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テトラさんのレビュー一覧

投稿者:テトラ

49 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本シャイニング 新装版 上

2017/01/01 18:04

読んでいる最中、頭の中で「ゴゴゴゴゴゴッ」と音が鳴ってました。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

もはやキングの代名詞とも云える本書。スタンリー・キューブリックで映画化され、世界中で大ヒットしたのはもう誰もが知っている事実だろう。

とにかく読み終えた今、思わず大きな息を吐いてしまった。何とも息詰まる恐怖の物語であった。これぞキング!と思わず云わずにいられないほどの濃密な読書体験だった。
物語は訪れるべきカタストロフィへ徐々に向かうよう、恐怖の片鱗を覗かせながら進むが、冒頭からいきなりキングは“その兆候”を仄めかす。

誰もが『シャイニング』という題名を観て連想するのは狂えるジャック・ニコルスンが斧で扉を叩き割り、その隙間から狂人の顔を差し入れ「ハロー」と呟くシーンだろう。とうとうジャックは悪霊たちに支配され、ダニーを手に入れるのに障害となるウェンディへと襲い掛かる。それがまさにあの有名なシーンであった。従ってこの緊迫した恐ろしい一部始終では頭の中にキューブリックの映画が渦巻いていた。そして本書を私の脳裏に映像として浮かび上がらせたキューブリックの映画もまた観たいと思った。この恐ろしい怪奇譚がどのように味付けされているのか非常に興味深い。キング本人はその出来栄えに不満があるようだが、それを判った上で観るのもまた一興だろう。
映画ではジャックの武器は斧だったが原作ではロークという球技に使われる木槌である。またウィキペディアによれば映画はかなり原作の改編が成されているとも書かれている。

≪オーバールック≫という忌まわしい歴史を持つ、屋敷それ自体が何らかの意思を持ってトランス一家の精神を脅かす。それもじわりじわりと。特に禁断の間217号室でジャックが第3者の存在を暴こうとする件は既視感を覚えた。この得体のしれない何かを探ろうとする感覚はそう、荒木飛呂彦のマンガを、『ジョジョの奇妙な冒険』を読んでいるような感覚だ。頭の中で何度「ゴゴゴゴゴゴッ」というあの擬音が鳴っていたことか。荒木飛呂彦氏は自著でキングのファンでキングの影響を受けていると述べているが、まさにこの『シャイニング』は荒木氏のスタイルを決定づけた作品であると云えるだろう。

幽霊屋敷と超能力者とホラーとしては実に典型的で普遍的なテーマを扱いながらそれを見事に現代風にアレンジしているキング。本書もまた癇癪もちで大酒呑みの性癖を持つ父親という現代的なテーマを絡めて単なる幽霊屋敷の物語にしていない。怪物は屋敷の中のみならず人の心にもいる、そんな恐怖感を煽るのが実に上手い。つまり誰もが“怪物”を抱えていると知らしめることで空想物語を読者の身近な恐怖にしているところがキングの素晴らしさだろう。

本書が怖いのは古いホテルに住まう悪霊たちではない。父親という家族の一員が突然憑りつかれて狂気の殺人鬼となるのが怖いのだ。
それまではちょっとお酒にだらしなく、時々癇癪も起こすけど、それでも大好きな父親が、大好きな夫だった存在が一転して狂人と化し、凶器を持って家族を殺そうとする存在に変わってしまう。そのことが本書における最大の恐怖なのだ。
やはりキングのもたらす怖さというのは読者にいつ起きてもおかしくない恐怖を描いているところだろう。上下巻合わせて830ページは決して長く感じない。それだけの物語が、恐怖が本書には詰まっている。

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紙の本眠りの森

2020/01/20 23:20

ヤバい、ハマってしまった

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加賀刑事シリーズ第1作。そして加賀恭一郎シリーズ第2作。今まで作品ごとに主人公を変えていた作者が初めて採用したシリーズキャラクター、それは第2作で主人公を務めた加賀恭一郎だった。
そして、率直な感想、ビリビリ来た!もう心が震えた!

私にとって名作とは2種類ある。
それは万人が認める世評高い本当の名作と、全く期待していなかったのに、予想以上に自分の心に残ってしまう作品だ。そしてこの本は私にとって後者に当たる名作となった。
正に不意打ちだった。何のガードもしてなかった。だから非常に打ちのめされた。ああ、悔しい!東野氏にここまであからさまに翻弄された、そしてそれが正直心地よい。それが偽らざる感想だ。

冷静に考えると、本作は推理小説としては決して歴史に残る名作とは云い難い。本格ミステリとしては、普通の部類に入るだろう。東野氏お得意の密室殺人や見立て殺人といった意匠も無い。犯人も途中で解るだろう。私でさえ、途中で疑いを持ったくらいだ。明かされる真相は意外ではあるにしろ、衝撃の事実というほどの物ではないと思う。
しかし、この作品には小説としての熱がある。単なるパズルの解答を提示するだけに留まらない小説としてのドラマがある。確かにある意味、これほどの事で心打たれるのかという意見もあるかもしれない。でも嵌ってしまったのだ、東野氏の策略に。それはパズルを解き明かす計算を超えた熱情を行間から感じたのだ。

実は最後を読む前に書いていた感想がある。それは東野氏の小説家としての技能について賞賛を述べたものだった。
しかし、こんな物語を読んだ後では自分の心情にそぐわないと思い、削除した。この作品にはそんな小説作法を物ともしない小説家としての気概を感じたからだ。それは東野が初めてシリーズキャラクターを採用した事からも想像できる。東野氏は『卒業』で登場させた加賀というキャラクターを育てようと決心したのだと思う。あの作品を世に送り出したときに、彼の中で一度きりにするのは惜しいと感じたに違いない。そしてそれは成功していると思う。

