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  3. ベニスの商人さんのレビュー一覧

ベニスの商人さんのレビュー一覧

投稿者:ベニスの商人

43 件中 1 件~ 15 件を表示

小説ですが、検察審査会の仕組みを知るしるべとしても役に立ちます

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 検察審査会。制度としては60年ほど前からあったそうだが、今年になるまでは、ほとんどの一般人は知らなかっただろう。検察が不起訴とした案件を、本当にそれでいいのかと、審査するものである。今年になって、突然、脚光を浴びるようになったのは、昨年の今頃、法律が改正されたから。
 審査会のメンバーは11人。いままでだと、過半数により、不起訴が「不当」であるか「相当」であるかだけを判断すればいいし、仮に検察審査員が「不起訴不当」と判断しても、検察庁は審査会の議決に拘束されなかった。つまり、検察審査員の誰もが「不起訴不当だろ」と考えても、検察がそのまま、不起訴にするのであったとしても、許されたのである。
 それが、昨年の改正で、「起訴相当」というものができた。「不起訴不当」は過半数(6人以上)、「起訴相当」は2/3(8人)以上。過半数では、6:5の僅少差で決まることもあるから、メンバーを入れ替えると、違う結論(「不起訴相当」)が出ることもありうる。その点、2/3以上なら、結論に揺るぎがなさそうだ。さらに、「起訴相当」と議決したにもかかわらず、相変わらず、検察が不起訴であれば、違う検察審査員メンバーで、審査会を開き、そこで再度「起訴相当」なら「強制起訴」される。第1号として、今年の1月に、明石歩道橋事故当時の警察副署長が「強制起訴」された。もしかしたら、民主党の小沢幹事長も、起訴されるのか? 1度目の検察審査会の議決は、満場一致で「起訴相当」だったという。

 本書は15年前に出版された佐野洋の小説。だから、「強制起訴」の制度は、まだ影も形もないが、「強制起訴」以外の条文は、おそらく変わっていないのではないかと思う。登場人物の口を借りて、検察審査会の仕組みの要点を教えてくれる。推理小説として、面白いことは、いうまでもないが、検察審査会を知る上でも、役に立つのではないか。

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有楽町チャンスセンター1番窓口は、日本で一番多くのハズレくじを出している窓口でもあるのだ

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』(山田真哉著・光文社)のように、アイキャッチャー的タイトルで、そのくせ実用的な内容が記されている本がある。ご多聞にもれず本書は、そのタイプである。「資産やお金にまつわる不合理な事例を集め、その原因について行動経済学、認知心理学の立場から解説を加えて」、ともすれば不合理に走りかねないみんなに、STOPをかけようという本だ。「いずれも漢方薬のようにゆっくりと確実に効いてくるものばかり」と、著者は自負している。

 全12章、それぞれに、なにか卑近な行動を、行動経済学及び認知経済学で分析したものが載っている。それは例えば、本のタイトルは、同時に第1章のタイトルなのだが、なぜ宝くじチャンスセンター1番窓口に買いに行く人が多いのか、そしてそれは正しいのか、というようなことである。章ごとの終りに[ポイント!]でまとめられている。
 「学術用語」というと堅苦しくなるが、事前の本文で説明が加えられているから、理解しやすいだろう。【生き残りバイアス】とは「除外されたものを考慮せず、残存しているもの(生き残り)だけを考慮して確率を考慮してしまう、あるいは意思決定してしまうバイアスを指す」。また、【事前確率と事後確率】は読んで字の如しで、あまり情報を与えられていないときの確率と、あとから情報を与えられた(知った)とき確率だ。
 「宝くじチャンスセンター1番窓口」では、本当に1等大当たりが連続して出ているのだろうか。【生き残りバイアス】に絡めて説明すれば「除外されたもの=ハズレくじ」で「残存しているもの=当たりくじ」である。そして「事前確率」は「毎年、当たりが出ている」であり、「事後確率」は「チャンスセンター1番窓口における発売枚数」である。第1章の最後に「まとめ」で述べられている。「有楽町チャンスセンター1番窓口は、日本で一番多くのハズレくじを出している窓口でもあるのだ」と。
 第3章のタイトルは<臨時収入は、なぜ酒代に消えてしまうのか?>である。結論は「少額の偶発的所得は、その所得額を超える消費を呼ぶのである。超える部分はどうやって調達するのか、これまでの貯蓄を取り崩して調達するのである。これが偶発的所得の呼び水効果なのだ」。そのような書き方を当初から提示されたら、読む気が萎えるかもしれない。そのために、最初は教授と助手の“寸劇”から始まる。教授が助手に「メシをおごるから、この千円で二人分、コンビニに行って買ってこい」と命じたところ、助手は本来の弁当のほかに、自腹でみたらし団子を買ってきた。なぜだろう。弁当代が浮いたことによる「呼び水効果」なんだよ-と教授は説明している。掛け合いはなかなかユーモアにあふれている。それ以外の章も同じような書き方、なにもこれほどまでもくだけないでもとも感じらるほどだが、決して否定しているわけではない。むしろ、浅学の私には好ましかった。

