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喫読家さんのレビュー一覧

投稿者:喫読家

16 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本権現の踊り子

2003/04/02 14:34

奇妙な現実

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 川端康成文学賞が「権現の踊り子」とはなにかの冗談? かと思いきや本当の話。
 この作品の受賞というのも奇妙な現実だが、本書に収録されている短編の数々も同じくらい風変わりな作品ばかり。すでに世の中の方もこれくらい妙な具合になっていのかも知れない、そう思わせるようなリアル感覚にあふれている点がこわい。
 パンク歌手で詩人の著者だけに、どんどん壊れてゆくイメージの展開とことばのおもしろさはほかに類を見ない。しかし、「本当にこの作品がわかるんですか?」とまじめに問われてしまうと、目をそらし口ごもるほかないような作品ばかり。

入院しみまかるかもしれないと噂される昔の友人に小銭入れの壺を返しにでかける「鶴の壺」。家宝とされるさざれ石を持参し因縁話を話して聞かせる友人「矢細君のストーン」。ゴミ置き場から収集したがらくたの再利用にひたすら情熱を燃やす「工夫の源さん」。剃刀の刃を買いにでかけた権現市でむりやり躑躅祭のリハーサルにつきあわされる「権現の踊り子」。猿愛児のうたうパンクな歌がやがて現実化し世界を壊していく「ふくみ笑い」。悪人たちの正論と弱者の怠惰をまえに悪へ立ち向かうことのできない水戸黄門一行を描く「逆水戸」。

 かいつまんで話すと(説明に自信はないが)、そういった短編6作品が収録されている。

べらんがめらんでソーダ水飲むン
あきゃきゃ、あぱぱ、乳、踏んでおどろ
作ンぼ、作ンぼ、あぱぱの作ンぼ
乳、踏んでおどろ、肉、揉んでおどろ

私は、町田康さんのこんな文章が将来国語の教科書に載るのを楽しみにしている一人だが、授業でこの作品を勉強しなければならない生徒の立場を考えると、思わずふくみ笑いしてしまう、というのも偽らざる心境だったりする。

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紙の本趣味は読書。

2003/02/05 22:52

感動してはいけない

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「あのベストセラーを皆さまに代わって読んでみました」というのがこの本。『大河の一滴』から『海辺のカフカ』まで、この4年ほどの間に話題となった41作品のベストセラーを点検する。
 タイトルの「しゅみはどくしょマル」というのは、みずから屈託なくそう公言してはばからないベストセラーをささえる善良な読者の方々のこと。そこで本書の対象は、当然、ベストセラーを読まない不逞な読者の連中ということになる。とはいっても、書店で否応(いやおう)なしに目につくベストセラー、内容を知りたい、どうしてこんな本が売れているのか気になる、という人間はけっこういるはず。本書の読者にとって一番のかなめは、「あのベストセラー、読まないで正解?」ということではないだろうか。
 「ハイ、正解です」とひとことで済まないのは、やはり、本は読んでみなければわからないからだ。でも、ほとんどの場合、本書の解説を読むだけで満足し溜飲がさがるだろうことうけあい。あの本はやっぱり読まなくてよかったのだ。あるいはこの本を読んで済ませればいいか。

 たとえば、浅田次郎『鉄道員』に登場する娘が幽霊(または幻想)であることは著者の説明で初めて知った。人間ドラマだと想像していた物語は、なんと怪談話だったのだ(あるいはファンタジーかも)。
 また、極道の妻から弁護士へ転身したという大平光代『だから、あなたも生きぬいて』は、極妻時代の記述が6ページしかないのだとか。シャブなし、エッチなし。だから、極道の裏社会や爛(ただ)れた生活をかいま見たいという邪(よこしま)な読者には関係のない本。
 そういった作品の細部をきちっと説明してくれる気持ちのよさがこの本にはある。

 感動しました、泣けました、生きる勇気をもらいましたなどなど、善良な読者はすぐに口にするけれど、そんなふうに簡単に心や感情を動かされてしまって良いのだろうか。ちょっと待った、読みながらもう少しいろんなことを考えてみましょうね、いやなら代わりに考えてさしあげます、というかのごとき斎藤美奈子さん。