本作を要約すると次のようになるだろう。
始まりは普通の物語。普通の正当防衛による事件のお話。しかしやがてそれは立派な大輪の花を咲かせるかのような素晴らしい話へと結実する。
そして心に残るこの1行。

“君だけのために、俺はいくらでも語りかけるだろう―。”

この台詞の素晴らしさ!今まで抑えていた愛に似た感情が迸る瞬間だ。この素晴らしさは自分で本書を手に取って確かめてほしい。
加賀刑事に読者が惚れる理由が解った。そして加賀という男を知るためにシリーズを順を追っていきたいと思う。

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紙の本卒業 雪月花殺人ゲーム

2020/01/16 23:03

青春は斯くもほろ苦く

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東野圭吾作品のシリーズキャラクターとなる加賀恭一郎刑事が、まだ学生の頃に起きた事件を扱ったもので、最初に加賀刑事ありきで始まったのではないところに非常に好感を抱いた。恐らく東野氏は1作限りの主人公にするつもりだったのだろうが、加賀の、剣道を軸に鍛えられた律とした姿勢とまっすぐな生き方が気に入り、シリーズキャラクターに起用したように思われるふしがあり、非常に楽しく読めた(もちろん私も加賀のキャラクターにはかなり好感を抱いた)。

さて事件は1作目同様、密室殺人&衆人環視の中での毒殺と本格ミステリの王道である不可能状況が用意されており、なかなかに、いやかなり難しい問題だ(よく考えると1作目の『放課後』も第1の殺人が密室殺人、第2の殺人が衆人環視の中の毒殺である。よほどこの手の謎が好きなのか、それともアイデアを豊富に持っていたのか)。

特に第2の殺人は複雑で茶道の一種のゲームである「雪月花之式」という独特のルールの中で起こる事件で、本作のサブタイトルにもなっている。これがそれほど難しくは無いのだが、一口に説明できないルールで、混乱する事しばしばだった。
しかし一見無作為に殺されたとしか思えないこの殺人が意図的に特定の人を絞り込むように操作されていたのは素晴らしい。ある意味、ロジックを突き詰めた一つの形を見せられたわけで、手品師の泡坂氏の手際の鮮やかさを髣髴とさせる。

こういったトリック、ロジックもさることながら本書の魅力はそれだけに留まらず、やはりなんといっても加賀と沙都子を中心にした学生グループ全員が織成す青春群像劇にある。東野氏特有の青臭さ、ペシミズム、シニシズムが絶妙に溶け合っており、とても心に響くのである。熱くも無く、かといってクールすぎず、一人前を気取りながらも、あくまで大人ではない、大人には適わないと知りながらも斜に構えていたあの頃を思い出させてくれた。
特に本作では彼らの青臭さ、未成熟さを際立たせるキャラクターとして、刑事である加賀の父親、そして彼らの恩師である南沢雅子の2人は特筆に価するものがある。
あくまで前面に出ることは無く、置き手紙での参加でしかないのだが、加賀の父親が息子をサポートする場面は加賀にとって助けではありながら、しかし越えるべき壁である事を示唆している。
また南沢雅子の含蓄溢れる台詞の数々はどうだろうか!大人だからこそ云える人生訓であり、生きていく上で勝ち得た知恵である。
このキャラクターを当時28の青年である東野氏が想像したことを驚異だと考える。どこかにモデルがいるにしてもああいった台詞は人生を重ねないと書けない。東野氏が28までにどのような人生を送ったのか、気になるところだ。

東野氏に上手さを感じるのはその独特の台詞回しだ。常に核心に触れず、一歩手前ではぐらかすような台詞はそのまま学生が云っているようだし、活きている言語だと思う。また祥子が自殺に及んだ真相についても、あえて婉曲的に表現するに留めている点も、読者に想像の余地を残したという点で好感を持った。
実際、人生において真実を知ることは多くない。むしろ謎のままでいることの方が多いのだ。東野氏の作品を読むとその当たり前の事に気付かせてくれるように感じる。
本作は彼のベスト作品の1つではないだろうが、胸に残る率直な思いに嘘は付けない。私にとってはベスト作品の1つであると断言しよう。

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紙の本ゲームの達人 新超訳 下

2020/01/13 23:55

当時なけなしの金で買いました

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ケイトが物語の中心となるが、その気性の激しさに女性の恐ろしさを、さらには彼女の孫娘達をシェルダンがまばゆいばかりの美貌で描写するがために、どれほどの美人なのかと想像も掻き立てられた。そして私にとっては少々、いやかなりハードな濡れ場の描写に思春期特有の興奮を覚えたものだ。
またケイトの会社が社会的成功を収め、着実に帝国を築いていきながらも、家族の関係は常に泥沼であり、志半ばで斃れる者も数多あり、本当の幸せとは一体なんなのだろうかと考えさせられもした。

このようにこの小説は私にとって小説を読むことを多面的に教えてくれた作品だった。この本はその後、うちの家族の中でも回し読みされ、普段本を読まない弟さえも手に取り、2人で色々内容について話し合った記憶がある。こんな小説は本当に珍しい。
その後私はシドニー・シェルダンの新刊が出るたびに、購入することになる。当時ハードカバーで1冊2000円近かったと思うが、高校生・大学生と金のない時期にもかかわらず、自分の小遣いで買っていた。
アカデミー出版社が当時売りにしていた超訳という、翻訳家が訳した文章を作家がさらに小説として文章を練り直し、書くという手法は確かに翻訳本としては読みやすく、日本の作家のそれと違和感なく入り込むことが出来たのも、本作が広く読まれた一因だろう。しかしその功罪が解るのはかなり後になってからの話である。