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紙の本翻訳者はウソをつく!

2007/12/19 14:35

To be,or not to be,that is the question.-有名な『ハムレット』のセリフだが、今に至るも「to be」の“決定版”という訳はない。

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 「Here's looking at you, kid.-君の瞳に乾杯!」名作映画ファンには有名な「カサブランカ」のセリフ(字幕)だ。著者は近所の本屋の店頭で、ワンコインのDVDが売られているのを見かけた。迷わずレジにいって、家でそのシーンを楽しみにして見ていたら、その字幕のないままでThe End。なぜだろう。映画「カサブランカ」そのものは1942年制作だから、著作権が切れて誰でも廉価版が作れる。しかし、映画字幕は別の著作物として扱われるから、字幕付きで販売しようと思えば、独自の字幕を付けなければならないそうだ。「君の瞳に乾杯!」などは、あまりにも名セリフすぎて、使えば著作権侵害で訴えられるかもしれない。結局、この廉価版では次のような字幕がついていたそうだ。-この瞬間(とき)を永遠に! でも、本来、著者は字幕を見ないで映画鑑賞をできるのにと思ったら、それも可笑しくなった。

 著者は特許翻訳会社の専属翻訳者。主に特許出願明細書の和文英訳をしている。だから、自身は普通にわれわれが想像する翻訳とはいささか異なるルールでの翻訳をしているようだが、本書ではそんな限定された範囲ではなく、一般論として、むしろ自分の仕事から離れたところでまとめている。
 <原爆投下は、たった1語の誤訳が一因になったって?>-「第二次世界大戦の末期(1945年7月26日)、日本軍の無条件降伏を勧告するポツダム宣言が発せられ(中略)これに対する政府の見解として、鈴木貫太郎首相が記者会見で使った言葉は「黙殺する」。国内の通信社は、「ignore it entirely(完全に無視する)」と訳し、海外通信社は、「reject(拒絶する)」と報道しました」。確かに「黙殺」は日本特有の表現で「知っているけど、知らない素振り」という意が含まれているのだが、それにしても「拒絶する」はないだろうよ。

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童謡詩の裏には、陰鬱な翳がある

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 東日本大震災に派生して脚光を浴びたのが「AC」のコマーシャル。この非常事態で、正規のCMを流すのはまずかろうというので、大半が、差し替えられた。もっとも、当初は、「電車乗車マナー啓発」など、見当違いの、CMも流されたと記憶している。その中にあって、淘汰を潜り抜けたのが、詩を題材にした2本。1本は「こんにちは こんにちワン~」で始まる宮沢章二の作品であり、もう1本が「「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。~」で始まる金子みすゞの作品だ。本書はサブタイトルにもあるように「金子みすゞ詩集百選」である。

 みすゞを西条八十は「若き童謡詩人の中の巨星」と評したという。もっとも、生前には、実際の童謡として曲をつけることは、なかったようだ。それにもかかわらず、“童謡詩”と言われたのか。作品のほとんどが子どもの目線であり、子どもの代弁だからである。さらに、「七五調」のリズムだから、読みやすい。
 
 木

 お花が散って
 実が熟れて、

 その実が落ちて
 葉が落ちて、

 それから芽が出て
 花が咲く。

 そうして何べん
 まわったら、
 この木は御用が
 すむか知ら。

 ただ、前記の作品もそうだが、どこか翳がある。父と三歳で死に分かれ、思春期には、亡くなっていた叔母の後妻として、叔父と結婚して、金子家を離れていった。母親と再び一緒に住めたのは二十歳になってからである。