 本書には感動も癒しもないかわりに、笑いや毒はたっぷりと盛り込まれている。

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紙の本日々是怪談

2002/07/06 10:07

怖いけれどどこか笑える

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 よく「人に好かれる性格」というが、世の中には「亡霊や気味の悪いものに好かれる性格」というものがあることを本書で初めて知った。そういう人が近くにいると、ふだん幽霊など見たこともないし関心を持ったこともないような人たちも、彼女と一緒に亡霊を見たり奇妙な体験をするはめになる。
 彼女というのは、そう、この本の著者、工藤美代子さんのことだ。

 結婚して一年後、彼女とともに何度も亡霊を目撃し奇妙な体験をした夫はポツリと言う。
「もしかして、ミヨコって、ああいう人たちがくっついて来ちゃう質(たち)なんじゃない? 人間かお化けかわかんないけど……」
「ごめんね。実はそうなの」
彼女が初めてそのことを夫に告白する「夫婦の秘めごと」。

 古いものは怖い。著者は骨董のお店をのぞくのを趣味としているが、ときどき妙なものを買って来てしまうらしい。家族から言わせると、「気持ちの悪いものを連れて帰ってくる」ということになるようなのだが——
 中国旅行で購入した少女を描いた掛け軸が、床の間に飾り気がつくと、幽霊の絵であることが判明する「中国娘の掛け軸」。京都の骨董屋で買った赤い帯をしめたおかっぱ頭のかわいらしい人形が、東京に帰り包みを開けてみると、気味の悪い老婆に変身している「魔性の人形」。
さて、それぞれどんなことが起こったのかは、本書を読んでのお楽しみ。

 それでも懲りずにふたたび中国の骨董市に足を運ぶ工藤さん。

 さんざん陶器の壺や茶碗など買い漁った後で、私は白い石に彫った仏像に目がいった。やさしい上品な顔立ちだ。手にとって値段を訊こうとしたときだった。背後で夫とハンさんが同時に悲鳴を上げた。

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学習用英英辞典の大型新人

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 英語を母語としない外国人むけ学習用英英辞典といえば、『ロングマン現代英英辞典』(第3版),『OXFORD現代英英辞典』(第6版)が人気をほぼ二分している。
 そこへあらたに登場したのが『マクミラン英英辞典』だ。
 本書の初版は2002年。出たばかりの辞書なのでまだ一部の人たちにしか知られていないが、個性も内容も両者に十分対抗できる実力がある。この辞書が定番として多くの支持を得るのはおそらく時間の問題だろう。

 各辞典が語義の説明に使用している定義語は、ロングマン 2000語、OXFORD 3000語、そしてマクミランは 2500語。収録する項目数は、ロングマン,OXFORDがほぼおなじ8万語。それに対しマクミランは10万語。この収録語数は英和辞典の中辞典クラスに相当する。
 三者の辞書は定義語の数がしめすよう、初心者にはロングマンがもっとも親しみやすくわかりやすい。一方、ロングマンよりすこし難しいが、OXFORDは語義の解説にアカデミックな格調の高さを感じさせる。ロングマンが「Harry Potter」だとすれば、OXFORDは「The Lord of the Rings」というのが両者の印象のちがいだ。マクミランはその中間、というよりも語彙はロングマンに近いが、説明のポイントやイラストなど辞書全体の雰囲気はマクミランの方が大人っぽい。
 3つの辞書はどれも(カラー図版付)2色刷で、マクミランだけが赤色、ロングマン,OXFORDはどちらも重要な項目に青色を用いている。

