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katuさんのレビュー一覧

投稿者:katu

209 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本棋神 中野英伴写真集

2007/12/12 23:28

将棋界の至宝

13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

表紙に続いて冒頭は羽生だ。現在の羽生そして若かりし頃の羽生。様々な表情を見せている。特に印象深いのは、屏風を背にして一人で写っている一葉だ。相手は席を外しているみえ、写真の中には羽生しかいない。大きな窓の外には広い庭が広がっている。羽生は前傾姿勢になってこんこんと読みふけっている。問題が難しければ難しいほど、解くのが楽しいといった風情だ。羽生は全くカメラマンを意識していない。完全に盤上没我の境地に至っている。この写真を見ると、この部屋には羽生以外には誰もいないのではないかという錯覚に陥りそうになる(では誰が写真を撮ったのか?)。それくらいカメラマンの中野英伴は自らの気配を消し去っている。

佐藤、森内とタイトルホルダーが続く。郷田もいるし、森下もいる。スーツで竜王戦に臨んだ島がいる。天を仰いで考えている丸山がいる(棋士はよくこのポーズをとる)。笑みを浮かべている藤井がいる(感想戦でのひとコマか)。もちろん、オールドファンに嬉しい写真もある。若い頃の中原対米長の盤側に升田幸三がいる写真は貴重だろう。頭をかきむしる米長がいる。「棋界の太陽」と呼ばれた頃の中原がいる。「神武以来の天才」加藤一二三のネクタイは相変わらず長い。その加藤を破って史上最年少名人になった谷川がいる。剃髪の森がいる。名人戦で中原をあと一歩まで追いつめた大内がいる。「端然」という表現がピッタリの桐山。老いてなお元気な有吉。眼光鋭き田中(寅)、南、青野。「受ける青春」中村修。昼食休憩中か、誰もいない対局室で指に煙草を挟んで立ち、相手側から盤を見つめる石田。盤の前で迷子の少年のような顔をしている村山聖。相手をにらみつける日浦。般若の形相の佐藤紳哉。深夜にまで及ぶ対局のせいか髭の伸びた先崎。対局室で羽生を待つ渡辺明。そして最後は巨人大山康晴。

色を抑えたモノクロ写真だからこそ、棋士の思考が写真からにじみ出てくるようだ。主役はもちろん中野英伴の写真だが、脇へ回った大崎善生の文章も味わい深い。その大崎の文章によれば、勝浦修九段は弟子を励ます時に「中野英伴に撮られるような棋士になれ」と言ったという。「中野英伴に撮られる」ということは、即ちタイトル戦に出場することを意味している。この写真集には巻末にその写真がどの対局のものであるかの詳しいリストがある。それによればここに収められている写真の全てがタイトル戦というわけではない。よって、かなりの若手の写真も収録されている。写真が掲載された棋士はみな嬉しいと思うが、若手棋士は特に嬉しいだろう。

1ページ目から一枚、一枚じっくりと堪能した。全て見終わった後は何やら陶然とした心持ちになった。それから今度は大崎善生の文章を読み、巻末のリストと照らし合わせて往時を偲んだ。この写真集は将棋界にとって、棋士にとって、そしてファンにとって「至宝」と言ってもいい一冊になるだろう。


k@tu hatena blog

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生きることについて語るときに村上春樹の語ること

13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

村上春樹が「走ること」についての本を出すらしいという話はずいぶん前から色々なところで目にしてきた。折に触れては、そういえば例の本なかなか出ないなと思っていた。それがこうして無事に一冊の本として結実したことは、いちファンとして嬉しい限りである。

しかも、前書きや後書きにも書かれているように、これは単なる「走ること」にまつわるエッセイではない。「走ることについて書くことは、僕という人間について(ある程度)正直に書くことでもあった」というように村上春樹の一種の個人史(メモワール)にもなっているのだ。

2005年8月のハワイ州カウアイ島滞在から始まり、見かけ上は、2005年の11月に行われるニューヨーク・シティー・マラソンに出場するために日々どのようにトレーニングを積んできたかという日記のような体裁がとられている。一方で、いつから自分は走り始めたのかを振り返るとともに、いつから自分は小説を書き始めたのかを振り返ってもいる。村上ファンであればおなじみの話も多いが、それでも村上春樹本人がここまで自分のことを振り返った文章を書いているのは珍しいのではないだろうか(ずいぶん昔に出た「村上春樹ブック」というムックに<自作を語りつくしたロング・トーク決定版>というのがあるが、これは聞き書の体裁をとっている)。