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紙の本ゲームの達人 新超訳 上

2020/01/13 23:48

私が大人の小説を読むことになった作品

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小学校の頃は雑多な物を読み、特にケイブンシャとか学研から出ていた『~大百科』、『~入門』なる一連のシリーズ本、あと『マンガで読む日本の歴史』といった図書館に陳列されていた本を無作為に読んでいた覚えがある。元々本を読むことが好きで、なおかつ色んな知識(トリビア?)を吸収するのが好きな子供だった私はこれらの本が妙にあっていた。

で、中学になると図書館にずらっと並んだポプラ社の江戸川乱歩の少年探偵団シリーズに没頭し、はたまた教科書に作品が掲載された星新一氏のショートショートにも傾倒し、さらには当時ドラクエに代表されるRPG全盛の時代に出版された『ロードス島戦記』に歓喜していた毎日を送っていた。
で、今回この感想を書くにあたり、さてどこから始めようかと思案した。最初は敬愛する星新一の諸作から感想を述べていこうと思ったが、その大半の書籍は九州の実家に今も眠っており、どのショートショートがどの作品集に収録されているか、手元に本がない今となっては不明でもあるため、挫折した。
そこでここは一般に大人が本屋で手に取る作品から感想を挙げるべきだろうと誠に自分勝手な基準を設け、まずその端緒として本書を挙げることとした。

本作について、現在40歳以上の方々をおいて知らぬ人はいないだろう。当時TV朝日だったか「はなきんデータランド」なる週一の各ジャンルの売り上げランキング番組があり、その書籍部門で毎週ランクインしていたのが本書だった。
『ゲームの達人』という煽情的なタイトルは当時ゲームっ子だった私を刺激したが、表紙を見るに、どうも自分が想定しているような、ハドソンの高橋名人のような1秒間に16連射できるシューティングゲームの達人といった内容でないことは子供心でも解った。したがって毎週この本売れているようだけど、どんな本なんだろう?と思っていたにすぎなかった。
本書を手に取るきっかけは高校の同級生の勧めだった。当時クラス、いや学年でも常に1,2位の成績を取っていたK君が私に貸してくれたのだ。当時からK君は大人びており、外国の作家の小説などは親が買ってくれた世界文学全集ぐらいしか読んだことなかった私は、さすがK君は一歩抜きん出ているなぁと感心したものだった。

で、本書だが、売れるだけのことはあり、すごく面白かった。小説とはこういう物を指すのかと初めて意識した作品だったように思う。
親子4代に渡る大会社経営者の波乱万丈人生の顛末は普通の人生を生きてきた自分にとって想像を超えた世界だったし、ジェイミーがなんども窮地に陥りながらも、とうとうダイヤモンドの原石を見つけ出し、その後手ひどい裏切りを受けながらも、会社を設立するまでの苦難の数々にアメリカン・ドリームを見、またそれが単に「棚ぼた」でなしえる物でなく、九死に一生を得るほどの苦難を乗り越えないと成功は手に入れられないことを知った。

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これも献身の物語

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殺人事件が起きずにこれほどハラハラさせられるミステリは最近読んだことがない。そう、“ラブストーリー”と題名に附されながら、これは極上のミステリなのだ。

2つの世界の設定が交互に語られ、まずはどちらが現実でどちらがバーチャル・リアリティなのか、読者は混乱に注意しながら読み進めることになる。

やがて読み進むにつれてそれら2つの異なる時間軸で語られる話が1つのある謎に収束していく。

それは即ち、「記憶は改編できるか?」という謎だ。

これらの作品に共通するのは近い未来に成立し得るであろう医療技術が物語の発端になっていることだ。前掲の3作品については未読の方の読書の興を殺ぐといけないので敢えて触れないが、本書では現実と見紛うほどの非現実体験、即ちバーチャル・リアリティの研究から発展した記憶改編が技術として挙げられている。

特にこの記憶改編の仕組みを東野氏はぼやかさずに実に合理的に説明している。詳細は本書に当たられたいが、その方法論は実現可能ではないかと思わせるほど論理的だ。
人は年を取るにつれ、現実と理想が乖離していくのを痛感し、理想が適わぬ夢であることを知り、諦めてしまう。だから人は少しでも理想に近づけたくてついつい嘘をついてしまうのだ。

年を取るにつれ、本書の登場人物が抱えるこの想いは痛切に心に響く。そしてそれ以外にも本書には私のツボとも云える設定が盛り込まれている。

まず冒頭の一行目からグッと物語に引き込まれた。山手線と京浜東北線というある区間では双子のように並走するこの路線をパラレルワールドに擬えるところが秀逸。
そしてそれぞれの電車に乗る人々はそれぞれの空間だけで完結し、同じ方向に進むのに何の関係性も生まれないという主人公敦賀崇史の独白がさらにツボだった。

そして毎週火曜日に路線を跨いで同じ車両の同じ位置に立つ女性に恋心を抱くという設定もツボだし、さらに親友の彼女がその女性だったなんてベタにもほどがあるが、好きなんだなぁ、こういうの。
多分これからあの区間を山手線、京浜東北線に乗るたびにこの物語を思い出しそうな気がする。

このような「運命の相手」が目の前に立ち、しかもそれが親友の恋人だったら?実に憎らしい設定ではないか?
親友との友情を取るか、それとも自分の恋情に従い、親友の恋人を獲るか?このなんとも先行きが気になる設定に加え、その本願が成就された1年後の崇史の姿が並行して語られ、そこでは次第に気付かされていく自らの記憶の誤差について崇史が独自に調べていくというミステリが繰り広げられる。

しかし何よりも本書はある一人の人物に尽きる。それは敦賀崇史の親友、三輪智彦だ。幼い頃の病気で右足を引きずるというハンデを背負った彼は明晰な頭脳を持ちながら、不遇な人生を歩んできた。そんな彼に訪れた大きな幸せ。それが恋人津野麻由子だった。

冒頭に私は本書はラブストーリーだと銘打ちながら実は極上のミステリだと書いたが、最後にいたってこれはなんとも切ない自己犠牲愛に満ちたラブストーリーなのだと訂正する。

誰もが幸せになるために選んだ道は実は誰もが不幸になる道であった。
謎は解かれなければならないのがミステリだが、本書においては知らなくてもいいことがあり、それを知ってしまうことが不幸の始まりであった。
『変身』では記憶を自らの存在意義の証と訴えた東野は本書では記憶のまた別の意味を提示してくれた。次は何を彼は問いかけるのだろうか?