 雛まつり

 雛のお節句来たけれど、
 私はなんにも持たないの、
 
 となりの雛はうつくしい、
 けれどもあれはひとのもの。

 私はちいさなお人形と、
 ふたりでお菱をたべましょう。

 家庭環境を知っているのと知らないのとでは、鑑賞の余韻が違う。

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紙の本日本最初の盲導犬

2009/10/27 01:13

盲導犬は、mate(仲間、航海士)である

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 1939年5月26日、ポツダムのドイツ国立盲導犬学校を卒業したばかりの、リタ、アスター(資料によってはアルマ)、ボド、ルティの4頭のジャーマンシェパードが横浜港に上陸した。出迎えたのは《カリーライス》で有名な新宿中村屋の相馬安雄氏である。

 そもそものきっかけは、しばらく前にアメリカ人大学生ゴルドン君(今の読みだと「ゴードン」か)と盲導犬オルティが日本に訪れて、2週間ほど滞在したことだ。当時の日本は、日中戦争(日華事変)を戦っていて、失明軍人がかなりの人数が存在した。そこに、ゴルドン君=オルティ号が来たのだから、失明軍人の社会復帰に役立てられないのかと、「臨時東京第一陸軍病院」の、一部の軍医が注目した。
 しかし、ゴルドン君=オルティ号は間もなく日本を離れてしまった。盲導犬育成の資料もない。では、手っ取り早いのは、盲導犬を輸入すること。それがたやすくはなかった。まだ大戦にまでは発展してはいないけれど、一応、戦時中。戦費がかさむので、“盲導犬ごとき”を輸入するのは、申請しても却下。シェパードそのものは、陸軍で採用されていて、「軍用犬」として、活躍していたのだから、「軍用犬」なら、よかったのだろうが、盲導犬は用途が違う。“無駄遣い”としか思われなかったのだ。そこで、病院長は方法を考えた。直接、輸入ができないなら、民間人が輸入して、それを陸軍(国)に献納するのはどうだろうか。
 シェパード犬団体はもともと「日本シェパード倶楽部」というのがあったが、後発の「帝国軍用犬協会」と合体させられ、改めて愛好家だけによる「日本シェパード犬協会」が分離した経緯があった。「帝国軍用犬協会」の設立目的は、民間所有のシェパードを、軍用犬にさせること。だから「帝国軍用犬協会」に頼めば、輸入できたとしても軍用犬にされるのがオチ。相馬安雄は愛好家の団体「日本シェパード犬協会」の会長であった。そこで、病院長はそちらに頼むことにした。
 相馬家は代々の篤志家。有名なのはインドの独立運動家のラス・ビハリ・ボースの亡命を助け、自宅にかくまっていたこと。ちなみに、「カリー」のレシピはそのとき伝えられたという。それはさておき、国のために光を失った人たちのための研究とあれば、援助を惜しむことがあろうか。ましてや、大好きなシェパードだ。いろいろあって、すんなりとはいかなかったが、なんとか輸入にこぎつけた。
 ドイツで犬のほうは、初歩訓練を済ませてきたというもの、人間のほうはゼロからのスタート。そこで人間の“基礎訓練”をするために、「日本シェパード犬協会」の会員が最初の2カ月ほどは家に連れ帰って暮らし、盲導犬との付き合い方を学んだ。もちろん、会員は健常者。相馬はボドを担当した。2カ月の“訓練”が終わり、晴れて、献納。次いで、「臨時東京第一陸軍病院」外科第2病棟に入院中の、失明した患者(兵士)が、それら盲導犬の“管理”を命じられた。つまり、まだ研究段階なので、盲導犬を与えられたのではなく、あくまでも“管理”なのである。
 
 4頭はいずれも、退院するときに、皇后陛下(香淳皇后)の命により、そのまま下賜され、パートナーに可愛がられ、彼らもそれに応えてくれた。しかし、なにせ時代が悪すぎた。大戦に突入して、人間が満足に食べられないのに、犬の分が十分に賄える訳がない。ある犬は行方不明、またある犬は餓死。餓死しないまでも、やせ衰えた。加えて、戦後のどさくさで、記録をまとめて残すことは思いもよらなかった。やっと、まとめられたのが、本書なのである。