 マクミランの特長は、社会に目配りのきいた解説や例文が多いことだろう。使いかたを誤ったとき人の気持ちを傷つけたり不快にするようなことばには多くのばあい誤用をさける説明が入っている。なまの社会問題を喚起させる例文も目にとまる。また、文章や発言を論理的で印象的に伝えるのに必要な情報も、暗示の用例(metaphor)や論文作成(academic writing)のコラムをもうけるなど盛りだくさんだ。もちろん、基礎語の解説も詳しいのはいうまでもない。
 一方、企業・団体,人物名や商品名のような百科項目はほとんどあつかっていないが、軽口でいう Batman や、日本から入った manga(漫画)など、俗語や新しいことばは適度に収録している。
 社会的見識のある英語。この辞書にはそんな目標がかかげられているように見える。

 本書についてはさらに特筆すべき点がある。それは付属するCD-ROM辞書のできの良さだ。辞書の内容はすべてハードディスクにインストールでき、検索機能は豊富で使いやすい。ワイルドカードや論理演算のほか、各種項目別の検索指定もできる。
 また、インターネットエクスプローラで開いている英文の画面であれば、単語上にマウスポインタを持っていくだけで、その単語を検索し読みあげてくれる。
 Windows98〜XP対応。ディスク容量は最小で90MB、音声・画像を含めたフルインストールでは、560MBほどのディスク容量が必要となる。
 ただし残念なのは、プロテクトが30日ごとに CD-ROM のチェックを行うため、ハードディスクにインストールしたさいもCD-ROMはつねに手もとに置いておく必要があるという点だ。

 本書を購入するさいは、一般の学習用辞書とおなじサイズのコンパクト版(B6判)をおすすめする。本棚に収納しやすいうえ装丁もビニールで丈夫だからだ。

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紙の本リーダーズ英和辞典 第2版

2002/05/13 01:01

英語読みに必携のコンパクトな大辞典

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 『リーダーズ英和辞典』は『グランドコンサイス英和辞典』と比較してから購入した。本書を選んだ理由は、簡潔でこなれた語義、そして27万語という項目に辞書としてのバランスの良さが感じられたからだ。

 「グランドコンサイス」は36万語という収録語数で他を圧倒しているが、おそらく編集方針なのだろう、Tolkien や Hepburn など、人物の説明に代表作が記載されていない。また、すき間なく詰め込まれた本文記事は少々読みにくい感じがする。
 収録語数で選ぶのならこちらに軍配があがるのだろうが、辞書を読むタイプの人間には、この辞書は今ひとつ読みものとしての魅力が感じられないのではないか。

 「リーダーズ」は限られた紙面であるにもかかわらず、作家や俳優など、解説には代表作を2作ほど原題&年代入りで記載している。また、quark や spam のように造語や俗語についても語源まで説明しているものが多い。こういった、関連知識の広がりに配慮している点には好感が持てる(ただし spam の語源には諸説あるが)。
 一方、2色刷で豊富な図版が入った学習用英和辞典を見なれている人には、この辞書はずいぶん愛想のない辞書と映るかも知れない。用例や類語、文法記号など、英語学習用の情報をかなり割愛しているうえ、本文中には色も図版もないからだ。しかし、この辞書の真価はそこにある。携帯サイズに大辞典なみの語数を収録し、記載項目が多いにもかかわらず読みやすいのは、学習要素を大胆に切り捨て、英文を読むための辞書に撤しているからなのだ。また、この辞書を購入しても、現在持っている学習用英和辞典は手もとに置いておくといいだろう。しっかりした学習用の辞書は、英文を書いたり話したりする場合にまだ役立つからだ。
 辞書を裸で使う人には、手ざわりと質感の良い革装(こげ茶)もおすすめ。

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紙の本英語辞書を使いこなそう

2002/05/13 00:50

英語の海で泳ぐまえの準備体操

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 英語辞書の使いかたを授業でしっかりと説明してくれる教師はどれくらいいるのだろう。辞書の使いかたを学校で教わった記憶がない人、これから英語の勉強を始めようとする人、また、現在英語を勉強していて辞書をひくのが苦痛な人にもこの本はおすすめ。
 本書は岩波ジュニア新書の一冊だが、高校生だけが読むのではもったいない。英語の勉強をやりなおそうとしている社会人にも大いに役立つうえ、本書は辞書をひくことを通じて、英語全般についての学習方法までを教えてくれる。辞書をひくために知らなければならない文法、英英辞典の活用法、さらには辞書をたよらずに文脈から未知の単語を推測する方法など、豊富な実例で、英語の学習に必要となるさまざまな知識やコツを著者から伝授してもらえるのだ。