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紙の本変身

2020/01/23 22:59

最初から結末が見えているのに読ませる

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切ない。なんとも切ない物語だ。

脳を移植された男が次第に移植された脳に支配され、性格を変貌させていく。

プロットを説明するとたったこの一行で済んでしまうシンプルさだ。しかしこのシンプルさが実に読ませる。
この魅力的なワンアイデアの勝利もあるだろうが、やはり名手東野氏のストーリーテラーの巧さあっての面白さであろう。

実はこの作品にはかつて別の形で接していた。
それはこの作品の漫画化作品で確かヤングサンデーで『HEADS』という題名で連載されていた。作者は『イキガミ』でも名を馳せた間瀬元朗氏。
当時私は東野作品を読むことは全く考えていなかったのですぐに読んだが、脳移植手術を施された主人公が徐々に自分らしさを失っていく当惑と恐怖が次回への牽引力となっていたのをよく覚えている。そしてその作品がきっかけで間瀬氏の作品を読むようにもなった。

しかし幸いにして当時の私はどんな理由だったか解らないが、その漫画を最後まで読むことはなかった。従って結末は知らないままなので、初読のように読めた。また各登場人物のイメージが『HEADS』で描かれた人物像だったのは云うまでも無い。

人の臓器を移植された時点で人はもうその人そのものでなくなってしまう、そんな感慨を抱く人もいるようだ。
そして本書は臓器の中でも人格を形成する脳を移植されるわけだから、アイデンティティに揺るぎが出てくるのは必然だろう。

21世紀になって18年経つ現在、本書に書かれているような脳移植手術は実現していない。現在から遡る事28年前に発表された本書は、脳移植がアンタッチャブルな領域である事をひしひしと感じさせ、その恐ろしさをじわりじわりと感じさせる。
しかし作者は別に警鐘を鳴らしているのではない。本作の前に書かれた『宿命』では脳を対象にした人体実験が物語の隠し味として扱われていたが、本書ではそれを前面に押し出して実験体となった男の行く末を一人称で語っていく。
つまり脳、そしてそれによって形成される自分という物の正体を脳移植というモチーフを使って探求しているようだ。

確かに科学的根拠としてこんな事が起きるのかという疑問はあるだろう。出来すぎな漫画のようなプロットだと思うかもしれない。
しかしそんな猜疑心を持たずに本書に当って欲しい。

90年代に自分探しというのがちょっとしたブームとなった。
自分は一体何者でどこから来たのかというルーツを探る、一人旅をして裸の自分と向き合う、そんな風潮が小説はもとより映画やあらゆるメディアで用いられた。この作品はそんな自分探し作品の変奏曲だ。
失われつつある自分を必死に引きとめようとすることで他者を意識し、自分という存在を意識する。脳移植をモチーフに変身していく男の苦悩と恐怖を描く事で凡百の自分探し作品に落ち着かない作品を描く東野氏。さすがである。

自己のアイデンティティへの問い掛けから最後は人生について考えさせられる本書。
物語の閉じられ方がそれまでの過程に比べ、拙速すぎた感が否めないが、ワンアイデアをここまで胸を打つ物語に結実させる東野の物語巧者ぶりに改めて畏れ入った。

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紙の本仮面山荘殺人事件

2020/01/22 23:47

仮面の在処は最後に

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その題名からいわゆる“嵐の山荘”物を連想するが、確かに本書はそのジャンルに類いする物である。
が、しかし館の関係者が外部に出られない状況というのが突然の強盗の襲撃と篭城という非常に特異なシチュエーションであるのが、この作家を他のミステリ作家と一線を画する存在にしている。そんな緊張状態の中での殺人劇という、実にアクロバティックな手法を繰り出す。

強盗襲撃という心的疲労に加え、殺人事件の勃発とさらに関係者の心労は募る。従って次第に人格者であった彼ら・彼女らの精神状態も脆くなり、泥沼のやり取りが繰り広げられる。
まさしく「仮面」を被った者たちの饗宴だ。

しかしそれらは典型的な密室劇のフォーマットに則った展開とも云える。
しかし東野氏はさらに読者の想像の上を行く。最後10ページ弱の中で明かされる大どんでん返しに読者はしばし呆然とするに違いない。

最初私は、“嵐の山荘物”といい、題名といい、あまりに本格ミステリど真ん中の内容にちょっと面食らった。
というのもこの前に発表した『宿命』から人の心の謎に焦点を当てた第2期東野ミステリの幕開けを確信しており、それ故、今回も人間関係の綾と心の謎がメインのミステリになると思ったからだ。
しかし最後の真相に至り、やはり東野氏の興味はそこにあるのだということを再度確信した。