「1に足腰、2に文体」を標榜しているだけあって、村上春樹においては走ることと書くことが密接につながりあっている。走ることによって得られた経験則が書くことに応用され、人生哲学にまで敷延されてゆくのだ。走ることそして書くことは、すなわち生きることでもあり、結果としてこの本には村上春樹がどのように生きてきたのか(そして今後生きていくつもりなのか)が書かれている。この「生き方指南書」のような本にはいくつもの素晴らしいフレーズがある。例えばこんな一節。

「結局のところ、僕らにとってもっとも大事なものごとは、ほとんどの場合、目には見えない(しかし心では感じられる)何かなのだ。そして本当に価値のあるものごとは往々にして、効率の悪い営為を通してしか獲得できないものなのだ。たとえむなしい行為であったとしても、それは決して愚かしい行為ではないはずだ。僕はそう考える。実感として、そして経験則として。」

私はこの文章にとても勇気づけられる。「文化的雪かき」のような仕事を日々コツコツこなしていく毎日だが、こういう文章を読むと何だか報われる気がする。自分のやっている(やってきた)ことは決して間違ってはいないんだと。
ランナーとしての村上春樹は必然的に年齢的な壁に突き当たる。具体的に言えば、フルマラソンのタイムが徐々に悪くなっていくのだ。しかし村上春樹は決して「老い」を否定的には捉えていない。この「老い」に対する考え方というか構え方も、中年以上の人たちにとって(私もそこに含まれる)有用な指針の一つになるだろう。

本書は一応書き下ろしであるが、ところどころに過去に発表した文章が挟み込まれている。また本書のタイトルは、もちろん、レイモンド・カーヴァーの『愛について語るときに我々の語ること』を下敷きにしている。カーヴァー夫人のテス・ギャラガーの許可を得ているそうだ。カーヴァーの全作品を翻訳している村上春樹ならではのタイトルと言えるだろう。

k@tu hatena blog

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紙の本意味がなければスイングはない

2005/12/04 01:57

やはり長めのエッセイは読み応えがある

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

今回は音楽を題材にした長めのエッセイであるが、何を対象にして書いても相変わらず文章が上手いなというのが一読しての感想だ。
取り上げられているのは、シダー・ウォルトン、スタン・ゲッツ、シューベルトのピアノ・ソナタ、ブルース・スプリングスティーン、ビーチ・ボーイズ、ルドルフ・ゼルキンとアルトゥール・ルービンシュタイン、スガシカオ、プーランクの音楽、ウィントン・マルサリス、ウディー・ガスリーと、かなりマニアックな内容になっている。私にとっては半分以上が知らない人なのだが、伝記を読んだ村上春樹がそれを上手に噛み砕いてダイジェスト版として紹介してくれているので、村上春樹がその人たちの音楽をどのように愛好しているのかということと共に、そのミュージシャンたちの半生を知ることもできて一石二鳥である。

ブルース・スプリングスティーンの章では印象深い一節があった。

ブルースとしては前作『ネブラスカ』のあまりにも荒ぶれた個人性の反動として、いくぶんリスナー・フレンドリーなアルバムを出したいという思いがあったのだろうが(当然な思いだ)、結果的にいくぶん針が右に振れすぎたところがある。まさかここまで売れまくり、ここまで社会現象化するとは、ブルースもランドウも予期しなかったのだろう。そしてその予期せぬぶれはブルース・スプリングスティーンの人生に、少なくともしばらくのあいだ、陰鬱な影を落とすことになった。

これは内容を誤解されたまま売れまくった「ボーン・イン・ザ・USA」について書かれたものだが、これを読んで何か思い出さないだろうか。そう、『ノルウェイの森』である。リアリズム小説を書きたいという思いのもとに書かれた『ノルウェイの森』も著者の予想に反して売れまくり、社会現象にまでなり、しばらくのあいだ村上春樹に陰鬱な影を落とすことになったのだ。そんなことを考えながら読んでいくと、最後の一節が胸に沁みる。

