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  2. レビュー
  3. Leonさんのレビュー一覧

Leonさんのレビュー一覧

投稿者:Leon

85 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本チェンジリング・シー

2009/01/12 22:30

「人魚姫」異聞

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

漁師であった父親が海難事故で行方不明になって以来、ペリは母親のもとを離れ、村の酒場で働いている。
夫の死を受け入れられず、空虚な日々を送るだけの母と暮らすことに居た堪れなくなったのだ。

村外れで呪いなどを行う老婆の家に居候するようになったペリは、見よう見真似で覚えた呪いを海に放つ。

-二度とわれらの世界から物も人も奪えぬように-

すると、海中から竜に似た巨大な怪物が現れ、その首には何処から繋がったものか、黄金の鎖が嵌められていた。

海竜の出現は村の人々を驚かせたものの、漁のために海へ出てくる人々を興味深く見つめるだけと知ってからは金の鎖に注目し、それを手に入れるために力のある魔法使いを探し始めたのだが・・・

地上の世界に馴染めず、海への回帰を希う王子キールは、父王と「海の中の王国」の女性の愛の結晶なのだが、王が結婚相手として選んだのは人間の娘。

「人魚姫」のような出来事が過去の背景にある中で、王の変心に対する怒りに任せて行われた取換え子が、時を経て息子のキールや彼に恋をしたペリにも苦しみを与えるという因果が読みどころ。

当然、王のもう一人の息子も登場するが、長い間放置状態にあったため、キールと同年齢であるにも関わらず幼児めいた純真な萌えキャラに成長し、表紙買いした読者であっても満足する部分は多そうだ。

タイトルから取換え子が扱われることは容易に想像できたが、読み進めるうちに、海も妖精郷に劣らない伝承の宝庫であることを再認識させられた。

また、海に還ろうとしても還ることの出来ないキールの様子に、読者は直ぐにその原因に思い当たるのだが、作中の人々にとっては結末まで謎のままというアイロニーも心憎い。

キールの生れ故郷である海に対する憧憬はペリに対する気持ちよりも強く、哀しい結末を予感させるものの、実際にはハッピーエンドが待っている。

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紙の本テメレア戦記 2 翡翠の玉座

2009/01/08 21:40

絆は試されて強くなる

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

中華帝国は、テメレアの所有権をめぐり皇子の一人を代表とする使節団をロンドンへ送り込み、強い調子で抗議してきた。

イギリス政府は、当初から交渉に引け腰で、テメレアの返還についても積極的なのだが、当のテメレアがローレンスと引き離されることに納得しない。

嫌がるドラゴンをイギリスから中国まで輸送することは、二つの大国の力をもってしても極めて困難なのだ。

結局、ローレンスと空軍クルーが同行するという条件で納得したテメレアを乗せ、長い船旅が始まる。

船上では、中国の使節団、特にヨンシン皇子がテメレアの好意を得ようとあれことれと画策し、イギリス側の若手外交官ハモンドはテメレアを交渉の切り札と考えてこれに対抗するためローレンスを利用しようとする。

テメレア自身は中国行きにこそ賛同したものの、ローレンスと離れて中国に残るつもりはないのだが、寄港の都度に見かける黒人奴隷の姿に、イギリスにおけるドラゴン達の立場を重ね合わせるようになり、中国におけるドラゴンの自由な暮らしぶりを知った後は、ますます疑念を強めていくのだった・・・

前巻では卵から孵化したテメレアとローレンスが次第に結びつきを強めていく様子が描かれだが、本作ではその絆の強さが幾度も試される。

冒頭、軍の上層部からテメレアに中国行きを説得するよう求められたローレンスは、真っ向から反抗して自らの地位を危うくさえするが、軍人として長らく命令に服従し、また服従させることに慣れてきた彼にとっては異常な対応と言える。

本来、皇帝と皇子にのみ所有を許されるセレスチャル種であるテメレアに対し、中国使節団の対応は貴人に対するそれと同じで、生肉を与えて良しとしているイギリスとは異なり、贅を凝らした料理をはじめとした極上のもてなしが供される。

中国に到着してもそれは同じで、さらにテメレアが実母や若く可愛らしい雌ドラゴンのメイと取り合ってからは、ローレンスとともにテメレアの心変わりを心配してしまった。

しかし、長い旅を通じ、ドラゴンの自由意思というものについてテメレアとローレンスが同じ考えを持つに至ったことにより、二人の結びつきはこれまで以上に強固になったようだ。

前巻では欧州各地ではローマ時代から多数のドラゴンが軍役に就いてきたという設定に一種の哀しさを感じたが、シリーズを通して現実の歴史をなぞっている部分もあるため、今後はナポレオン戦争後の秩序回復の流れの中で、ドラゴン達の解放が描かれるのかも知れない。