正に「嵐の山荘物東野風変奏曲」とも云えるこの作品。ここは素直に作者の入念な企みに拍手を贈ろう。

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紙の本宿命

2020/01/22 23:00

東野作品第二期の始まり

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運命の悪戯、そうとしかいいようのない三人の運命、いや文字通り“宿命”を描いた作品。
晃彦、勇作、美佐子の抱えるやり場のない感情の行方、お互いの間を交錯する想いが届きそうで届かないもどかしさが読み進むにつれて胸に痛切に響いてくる。

典型的な勝ち組と負け組を描いた対照的な2人の人生。自然、読者は勇作を応援する側に回ってしまうだろう。

しかしこれこそ東野圭吾氏が仕掛けたマジックなのだ。
家族のみならず妻の美佐子にも決して心の内を打ち明けず、いつも一人超然と佇む晃彦。彼の真意が終章に至ってようやく読者の眼前に明かされる。このとき、東野氏がマジックを解くのに、指をパチンと鳴らした音が聞こえたような気がした。

とにかくこの3人の人生に纏わる奇妙な結び付きが、冒頭からモヤモヤとした形で少しずつ眼前に差し出されるが、それは眼の前の靄を晴らすのではなく、新たなる靄を生み出し、更に読者を物語の深い霧の中へといざなうようで、居心地の悪ささえ感じた。しかしこれこそ東野ミステリの特徴であり、私はこういう趣向のミステリを待っていた。

本作は三角関係という恋愛小説の色も持ちながら、青春小説の側面もあり、なおかつ明かされる三人の過去には科学が生んだ悲劇という通常相反する情理が渾然一体となって物語を形作っているのが特徴的だ。この絶妙なバランスは非常に素晴らしい。
特に科学の側面を全面的に押し出さず、あくまで人間ドラマの側面を押し出して物語を形成したのは正解だろう。やはり「推理小説」はあくまで小説であるから、物語がないと読者の心に響かない。
個人的には勇作と美佐子が若かりし頃に交際していた件がベタながらも鼻にツンとくるような甘酸っぱい感慨を抱かせ、非常に印象に残ったエピソードだ。読んでいる最中、尾崎豊の”I Love You”が頭の中を流れていた。

しかし東野氏の熱すぎず、かといって冷めすぎない抑制の効いた筆致がありがちな過剰演出を抑え、逆に読者の心に徐々に一つ一つの事実が染み込んでいく。そして最後に明かされる真実が哀切に響いてくる。
ミステリを書く上で、これは最大の長所であり、続けて読んでもくどさが無く、飽きが来ない。これこそ彼の最たる特質だろう。

考えるに、本作は東野氏の第2期の始まりを告げるものではないだろうか。
青春小説のテイストとそれまでに培った科学知識を応用したミステリのハイブリッドを目指した人間に焦点を当てた東野ミステリの始まり、本書はそんな作品のような気がしてならない。
デビュー当時の青春ミステリと違うのは既に大人になった彼ら・彼女らが過去を振り返るところにある。そして事件の鍵がその過去に因縁に深く根差しているところにこの第2期の特徴があるように思う。

また本作が刊行された90年というのは一世を風靡した『羊たちの沈黙』が訳出された一年後である。つまりサイコホラー元年の翌年、世にはこの手のサイコホラー系ミステリが横溢していた。
そして本作もまたこの類いの影響下にあったに違いない。人の心こそ最も怪奇、恐ろしいというこのジャンルは当時画期的であり、東野氏はその側面に脳科学の分野にスポットを当て、独自のアプローチをしたに違いない。そして恐らく本作は後の『変身』に続く里程標的作品になっているだろう。

しかし本作はなんといっても文庫版の表紙のイラストに尽きる。この何の変哲もない屋敷のイラストが開巻前と読了後では全く印象が変わってみえる。
本書がスティーヴン・キングの代表的サイコホラー、『シャイニング』の表紙に酷似しているのは単なる偶然ではないのかもしれない。

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紙の本魔球

2020/01/19 23:04

“魔球”とは?

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東野圭吾初期の代表作である本作は、実に哀しい物語であった。
この高校球児を中心に据えたミステリ。この作品の中心となる謎は、二つの殺人事件の謎でもなく、愉快犯とも云うべき東西電機での爆破未遂事件と社長誘拐事件の謎でもなく、題名となった“魔球”の謎、でもない。
天才投手と云われた須田武志そのものの謎である。

本作はこの須田武志なる人物が実にストイックかつミステリアスに描かれており、この人物無くしてはこの物語の成功はなかったであろう。
他の高校球児と特に仲良く接することなく、常に孤高の存在として振舞う。自らに妥協せず、他者とは違う次元で物事を見据えた眼を常にしている。そして自ら立てた目標に向かって嘘はつかず、また約束は必ず守り、自らを厳しく律する。自ら弱音は決して吐かない。出来ないという言葉は決して使わない。
彼の死の真相を知ったとき、正にこの男は武士であると痛感した。名前は須田武志。東野氏はこの男に武士の魂を託し、“武士の心”という意味を込めて“武志”という名にしたに違いない。

そしてこの須田家を取り巻く家庭事情など、ほとんど巨人の星の世界である。貧乏のどん底から、プロ野球選手を目指して這い上がる男、自らの努力で天才投手の名を恣(ほしいまま)にし、家族の幸せのためには自分を売ることも厭わない。
ここまでべた褒めならば星5個献上したいのだが、あまりに哀しすぎるので、その分、星1つマイナスした。物語半ばで判明する須田武志の死は、私にはあまりにもショッキング過ぎた。こういう奴を応援したいんだよと思っていた矢先の悲劇だったために、プロットのためにここまでするかと脱力感と憤慨を覚えたのである。最後の結末を読んでも、やはりあそこで須田武志は死なせるべきではなかった、そう強く思った。彼を亡くした後の須田家の哀しみを推し量るとどうしてもこの展開には反発心を覚えてしまう(また文庫表紙の朴訥としたイラストが泣かせるのだ)。
そう思うのも、ここまで感情移入してしまう登場人物に久々に出逢ったためで、正に東野氏の術中に嵌ってしまったことは否定しない。先にも書いたが本作ではそれぞれの事件の謎ではなく、この須田武志という人物の謎こそ東野マジックなのだ。