というわけで、僕はブルース・スプリングスティーンという同年齢のロックンロール・シンガーに対して、あつかましいとは思うものの、つい密かな連帯感を抱いてしまうことになるのだ。

やはり村上春樹の長めのエッセイは読み応えがある。長めのエッセイといえば、『やがて哀しき外国語』もそうだ。そしてその中に収録されている「誰がジャズを殺したか」はかなり本書との関連も深く、特にウィントン・マルサリスの章の基にもなっている。合わせて読んでみることをお勧めする。余談だが、この「誰がジャズを殺したか」の後日附記が『東京奇譚集』の「偶然の旅人」の冒頭にも繋がっているのだ。

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紙の本千年の祈り

2007/08/18 16:47

新たなる才能

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者のイーユン・リーは1972年、北京生まれ。そのリーが英語で書いて2005年にアメリカで出版されたのが本書である。本書は第一回フランク・オコナー国際短篇賞受賞他数々の賞に輝いている(ちなみに第二回のフランク・オコナー賞受賞者が村上春樹である)。

英語で小説を書くアジア系の作家の活躍はもはや一つの大きな潮流になりつつある。インドのジュンパ・ラヒリしかり、タイのラッタウット・ラープチャルーンサップしかり。きっとこれからも続々と登場してくることだろう。

本書には表題作を含めて10の短編が収録されている。北京大学を卒業後渡米し、アイオワ大学で学んだ著者の体験を踏まえたと思われる作品が多いが、小学生の男の子に恋をすることになる林(リン)ばあさんを描いた「あまりもの」や代々宦官を宮廷に送り続けてきた町の物語である「不滅」など、体験だけにとどまらないバラエティも備えている。

そんな中で私が一番好きな作品は、ミス・カサブランカと呼ばれる独身教師とその玉子売りの母の物語。邦題は「市場の約束」であるが、原題は「Love in the Marketplace」である。主人公の三三(サンサン)には結婚を約束した土(トウ)という男性がいたのだが、この土は旻(ミン)という三三の友人と結婚してしまい今はアメリカにいる。実はこの結婚は旻をアメリカに行かせるための策略としてのものだったのだが(しかるのちに土は旻と離婚して中国に戻ってくるはずだった)、土は三三との約束を破りそのまま旻とアメリカで暮らし続けてしまったのだ。その土が10年たった今頃になって旻と離婚して中国に帰ってくるという。三三の母親は土のことを許して土と一緒になるべきだと三三を諭す。しかし、三三には三三の「まもるべき約束」がある。今さら土と結婚など出来ない。そんな折り、市場にある男がやってくる。この男こそ「約束とは何かを知っている人」だったのだ。

ラストはやや唐突な感もあるが実に鮮烈だ。最後の2行には思わず息を呑んだ。イーユン・リーには、一本筋の通った信念があることがこの作品から如実に伺われる。

ジュンパ・ラヒリやラッタウット・ラープチャルーンサップに比べると、イーユン・リーの作品には自身が生まれ育った中国という国への感情(正・負いずれも)が色濃く現れている。次回作は文化大革命後の中国を舞台にした作品だそうなので、きっと祖国を正面から見据えた作品になるのだろう。


k@tu hatena blog

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紙の本八日目の蟬

2007/05/05 11:56

どうしようもなく角田光代的でありながら、遥かに進化した作品

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『対岸の彼女』を読んだ時に、もうしばらく角田光代の本を読むのはよそうと思った。どの本を読んでも内容が似たり寄ったりだからだ。直木賞受賞後、次から次へと新作が発表されたが、触手が動かされることなく2年が過ぎた。そして本作の「不倫相手の夫婦の赤ちゃんを誘拐して逃亡する話」というあらすじを知って、ようやく読む気が起きた。

あらすじを知った時に思い出したのは桐野夏生だ。ちょうど今『メタボラ』も刊行されているが、どちらも新聞小説で、どちらも名前を変えて逃げながら転々とする話である。海が近い土地が主舞台になっているのも似ている。もっとも『メタボラ』の方は主人公が記憶喪失であるという点が違っているけれども。