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歌+魔術=歌術

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

3つの月を持つ世界トレマリスの山岳地帯、小国アンタリスの巫女たちは古より伝わる氷の歌術によって国堺に沿って氷の壁を築き、外界から遮断された平和な暮らしを営んでいる。
壁の維持を目的として年に9度行われる<強めの日>の儀式のため国境に赴いた見習い巫女のカルウィンは、壁の内側で、そこに居るはずのない余所者の男が倒れているのを見つけた。

男は足に酷い怪我を負っており意識も定かではなかったが、カルウィンが近付くとアンタリスの巫女のものとは異なる歌術をもって抵抗する様子を見せた。

巫女たちの看護によって快方に向かい始めた男はダロウと名乗り、鉄の歌術を操る鉄芸師であったが、彼に傷を負わせた敵に今も追われていると考えていてカルウィン以外の誰も近づけようとしない。

彼の敵であるサミスもまた歌術師だというが、カルウィンたちアンタリスの巫女が氷の歌術師であり、ダロウが鉄芸師であるように一つの歌術だけを修めているいるのではなく、トレマリスの各地に伝わる歌術の全てを習得して「万歌の歌い手」となり、その力でトレマリス全土を掌握しようと目論んでいる。

やがて、ダロウの予測どおりに彼の居場所を突き止めたサミスは氷の壁をものともせずにアンタリスへ侵入し、巫女たちは集団で対抗するのだが、サミスの力は圧倒的だった。

ダロウを逃がすため、カルウィンは外界へと通じる川へ彼を連れていくのだが・・・

サミス打倒に協力してくれる歌術師を探すため、やがてはサミスの手から逃れるために、巻頭見開きに示されたトレマリスの広い地域を舞台にして航海と冒険の物語が展開する。

本作一番の特徴は、やはり「歌術」そのものだろう。

古来より伝わる歌術は火、氷、鉄、風、獣、舌、生成、幻惑、神秘の9種存在し、それぞれが異なる民族に伝わっているらしいが、物語の時代ではその多くが失われかけており、更に鉄の術歌は最も低い音程で歌われ、その逆に最も高い音程で歌われるのは幻惑の術歌という設定。

「万歌の歌い手」となるには9オクターブもの音域が求められることになるが、男性であるサミスにそれが可能か否かという現実的な疑問にも応じており、ユニークな設定を効果的に活かしている場面が多く盛り込まれていて愉しい。

また、「9種の術歌」という設定からゲームよろしく仲間集めが進んでいくのかと思いきや、予想を裏切る展開を見せ、サミスとの最終対決も意外な形で決着する。

主人公のカルウィンは、仲間達から、また旅そのものを通じて国々の分裂がもたらしている弊害を知るものの、その改革を為すために統一という手法を選んだサミスを否定し、最終的には共存・共栄の重要性を学ぶ。

平和に満ちた一種の楽園に思えていたアンタリスも、巻末に至れば他者を顧みることのない誤った社会形態であることに気付かされる。

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紙の本テメレア戦記 1 気高き王家の翼

2008/07/29 22:45

史実に基づいたリアルな舞台がドラゴンの存在を活かしている

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ウィリアム・ローレンスが艦長を務める英国海軍のリライアント号は、大西洋を航行中のフランス海軍フリゲート艦と遭遇した。

フランス軍兵士は果敢に応戦したものの拿捕され、ウィリアムはその積荷の中に予想もしなかったものを発見する。

細心の注意を払ってフランス艦の船倉に保管されていたのは孵化の間近に迫ったドラゴンの卵だ。

戦場において大きな活躍をするドラゴンは卵から孵るときに”竜の担い手”を選ぶという特性を有しており、いち早くドラゴンを管轄する空軍に引き渡さなければならないところなのだが、最寄の寄港地までは3週間の航行を要し、船上での孵化は免れ得ない。

意を決したウィリアムは”竜の担い手”として空軍に転向する者を、自分を含む乗組員全員によるくじ引きで決めようとするのだが・・・

ナポレオン戦争時代を扱っており、ネルソン提督の名前や「ナイルの戦い」など史実と一致する部分も多いが、古代ローマ時代から人間とドラゴンが関わってきたという重要な違いがある。

順調に昇進し、小型ながらも一隻のフリゲート艦を任せられる立場となった主人公のウィリアムは、孵ったばかりのドラゴンの仔に選ばれて”竜の担い手”となるが、生粋の海軍軍人である彼が空軍への編入に強い抵抗を感じている様子などは実にリアル。

ドラゴンの存在が大きいためファンタジーにカテゴライズされるものだとは思うが、雰囲気としては戦争冒険小説に近いだろう。

特に、空軍に在籍することとなった後、ウィリアムが軍種間のカルチャー・ギャップに悩むところなどを読むと、著者がかなりの取材を重ねたように思われる。

また、ドラゴンの扱い方も面白く、為政者などからみれば生物兵器に相当するのかも知れないが、”竜の担い手”にとっては同僚、若しくはそれ以上の存在として描かれており、彼らの任務の危険性故に、常にある種の哀しさが漂う。