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戀(恋)という字をほどいてみれば、「いと(糸)し、いと(糸)しと言う心」-都々逸です

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学校では教えてくれない「旧漢字」だが、あたりを見回すと、案外使われている。例えば「慶應醫學部」、一般には「慶応医学部」と表記されるが、「旧漢字」のほうが正式名である。会社では「讀賣新聞」、「野村證券」などがあるし、本書の出版社からして「文藝春秋」なのである。とすれば、旧漢字(または表外字)を知っているのは、半ば世間の“常識”なのかも知れない。
 実は、本書を紹介する上で一番悩んだのが、その旧字がネットで使えるかどうか。使えるほうのグループは、実際にここで記してあるから、説明はほぼ済んだようなものだが、使えないものは説明しづらい、というより無理だ。例えば、「慶應醫學部」の旧字が使えないと仮定するとしたら、どうやって説明しますか。いい知恵はないですね。だから、著者は徹頭徹尾、旧漢字を使っているが、私は「新字体」を使います。だって、ネット(bk1)で使えないのだから。ちなみに、「旧漢字」のタイトルも本当は旧漢字なのだが、「舊=旧」はいいが、「漢」の旧字は使えないので、やむを得ず新字体表記にしています。
 本書の構成は、右のページに字体と書き順と例文、「左ページには活字体で新旧の字体・音訓を示し、次にその文字を含む単語・語句をならべ、ついで[蘊蓄]と題して、文字の構成や、文字にまつわる多少の話題を挙げてみました」である。[蘊蓄]はあくまでも真面目なもので、「櫻」の旧字の覚え方が「二階(貝)の女が木(気)にかかる」などということは、これっぱかしも出てこない。網羅はしていない“旧漢字字典”ダイジェスト版とみなしてもいいだろう。

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“プロ”である福祉事務所職員と、アマチュアが渡り合うためのノウハウ

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素朴な疑問である。あるいは屁理屈と言われるかもしれない。それは生活保護を受けようと思っている「生活困窮者」は、そもそもこの本を買うだけのお金にも困っているのではないかということだ。そのことを無視すれば、なかなか役に立つ(であろう)本である。
生活保護を申請する窓口は福祉事務所だ。だが福祉事務所は申請しようとする「生活困窮者」を歓迎しない。福祉予算に限りがあるからだ。だから、矢面に立つ福祉事務所職員も、申請を受け付けないように“努力”する。毎度、断り慣れた福祉事務所側、対して、おそらく初めて訪れたであろう生活困窮者、“勝負”は自ずと見えている。そんなときに、本書を知っていれば、福祉事務所の断りの言い分を、論破できるかもしれない。
各章ごとのタイトルがすごい。<2章 まず敵を知ることから始めよう><3章 相談員のあらゆる攻撃に対応する><4章 生活保護以外の場所に誘導しようとする相談員もいる><5章 福祉事務所はあなたの主戦場だ!>、「敵」、「主戦場」、「攻撃」、どうです、生活保護を受けることが、生易しいことではない雰囲気一杯でしょう。相談員の中には、言葉巧みに受給できないと錯覚させる人もいるらしい。だが、本書の2章、3章を読んで“予習”してあれば、大丈夫。本当の生活困窮者なら、ほとんど受給できるはずなのだ。

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尊敬しているからこそ、「ぶっつぶせ」。

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 いま、NHKの大河ドラマ「江」の主人公は、もちろん江である。では、江の夫は誰か知っているだろうか。徳川二代目将軍・秀忠である。ただ、実績の割には、あまり思い出せない人物であることも確かだ。その原因は、“徳川系”の偏諱(へんき)でないことと、二代目という割の合わないポジションにいることが挙げられるだろう。ちなみに偏諱とは、貴人から臣下への恩恵の付与として名前の一文字を与える。秀忠は豊臣秀吉の“秀”を貰ったわけだ。