「逃亡劇」というのは新聞小説にはうってつけだっただろう。単行本で読んでも、主人公の野々宮希和子が薫と名づけた子供とともに首尾よく逃げおおせることが出来るのかハラハラした。そして、子を持つ親としては読んでいて胸が苦しくて苦しくて仕方なかった。それは子供を誘拐されてしまった親の気持ちになったからではなく、希和子の「どうか一日でも長く薫と一緒にいさせて」という祈りにも似た願いに胸が苦しくなったのだ。

ラストで希和子が逃亡中の小さな出来事を思い返すシーンがある。その時に、希和子と薫との日々が本の中のエピソードなのにまるで自分の記憶の断片のように頭に焼き付いていることに気付いて愕然とした。そしてそのエピソードの1つ1つを思い出していくと涙がこぼれそうになった。

私は『対岸の彼女』を読んだ時に、今後は「自分の体験とは遠く離れた、まったくの作り話としての小説を書けるようになって欲しい」と願った。角田光代はそれを見事に具現して見せてくれた。しかし、この本は桐野夏生の書くようなサスペンスではない。角田光代が主戦場とする「家族」の話である。逃亡先である、名古屋でも奈良でも小豆島でもかたちを変えて家族とは何なのかを問い掛けてくる。

どうしようもなく角田光代的でありながら、『対岸の彼女』からは遥かに進化した作品がここにはある。

k@tu hatena blog

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紙の本東京奇譚集

2005/09/20 01:31

さすが!村上春樹

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『アフターダーク』は個人的にはイマイチだったのだが、今回の短編集は「さすが」と唸ってしまった。『新潮』掲載の4篇に書き下し1篇を加えた5篇からなっている。
例えば冒頭の「偶然の旅人」。ジャズにまつわる村上春樹の体験談をマクラに、ゲイの調律師が体験する不思議な物語が綴られているのだが、非常にスタイリッシュでありながら、心の深いところを打つものがある。
読みながら、この短篇が英訳されて、ニューヨーカーなどの海外の雑誌に掲載されているところを想像してみた。全く違和感がない。間違いなく海外の読者にも受け入れられるであろうと自信を持って思える(私が自信を持っても仕方がないのだが)。要するにインターナショナルレベルの作品なのだ。
(なんと「収録作品の「偶然の旅人」と「どこであれそれが見つかりそうな場所で」は、すでに英訳がHarper’s Magazine (7月号)、The New Yorker(5月2日号)に掲載されて」いることを後から知った!)
今回の5篇には、みな何かしらの「心の闇」を抱えた人物が出てくる。しかし、もちろん話自体は決して暗いものではない。特に書き下ろしの「品川猿」は村上春樹特有のユーモアにニヤリとすることしばしばだった(「やみくろ」とか「かえるくん」とか村上春樹はこの手のキャラクターがホント好きだよな)。
世界でも一流のストーリーテラーの一流の作品集と言っていいだろう。
k@tu

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紙の本休暇はほしくない

2005/07/04 02:52

スタンリー・ヘイスティングズものはやっぱり面白い

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

待望のスタンリー・ヘイスティングズものの最新作なのだが、なんと表紙のイラストが江口寿史から朝倉めぐみに変わってしまっている。江口寿史のイラストが大好きだったので、これはショックだった。
それはさておき、今回は舞台がいつものニューヨークではない。息子のトミーがサマーキャンプに行ってしまったので、妻のアリスとともに避暑地に旅行に行ったのだ。そこで殺人事件に巻き込まれるのは、まあいつものことである。原題が“Cozy”というだけあって、コージーミステリーのコードに従って話は進んでいく。つまり、アガサ・クリスティーのミス・マープルもののような感じと言ったらいいんだろうか。「ブルー・フロッグ・ポンド」というホテル(B&B?)内で殺人が起こり、料理のレシピが出てきたり、犬や猫やカエル(?)が出てきたりする。
例によって、一応私立探偵のスタンリーが事件に首を突っ込んで、なんだかんだで解決まで持って行くのだが、スタンリー・ヘイスティングズものの場合、謎解きはあまり重要ではない。むしろ会話や雰囲気を楽しみたい。実際私は「ブルー・フロッグ・ポンド」のことをホテルだと言い張るアリスとB&Bじゃないかと抵抗するスタンリーのやりとりが一番面白かった。
k@tu