そのような中でも、特に健気で献身的なテメレアは好きにならずにはいられないキャラクターで知識欲も旺盛だ。

フランス艦の船倉に居る間にフランス語を独習しており、”竜の担い手”とともに亡命してきたフランス生まれのドラコンとも流暢に会話をこなして驚かせてくれる。

後半になって判明することだが、テメレアは希少なドラゴンの中でも、特に珍重される「セレスチャル種」であり、東洋では皇帝のみに所有の許されたもの。

ナポレオンへの贈り物であったテメレアが英国の手に渡ったことは、中国にとっても懸念となったようで、次巻の舞台は中国になるらしく、どのような展開になるのか愉しみだ。

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紙の本風の名前 上

2008/07/28 21:45

赤貧ヒーロー

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

諸国でその名を知られるクォートは、”無血のクォート”や”キングキラー”などの異名を幾つも持ち、その英雄的な逸話は今も人々の語り草となっている。
ところが、現在のクォートはといえば、コートという偽名を名乗り、田舎町で細々と宿屋を営む日々を送っていた。

人々の知る英雄クォートが、如何にして宿屋の主人コートになったのか、その間を埋める物語、紀伝家に請われる形で本人自身の口から語られる。

三部作構成の初巻にあたる本書では、旅芸人である両親が座員諸共に謎の集団によって惨殺された顛末と、身寄りをなくした少年クォートが都会の下町で生き延びるために知恵を磨いていく様子が語られ、最終的には両親の仇の手掛かりを求めて秘術校の門をくぐり、そこで様々な事件に対処しながら頭角を現していくのだが・・・

とにかく主人公が貧乏である。

回顧録の時間軸の中で、その半分ぐらいは靴も買えずに裸足でおり、赤貧洗うが如しの体だ。

後半は多少の収入を得られるようになるが、常により多くの出費を余儀なくされて蓄える余裕などは全く無く、高利貸しにまで頼る始末。

金が無いことは常に意識されるようになっていて、例えば秘術校では毎学期末の試験の成績如何によって次学期の学費が決まる仕組みであるため、蓄えも支援もないクォートは何時も退学の瀬戸際という状況だ。

天才肌で手先も器用、さらには女性にも持てるとなれば、秘術校で彼の宿敵となるアンプローズでなくとも妬まずには居られない人物だと思うが、クォートの貧乏さはキャラクター造形上の重要なポイントだろう。

如何な英雄も、弱点や欠点が一切無いとなれば魅力も半減しようというもの。

魔法体系を二つに大別しているという点もユニーク。

共感魔法は、多少の差異はあれども世界各地にその伝承が見られるもので、本書の中でもより一般的なものとして扱われるが、熱量計算を絡めるなどしてリアルさを増しており、「杖を振ったら火の弾が飛び出す」式の世界観とは一線を画している。

より高度な魔法としてル=グウィンの「ゲド戦記」で見られるような”名前による魔法”の存在も仄めかされるが、ファンタジーである本書の中ですら神話やお伽噺の類として認識されており、本格的に扱われるのは次巻以降となりそうだ。

また、両親を殺害した犯人を見つけて仇を討つことがクォートの大きな目的となっているが、「チャンドリアン」と呼ばれるその集団は神話や伝説の中にしか名前の現れない存在とされているため、神話と歴史の接点を見出すことが当面の目標。

この「架空歴史ミステリー」とも言うべき側面が作品全体のスケールを大きくし魅力を向上させている。

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紙の本影の棲む城 上

2008/02/11 16:04

拙者、女言葉を使うのは初めてでござるが敢えて言わせて頂きたく御座候。「ちょっと何なのよこの小娘はっ!」

5人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

チャリオンを蓋っていた呪いは忠実な家臣カザリルによって取り払われ、愛娘イセーレは国主になるとともにイブラ国子を婿に迎えたが、イスタ国太后の心は晴れない。
今は亡きアイアスは立派な国主だったかも知れないが誠実な夫であったとは言えず、19歳でチャリオンに嫁いでから40歳を迎えるこの年まで、彼女の半生は呪いと義務に縛られたものだった。

故郷のヴァレンダで廷臣や女官達に囲まれてはいるものの、母親の最後を看取った今ではイスタを真に理解する者はなく、このまま宮廷の中で朽ちていくのかと思うと居たたまれなくなる。

意を決したイスタは、周囲の反対を押し切って巡礼の旅へ出ることにした。

その身分からすれば供は僅かであるものの、安全には充分配慮された旅程のはずだったが・・・

イスタにとって「巡礼」は名目上のことで、ヴァレンダを離れるために用意した尤もらしい口実なのだが、神々に対して恨み骨髄に達している彼女のことだから、巡る先々の聖地に唾を吐きかけるぐらいのことは計画していたのかも知れない。

イスタ一行はチャリオンと敵対するジョコナ公国の軍隊と遭遇してしまうのだが、間もなくボリフォルス郡侯アリーズ率いる一隊によって囚われの身から救われることに。

旅の途上、イスタの夢の中で彼女に助けを求める謎の男性(with 小鳥)が幾度か現れていることもあり、ここからロマンスに発展してイスタが精神的に救われれば物語の王道というところなのだが、ボリフォルズの砦に案内されたイスタは、そこでアリーズから彼の妻カティラーラ(18歳の美少女)を紹介される。