 それはさておき、二代目は結構、大変である。ともすれば、偉大な創業者の陰に、隠れてしまう。創業者はダメでもともとという面があるけれど、二代目になってポシャッてしまってみた日には、何を言われるかわからない。かといって、伸び伸びしようにも、先代(創業者)が、まだ、目を光らせている。著者の父親は、安藤百福、インスタントラーメン(チキンラーメン)を発明して、さらにその発展形として、カップヌードルを考案した。著者は、その二代目だから、なかなか気苦労が絶えない。今は、百福が亡くなっているから、煩く言われることはないが、生前、二人だけのときはいい争いが絶えなかったそうだ。
 チキンラーメン、カップヌードルが、売り上げの大部分を占めていたとき、著者が「カップヌードルを凌ぐような商品を開発しよう」と、檄を飛ばすつもりが、間違えて「カップヌードルをぶっつぶせ」と言ってしまった。百福にすれば、我が子同様、いや、我が子より大事なカップヌードルをぶっつぶせと言われたのだから、面白くないわけがない。だが、下手な言い訳は通用しない。それより、ヒット商品を開発しよう。著者はマーケティング部を設置して、自ら部長になった。その第一弾が、「焼きそばUFO」。名前と容器の形はマーケティングの賜物。次いで、「どん兵衛」。これも、ネーミングと、どんぶり型の容器が成功した。
 初代(創業者)が土台を作り、二代目がそれを順調な道に乗せる。さらに三代目がその上に積み上げる。江戸川柳に「売家と 唐様(からよう)で書く 三代目」とならなければいいのだが。ま、とりあえず、著者は“秀忠”の、役目は果たしているようだ。

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「書く」ことが、頭のいい“リハビリ”になる。

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 かねてから読みたいと思っていた『新聞記者で死にたい-障害は「個性」だ』が、十数年経ってから、『新聞記者で死にたい-オウム事件と闘病の日々』という題名となって文庫化された。毎日新聞の記者であり、サンデー毎日の編集長も務めた著者が、働き盛りで脳卒中を患った。一口でいえば、その闘病記である。

 実は、私も著者同様、脳卒中を患い、その後遺症で現在も右片麻痺(半身不随)で、構音障害に悩まされている(軽い失語症もある)。その意味では著者は病気の“先輩”である。ただ、著者が脳卒中を発症した時点では、私は健常者だし、冒頭の新書版が出版されたときでも、同様。したがって、無関係な本だと、見過ごしてしまっていた。ところが、数年後に、対岸の火事では済まなくなったのである(もっとも、そのときは“対岸(著者)”の存在は知らなかったけれど)。そのとき、見舞いに訪れた知人が、「牧太郎」という人物が、脳卒中に罹ったにもかかわらず、現役復帰して、バリバリ執筆活動をしているから、希望はあると教えてくれた。
 ただ、脳血管障害は100人患者がいれば、100通りの症状で、見かけ上は後遺症もない人もいるし、身体のどこかしこも自由にならず、ひいては血管性認知症にもなる人もいる。だから、著者が現役復帰していると言われても、軽かったんだと思ったくらいである。しかし、違った。初期の状態は、私など比べ物にならないくらいに重かった。3日目に昏睡から覚めたが、意味が分からない「ウォー」という叫び声を挙げる。もちろん、片麻痺だから、自分では何もできないので、付き添いまたは看護師に介助してもらわなくてはならないのだけれど、その意思を伝えることができない。
 私の状態は、著者と比べれれば、だいぶ異なる。もしかすると無意識でICU内で騒いだかもしれないが、少なくとも、私自身には騒いだ記憶もないし、家族からもそういったことは聞いていない。構音障害は顕著だったが、失語症は軽度。構文なしの「ありがとう」「チクショー」の単語程度なら、発声できた。断っておけば、その時点では、自分の状態が他の人と比べてどうなのかは知らない。本書を読むことによって、初めて罹患者当人(著者)の感じた症状と比べられた。
 著者の障害者手帳の記載は「1種1級」。対して私のは「1種2級」。症状が落ち着いてからの障害程度も、明らかに重い判定である。最前も言ったように、脳卒中の予後は人それぞれだが、少なくとも著者のように「1種1級」と判定されても、社会復帰をしている人物がいることを知ってほしい。

