗渠学」を提唱しました。

「暗渠」の定義は本書冒頭にあります。いわく、ふたをされた河川のような「機能的定義としての『暗渠』」に加え、「『かつて川や用水路、溝渠が流れていた空間』で、かつ『現在でもその流路がなんらかのかたちで確認できるもの』」を「広義の暗渠として定義」しています(10~11ページ)。

その視座から見えてくる東京の街の景観は、にぎやかな繁華街、平凡な住宅街やオフィス街の下に埋まっている景観と言えると思いますが、不思議な「水の街」のそれです。水のある所には人の暮らしがあり、東京(江戸)の場合は、人の暮らしのために水が引かれもしたのですから。

内容がよいだけでなく、文章も魅力的です。13ページから引用します。「水が必ず高いところから低いところへと流れていくように、かつて水が流れた痕跡である暗渠もまた、低い場所を選んで下っていく。坂道に囲まれた明確な谷筋から、歩いてみて初めてわかる微地形まで、周囲より低いところをたどればそこに暗渠はある。そして、暗渠をたどっていくとき、風景は川に流されていくように、もしくは川を遡上するようにつながっていくのだ」。

こうして著者は、私たち読者を、神田川や石神井川のように今も流れている川の、暗渠化された数多くの支流や、玉川上水や千川上水のような人造の川、およびその支線や、運河・お堀が、網の目のように張りめぐらされたわが町・東京の時空を超えた旅に誘い出してくれます。

写真や地図がたくさんあって、東京に住んでいる人ならきっと見たことのある平凡な風景に歴史的な意味づけがされていることにスリルのようなものを覚えると思います。

ブログもすばらしいのですが、一冊の本として持ち歩けるという特性は、この内容にぴったりです。今また散歩の季節にこの本を再読し、復刊してもらいたいという願いが強くなるばかりです。

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通読してみたくなる料理本

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私がまだ漢字も十分には読めない子供のころ、母が使っていた料理の本をめくっては「いっぱい書いてある」とドキドキワクワクしたものです。その感覚を思い出させてくれる料理本です。「一家に一冊」という本ですね。

確かにレシピ本なのですが、よくある「きれいな写真を見せて、段取りよく簡単そうに作れそうに見せるために手順を少なく編集したレシピを添える」という感じのビジュアル重視本とは正反対の作りで、料理の写真はごくごく少ないです。その代わり、読むところがとても多い。まさに読む料理本です。それも「うんちく」ではなく、実用的な知恵と知識です。例えば塩もみした野菜を冷蔵庫で何日か保存する場合は、「ジッパー付きのポリ袋に入れてバットにのせ、上から重しをしておくと傷みにくいです。重しと言っても、冷蔵庫の中の重めのものをのせておけばいいのです」(19ページ)というように。

こういう形式ですから、写真主体のレシピ本では扱うのが難しいような、見せ所が難しい超シンプルなレシピなども多く入っています。実際に家で料理するときに使えるのはそういうレシピです。

また「作り置き」に必ず必要な保存容器についてもポイントをついた説明があります。プラスチックの容器よりステンレスの容器のほうが優れているのはなぜか、具体的にどういう利点があるのか、など。

全体的に、単に「~するとよい」というだけでなく「~なので、~するとよい」という書き方になっているので説得力が違うし、頭にもすっと入ってきやすいです。まだ全体の通読はできていませんが、一度、頭から終わりまで読むということもしてみたい料理本です。

料理に不慣れな人には向いていない本だと思いますが、自分が食べるご飯くらいは自分で作るということができる人なら、一人暮らしで、家族のためのメニューを考える必要もないし、特に作り置きはしないかなという人でも持っていて損はないと思います。

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飽きることのない一冊

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作者のキャスリーン・ヘイルはイギリスのスコットランドに生まれ、イングランドで育ち、ロンドンでアーティストとして活動した女性。1938年に世に出した子供向けの絵本、「ねこのオーランド」のシリーズは好評を博し、70年代まで新作が出ていたそうです。

本作『ねこのオーランド―たのしい日々』 (Orlando's Home Life) は、イギリスが第二次世界大戦で苦しいときにあった1942年に発表されています(翻訳本である本書は2018年刊)。時世を反映してか、物語は創意工夫してお金を稼ぐという場面から始まります。

とはいえ、そこは「ねこのオーランド」のシリーズ。寓意臭さはなく、辛気臭くなることもなく、文字を追うごとに、ページを繰るごとに次々と、想像力をかきたててくれます。猫の目のようにくるくると変わりながら展開していく物語が、見事としか言いようのない絵にのせて語られていきます。元々作者自身の子供たちのために創作されたシリーズですが、当時の窮乏生活の中でこの本を手にした子供たちは、どんなに心を躍らせ、目を輝かせたことでしょう。