その存在と惚気癖によってイスタと読者に深刻なショックを与えるボリフォルス郡妃だが、彼女のアリーズに対する一途な思慕の情は予想外に大きな呪いをボリフォルスに、引いてはチャリオン国に及ぼそうとしていた。

一種の逃走であった巡礼の旅の目的は庶子神の介入によって一転し、今再び呪いへ立ち向かうことをイスタに求めるが、彼女は過去にもチャリオンから呪いを取り除くべく尽力し、意図せぬ事ながら殺人という苦い結果に終わっている。

砦の外で行われる血肉の戦いに並行して描かれる、魂を相手にしたイスタの戦いは、彼女の深い葛藤とともに大きな見所だろう。

軽々に神が顕現するファンタジーはチープに感じられるものだが、人に働きかけることでしか力を及ぼせない<五神教>の神々は、見方によってはリアルな存在と言える。

また、異世界ファンタジーには国家や世界全体を巻き込む壮大なものが多いが、そのような目で見ると本書で描かれるのはさして重要とも言えない一地方の城砦の防衛戦に過ぎず、国太后という高貴の身分とは言えどもイスタはチャリオンの歴史上では脇役であり、更に定石から外れた中年の主人公でもある。

舞台としての異世界や架空の歴史を入念に整備しつつも、それへ執着することなく、背景を持った主人公を活かすべく比較的小規模な時間/空間の中で物語を展開させた定石破りは、結果として前作以上にのめりこませる効果を生み出している。

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史実に基づいたリアルな舞台がドラゴンの存在を活かしている

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ウィリアム・ローレンスが艦長を務める英国海軍のリライアント号は、大西洋を航行中のフランス海軍フリゲート艦と遭遇した。

フランス軍兵士は果敢に応戦したものの拿捕され、ウィリアムはその積荷の中に予想もしなかったものを発見する。

細心の注意を払ってフランス艦の船倉に保管されていたのは孵化の間近に迫ったドラゴンの卵だ。

戦場において大きな活躍をするドラゴンは卵から孵るときに”竜の担い手”を選ぶという特性を有しており、いち早くドラゴンを管轄する空軍に引き渡さなければならないところなのだが、最寄の寄港地までは3週間の航行を要し、船上での孵化は免れ得ない。

意を決したウィリアムは”竜の担い手”として空軍に転向する者を、自分を含む乗組員全員によるくじ引きで決めようとするのだが・・・

ナポレオン戦争時代を扱っており、ネルソン提督の名前や「ナイルの戦い」など史実と一致する部分も多いが、古代ローマ時代から人間とドラゴンが関わってきたという重要な違いがある。

順調に昇進し、小型ながらも一隻のフリゲート艦を任せられる立場となった主人公のウィリアムは、孵ったばかりのドラゴンの仔に選ばれて”竜の担い手”となるが、生粋の海軍軍人である彼が空軍への編入に強い抵抗を感じている様子などは実にリアル。

ドラゴンの存在が大きいためファンタジーにカテゴライズされるものだとは思うが、雰囲気としては戦争冒険小説に近いだろう。

特に、空軍に在籍することとなった後、ウィリアムが軍種間のカルチャー・ギャップに悩むところなどを読むと、著者がかなりの取材を重ねたように思われる。

また、ドラゴンの扱い方も面白く、為政者などからみれば生物兵器に相当するのかも知れないが、”竜の担い手”にとっては同僚、若しくはそれ以上の存在として描かれており、彼らの任務の危険性故に、常にある種の哀しさが漂う。

そのような中でも、特に健気で献身的なテメレアは好きにならずにはいられないキャラクターで知識欲も旺盛だ。

フランス艦の船倉に居る間にフランス語を独習しており、”竜の担い手”とともに亡命してきたフランス生まれのドラコンとも流暢に会話をこなして驚かせてくれる。

後半になって判明することだが、テメレアは希少なドラゴンの中でも、特に珍重される「セレスチャル種」であり、東洋では皇帝のみに所有の許されたもの。

ナポレオンへの贈り物であったテメレアが英国の手に渡ったことは、中国にとっても懸念となったようで、次巻の舞台は中国になるらしく、どのような展開になるのか愉しみだ。

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ストレートなアメリカン・ファンタジー

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

<至高秩序団>のミッドランズ侵攻が着々と進む中、リチャードは重症を負ったカーランを連れて故郷ハートランドの森で隠遁生活を始める。
最愛の妻の看護のための一時的なものと思われていた森での暮らしだが、カーランが回復した後もリチャードはダーラの君主として軍を率いるつもりはないと言う。