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紙の本赤めだか

2008/04/22 02:45

文句なしに面白い。今年の出版界の収穫と言ってもいいだろう。

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

目黒考二が帯にこう書いている。

「立川談春のエッセイというか自伝というか青春記というか、あのページが早く単行本にならないだろうか。あらゆる雑誌の中でいまいちばん面白い」

ずいぶん大袈裟だなと思うでしょ。ところがこれが大袈裟じゃないんだな。開口一番の「本当は競艇選手になりたかった」に続く一節を読んだだけで一気に引き込まれた。落語が上手いのは知っていたが、ここまで文才があるとは思わなかった。
17歳で高校を中退して談志に弟子入りしてからの修行時代が実に色鮮やかに描かれている。先日の「談志特番」を見ていたのでネタが割れちゃってる話もあったが、あれを見ておいたおかげで随分と情景が頭に浮かぶ箇所もあった(談志が料理するところや、二ツ目昇進試験のところなど)。
落語ファンなら200%楽しめるし、そうでない人も必ずや楽しめると思う。笑えて、泣けて、いい話もタップリ。この本は今年の出版界の収穫と言ってもいいだろう。

k@tu hatena blog

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紙の本宿澤広朗 運を支配した男

2007/06/18 21:58

努力は運を支配する

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私には、人となりはよく知らないが、一方的に尊敬している人が二人いる。一人は若島正で、もう一人が宿澤広朗である。どちらも天がニ物を与えた人物だ。

私はラグビーファンだが、宿澤が現役の頃はもちろん知らない。しかも残念なことに宿澤が日本代表の監督を務めてスコットランドから大金星を奪った試合も観ていない。ただ、スコットランド戦は勝ちに行くと宣言し、その宣言通り勝利した宿澤が試合後のインタビューで「お約束通り勝ちました」という名言を吐いたのはあまりにも有名だ。

日本代表の監督をしたり、NHKでラグビーの解説をしたりしている宿澤が住友銀行でも要職に就いていると知った時は大層驚いた記憶がある。なぜそんなことが可能なのか不思議でならなかった。

私はラガーマンとしての宿澤はある程度知っていたが、銀行マンとしての宿澤のこはまるで知らなかった。著者の加藤仁はラガーマンとしての宿澤よりもむしろ銀行マンとしての宿澤のことを丹念に取材している。日本代表としてプレーし、日本代表の監督まで務めた宿澤は銀行内の出世街道においてもある程度のアドバンテージはあった。但し、名声や運だけでは巨大銀行での出世は覚束ない。「努力は運を支配する」という言葉が宿澤の信条だった。傍目からは運良く出世して行ったように見える宿澤だが、負けず嫌いの性格ゆえ、裏では人一倍の努力をしていたのだ。ラグビーなんかやっているから、銀行での仕事がおろそかになるなどと思われるのはもってのほかだったようだ。

私は単に宿澤広朗という人間の人となりが知りたくて本書を手に取ったのだが、銀行での宿澤の言動はビジネスマンの手本というにふさわしい。頭取の一歩手前まで昇り詰めた宿澤のビジネス手法には見習うべき点が沢山ある。本書は優れたビジネス書でもあるのだ。

享年55歳。ノーサイドの笛はあまりにも早すぎた。彼が生きていれば、ラグビー界や金融界は今とは違っていたような気がする。本当に残念でならない。

k@tu hatena blog

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紙の本家日和

2007/04/16 22:43

やっぱり家族っていいよね

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「家」を舞台にした短篇集。ネットオークションにハマっちゃう奥さんや、会社が倒産して妻が働きに出たので専業主夫になった旦那さん等々が登場する。中でも私が一番面白かったのは「家(うち)においでよ」という作品だ。

主人公が妻と別居することになり、妻が自分の家財道具一切を持って出て行ってしまったところから話は始まる。カーテンもソファも持って行かれてしまったので、とりあえずカーテンを買いに行く。ここから図らずも「男の隠れ家」づくりが始まるのだ。カーペットや本棚を買い、高価なオーディオセットも迷った末に買ってしまう。何せマンションを買おうと思っていた資金があるのだ。そんな中、ソファだけはなかなか気に入ったものが見つからないのだが、ついに中古の家具店での「出逢い」を経てソファも手に入れた。