もう少し書こう。

本作でキーとなる題名にもなっているこの“魔球”の正体。この謎も実はなかなかに考えられているのである。
“魔球”というちょっと間違えば陳腐な内容になるこの題材について東野氏は実に面白い解答を用意している。そしてそれはこの“魔球”という二文字の意味がまた別の意味を持って立ち上がってくるのだ。
人が打てない悪魔のような変化を伴うから“魔球”と呼ばれるのが一般的だが、本作にはもう1つの意味が隠されている。これはそれぞれこの本を読んで確認して欲しい。

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紙の本陽だまりの偽り

2016/08/28 23:30

貴方の周りにありそうなミステリ譚

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今や現代を代表する短編の名手ともされる長岡弘樹。彼のデビュー作は読者の町にもいるであろう人々が出くわした事件、もしくは事件とも呼べない出来事をテーマにした日常の謎系ミステリの宝箱である。
物忘れがひどくなった老人が必死にそれを隠そうとする。
自身のキャリアを高めるために必死に働くがために一人息子を問題児にしてしまったキャリアウーマン。
卒なく業務をこなし、出世の道を順調に上がろうとする公務員。
同僚にケガをさせたことで自責の念から職を辞し、実家の写真屋を受け継ぐが資金難に四苦八苦する元報道カメラマン。
ある事件から息子との関係が悪くなった荒物屋の店主。
全て特別な人たちではなく、我々が町ですれ違い、また見かける市井の人々である。そしてそんな人たちでも大なり小なり問題を抱えており、それぞれに隠された事件や出来事があるのだ。
これら事件や出来事を通じてお互いが抱いていた誤解が氷解するハートウォーミングな話を主にしたのがこれらの短編集。中に「プレイヤー」のような思わぬ悪意に気付かされる毒のある話もあるが。
気付いてみると5編中4編はハートウォーミング系の物語であり、しかもそれらが全て親子の関係を扱っているのが興味深い。
「陽だまりの偽り」はどことなくぎこちない嫁と義父の、「淡い青のなかに」と「写心」は母と子の、そして「重い扉が」はと父と子の関係がそれぞれ作品のテーマとなっている。
それはお互いがどこか嫌われたくないと思っているからこそ無理に気を遣う状況が逆に確執を生む、どこの家庭にもあるような人間関係の綾が隠されていることに気付かされる。逆に正直に話せばお互いの気持ちが解り、笑顔になるような些末な事でもある。
人は大人になるにつれ、なかなか本心を話さなくなる。むしろ思いをそのまま口にすることが大人げないと誹りを受けたりもするようになり、次第に口数が少なくなり、相手の表情や行動から推測するようになってくる。そしてそれが誤解を生むのだ。実はなんとも思っていないのに一方では嫌われているのではと勘違いしたり、良かれと思ってやったことが迷惑だと思われたり。逆に本心を正直に云えなくなっていることで大人は子供時代よりも退化しているかもしれない。
作者長岡弘樹はそんな物云わぬ人々に自然発生する確執を汲み取り、ミステリに仕立て上げる。恐らくはこの中の作品に自分や身の回りの人々に当て嵌まるシチュエーションがある読者もいるのではないだろうか。
私は特に中学生の息子を持つがゆえに「重い扉が」が印象に残った。いつか来るであろう会話のない親子関係。その時どのように対応し、大人になった時に良好な関係になることができるのか。我が事のように思った。
しかしこのような作品を読むと我々は実に詰まらないことに悩んで自滅しているのだなと思う。ちょっと一息ついて考えれば、そこまで固執する必要がないのに、なぜかこだわりを捨てきれずに走ってしまう。歪みを直そうとして無理をするがゆえにさらに歪んでしまい、状況を悪化させる。他人から見れば大したことのないことを実に大きく考える。本書にはそんな人生喜劇のようなミステリが収められている。
全5作の水準は実に高い。正直ベストは選べない。どれもが意外性に富み、そして登場人物たちの意外な真意に気付かされた。実に無駄のない洗練された文体に物語運び。デビュー作にして高水準。今これほど評価されているのもあながち偽りではない。また一人良質のミステリマインドを持った作家が出てきた。これからも読んでいこう。