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紙の本全身落語家読本

2009/10/13 21:26

志らくの高座を見ていないのが、残念である

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 35年ほど前、立川談志が『現代落語論』(三一書房刊)というのを著している。名著だと評判であった。しかし「現代」と題している以上は、“今”でも、生きがよくなくてはならない。しかし、35年前ではあまりに時が過ぎてしまっている。当時、革命的な発想のものでも、今では当たり前の部分もある。だから、「落語論」を論じようと思えば、改めての“レジュメ”作成が必要だろう。それに手を挙げたのが著者である。

 実は、本書の初版が出版されたのは2000年9月である。だから、既に9年も経っていて、これまで読んでいなかった私は半ば諦めていたが、なんと、刷を重ねて、今年の3月にも八刷が刊行されたのだ。そこで遅ればせながら、私もありつけたというわけだ。

 著者は、落語の魅力をなくした“元凶”は、あの「笑点」だという。もっとも、これには補足が必要で、著者自身も「笑点」は面白い番組だと思っているし、レギュラー出演している落語家も一流と評価している。それにもかかわらず、「笑点」が元凶だというのは、落語を見せる(聞かせる)番組がないからだ。
 「笑点」の売り物の「大喜利」は、あくまでも落語家の余技にすぎない。だから、本芸があってこそなのだが、他の番組や他局で、落語自体を見せる番組はない。そうすると、「笑点」で、若い人は、初めて落語家になるものに触れることになるかもしれない。大喜利でバカを言っている落語家が、本当は深い芸の持ち主だということが、知られないだろう。
 ちなみに、前述のように本書の出版は9年前。その時点で、著者が若手の成長株といっていた春風亭昇太、林家たい平は現在の「笑点」のレギュラーだ。

 期待にたがわない力作である。 

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私は騙されるほどの財産がない。安心していいのか、嘆いていいのか。

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 石川五右衛門が捕えられて、釜煎りの刑に処される際の辞世の句が「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」だというが、“詐欺犯”は「盗人」の同類項だ。したがって、五右衛門がいい残した「世に盗人の 種は尽きまじ」というのはまさにその通り。だましの手口(種)は、未だに尽きていない。

 「俺(私)は絶対に詐欺に引っ掛からない」、「詐欺に引っ掛かるのは、間抜けだ」と、豪語する人がいる。しかし絶対にそうだろうか。プロのマジシャンの妙技は、同業者は別として、素人には見破れないことが多い。その理由はやっているのが「プロ」だから。それを「詐欺師」に置き換えて考えると、“だましのプロ”がだましにかかっているのだから、自分は「絶対に引っ掛からない」と思うのは危険。かえって、「自分は大丈夫」という過剰が、いざ引っ掛かった場合には泥沼に落ち込む。
 【確証バイアス:confirmation bias】というのは、「ある考えや仮説を抱いてしまうと、それが「正しい」とする示す方向の証拠を重視し、またそうした情報を収集すること。それに相反する証拠が提示されても軽視されてしまう。最初の先入観や信念がなかなか変えられないことを理由づける「認知の歪み」のこと」。L&Gの「円天」事件の“被害者”などの行動は、「確証バイアス」で、いくらか説明は付くと思いませんか。

 そして、疑っている人も、いざ、「正しい」と方向転換した場合には、わき目も振らずまっしぐら。仮に、まだいくらかおかしいかなというところがあっても【後悔回避:regret aversion】をする。「人は自分のとった行動を正当化して、後悔しそうなシーンを無意識に正当化する」のである。
 
 だましてくるのはどんな人だろう。肩書きが立派な人だからといって、だまさないとは限らない。先ごろ、有名作曲家で音楽プロデューサーの某が詐欺罪で、懲役3年、執行猶予5年の有罪判決が言い渡されたのは記憶に新しいだろう。身の周りにいる人物でも安心できない。直接でなくても、“玉突き”的に被害に巻き込まれる場合もある。前述の「円天」事件でも、友人に誘われたという人が結構いるはず。友人はだまそうと思ったわけではないだろう。だが、結果として詐欺だったのだから、友情と金銭を失った。

 