しかし、静かな暮らしも長くは続かず、二人の前に現れた<闇の信徒>ニッキは、自身とカーランとの間に命を結びつける魔法をかけた。
”妊婦の術”は、ニッキの受ける影響をそのままカーランにも伝えるため、リチャードはニッキに手を出すことが出来ない。

ニッキの要求に否応なしに従うしかなくなったリチャードだったが、奇妙なことに彼女の要求は<至高秩序団>の支配する町アルトゥラングで一介の市民を装って暮らすことだけだった・・・

大掛かりな魔法を軸に展開してきたこれまでとはうって変わり、思想をテーマにしている。

当初から自分の信じる道を突き進んできリチャードは、<至高秩序団>に対抗するため強制的にミッドランズ諸国を指揮下に置こうとしてきたが、その方策に限界を感じたようだ。

合理的には正しくとも、強制して人々を戦いの道に引きずり込んだのでは見かけどおりの力は出ないのは道理。

頼むに足りる数の軍勢が揃ったとしても、その一人一人が「戦わされている」と感じていては、歪んだものではあるものの「平等」という旗印に集う一枚岩の<至高秩序団>には敵わないだろう。

ジャガンの唱える「平等」に対するリチャードの思想は「自由」だが、それは一人一人が希求するのでなければ守る価値もない。

一方、幼少の頃からトラウマのように「平等」にとり付かれているニッキには、リチャードは理解しがたい存在。

ニッキがリチャードを連れ去ったのも彼の思想を改めさせるのが目的だったが、「自由」を是とするリチャードの一途な生き方を目の当たりにしたニッキの方が改心させられるのが、地味ながらもクライマックスになっている。

ミッドランズ市民に対しては失敗続きだった自由の主張が、拉致されて飛び込んだ<至高秩序団>の版図のど真ん中で花を開かせたのは皮肉と言えば皮肉なこと。

ジャガンとの決戦は次巻に持ち込まれたが、綻びの見え始めた<至高秩序団>への勝利は近いのだろう。

あまりにも自由礼賛なのは鼻につくが、魔法や妖精などの文化アイデンティティを欧州から拝借したものに比べると、実にストレートなアメリカン・ファンタジーではある。

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処女作だなんて信じられない!

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

カモールの領主はニコヴァンテ公爵だが、数々の盗賊団の頭達を従えて裏の社会を取り仕切っているのはバルサヴィだ。

バルサヴィは、貴族の権益を侵さない代わりに目こぼしを得るというニコヴァンテ公爵との間の密約によって安定した地位を気付いているのだが、街の噂では”カモールの刺”なる貴族のみを狙った義賊が居るという。

僅かに4人の手下のみを持つロック・ラモーラは、バルサヴィの部下の中でも最も稼ぎの少ない盗賊団の頭だが、実は彼こそが街の噂の主である。

裏社会のボスも貴族達も、諸共に騙して莫大な金品を蓄えるロックとその郎党だが、騙すことそのものが生き甲斐となっている彼らにとっては、それらも次に仕掛ける詐欺の元手になるだけ。

今回、ロック達”悪党紳士団”が目を付けたのは、若い貴族のドン・ロレンツォなのだが・・・

バルサヴィの忠実な部下を装いながら平然と密約を破っている”悪党紳士団”が、貴族相手に仕掛ける大掛かりな詐欺がメインのストーリーになるが、その合間に彼らの見習い時代のエピソードが挟み込まれるという、当初は少し戸惑う構成なのだが、付録とも言える見習い時代がコミカルで愉しく、もっと読みたいという気にさせられた。

一味の頭脳であるロックが”悪党紳士団”の領袖ではあるのだが、メンバーの年齢はほど近く、彼らの子供時代を描いて強固な仲間意識の形成を強調していることは、ラストシーンを含め要所要所でも活きている。

一風変わった構成が独特の面白さを引き出しているという点ではG.R.R.マーティンの「氷と炎の玉座」を思い起こすが、処女作からこのような構成の妙を見せる著者をマーティンが絶賛するのも頷ける話。

二転三転するコン・ゲームも先を読ませない巧みなもので、ファンタジーではあるものの魔法は敵側の力として登場し、主人公側はこれに知恵と度胸で対抗していくため、ファンタジーを読み慣れない人でも充分に愉しめるではないだろうか。

全7部作の構想らしいが、本書のみでの完結性を持たせつつも、”悪党紳士団”の紅一点にしてロックを袖にしたという女性が名前のみで未だ登場しておらず、高度な文明を持っていたと思しき古代の住民に関しても多くを語らないなど、伏線も巧妙に張られているようで、続刊にも期待が膨らむ。

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紙の本不思議を売る男

2007/07/08 18:05

虚構は足をしっかり地に付けて愉しもう

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

課外レポートのために訪れた図書館で、エイルサは変な男を拾った。

年齢不詳、住所不定のその男はMCC・バークシャーと名乗り、行く当てもなく仕事を探しているというので、不憫に感じたエイルサは父親の他界後も母親が経営を続けているボーベイ古道具店に連れて来てしまう。