もちろん、戦争から遠く離れた今読んでも、何の違和感もなく楽しめます。お子さんに読んであげる場合にネックになるものがあるとしたら、フィッシュ&チップスなどイギリスの文物や、レコード盤のような古いテクノロジーでしょうか。「ペルシャの王様」についての描写も、お子さんによっては「?」となるかもしれません。読み聞かせでは、そういったところを、必要に応じて説明できるよう準備しておいたほうがよいかもしれない一冊です。

表紙も本編も、見返しや中表紙も含め、とにかく絵がすばらしいです。猫のふわふわの毛並みや足の裏の肉球のぷにぷにした手触りまで描かれていて、絵だけを見ていても飽きるということはなさそうです。

日本語でも読めるように翻訳出版してくださった関係各位に感謝です。

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タイトルが高飛車だが中身は穏当な英語学習法本

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早稲田大学のバーダマン教授が、書籍タイトルの通りの視点からまとめた、「英語学習法本」です。「英語学習本」は巷にあふれていますが、どれか1冊を読むとしたら、と問われたら、現時点では、これをお勧めしたいです。やる気にさせてくれる本です。

書籍タイトルは挑発的すぎるように感じます。特に副題の「なぜ日本人はこんなにも英語ができないのか?」は、著者が述べていることと少々食い違っていて、問題です。著者が述べているのは、「日本人は英語ができない」というより、まずは「日本人は自分にどういう英語が必要なのかわかっていない」ということです。日本での「英語力をつけなければ」という騒ぎはそもそもピント外れだし、その騒ぎに便乗した「これでできるようになる」的なセールストークは、まともに受け取るに値しません。意味も分からない英語を浴びるように聞いていたって、それこそシャワーのように表面を流れ落ちていくだけで身につくことはないのです。

すべての人がいわゆる「4技能」を満遍なく身に着ける必要はありません。例えば観光客の来店が多いお店の方は口頭での受け答えがスムーズにできるようにする必要があっても英語の新聞記事がすらすら読めるようにならなくてもいいし、英語での最新の文献を読んでテクノロジーの最新動向を把握することが出発点のエンジニアや研究者は、口頭での受け答えは必ずしも重要ではなく、読む能力をつけなければならない。そういった違いを無視して「4技能」と騒いでも、結局実になるものは少ないだろう、というのが著者の視点とまとめられると思います。

昨今、学校教育の英語が「コミュニケーション」重視の方向に舵を切った結果、日本人の英語でのコミュニケーション力が落ちている、という主旨の著者の指摘は、刺さるものがあります。04の「俗説: 日本人は『話す・聞く』は苦手だが、『読む・書く』は得意/真相: 日本人の『話す・聞く・読む・書く』力は年々低下している」という章で「ノリがよくても、中身のない会話」と評されているありがちな会話例に冷や汗を浮かべる人も少なくないでしょう。著者はこのくだりで「英語は、あくまでもコミュニケーションのツールである。いくらペラペラと流暢に英語が言えても、そこに中身がなければ、コミュニケーションをしていることにはならない。これでは本当の意味で『話す』力があるとは言えない」と指摘し、「読む」力の重要性を説いています。これは非常に有益な指摘です。

1冊全体に、このような有益な指摘が詰まっている本です。とても読みやすく頭に入りやすい文章なので、電子書籍を購入し、移動時間を利用してスマホで細切れで読むというスタイルでの読書でも必ず身につくでしょう。むしろ、細切れで読んで、読んだ部分について反芻する時間があったほうが、一気読みよりよい効果をもたらすかもしれません。

特に、大学受験をめぐって翻弄されまくっている高校生に、「英語ができる」とはどういうことか、そして自分にとって本当に必要なのは何なのかを見据えておくため、自分の中で軸を定めるために、読んでもらえるといいなと思います。

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電子書籍虐殺器官

2019/04/30 02:45

没後10年

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2009年に伊藤計劃さんがわずか34歳で亡くなってから、今年で10年になりました。この10年間で、現実はますます、伊藤さんが想像した「2001年9月11日以降の世界」のようになりつつある面も多くあります。今、2007年に発表されたこの『虐殺機関』を電子書籍で、あるいは店舗で電子マネーで購入している私(たち)は、おそらく「計数されざる者」には入れません。そもそもスマホを持っている時点でダメですね。完全追跡を嫌ってスマホ決済は利用せず、ポイントカードはお餅ではなく、日常の買い物は現金で……ということをしていても。そういえばこの小説は英訳されていますが、それをエドワード・スノーデン氏は読んでいるでしょうか。氏は仕事で日本にいたこともあり、日本語も少しできますよね。スノーデン氏の「暴露」がなされたとき、伊藤計劃さんと対談できていたらどんなに刺激的な結果になっただろうと思ったものです。伊藤さんがいなくなってから10年、最初に読んだときには正直「すごい小説だけど、世の中の変化によって、案外早く古びてしまうのではないか」と思っていたのですが、全然そんなことはなかったですね。

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