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紙の本にっぽん町工場遺産

2009/06/22 01:06

「工場(こうじょう)」ではない。「工場(こうば)」である。

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 昨日、テレビを見ていたら、「医療機器メーカーのテルモ(TERUMO)は、いわば“痛くない注射針”を開発しました」というようなCMをやっていた。痛くなくするためには、注射針を「蚊の針」ほどに細くする。それで、“痛くない注射針”は完成。糖尿病患者がインスリンの自己注射をするのには、えらい福音だ。
 だが、実際の“肝”の部分の開発は、従業員6人の岡野工業株式会社が行った。つまり、テルモの求めに応じて、極細の注射針を作ったのである。従来の「注射針」の製造法と異なる画期的な方法だから、大威張りしてもいいのに、岡野工業の社長は、縁の下の力持ちで満足している。それは「町工場が日本の技術をさせている」との確固たる自負があるゆえだろう。

 世界的メガヒットとなった「iPod」も、日本の小さな会社の技術なくして、仕上げるのは難しかったようだ。「磨き屋シンジケート」と一見すると馬鹿にしたような社名だが、「金属研磨集団」だから、直截の名称と言えるだろう。「iPod」のボディーの裏面を、設計者の意図するように磨き上げた。シンジケートの中心人物の小林さんは38年のキャリア。それは、機械任せの大工場や、発展途上国の人海戦術ではカバーできない仕事である。

 その他、醤油、八丁味噌、塩などの調味料や、爆発的な売り上げは望めないが、根強いファンがいる手工芸品など、技術とともに町工場が、いつまでも存続することを祈る。

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パンダの好きな食べ物は「パンだ」-もちろん違います。パンダの好きな飲み物は「フ○ンタ」-ますます違います

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 上野動物園ではこれまで9頭のパンダを飼育した。いや「した」では正確ではない。今でも1頭は飼育している。著者はこの9頭全部を、23年にわたって世話してきた。これは、日本におけるパンダ飼育経験年数として最長である。

 1958年に東映で日本最初の長編アニメとして「白蛇伝」が製作された。中国を舞台にした物語だから、中国を象徴するものとしてだろうか、確かポスターに背景代わりにパンダがその他大勢で描かれていたような、おぼろげな記憶が私にはある。だが、それ以上その動物の情報は入ってこない。当時、中国は日本と国交を結んでいないし、私が積極的にアンテナを広げてはいなかったからである。それが、1972年に日中国交回復、その象徴として、パンダが日本に寄贈される。その頃の流行り言葉でいえば“ジャイアントパンダフィーバー”が沸き起こり、世間のみんながその存在を知った。
 著者は高校を卒業して「最初に目指したのは法律関係の学部です。ところが、受験に失敗。一浪した後で受かったのが“たまたま”宇都宮大学農学部畜産科だったのです。(中略)卒業するまで就職活動はしていませんでした。そうしたら友人に「東京都で畜産職の募集があるよ」と聞いたので、応募してみたら、受かったんです。その時“たまたま”配属されたのが、上野動物園飼育係」。それが、1970年のこと。まだパンダが来るという話は毛ほどもない。
 1972年に日本に来るとなり、政府の判断で上野動物園が最適だろうと決まった。著者はその時点ではゾウを担当していたが、どうもゾウと相性がよくないようだと上の人に判断され外されていて、“たまたま”手が空いているからと、パンダ担当を仰せつかった。つまり、偶然の積み重ねで長いパンダ飼育係はスタートしたわけだ。もっとも、飼育係といってもピンからキリまである。パンダはVIPならぬVIA(Very Important Animal)だから、獣医とベテランの飼育係が中心で、著者は初めの頃“追い回し”のような感じではなかったか。
 それが思いもかけずに長くなり、このまま一生パンダ担当でいいかなと思ったら、皮肉にも1989年に担当を外された。普通は同じ動物の担当を10年超すのは珍しいし、人事異動は組織の常とわかっているのだが、翌年、著者の次に古い繁殖研究班メンバーも異動になったというと、結果論ではあるが、違った方策があったのではないかと、著者は疑問を呈している。なにしろ、著者が担当を退いてから、子どもが生まれていないのだから。その後、11年ぶりに戻ったときには、ワシントン条約の関係で、新しいパンダを手に入れるのが難しくなっている。

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戸籍の附票というのを知っていますか?