男なら誰でも自分の好きなものに囲まれた自分だけの部屋を持ちたいと思うだろう(女性もそうか)。主人公が金に糸目をつけずに本棚やオーディオセットを買い揃えていく様は読んでいて非常に羨ましかった。私も自分の部屋もどきをプチ改装して自分仕様にしてあるのだが、この程度では物足りない。私の夢は一人掛けのソファを買うことなのだ(一人掛けのソファってなんだか贅沢だよね)。当然革製で固すぎず柔らかすぎずのものがいいね。サイドテーブルを置いて、エスプレッソを飲みながら本を読んだり、ワインを飲みながらDVDを観たりするのだ。まあ、夢かね。

主人公の部屋はあまりに居心地がいいので会社の同僚たちの溜まり場と化し、その友人の一人がこう漏らす。

「おれ、思うんだけど、男が自分の部屋を持てる時期って、金のない独身生活時代までじゃないか。でもな、本当に欲しいのは三十を過ぎてからなんだよな。CDやDVDならいくらでも買える。オーディオセットも高いけどなんとかなる。けれどそのときは自分の部屋がない・・・」

この辺のリアルなセリフは奥田英朗の真骨頂だ。最後は別居中の奥さんと仲直りしそうな雰囲気で終わる。すべての短篇がほのぼのとしたラストではないが、ほのぼの系のラストが多い。読んでいて、ああ家っていいな、家族っていいなと思わせてくれる。奥田英朗らしい短篇集で、読後の満足感はかなり高いね。

k@tu hatena blog

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紙の本冷血

2006/09/21 11:43

40年経っても全く色褪せないノンフィクション・ノヴェルの金字塔

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

村上春樹の文章などを読むにつけ、いつかは『冷血』を読みたいとは思っていた。映画『カポーティ』でフィリップ・シーモア・ホフマンがアカデミー主演男優賞を受賞し、新訳の『冷血』が文庫化された今、条件は完全に整った。

一家4人惨殺事件というショッキングな事件を扱ってはいるが、現代においてはもっとショッキングな事件はいくらでもあるので、ハナから事件性そのものに興味はなかった。では何に興味があったかというと、この作品で確立されたという「ノンフィクション・ノヴェル」という手法である。

とにかく構成が緻密で、どこまでも執念深く犯人たちの行動を追い続ける。それでいて犯人たちに向けられた視線は限りなく冷静だ。殺された家族の描写や村人たちの描写にも1ミリも手を抜いていない。犯人たちが盗んだ車で逃避行をしているときに、ヒッチハイクをしていた少年と瀕死のおじいさんを拾うくだりがある。本筋には関係のない実に小さなエピソードだが、私には実に印象深かった。このような小さなエピソードの積み重ねが本書に深みを与えているのは間違いない。

桐野夏生の『グロテスク』や『残虐記』も『冷血』の系譜に連なる作品だと思うが、本書は40年経った今読んでも全く古びておらず、その文章は少しも色褪せていない。「ノンフィクション・ノヴェルの金字塔」と呼ばれるのもうなずける。
映画『カポーティ』は9月30日から公開される。予定通り映画の公開前に小説を読み終えた。今は、映画『カポーティ』の公開がひたすら楽しみである。

k@tu hatena blog

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紙の本泥棒は深夜に徘徊する

2007/10/24 19:09

とにかく洒落たミステリー

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ご存知泥棒探偵バーニイ・シリーズ。相変わらずの面白さだ。会話を中心としてとにかく色々な面で洒落てるんだよな。日本の小説にはなかなかこういうのがない。

いきなり話は逸れるが、これを読んでいる時にずいぶん久し振りにラフロイグを飲みたくなって飲んだ晩があった。すると翌日バーニイがバーでラフロイグを飲む場面に遭遇した。本を読んでいると時々こういう偶然があるから楽しくなる。