日がな一日売り物の中古ベットの上で古本を読みふけってばかりいるMCCに、当初はエイルサもボーベイ夫人も不安を感じていたが、やがて彼は一風変わった商才を見せ始めた。

客が目を留めた家具があると、嘘か真か、その家具に纏わる不思議な来歴の物語を披露し、客をして買わずには居られない気持ちにさせてしまうのだ。

エイルサは次第にMCCの紡ぎ出す物語を心待ちにするようになって行くのだが・・・

原題を直訳すれば「嘘の詰め合わせ」になってしまうところだが、MCCの語る不思議な話を全て「嘘」と片付けてしまうのは勿体無く、邦題は上手くしたものである。

古い家具から醸し出される雰囲気は、思わずその歴史や背景についての想像を巡らせてしまうような力があると思うのだが、MCCはそんな夢想を絵に描いたような物語に仕立ててしまう。

所謂「枠物語」の構成をとっているが、その一つ一つはホラー、ロマンス、海洋冒険などと多彩であり、読者は思わず聞き入ってしまう客と同じ立場に立たされることになって厭きさせない。

厭きさせないという点においては、「枠」としてのボーベイ古道具店の物語も序々に進行して興味を惹きつけ、家具の来歴を語るMCC本人の謎につまれた来歴が最後になって明かされるときは誰もが驚くだろう。

しかし、個人的にはこの結末は好みに合わない。

子供向けの本の主人公が、現実逃避に成功して目出度しというのでは後味が悪すぎる。

共に暮らすうちに、年頃のエイルサが次第にMCCに惹かれて行くのは自然な事のように思えたが、結末を読んで気持ちが悪くなってしまった。

マンガ「ドラえもん」に登場するのび太は、異世界ではヒーローになるが、例えパッとしない現実世界であっても最後には帰ってくる。

それは健全さという意味において、とても重要なことではないだろうか。

日常の中にありながら神秘性を感じさせる古道具店という枠と、そこでMCCによって語られる11の掌編はそれぞれに素晴らしいものだけにとても残念だ。

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紙の本不思議を売る男

2007/07/08 18:03

虚構は足をしっかり地に付けて愉しもう

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

課外レポートのために訪れた図書館で、エイルサは変な男を拾った。

年齢不詳、住所不定のその男はMCC・バークシャーと名乗り、行く当てもなく仕事を探しているというので、不憫に感じたエイルサは父親の他界後も母親が経営を続けているボーベイ古道具店に連れて来てしまう。

日がな一日売り物の中古ベットの上で古本を読みふけってばかりいるMCCに、当初はエイルサもボーベイ夫人も不安を感じていたが、やがて彼は一風変わった商才を見せ始めた。

客が目を留めた家具があると、嘘か真か、その家具に纏わる不思議な来歴の物語を披露し、客をして買わずには居られない気持ちにさせてしまうのだ。

エイルサは次第にMCCの紡ぎ出す物語を心待ちにするようになって行くのだが・・・

原題を直訳すれば「嘘の詰め合わせ」になってしまうところだが、MCCの語る不思議な話を全て「嘘」と片付けてしまうのは勿体無く、邦題は上手くしたものである。

古い家具から醸し出される雰囲気は、思わずその歴史や背景についての想像を巡らせてしまうような力があると思うのだが、MCCはそんな夢想を絵に描いたような物語に仕立ててしまう。

所謂「枠物語」の構成をとっているが、その一つ一つはホラー、ロマンス、海洋冒険などと多彩であり、読者は思わず聞き入ってしまう客と同じ立場に立たされることになって厭きさせない。

厭きさせないという点においては、「枠」としてのボーベイ古道具店の物語も序々に進行して興味を惹きつけ、家具の来歴を語るMCC本人の謎につまれた来歴が最後になって明かされるときは誰もが驚くだろう。