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サブタイトルに「窓口職員奮闘記」とあるが、それと並行して“体験記”が隠れていると思っていいだろう。巻末に「本書はフィクションであり、作品中に登場する人名、団体名等は、実在の人物、団体と一切関係がありません。」と断っているが、著者は定年退職するまで、実際に市役所の「窓口職員」を務めていた。公務員には職業上知りえたことに関して「守秘義務」がある。だから、体験記をそのまま発表できない。そのため“フィクション”という隠れ蓑をまとっただけである。
小説というのとはちと違う。市役所の出張所を訪れる人々への、出張所職員の応対やトラブルが主題になっている。それらを案件ごとに整理せずに羅列してある。短いものでは1000文字前後、長いもので2000文字程度(例外的に6000文字ほどのものも)である。各案件は面白いのだが、読み物としたら、もう少し焦点を絞ってメリハリを付けたほうが読みやすい。
一般の人は一生のうちに数えるほどしか市役所(出張所)に行かないのが普通だろう。したがって、世間では融通を利かせる余地があるのに、市役所職員はできないという。言うならば“役所の杓子定規”である。「市議に知り合いがいる」からと言って、ごり押しを試みる人がいる。また、応対が悪いと、部長のほうに投書する人もいる。みんな窓口職員にしわ寄せが来る。
読んで目からウロコと感じたのが「住民票の有効期限」である。銀行口座を開くので、私も何回かとって提出した経験があるが、実は「1カ月以内に取った住民票」を要求されるのは銀行内部の決め事であって、役所は“有効期限”などは定めていないのだそうだ。住民票が証明していることは、交付時点で請求者がそこに住民登録してあるということだけ。つまり、厳密にいえば、窓口を離れたら“腐って”しまう可能性があるのだ。仮に、午前中に住民票を取って、午後にどこかで転居手続きをして、再び住民票を取った場合には、同日付で2種類の住民票が手に入る。それは極端な例だが、あまり発行日より日が離れると、本当ではない住民票を提出される危険があるので、1カ月以内を内部規則にしてあるようだ。

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紙の本社長は知っている

2009/02/17 18:50

今の時期、会社が順調な時に言った建前と照らし合わせてみれば、本音がかけ離れているような社長もいる

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 「会社の目的は利益で、事業は手段にすぎない。これを勘違いしている経営者が多い。会社の存在意義は四つある。従業員の生活の安定、株主へのリターン、社会への貢献、先行投資をするための自己資金を稼ぐこと。これらをやるため必要なものはなにかといったら、利益なんです。その利益を上げるために、事業をやっているんです」-本書の冒頭を飾る社長の言だが、このセリフを吐いたのは誰だと思いますか。キャノンの御手洗冨士夫(現・経団連会長)である。

 御手洗が冒頭に配置されたのは、経団連会長というステータスもさることながら、その任に就く前に、「社長」として目立った実績をあげていて、“経営者哲学”のようなものが、見受けられたからであろう。しかし、最近のニュースを見る限りでは、色褪せて思えてならない。「従業員の生活の安定」というが、御手洗の考える“従業員”の範囲は、どこからどこまでなのだろうか。「社会の貢献」も、真っ先に派遣切りをしたのでは空念仏である。「会社の目的は利益で、事業は手段にすぎない」とそこまでで止めておけば、良い警句だったろうが、“百年に一度”の事態が起きるとなると、空しい。

 といっても、この本全体が「空しい」わけではない。むしろ、曲がりなりにも大企業の社長になった人物なのだから、どの人も含蓄のある言葉を残している。一時期、頂点を極め、その後、没落? した人の言葉でも、著者はそれが意義があると思えば、採取してある。例えばコクドの堤義明は「側近は自分に忠誠を誓った、信用のできる人間に限る。そんなに頭がよくなくてもいい。忠誠心のある誠実な人間がいいね」といった。考えるのは「自分=堤」がやるから、あとはそれを忠実に実行してくれればいい。「トップが考え抜いた、詰めに詰めた決断であれば、部下は、直ちに動く。イエスマンではだめだが、何度も説明しなければならないようでは困る。そういう意味では堤の言うことは一理あると思う」-著者は、決して全否定してはいない。

 ミサワホームの三澤千代治の言った「子ども部屋をいっぱい作ったミサワホームも、今反省しているんですよ。子どもに部屋を与えるでしょう。その中で、わがまま放題になりましてね。親のしつけが行き届かなくなったんです。個室というのは、『子失』と書くんです」は、わが意を得たりの感がある。

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