「最初の一口を舌にのせて私は思った。"そう、これこそラフロイグだ。まさしく。どんな味か忘れてたけど、これがそうだ。どこにいようと、ぼくにはわかる"。少し間を置いて二口目を口にふくむと、この味をどう感じていたか思い出すことができた。これが嫌いではなかったことがはっきりした。五度目に口をつけたあたりで、なじみの効果が表われた。その味に慣れ、ほんとうにそれが好きなのかどうかなどという問いかけは、もはや適切なものではなくなった。言ってみれば、いとこのようなものだ。"おいおい、あいつはおまえのいとこじゃないか。なのに、どういうことなんだ。あいつが好きじゃないっていうのは? 好きも嫌いもあるものか。あいつはあんたのいとこじゃないか!"。」

ラフロイグとはアイラ島産のシングル・モルトで独特というか強烈な味がする。人によっては「薬かよ、これ」と言うかもしれない。アイラ島のシングル・モルトについては村上春樹の『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』に詳しい。村上春樹もバーニイと同じようなことを書いている。

「一くち飲んだらあなたは、「これはいったいなんだ?」とあるいは驚くかもしれない。でも二くち目には「うん、ちょっと変わってるけど、悪くないじゃないか」と思われるかもしれない。もしそうだとしたら、あなたは — かなりの確率で断言できることだけれど — 三くち目にはきっと、アイラ・シングル・モルトのファンになってしまうだろう。僕もまさにそのとおりの手順を踏んだ。」

ミステリーとしては、結末が無理やり過ぎて褒められたものではないが、バーニイ・シリーズの良さはもっと他のところにあるので別に構わない。読んでいる間中、楽しい時間を提供してくれた。

k@tu hatena blog

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紙の本トロイメライ

2007/10/18 09:35

『トロイメライ』は『バベル』を超えたか?

8人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2作目よりも更に完成度が高くなっている。島田虎之介恐るべし。3作目でも類い希なるストーリーテラー振りは健在だ。主人公は前作『東京命日』にも登場した調律師の戸田ナツ子。あらすじは、解説の村上知彦氏の文章を引用させて頂く。

「語られるのは「ヴァルファールト」と名づけられた一台のピアノの運命である。20世紀初頭のカメルーン、1965年のジャカルタ、1980年代前半のイラン・イラク国境。それらの場所から時空を越えて、登場人物たちは2002年、サッカー・ワールドカップに沸く日本の東京・浜松・中津江村へと召喚される。
前2作に比べれば、ストーリーラインは明確だ。ドイツ人によって蹂躙された精霊の木で造られたピアノにかけられた呪いを解く使命を帯びて、カメルーン代表チームとともに日本に降り立つ呪術師の孫マンベ・マンベ。彼の聖なる木=ピアノ探索の旅は、同時に、そのピアノがたどった歴史と運命がもたらした、すべての悲劇にとっての救済でもある。」

島田虎之介のマンガが映画的であることもあって、読んでいてアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の『バベル』を思い出していた。全世界に散らばっている一見関係のない人々があるきっかけを元にして一つに収束していくという構造がよく似てるんだよね。でもって、私には本作の方が『バベル』よりも面白かった。

第一話冒頭のシーンと最終話のラストシーンとの繋がりはそれこそため息が出るほど素晴らしい。「トロイメライ」という譜面のタイトルに付いていた血痕がラストシーンではきれいに無くなっている。ここに全てが救済された証がある。

k@tu hatena blog

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紙の本観光

2007/05/12 01:55

注目のタイ出身作家!

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

少し前から英語で作品を書くアジア系の作家が注目されている。カズオ・イシグロしかり、ジュンパ・ラヒリしかり。そしてこのタイ出身のラッタウット・ラープチャルーンサップは若干25歳で本書にも収録されている「ガイジン(Farangs)」を発表した。小説の巧拙に年齢は関係ないのかもしれないが、「この若さで!」と思うほど抜群に巧い。

「ガイジン」から「闘鶏師」まで7つの短編が収められている(「闘鶏師」のみ少し長い)。どの作品もタイが舞台になっており、タイの風俗や生活が実に瑞々しく、そして生々しく描かれている。行ったことのない土地の自分たちとは違う生活の話というのは、それだけで実に興味深いものだ。例えば、『世界の果てのビートルズ』(ミカエル・ニエミ)で描かれたスウェーデン北部の特にサウナの話とかね。日本やアメリカが舞台の小説ばかり読んでいる身にはやけに新鮮に感じられる。但し、この著者の場合は、ただ単にタイの風俗や生活を面白おかしく書いているだけではない。