 さて、本書を読むさいは、ふだん使っている手もとの辞書で本文中に解説されている単語をひいてみよう。自分の辞書がどういう目標で編集された辞書なのか分かるようになる。そして本書を読み終えるころには、辞書をひくのが苦痛だった理由もはっきりしてくると思う。
 もちろん、電子辞書やCD-ROM版辞書のユーザも、同じように辞書をひきながら読むことで本書をいっそう楽しむことができる。
 これから新しい辞典や電子辞書を購入しようと思っている人には、本書は英語辞書選択の良い判断材料になるだろう。

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紙の本あたりまえのこと

2002/03/29 15:12

小説職人の技能と倫理

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 ものづくりということには、つくる側の目に見えない苦労とともに、手抜きやごまかしといったものの入る余地がどこかに必ずある。
 小説の場合も同じようで、著者にいわせると、「私」のことをそのまま書くこと、主人公の自殺で物語にピリオドを打つこと、また、「愛」が勝利を収めて終わるような恋愛小説なども、材料の吟味が浅く、加工の手順をごまかした質の悪い小説ということになるようだ。

 嘘とわかっていることをいかに上手に書いて人を楽しませるか、小説の価値はそれによって決まると著者はいう。小説家というものづくりの側からすると、どうやら、上手な嘘をまことしやかに書く方が、真実や思想を述べたりするよりも、ずっと技巧や思考を必要とするらしいのだ。そして、その嘘が技巧を感じさせないほど見事であれば、それは本物であり極上品の小説ということになる。文章が上手であるのはもちろんのことだ。

 おそらく、上のような考え方に賛成できない人はかなりいると思う。小説というものは、本当のことを書くことではないか、物語に仮託し真実や思想をを語ることではないのか。
 しかし、倉橋由美子さんの話していることは、もっと単純なことだ。
 人間というのは自分を飾らずに語ることなどできない。どんなに真実を追究しようが、どれほど率直に告白しようが、それは作者の主観を逃れようがないうえ、どうせ当人に都合の良いことしか書かれないのが関の山だからだ。
 おそらく小説というのは、それら作者の限界を超えるために嘘を必要としている。もちろん、それは読む側も了解している嘘だ。だから、嘘を書こうとしない小説は、きっとどこかに手抜きやごまかしがある、と倉橋さんは言っているのだ。

 ものづくりをする側の、捏造、欠陥の隠蔽、産地の偽りが世の中で問題視されるのと同じように、小説というものづくりにも、やはり倫理(ルール)が必要である。このことは、まさに、あたりまえのことというほかないだろう。

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紙の本大辞林 第2版 新装版

2002/03/24 14:03

理科系にも詳しい映画好き

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 大型の辞書がほしい場合、『広辞苑』と『大辞林』どちらを選べば良いのかは大いに迷う。どちらも使い出のある良い辞書だからだ。知名度の高い定番の辞典ということであれば『広辞苑』が良いだろう。一方、自分の使う辞書に個性や情報量、あるいは新しさといったものを求めるのならば、『大辞林』がおすすめできる。

 「季節と言葉」「言葉の世界」「古典の世界」といった特集記事、図版が多く親しみやすい本文構成、それに科学関係の解説ならば、本書の方が『広辞苑』より少し詳しく説明している項目が多い。【朝永】【フェルマ予想】などを比べると違いがわかるだろう。また、「いろはうた」の全文や「赤穂浪士」の氏名はもちろんのこと、「小倉百人一首」をすべて収録している点は嬉しい。映画監督とその作品名について詳しいのも、この辞書の趣向だろう。ことばの辞典としては実用性を重視し、項目の説明は現代の意味から古語にさかのぼるようになっており、古語辞典にない江戸のことばも、編者が松村明であることから充実ぶりが期待できる。