しかし、個人的にはこの結末は好みに合わない。

子供向けの本の主人公が、現実逃避に成功して目出度しというのでは後味が悪すぎる。

共に暮らすうちに、年頃のエイルサが次第にMCCに惹かれて行くのは自然な事のように思えたが、結末を読んで気持ちが悪くなってしまった。

マンガ「ドラえもん」に登場するのび太は、異世界ではヒーローになるが、例えパッとしない現実世界であっても最後には帰ってくる。

それは健全さという意味において、とても重要なことではないだろうか。

日常の中にありながら神秘性を感じさせる古道具店という枠と、そこでMCCによって語られる11の掌編はそれぞれに素晴らしいものだけにとても残念だ。

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紙の本天使の牙から

2007/06/17 08:17

愉しんでる奴には敵わない

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

二人の主人公がいる。
一人目のワイアットは、子供向けのテレビ番組の司会として一世を風靡したこともあるのだが、今は癌に侵されて余命幾許も無い。
死を待つのみの虚脱した日々の中に飛び込んできたのは親友のソフィーからの電話。
強っての頼みで、失踪したソフィーの兄を探すためにアメリカから遥々オーストリアへ向かうことになったワイアットは死神と出会う。
死神はワイアットのことが気に入っているらしく、どうやら直ぐに命を獲るつもりはないようなのだが・・・
二人目のアーレンはハリウッドの女優なのだが、人気絶頂の時に引退してウィーンで気侭な一人暮らしを送っている。
アーレンは偶然知り合った報道写真家ジーヴィッチと恋に落ちるのだが、その頃から彼女の周囲では不幸なことが起こり始める。
愛犬が死に、最愛の母の日記から実は自分が忌み嫌われていたことを知らされ、親友のローズは暴行されて重症に。
更に恋人のジーヴィッチからは彼がエイズだと聞かされ・・・
二人の主人公はアメリカのショー・ビジネス界という繋がりから知人ではあるのだが、交互に現れるそれぞれを主役とした各章は九割ほど読み進めるまでは殆ど絡まない。
ワイアットの章は、夢に現れた死神の言葉を理解しないと身体に傷を付けられ、やがては死に至ってしまうという謎が主軸になっていて、ホラーとミステリーが融合したような雰囲気があるのだが、アーレンの章は隠遁生活を送っているハリウッド女優とタフな報道カメラマンのロマンスとなっており、まるで二つの小説を併読しているような感覚にさせられる。
最後の最後になって漸く二人の物語が絡む部分からの急転直下ぶりこそはキャロル一流の技巧で、目を凝らしているのに見破れない華麗なマジック・ショーが展開されたような印象を受け、「またやられた」という快感。
本作で扱われる死神のキャラクターが堕天使と関連付けられているので、聖書に馴染みがないとピンと来ない部分もあるかも知ないが、信仰を持たない人こそは「愉しんでる奴には敵わない」という確信を必要としているのかも知れない。

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魔女はフライパンで武装する

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魔女のミス・ティックは、ダウンズと呼ばれる地方に異変が起こりつつあるのを感じ取った。
ディスクワールドに別の世界が近づきつつあるのだ。
ダウンズの農場に暮らす少女ティファニーの周りでは、おとぎ話の中の怪物が現れ始め、知識欲旺盛な彼女は魔女のミス・ティックに助言を求めるのだが、ミス・ティックは少女の中に魔女の資質を認めるものの今回の異変の大きさは自らの手にも余ると判断し、より力のある魔女達へ助力を求めるために旅立ってしまう。
しかし、その後も異変は続き、ティファニーの弟ウェントワースも何者かに攫われて行方不明となってしまった。
そんな折、短躯ながらもその凶暴さで名の知られた小人の一族”ナック・マック・フィーグルズ”と知り合ったティファニーは、老齢のため果敢無くなりつつある彼らの女族長(ケルダ)からその地位を一時的に引き継ぐことに。
荒くれ者の小人達を率いたティファニーは、必殺のフライパンと亡き祖母の蔵書であった「羊の病気」を手に、弟の救出行に向かうのだが・・・
同じディスクワールドの物語だが、都市部を舞台にした「天才ネコモーリスとその仲間たち」から一転して、平穏な農村が舞台に。
物語が始まったときには既に他界しているティファニーの祖母”エイキングばあちゃん”の存在が、主人公の背景として極めて大きく感じられた。
孫娘の手に渡った「羊の病気」にある彼女の書き込みには、どんな病気に対しても「ひまし油」が処方されていたりしていて落語「葛根湯医者」のような可笑味があるが、ティファニーは知識以上に重要な知恵を祖母から受け継いでいる。
例えば、霜降る夜に一匹の子羊が見つかるまで寝ようともせずに探しまわる祖母の姿から、ティファニーはキリストの説話にあるような「羊飼いの愛」ではなく、生殺与奪の権利を持つからこそ生じる家畜への義務をしっかりと学び取っているのだ。
本書は児童向けに書かれたもので、ナック・マック・フィーグルズ達の強烈な個性などから通り一遍に読んでもユーモア溢れる作品として愉しめることは間違いないが、昨今では親も教えることが出来ないようなに知恵ついて、農村を舞台にしているからこそ学べる部分があるのではないだろうか。
また、プラチェットはディスクワールドにおける魔法の使い手を大学に学ぶ男性の魔法使いと市井の魔女に大別しており、どちらかと言うと前者に対しては皮肉っぽくマッドな様子に描くことが多いのに比べ、後者に対してはとても好意的だと感じていたが、魔女志願のティファニーは作者にも気に入りのキャラクターとなったらしく、彼には珍しく本作を著した翌年には同じ主人公で続編(A Hat Full of Sky)を著している。