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紙の本墓場への切符

2016/08/28 19:41

倒錯三部作の記念すべき第1作目

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マット・スカダーシリーズが人気と高評価を持って迎えられるようになったのはシリーズの転機となった『八百万の死にざま』と本書から始まるいわゆる“倒錯三部作”と呼ばれる、陰惨な事件に立ち向かう“動”のマットが描かれる諸作があったからだというのは的外れな意見ではないだろう。
本書が今までのシリーズと違うのはマットの前に明確な“敵”が現れたことだ。彼の昔からの友人である高級娼婦エレイン・マーデルをかつて苦しめたジェイムズ・レオ・モットリー。錬鉄のような鋼の肉体を持ち、人のツボを強力な指の力で抑えることで動けなくする、相手の心をすくませる蛇のような目を持ち、何よりも女性を貶め、降伏させ、そして死に至らしめることを至上の歓びとするシリアル・キラー。刑務所で鋼の肉体にさらに磨きをかけ、スカダー達の前に現れる。
これほどまでにキャラ立ちした敵の存在は今までのシリーズにはなかった。確かにシリアル・キラーをテーマにした作品はあった。『暗闇にひと突き』に登場するルイス・ピネルがそうだ。しかしこの作品ではそれは過去の事件を調べるモチーフでしかなかった。
しかし本書ではリアルタイムにマットを、エレインをモットリーがじわりじわりと追い詰めていく。つまりそれは自身の過去に溺れ、ペシミスティックに人の過去をあてどもなく便宜を図るために探る後ろ向きのマットではなく、今の困難に対峙する前向きなマットの姿なのだ。
それはやはり酒との訣別が大きな要素となっているのだろう。過去の過ちを悔い、それを酒を飲むことで癒し、いや逃げ場としていたマットから、酒と訣別してAAの集会に出て新たな人脈を築いていく姿へ変わったマットがここにはいる。警察時代には敵の1人であった殺し屋ミック・バルーも今や心を通わす友人の1人だ。
平穏と云う水面に石を投げ込んでさざ波を、波紋を起こすのが物語の常であり、その役割はマットが果たしていた。事件に関わった人物たちがどうにか忌まわしい過去を隠蔽して平穏な日々を過ごしているところに彼に人捜しや死の真相を探る人が現れ、彼ら彼女らに便宜を図るためにマットが眠っていた傷を掘り起こすのがそれまでのシリーズの常だった。しかし本書ではさざ波を起こすのがモットリーと云う敵であり、平穏を、忌まわしい過去を掘り起こされるのがマットであるという逆転の構図を見せる。マットは自分に関わった女性を全て殺害するというモットリーの毒牙から関係者を守るために否応なく過去と対峙せざるを得なくなる。
じわりじわりとマットに少しでも関わった女性たちを惨たらしい方法で殺害していくモットリー。そしてマット自身もまたモットリーに完膚なきまでに叩きのめされる。さらには法的に人的被害を訴えることでスカダーを孤立無援にさせる邪悪的なまでな狡猾さまで備えている。そんなスリル溢れる物語なのにもかかわらず、シリーズの持ち味である叙情性が損なわれないのだから畏れ入る。
そして追い詰められたスカダーはとうとうアルコールを購入してしまう。自ら望むがままに。果たしてマットは再びアルコールに手を出すのか?この緊張感こそがシリーズの白眉だと云っても過言ではないだろう。そしてこのアルコールこそがまた彼の決意を左右するトリガーの役割を果たす。酒を飲めば元の負け犬のような生活に戻ってしまう。しかしそれを振り切れば、正義を揮う一人の男が目覚めるのだ。この辺の小道具の使い方がブロックは非常に上手い。
困難に立ち向かい、己の信念と正義を貫いたマット。今後彼にどんな事件が悲劇が起こっていくのだろうか。

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ヴァラエティに富んでます。

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キング初の短編集『ナイト・シフト』の後半に当たる本書は前半にも増してヴァラエティに富んだ短編が揃っている。

未来に賭けて超高層ビルの手摺を一周回ることに同意した男。
奇妙な雰囲気を漂わせた芝刈り業者の男。
98%の確率で禁煙が成功する禁煙を専門に扱う会社。
常に自分の望むものを叶えてくれる不思議な学生。
バネ足ジャックと呼ばれた連続殺人鬼。
生い茂ったトウモロコシ畑を持つゴーストタウン。
幼い頃、共に干し草の上にダイブして遊んだ美しい妹の末路。
恋人に会いに行く幸せそうな男。
豪雪で忌まわしき村に迷い込んだニュージャージーから来た家族。
死の間際にいる母親を看る息子の胸に去来するある思い。

前巻も含めて共通するのは奇妙な味わいだ。特段恐怖を煽るわけではないが、どこか不穏な気持ちにさせてくれる作品が揃っている。
個人的ベストは「禁煙挫折者救済有限会社」か。次点では「死のスワンダイブ」を挙げたい。

本書と『深夜勤務』は『キャリー』でデビューするまでに書き溜められていた彼の物語を世に出すために編まれた短編集だと考えるのが妥当だろう。とするとこのヴァラエティの豊かさは逆にキングがプロ作家となるためにたゆまなき試行錯誤を行っていたことを示しているとも云える。単純に好きなモンスター映画やSF、オカルト物に傾倒するのではなく、あらゆる場所やあらゆる土地を舞台に人間の心が作り出す怪物や悪意、そして人は何に恐怖するのかをデビューするまでに色々と案を練ってきたことが本書で解る。つまり本書と『深夜勤務』には彼の発想の根源が詰まっているといえよう。特に『呪われた町』の舞台となるジェルサレムズ・ロットを舞台にした異なる設定の2つの短編がそのいい証拠になるだろう。あの傑作をものにするためにキングはドルイド教をモチーフにするのか、吸血鬼をモチーフにするのか、いずれかを検討し、最終的に吸血鬼譚にすることを選んだ、その発想の道筋が本書では追うことが出来る。そんなパイロット版を惜しみなく提供してくれる本書は今後のキング作品を読み解いていく上で羅針盤となりうるのではないかと考えている。

しかし本書を手に入れるのには実に時間と手間が掛かった。なぜなら絶版ではないにせよ置かれている書店が圧倒的に少ないからだ。2016年現在でも精力的に新たな作風を開拓しているこの稀有な大作家が存命中であるにも関わらず過去の作品が入手困難であるのはなんとも残念な状況だ。既に絶版されている諸作品も含めて今後どうにか状況改善されることを祈るばかりである。