 本書は愛用すればするだけ、それに答えてくれるような内容を持った辞書のひとつだ。

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紙の本怪奇小説傑作集 1

2002/01/27 06:45

寝るまえに楽しめる怪奇小説

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 入ってはいけない場所に足を踏み入れる。なにか得体の知れないものを手に入れる。してはいけないことをやってしまう。とかく怖い目にあう人間というのは、大抵そういう目に遭うだけのことをしでかしているのではないか——。本書に収録されている古典的な怪奇小説が安心して読めるというのは、皆そういった条理にのっとっているからだろう。読んで眠れなくなるような後味の悪い話はない。
 ひとくちに怖い話といってもさまざま。本書に収録されている短編もバラエティに富んでいる。
 美しい娘シャーロットを愛する者にだけ姿をあらわす幽霊の話「エドマンド・オーム卿」。せり市で手に入れた古本がぶきみなものをまねき寄せる「ポインター氏の日録」。三つの願いごとがかなうという猿の手のミイラが不幸を招く「猿の手」。精霊との禁断の交合により破滅する人間を描きだす「パンの大神」。社長の奇妙な使いで秘書が体験する訪問先での異様なできごと「秘書奇譚」など。短編全九話。

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紙の本賢者の石

2002/01/23 15:58

博識な著者ならではの奇抜なSF小説

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 「理屈ぬきのおもしろさ」という言い方があるが、この小説のおもしろさは、「理屈込みのおもしろさ」という点にある。本書はフィクションというだけではなく、おそらくコリン・ウィルソンの評論とも接点を持った作品でもある。したがって、この小説について説明する場合、主題をはっきりさせておいた方が話が早いだろう。
 『賢者の石』という小説は、次の問いに対する解答を描き出すために考案された「コリン・ウィルソンの実験装置」ともいうべき物語なのだ。

 「もし、私たちの認識能力を驚異的に発達させることができたらどうなるだろうか?」

 大脳生理学の研究の結果、人間の認識能力を飛躍的に高める方法を発見した主人公は、みずからの脳にその手術をこころみ成功する。高い思考能力と疲れを知らぬ探求心を手に入れた彼は、知的好奇心のおもむくまま、文学、オカルト、古代史など、さまざまな領域の探求に着手する。しかし、古代史の研究に深く入り込むうちに、彼は、人類の有史以前、地球上に君臨し人類を支配していた「ある存在」について知ることになる。

 この作品は、SF、ホラー、評論、科学解説書を1つにまとめたような小説である。一方、物語であつかわれている冒険は、主人公たちの行動よりも、むしろ知的領域での活躍に重点が置かれている。天才肌の主人公の思考を描くため、ひじょうに多方面にわたる話題をとりあげているが、歯切れの良い文章は分かりやすく、読んでいて気持ちが良い。話の中には実在の人物が数多くあげられ、事実と虚構がたくみに組みあわされているものの、かえって、そういった細部がこの作品のコクとなり、話の内容をいっそう興味深いものに仕立てあげている。
 1969年というのは、この小説が発表された年にあたるが、この数字はこの物語にとって事実と虚構をへだてる境界線の役割もはたしている。

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紙の本日本の異端文学

2002/01/23 15:46

闇の世界をのぞき込む

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 ぶきみなもの、異様なもの、ばかばかしいもの、死のけはいを感じさせるもの。異端文学ということばには、そういったものを連想させる響きがある。本書の中で著者は異端文学を、「文学それ自身を白眼視する文学である」と定義しているが、本文の中では、まさに冒頭にあげたような連想そのままのことが述べられている。キーワードのような語句をとりあげてみるだけでもそれは分かる。「人外(にんがい)」「肉体」「人獣相姦」「禁忌」「近親相姦」などなど。それはまさに、人間が持つ闇の世界をのぞき込むことにほかならない。
 本書では、そういった異端文学をめぐり、それぞれピックアップした作家の闇の中にスルスルと降下し、その作家と作品双方について内部世界の分析をおこなう。興味深く感じられたのは、中井英夫、小栗虫太郎、山田風太郎、橘外男、国枝史郎などの解説だ。中でも、異端中の異端にあげられている「橘外男の章」は圧巻。また、国枝史郎の作品分析には、その愛読者のひとりとして、大いに考えさせられる点があった。
 評論というのは、とかく分析の対象となっている作品よりつまらないことの方が多いが、本書は、そうはなっていない数少ない評論のひとつだ。