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紙の本グッド・オーメンズ 上

2007/05/04 22:55

悪魔と天使の奇妙なコンビ

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

11年前のある夜、聖蝶々修道会付属の病院で二人の男の子が生まれた。
そこへ、堕天使(若しくは緩やかに下降気味の天使)クロウリーがもう一人の赤ん坊を連れてやって来る。
クロウリーは、主サタンの計画に従って人間の赤ん坊とサタンの息子である<反キリスト>を取り替える役目を担っていたのだが、本来ならアメリカ人外交官ダウリング氏の息子と取り替えるえるところを、手違いでイギリス人ヤング氏の息子と入れ違えてしまう。
そうとは知らない悪魔クロウリーと奇妙な友人関係にある天使アジラフェールの二人は、単なる人間の子供に過ぎないウォーラックの成長に積極的に関与し、天国と地獄それぞれの陣営を有利な立場にしようと張り合うのだが、結局のところバランスが取れてウォーラックは極めて普通の少年に成長する。
何かが狂っていると感じたクロウリーは、11年目にしてようやく赤ん坊の入れ替えにミスがあったことに気付き、慌てて本当の<反キリスト>を探すのだが・・・
共著ではあるが、プラチェット特有の色合いが極めて濃いように感じた。
特に、アダムを中心とした少年少女達の「仲間」の遣り取りなどは既訳(でも絶版・・・)「ゴースト・パラダイス」に似た部分があり、彼らが自転車を駆って活躍する場面は作品の中でも触れられている「E.T」や、更には「グーニーズ」など少年ものの王道映画を想起させる。
映画といえば、まるで撮影技法を駆使したかのような場面遷移もプラチェットが得意とするところだろう。
また、黙示録の四騎士の一人として登場する「死」のセリフが訳文では<>で区別されているが、恐らくはディスクワールドの死神と同様に原著ではゴシック体なのではあるまいか。
悪魔と天使が登場し、更にはハルマゲドンまで近づいているという舞台設定からファンタジーにありがちな「善対悪」の話かと思わせるが、実際にはそのアンチテーゼとなっている。
「絶対善」や「絶対悪」の存在を否定するのは人間性だが、善も悪も併せ持つ人間の社会に長く関わり過ぎて人間味を持ってしまった悪魔と天使が、それぞれの主の目を盗んでハルマゲドンを回避しようと悪戦苦闘する様子が滑稽でテーマの重さを和らげてくれるもの、その一方で、人間が持つ倫理観に希望を託した結末はかなりの重みがあり、人類には宿題が山積みであることに改めて気付かされるなど、映画「オーメン」のパロディと見せかけて、実はより深奥でもある。
最後まで崩れないアップ・テンポなこの物語のBGMには、作中でも効果的に使われているクイーンしかないだろう。

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紙の本魔法の声 新装版

2007/03/22 07:15

タイトル(原題)を作中作と同一にしたのも「はてしない物語」へのオマージュか

9人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

メギーは古書の修繕を生業とする父親のモルティマと二人暮しの12歳の少女。
父親の仕事柄、本に囲まれて育ったメギーは読書好きで、モルティマも惜しむことなく本を買い与えてくれるのだが、何故か読み聞かせてくれることはしない。
ある日の夜、メギーがいつものように蝋燭に火を灯して本を読もうとすると、窓の外に雨の中で立ち尽くす男の姿があった。
驚いて父親を呼んだメギーだったが、意外なことにその男は父親とは知己であることを知る。
”ほこり指”という変わった名前のその男が現れたことをきっかけに、メギーは父親の声に秘められた不思議な力を知ることになるのだが・・・
モルティマは本を朗読することによってその中に登場する人や物を呼び出せるのだが、制御不能で何が飛び出してくるか判らないという難点がある。
また、何かを呼び出した場合には入れ替わるようにして現実世界からも何かが本の中に入り込んでしまうというのも問題で、実はメギーの母親も彼女が幼い頃にそうして「闇の心」という物語の世界へと消えてしまっていたのだ。
現実と物語世界の交錯というのはあまりにもありがちな設定であるものの、物語の世界へ没入するということはあり得ることで、エンデの「はてしない物語」はその延長線上にあるものと言えると思うのだが、フンケの場合は”こちらからあちら”ではなく”あちらからこちら”という移動を描いて「もしも」の程度がよりリアルな印象を与え、ホラーにも通じるものがある。
しかし、「闇の心」から飛び出してきたカプリコーンには悪役としての迫真性がなく、メギーやモルティマが彼に怖気を振るうほどに白けてしまう。
「闇の心」の登場人物であるカプリコーンの性格は「闇の心」を読まねば実感できないところで、メギー達への感情移入が中途半端になるのがその原因だろう。
”魔法の声”というアイデアはユニークなのだが、「闇の心」が実在するか、実在する物語を「闇の心」の代わりに使っていればメタフィクションとして面白くなりそうだ。
「本」が主題となっていることから、色々な物語、特に子供向けのタイトルが多く登場し、各章にその内容に応じて名作の一部が引用されるという構成は愉しく、本編の中でも「ピーター・パン」からティンカーベルが呼び出されたりするなど、先人である児童文学作家達へのオマージュが感じられるが、それらを未読である読者にとっては意味不明。
本作が魅力的ならば引用された過去の名作へ誘う「読書案内」的な役割を果たすことも出来るのだろうが、先人へのオマージュが先立って直接の相手である若い読者が軽視されてはいないだろうか。

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