最初の5編は少年(青年)が主人公である。おそらく主人公たちは著者の分身であろう。「ガイジン」の主人公はアメリカ人の父とタイ人の母の間に産まれた混血児で、観光に来ているアメリカ人の女の子ばかりに恋をしてしまう。「カフェ・ラブリーで」の少年は兄に連れられていったいかがわしい酒場で大人の世界を垣間見る。親友と共に徴兵抽選会に行く「徴兵の日」の主人公は、親友に対する裏切り行為に悩み、「プリシラ」の主人公はせっかく仲よくなったカンボジア難民の女の子との辛い別れを経験する。表題作でもある「観光」では視力を失いかけている母親と旅行に出かける大学入学前の青年が主人公だ。

どの作品も哀感が溢れていて素晴らしいのだが、これだけであれば自分の体験を元にして書いたのかなと思える。ところが「こんなところで死にたくない」の主人公は、タイ人の女性と結婚した息子と暮らすためにタイにやってきたアメリカ人の老人なのだ。そして最後の「闘鶏師」では闘鶏によってすべてを失おうとしている父親を見守る娘が主人公。この2編によって私の中でのこの著者の評価は格段に上がった。この若さでこれだけの人生の機微や人の心情を描けるのは只者ではない。

ラッタウット・ラープチャルーンサップは、現在イギリスの大学で学びながら長編を執筆中とのことだ。ジュンパ・ラヒリの『その名にちなんで』を凌ぐような傑作をものするような気がする。期待したい。

k@tu hatena blog

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とりあえず試してみよう

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毎年夏場はビールの摂取量が増えるので少しお腹が出る。でも今年は例年よりも出っ張り具合が大きかった。「お腹が張ってるだけだよな」と無理にごまかしていたが、空腹なのにお腹が出ていたらごまかしようがない。涼しくなってビールの摂取量が減り、腹筋でもすれば戻るだろうと思ったのだが、これがなかなか戻らない。何とかせなあかんなと思っていたが、ビリーはきつそうだし、岡田斗司夫の『いつまでもデブと思うなよ』で提唱されているレコーディング・ダイエットは、いちいち食事を記録するのも面倒だし、大体何が何カロリーあるのかなんて分からない。そんなときに朝日の朝刊の「ひと」の欄で北折一が紹介されているのを読んで、本書および「計るだけダイエット」のことを知った。

食事の記録やカロリー計算は不要で、一日2回朝と夜に体重を計るだけでよいというのにまず惹かれた。そして著者の主張である、モテたいとか知的に見られたいとかお洒落したいとかではなくて、死なないためのダイエットというのにも共感できた。私は別にそれほど肥満体形ではない。ただ、お腹をひっこませたいだけなのだが、そういう隠れ肥満こそ突然死の恐れがあるという本書の指摘を読んで恐ろしくなった。妻子ある身で突然死するわけにはいかないというのは著者の思いと同じだ。

前半は、突然死の恐ろしさや今までのダイエット法の誤りが説明されており、後半に「計るだけダイエット」の具体的な方法が説明されている。と言っても、要は一日2回朝と夜に体重を計るだけなのだ。但し、細かい単位まで計れるデジタルの体重計を用意する必要がある。そうしないと体重の細かい増減が分からないからだ。あとは計った結果をダイエットシートに記入していき、ちょっとずつでも減っていくと嬉しいから、自然と食べる量を調節するようになるはずだという寸法である。ダイエットシートはサイトからダウンロードできるようになっている。

理論は非常にシンプルだ。後は続けるためにはどうしたらよいかのアドバイスがいくつかある。「お腹が出ている状態で腹筋しても効果はない」なんて指摘もあり、やはりそうかとうなだれてしまった。
実はもう50gまで計れるデジタル体重計を購入した。あとは実践あるのみである。果たしてどうなるか。自分でもちょっと楽しみだな。

k@tu hatena blog

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