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紙の本わたしの渡世日記 下

2002/01/18 13:12

敗戦から結婚まで

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 高峰秀子さんは、5歳から映画の子役として働き始め、ろくに学校に通うこともできなかったという。しかしその文章は、実に自在で表現力にもあふれている。彼女は今でこそ立派なエッセイストとして認められているが、これを書いた当時、この自伝はゴーストライターの筆になるものと誤解されていたらしい。
 本書の表紙は、あの梅原龍三郎。「梅ゴジ」こと画伯との話もこの本に登場するが、ふたりの交流は『私の梅原龍三郎』という本で詳しく語られている。

 敗戦直後、映画人が回想する米兵の話には明るいものが多い。ステージで知り合った観客の日系兵士が、友人たちをバスに乗せ、オニギリを食べに彼女の家まで押し寄せた話もそんなひとつだろう。彼らのお礼は、米軍病院でのコレラとチフスの予防注射だったとか。

 下巻の写真は、彼女の20代前半から始まる。もう立派な大人の女優だ。仕事で知り合った名監督、小津安二郎、成瀬巳喜男など、それぞれに味わい深い逸話が語られているが、彼女にとっての最大の出会いは、やはり、木下恵介ではないだろうか。
 ある日、出演を受けた覚えのない映画の話が舞い込み、それを断ったことから、関係するプロデューサーの不正が発覚。くだんの映画の監督、木下恵介に相談を申し込んだところから、両者のつきあいは始まる。訪れた彼女に監督は、「そんなケチのついた仕事なんかやめちゃいなさい」そして「次はあなたのために脚本(ほん)を書きます。脚本が気に入ったら出て下さい」と言う。そうして誕生した作品が「カルメン故郷に帰る」。そして「二十四の瞳」では、木下恵介の下で助監督を務めていた松山善三氏と知りあい、やがて結婚することになる。
 「わたしの渡世」とは、もしかすると、養母との確執で家庭に恵まれなかったひとりの女性が、新たな自分の家庭を見つけだすまでの、長い放浪の旅だったのかも知れない。

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紙の本わたしの渡世日記 上

2002/01/18 13:05

子役から戦争まで

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 世の中には、本人の意志に関係なく波瀾万丈な生涯に生まれついてしまう人があるようだ。高峰秀子さんも、どうやらそんな方のひとりらしい。
 4歳で実母に死にわかれ、叔母の養女となり5歳で映画の子役となる。役者へのきっかけは、松竹撮影所見学のとき、養父がいたずらで子役のオーディションに幼い彼女を紛れ込ませたのが発端だったという。それ以来、わき目もふらず仕事に追われる毎日。彼女は友達もいない孤独で暗い少女時代だったと回想するが、本書の豊富なモノクロ写真は、どれも輝くような笑顔であふれている。
 映画俳優の自伝なので、戦前の錚々たる映画人との交流が興味深く語られているのはもちろんだが、そのほかにも、東海林太郎、谷崎潤一郎、新村出などが登場する。谷崎潤一郎を「谷崎ライオン」などと書いてしまうのは、高峰秀子さんならではの親愛と敬意の示し方なのだが、つぎのように書いてしまうところが楽しい。

 谷崎ライオンは、まるで校長先生の前に出た優等生の如く、お行儀よく両手を膝に置いて四角く座ったまま、「ハイ、左様でございます」「ハハーッ、同感でございますな、ハイ」などと新村博士に相槌をうちながら、カッと見開いた大きな目玉を正眼に据えて身じろぎもしない。(中略)「新村出という人は、こりゃ余程の大人物なんだな、ライオンが借りてきた猫みたいになっちゃったんだから」。