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紙の本キャリー 改版

2016/08/29 00:00

単純だからこそ万人受けするモダンホラー

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本書が好評を持って受け入れられたのは普遍的なテーマを扱っていることだろう。いわゆるスクールカーストにおける最下層に位置する女生徒が虐められる日々の中でふとしたことからプロムに誘われるという光栄に浴する。しかし彼女はそこでも屈辱的な扱いを受ける。ただ彼女には念動能力という秘密があった。
この単純至極なシンデレラ・ストーリーに念動能力を持つ女子高生の復讐というカタルシスとカタストロフィを混在させた物語を、事件を後追いするかのような文献や手記、関係者のインタビューなどの記録を交えて語る手法が当時は斬新で広く受けたのではないだろうか。
さてとにもかくにも主人公キャリーの生き様の哀しさに尽きる。狂信的な母親に育てられ、過剰なまでの清廉潔白ぶりを強要され、日に何度もお祈りを捧げる日々を送らされ、母の意志にそぐわなければ即刻クローゼットに閉じ込められる。そんな家庭環境であるがために一般常識的な知識さえもまっとうに与えられず、初潮という生理現象さえも知らないために自身の陰部から血が出ることでパニックになり、学校でクラスメートからタンポンを投げつけられる始末。従って幼少の頃はまるで人形のような整った顔立ちだったのが今ではニキビと艶のない髪の毛で、作中の表現を借りれば「白鳥の群れに紛れ込んだ蛙」のような有様だ。
そしてとにかく主人公キャリーの母親の狂信ぶりが凄まじい。姦通することを何よりも忌み嫌い、自分が妊娠したことすらも穢れとする。そして自身の娘キャリーを男たちの誘惑の手から遠ざけるため、キャリーに他者との関わりを絶つことを強いる。もし自分の意志に背こうものならば、折檻をした上でクローゼットに何時間も、時には一日中閉じ込めて悔い改めさせる。とても親とは思えない所業だ。
ここでやはり注目したいのはキャリーの親の束縛からの自立だろう。異様なまでの執着心で母親の支配を受けていた彼女が抵抗し、ついに自由を得る困難さは途轍もない大きな壁だっただろう。彼女に念動能力が無ければ叶わなかったことではないだろうか。親という大きな壁への抵抗というこの非常に身近な人生の障害もまた万人に受け入れられた要素なのかもしれない。
さらに本書が特異なのは女性色が非常に濃いことだ。それは主人公キャリーが女性であることから来ているのだろうが、キャリーを虐めているのは男子生徒ではなく女子生徒ばかりでキャリーの生活の障壁となっているのも前述のように狂信的な母親だ。
さらに生理という女性特有の生理現象がキャリーの念動能力の発動を助長させ、またキャリーの死を看取ったスージー・スネルがその直後生理になっているのも新たなる物語という生命の誕生を連想させ興味深い。
今では実にありふれた物語であろう。が、しかし物語にちりばめられたギミックや小道具はやはりキングのオリジナリティが見いだせる。“to rip off a Carrie”などという俗語まで案出しているアイデアには思わずニヤリとした。
識者によればキングの物語にはあるミッシングリンクがあるという。本書を皮切りにそのリンクにも注意を払いながら読んでいくことにしよう。

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紙の本怪笑小説

2020/01/30 23:40

ちょっと身につまされる思いがしたり

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東野圭吾版ユーモア短編集とでも云おうか。その名の通り、ちょっと笑いを誘う短編で編まれている。

タイトルに偽りなし。まさに「快笑」ならぬ「怪笑」といわざるを得ないブラックなユーモアが詰まった短編集だ。
ここに収められている短編の登場人物はいわゆる「あなたに似た人」。我々の平凡な日常や世間にどこにでもいる、もしくはいそうなちょっと変わった滑稽な人々のお話だ。
ラッシュアワーの電車内での風景、老後生活に入ってからスターの追っかけに目覚めた人、プロ野球選手になれなかった自分の夢を託して息子を鍛える一徹親父、教師同士の同窓会、幼い頃の原初体験をきっかけにトンデモ学の研究にのめり込む者にあるスポーツに異様に詳しい者や甘い言葉にだまされ郊外に家を建てて通勤地獄に苦しむ者たち、身内を亡くして行く当てもなく孤独死を迎えるだけの一人身の老人に家庭崩壊寸前の核家族。通勤中や会社で、飲み屋で見かける人々や新聞の三行記事で書かれていたり、ワイドショーで取り上げられたりするような家族や人。日常というドア一枚隔てた先に広がる空間でいるだろう人々だ。

つまり登場人物が非常に人間臭いのだ。だから例えば殺人事件が起きたとしても警察にすぐさま通報というミステリの定型を取らず、そのことで降りかかる風評被害といった災厄を懸念し、皆で隠蔽しようとする。
しかしよくよく考えるとこれこそが日常を生きる我々が取ってもおかしくない行動であり、思考である。重ね重ねになるがここに出てくる見苦しくも愛らしい人々は私の、あなたの姿だといえる。だからこそ非常に親近感を覚えて作品を楽しめる。

個人的なベストはブラックユーモア色が一番濃い「しかばね台分譲住宅」で、次点で「鬱積電車」か。着想の妙では「逆転同窓会」が実際にありそうでリアルに感じた。

しかし東野氏はユーモアを書かせても上手いなぁ。というよりも関西人の彼の本領は実はここにあるのではないか?
「おっかけバァサン」や「一徹おやじ」、「無人島大相撲実況中継」などはコントとして発表してもおかしくない。この前読んだ『あの頃ぼくらはアホでした』で、本当にしょーもないことばかりを面白おかしく語ってみせ、緻密で流麗で後味がほろ苦い感傷的なミステリを書く作家というイメージを覆した東野氏があのエッセイを書くことで何かが吹っ切れ、地の姿を存分に出したようだ。

この後『毒笑小説』、『黒笑小説』とシリーズ(?)は続くようなので非常に楽しみ。本当は8ツ星献上したかったのだが、それはまた次に取っておくとしよう。

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