 谷崎潤一郎とともに訪問した新村博士は、あの『広辞苑』で知られる新村出のことだ。話はさまざまに脱線しながら、やがて戦争の時代に突入していく。そんな中での、助監督時代の黒澤明との淡い恋愛は、やがて短くせつない幕切れを迎えることになる。

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紙の本ダライ・ラマ自伝

2002/01/16 00:08

困難を乗り越える仏教の指導者

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 ダライ・ラマは言う。わたしにとって“ダライ・ラマ”とは、わたしが占めている職務を意味する称号である。わたし自身は一箇の人間にすぎず、たまたま、仏教僧たらんとする一チベット人なのだ。

 お告げに導かれ、ある農村へダライ・ラマ13世の生まれかわりを探しにきた一行は、無邪気な3歳の男児に驚かされる。身許を隠していた彼らを「セラ僧院のお坊さん」と呼び、持参していた13世の遺品を指し「それ、ボクんだ」と言ったからだ。小さな農家で平凡に育てられたラモ・トンドゥプは、一転、国の最高指導者ダライ・ラマ14世として、チベット国民から崇められる存在に奉られる。しかし、その前途には国王の栄冠といったものよりも、重い責任と苦悩、そして多くの困難が待ち受けていた。

 本書は、中国革命の干渉を受けながら、大きな歴史のうねりの中を生きた、ひとりの人間の半生の記録であり、同時に、チベットの文化への愛惜、それに育まれた宗教家みずからの思想を語ったエッセイでもある。
 ダライ・ラマの説く慈悲の心や輪廻転生の死生観は、ほがらかで馴染みやすいものだ。

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紙の本蝸牛庵訪問記

2002/01/09 03:18

幸田露伴とのこころ通う交流

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 正直に白状してしまうと、幸田露伴の書いたものはあまり読んだことがない。どちらかというと、多くの作品を読んだことのある幸田文さんの、こわいお父さんというイメージの方が強かった。ところが、小林勇氏の描く幸田露伴はずいぶん気さくで楽しい人だ。

 夏も終りに近い或る日の午後、二階の書斎に上っていくと、先生は釣の道具を室一杯にひろげていた。「先生、座敷で釣ですか」と私がいうと、「なにを悪口いうか」と笑った。
(中略)
 先生は釣道具をいじりながら、「君は忙しいかい」ときいた。私は「忙しいですね」と簡単に答えた。すると先生はもう一度「忙しいかね」ときいた。私は「どうしてですか」と反問した。「いや、なに、君がよければ釣に連れていってやろうと思うからさ」私は「釣のお供などご免ですよ」と答えた。先生はそれをきくと、むっとした顔をして、「わしは人から釣に連れていってくれと頼まれるが、みんな断わっている」

 このあと著者は先生(露伴)に説得され一緒に釣に出かけるのだが、道中のやりとりはやはり落語のような呑気さ。博学で知られる露伴も、酒が入り興が乗るとずいぶんいい加減なほら話をする。

 著者の小林勇氏は岩波書店の編集者だが、著者と編集者という関係や親子ほどの年の違いを越え、露伴とは非常に親しい間がらになる。本書は晩年の露伴と知りあうようになってから20年の歳月の交流を綴ったものだが、前半のユーモラスで牧歌的な雰囲気からやがて苦しい戦争の時代にむかう中、二人の絆は次第に深く太くなってゆく。戦争末期、思想犯として囚われた著者小林氏の留置場での拷問の日々、病床の露伴から届いた激励の手紙、敗戦、そして露伴の死。
 おそらくこの本には、幸田文さんも(また他の人も)知ることのできなかった、ひとりの友人(人間)としての幸田露伴の姿が、まれな才能を持つ人の手により描かれているように思う。

 「蝸牛庵というのはね、あれは家がないということさ。身一つでどこへでも行ってしまうということだ。昔も蝸牛庵、今もますます蝸牛庵だ」

 露伴のさりげないことばの数々が頭に残る。

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